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2024/02/20

月命日

今日は大好きだった母の月命日です。

小学生頃、銭湯に行く道すがらに一緒に歌ったものです。

♪我はフクロウ。楽しきフクロウ。 勤め果たし 心さやか
今宵うれしい 星明りに 我が古巣へ帰らなん
ああ富士の麓 山中の森影に。

♪我らを結びし同胞とし 導き教えし ロードべーテンパウエル
今は天に居給えども いつのいつまでも 世界の総長

♪遠き山に日は落ちて 星は空を ちりばめん
きょうの業をなし終えて 心軽くやすらえば
風は涼しい子の夕べ いざや楽しき団居せん

長い間デンマザーをしていた母。
けして裕福ではなかったけれど楽しい日々でした。

本当に早いもので、来月は三回忌の法要ですね。
そして、また、一心寺さんに会いにいくね。



2024/01/28

殻付き牡蠣のお料理

京丹後市久美浜町河内より殻付き牡蠣をおよそ2.5Kg程度送っていただきました。

殻付き牡蠣を自宅で食べるのは初めて。。色々と調べた結果、蒸牡蠣と焼牡蠣にしました。

30個以上もの牡蠣を一つずつ丁寧に亀の子たわしで擦り、表面のゴミをキレイに洗い流したあと、250度のホットプレートに平らな方を上に向けて並べたあと、日本酒を振りかけて15分弱。

口がすこし開いた牡蠣はナイフで簡単に開けることができます。また開いていない牡蠣は、お料理用ハサミでふちを切り取ると簡単に隙間ができるので、ナイフを入れて開けてみると、ふっくらとした大粒の牡蠣の実が出てきます!

レモン果汁をふりかけて頂きました。焼牡蠣は、オーブントースターに口が開いた牡蠣を並べ、さらにバターとお醤油を振りかけて5分程度で出来上がり。




食べる前に牡蠣にこびりついた汚れを落とすのが大変でしたが、殻付き牡蠣は美味!
十分に加熱して食べると安心です^^




2024/01/16

ピアノ復活!

 色々と事情があり、長い間、音楽制作/演奏から退いていました。
バンド活動や演劇音効、作曲をすべて止めていましたが数年前よりどうしてもピアノが弾きたくてたまらない。たまにショッピングセンター等の楽器屋さんを通るとつい鍵盤楽器に触れて試弾きをしてしまうことがしばしば。
そこで昨日、YAMAHAの88鍵の電子ピアノを購入しちゃいました。

うろ覚えのHANONを弾いてもみてもまともに指が動かずストレスがたまるだけでしたがそれでもまた地道に練習しようかな?




2023/12/31

2023年の振り返りと展望

2023年は激動の年になりました。
お陰様で桜の咲くころに還暦を迎えるとともに初夏には今まで過ごした会社と決別。有給消化後の翌日より他社へ移籍しました。
 業務内容はまったく変わらないものの扱う商材が違うとここまで攻め方が違うのか、、と日々修行の毎日ですがネット通販の売上を最大化するための施策と実施は非常に楽しいものです。ネット通販は単純な仕組みで【売上=来店客数×平均購入金額×転換率】に過ぎないものの、この公式を阻害する様々な事象が次々と現るたびに、その壁を打破していく・・まるでゲームのような感覚です。

来年はどんな素晴らしい1年になる事でしょう?
『まず考えよう 力一杯行おう 常に光を求めよう』
大好きな言葉で私の心の支えになっています。

3月には母の三回忌。大好きだった講談や落語会はまだまだ行く気になれませんが、偲んだ日々を送るとともに自己研鑽を怠らず、幅広くまだまだ知らない色々な事柄に興味の火を絶やさないようにすごしてまいります。少々体調面で不安が出てきていますが抜本的な治療は行わずになんとか乗り切りたいものです。


映画:パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービー

年末の押し迫った31日に映画:パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービーを孫と鑑賞しに行きました。
いわゆるトドラー対象の映画ではあるものの、アニメの完成度は想像以上に高く、特にフルオーケストレーションでのジョン・ウィリアムズばりの緊張感高まるサウンドは見事!
よくあるDTMではなく大変、完成度の高い音楽でした。主人公(犬)は体格が小さく、不幸な環境で育ってきた女の子のスカイ。彼女のテーマは、なんとクリスティーナ・アギレラが歌っている!彼女が主演した映画:バーレスクは私の一番のお気に入りで、疲れた心をすっきりさせてくれます。

自分にコンプレックスがあり引け目を感じることが常となってるそんなスカイ。「自分から踏み出さないとなにも解決しないこと」に気づく。
バーレスクの映画の中でアリと呼ばれていたアギレラは、「自分の才能を信じ疑わず、そのチャンスをつかむために大きく踏み出すこと」を行う。

パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービーは子供向けにわかりやすいストーリーになっていますが色んな要素を絡めた大変良い映画でした。




2023/11/25

翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて

 話題の映画を鑑賞。壮大な茶番劇という前触れに偽りのない面白さ。その宣伝の巧みさは見事!どんなに良い内容でも宣伝方法が弱いとHITしないだけにこの映画の番宣は大したもの。滋賀県の野洲をはじめ和歌山県、奈良県のディスり方には大爆笑。「琵琶湖の水を止める」はたしかに言い古された言い回しだけに思わず失笑。










