yahoo2

2011/08/30

2011 8/30  ありがとうございました。

「いらっしゃいませ、ようこそー」「店内でお召し上がりですか?」
どこのマクドでも同じようなフレーズで接客をこなしていることと思いますが、マクドのサービスは笑顔をはじめ色々と書かれているようです。
そして最近、お昼にマクドを利用するようになって、何かわからないままに違和感を感じていました。

その違和感の原因は、昨日、梅田阪急さんへ知人のお見舞いを買いに行ったときに判明しました。


梅田の阪急さんは改装スケジュールが大幅に後ろ倒しとなりわずかな面積で営業。
おのずと苦戦を強いられています。
品揃えでは他店には負けているものの阪急さんならではのサービスがそこにありました。

お見舞いの受付は13時から。間に合うように阪急百貨店に出かけました。何にしようか色々と迷ったあげくに購入したのはアンリ・シャルパンティエの商品にしました。

ショーケース上に手ごろなのを見つけ販売員さんに声をかけました。

「いらっしゃいませ」「お持ち帰りでいらっしゃいますか?」

文字に起こすと前述のマクドと同じだけど、その言葉に含まれている感謝の気持ちがまったく違います。

「お怪我やご入院などのお見舞いでいらっしゃいますか?」
「ゼリーは日持ちするんですけど、焼き菓子の方は2週間ですが大丈夫ですか?」

お客様へ話す内容はマクドのように画一化されているけれど、言葉に心が感じられます。
そして最後にはこころのこもった「ありがとうございました」がある。

けして口先だけではない「ありがとうございました」は心を清らかにしてくれます。
改装で品揃えが悪いのはしょうがない、それでもまた来店してもらう為には
サービスの質を高めるしか無いのでしょう。

で・・ふと気がついた!そう!最近のマクドには「ありがとうございました」の言葉が無い。

絶対的な客数が違うので、忙しさで忙殺されているのか、それともホントにマニュアルに載っていないのかはわかりませんがたしかに「ありがとうございました」と言わない。
オーダーしたあとにかかる言葉は「右側にずれてお待ちください」だ。


そしてそう思った矢先にオーダーしたマックランチが揃ったらしく声がかかった。

「マックランチのダブルチーズバーガーのお客さま!」

私は心を込めて「ありがとう」といいながら受け取った。

店員はきっと、感じの良いお客だなーって思っているのかもしれません。


http://sweet-mikan.blogspot.com/2009/11/20091116.html




2011/08/28

2011 8/28 第10回 三国・アシスト亭

今回で第10回を迎える「三国・アシスト亭」。
この会は、長い間演じておられないネタや初めて披露される、いわばネタおろしの会という主旨で
実施されてきています。
いわゆる噺家さん、講談師さんはご自身を律し続けなければならない大変なご職業だと思っています。
新しいネタにチャレンジされたり、演じ方に工夫を重ねられたり、オンリーワンの芸術性を高めたり・・。
そんな大層な・・・とおもわれるかもしれませんがそこに会社員ではない大変さがあるのでしょう。
50回、100回と会を重ね、上方落語、上方講談がますます繁栄しますように。

すっかりマスターさんも芸人の域♪とっても楽しい方です^^


旭堂南斗 有馬御難

あと数ヶ月で正式な前座となる旭堂南斗さん。
なんどかお聞きしたことのあるネタ。すっかり安定しその視線には余裕さえ見えました^^
秀吉の死後、ますます力をつけてきた家康。その様子をうっとうしく感じている石田光成は腹心の部下である有馬則頼(?字が違うかも・・)に極秘に征伐を依頼。その息子の有馬玄蕃頭豊氏(げんばのかみとようじ)に能、狂言の会に毒を盛るように指示する・・・。その行方は。。


笑福亭松五 鰻屋

松五さんは今回で2回目。前回は2009/8月に田辺寄席で「寿限無」を聞かせていただいています。
あれから2年。
しっかりとした口調で仕草でイキの良い鰻を表現。
元ネタとおりキッチリ仕上げた感のある「鰻屋」でした。


桂枝女太 もう半分

ずっと前にNHKの日本の和芸で聞いたような記憶がありました。
元々は江戸前のようで上方版では、舞台が四ツ橋の袂の煮売屋です。
善太(字が違うかも・・)・・・怖いですねーww