1作目のラストシーンで使われてる曲はSW4の戴冠式のテーマのおもいっきりオマージュ。ルークとレイア姫が反乱軍から祝福を受ける大切なシーンにふさわしいファンファーレ調から威風堂々を思われる流れるようなメロディに受け継がれていくその曲調がそのままに使われている。もちろん今回も使われていた。
また、私の大好きなカヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲が効果的に使用されていました。大変美しい曲だけに、その先を予見させる展開があるのかな?と深読み。。

2023/11/23

阿麻美許曾神社

 大和川はその昔は南から北に向かって流れていましたが、度々の河川反乱のために1704年に現在のように東から西に付け替えられました。このあたりは、当方のBLOGにも詳しく書いていますが、忘れてはならないのは、大和川によって既存の地が大和川によって分断されたということ。もちろん現在の大和川の川底には1704年以前の生活をささえていた家屋、畑、寺社や墓地などがあったらしく、近代に向かうに連れ住居表示が厳格化される中で、さまざまな理由でいわゆる【飛び地】が誕生、そのなかでもひときわ目を引く【飛び地】にはこの【阿麻美許曾神社】とその参道があります。

まずはYahooMAPで飛び地の現状を確認すると、「東住吉区矢田エリア」は大和川の南に大きく飛び出た地域からさらに細長く、南に延びていることが確認できます。周りは大阪府松原市。

https://map.yahoo.co.jp/address?ac=27121&az=MTg&lat=34.59683&lon=135.54065&zoom=13&maptype=basic


S18の地図では、矢田村は大和川をはさんで南北に分断されていることが確認できます。
(内河内郡矢田村/瓜破村/天美村等:昭和30年(1955年)に大阪市東住吉区に編入)また別途記載の〔城連寺〕の記載が確認できました。また江戸初年に使われていた「枯木」の地名も見られました。おそらく現在の場所は行基大橋の北詰めあたり?


手元にある「北から西への改流・300年 甚兵衛と大和川」を確認。この書籍は中甚兵衛十代目にあたる中 九兵衛氏著。この図(川違新川図※宝永元年)にも城連寺村の記述あり。1704年の川違えにより村の半分以上が川底となった地域。



話は本筋に。この矢田村には欠かせない阿麻美許曾神社があり創建は大同年間(806年頃)。あの行基さんが居住されていたとの云われがある。高僧でありスーパー土木建築家で、今でいうところの本職が僧の大手ゼネコントップなイメージ。
ということで、阿麻美許曾神社へ参拝してまいりました。
現在の大阪の神社でも少なくなったいわゆる「鎮守の森」が残る美麗な神社さん。その巨木が神殿、拝殿を囲み、木々の間を崇高な風が通り過ぎていきパワースポット感が半端ない。
神社の南に鳥居があったそうで、その位置から参道を含めて東住吉区矢田7丁目。ちなみに6丁目までは、大和川の北側です。







数日前に罹患したインフルエンザA型からの復帰と2週間前に自転車で転倒し肋骨にひびが入ったけど痛みが無くなったお礼をしてきました。


2023/11/19

阪急少年音楽隊 はじめに

 吹奏楽は今やすっかりメジャーな存在で、中学校や高校、大学や社会人等それぞれの世代や地域を核にした団体は相当あるのでしょう。そしてそれぞれの団体には各々の歴史があり、所属していた方々が情熱を注いだ事は忘れることなどは無いでしょう。

昭和、平成、令和と時代が移り変わるとともに日本に溢れる音楽も相当移り変わり替わるとともに楽曲構成、音楽性も相当変化があり、誰しもが嗜好はあることと思いますが私はやはり最近の楽曲は苦手でこの音楽は楽しむことができないって感じ始めると頭が拒否反応を示すようです。
さて、宝塚音楽学校でのあの大変不幸な出来事についてどうしても触れておきたく筆を執りました。

宝塚音楽学校は阪急グループの創始者「小林一三翁」が築いたに他なりませんが実は姉妹校ともいえる男子校を秘書の清水雅氏が築いておりこの学校が「阪急商業学園」で、いわゆる「阪急少年音楽隊」となります。
大変厳しい統制が引かれた学園生活であったからこそ、素晴らしいサウンドと規律の取れたマーチングができたのだと実感しています。現在すでに学園の名前はなく精神のみが受け継がれているとの事ですがその学園生活はいかがなものかはかり知ることはできません。
行き過ぎた指導なのか、指導という名の暴力なのか・・決して肯定するつもりはありませんが、昭和50年前後ではまったく普通に様々な事象が行われていたのは事実です。

令和の時代に昭和チックな指導を進めるのは明らかに誤りで、お互いを思いやり、お互いが切磋琢磨し、お互いが気遣いながらというのが求められているのでしょう。
しかし、プロの世界では労働の提供と対価・条件が事細かに決められ雇用契約で縛られている以上、大きな声でNOとはいえず、その矛先を弱者に向ける事は一般的にあることとおもいます。どうぞすべてをオープンにして新しい伝統を築く努力をしていただきたいものです。

以降、不定期ながらに「阪急少年音楽隊」の事を記述してまいります。