現在の四ツ橋の交差点にはその昔、堀が十字に交差する写真やその様子がしのばれるモニュメントが
設置されています。それぞれ上繋橋(北川)・下繋橋(南側)・炭屋橋(東側)・吉野屋橋(西側)があり、その下には、東西には長堀川、南北には西横堀川が流れていました。
元々防衛目的でしたが、江戸時代には物流で使用されていた堀ですからそこそこ流れが早く、4つ架かる橋のいずれからでも複雑な流れでうかびあがる事は無かったのでしょうね。



旭堂南左衛門 王将 坂田三吉

先般の東京での撮影でのお話をされました。
市川染五郎丈との歌舞伎「細川の血達磨」にご出演。歌舞伎と講談のコラボ「細川の血達磨」の放送は、9月30日午後10時15分NHK総合にて。ぜったいにお忘れ無く!
さて、この演目は今回で3回目になります。
本当のネタおろしは作者の先生が同席された数ヶ月前の講談会です。それから数ヶ月、たしかに
磨かれた感があり定着したような印象でした。坂田三吉氏の生涯を年表で追うことで、その生き方や家族、夫婦愛を知らしめる狙いがあろうかとおもいます。こゆうの言葉がジーンと胸に染み入ります。

この数年は坂田三吉氏の記をはじめ通天閣やチンチン電車等の記念イヤーでもあり色々と露出する機会が増えることを願っています。


笑福亭 仁嬌 へっつい幽霊

たしかに、現代にはもう聞く事がない言葉がたくさんあります。笊(いかき)、切り藁(たわし)をはじめこの「へっつい」もそうでしょう。現に私の祖父方の田舎には「へっついさん」がありました。たぶん私の世代以降は知らないのかもしれません。
前半で登場したこの「へっつい」の販売価格は30円50銭、そして後半で脳天の熊五郎との賭け事の単位は300両。たしかに、全ての演目が終わったあとのお茶会の際に、枝女太さんが言われたように貨幣単位が混在していた時代だったのでしょうか。

島羅漢前左官屋八兵衛が気になり福島羅漢前を調べてみましたところ、福島公園はその昔、斎場でありその近くに黄檗宗妙徳寺があったそう。
現在は公園になっています。
←幕末頃の地図




また、江戸の貨幣は4進法で1両=4分=16朱・1朱=250文となります。先日のあみだ池寄席の感想でも記載しましたが江戸の落首「どうして九両三分二朱」。あと2朱で罪人は打ち首なのだが・・と苦悩する取調べ官の苦悩がしのばれます。

次回の三国・アシスト亭はできれば10月ではなく11月・・それも昨年と同じく3日が希望なんですけど。。。どでしょ?


2011/08/25

※ 講演会情報

STOP!上関原発!のメルマガが届きました。
ぜひ参加したい講演会がありましたので期間限定で転載します。
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◎「さよなら原発」講演会

 東日本大震災による地震や津波の被害は甚大なものでしたが、今一番大きな問題になっているのは、福島第一原子力発電所の崩壊による放射能汚染です。ところが放射性物質に汚染されたがれきの処分など、収束のめども立っていないなかで、早くも原発再稼働の動きがでています。
 講師の小出先生は、「溶けた核燃料が容器の底を破って地下へ沈みつつある。
地下水の海洋流出を食い止めねばならない」と発言されています。
 地震大国日本で、また被爆地をもつ日本で敢えて原子力発電を導入した背景は何なのか、今わたしたちが選択すべき道は何なのかを、講師の小出先生と一緒に考えていきませんか。
 子どもや孫たちに、そして若い世代に、これ以上汚れた日本を押しつけないためにも、一人一人が正確な情報を手にしていくことが大切かと思います。
 ぜひご参加下さい。

【日時】9月10日(土)午後2時~  

【会場】クレオ大阪中央セミナーホール  06-6770-7200 

【講師】小出裕章 (京都大学原子炉実験所助教)
     
【参加費】1000円 

【申し込み先】megumi-tada@excite.co.jp  

【主催】「さよなら原発」実行委員会

【共催】市民平和フォーラム
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この情報は<STOP!上関原発!>のメルマガを転載しています。

2011/08/21

2011 8/21 第22回あみだ池寄席


今回、初めて参加させていただきました。露の五郎兵衛さんが始められた寄席とのこと。

落語好きなら誰もが知っている和光寺さん。
「ははぁ~ん・・誰かに行け、言われてんな?誰に行けと言われたんや?」
「へぇ、それなら阿弥陀が池と言いました^^」
ご本堂の裏手にこんな立派なお座敷があったとは知りませんでした。

初めての会なので1時すこし前に到着。すでに受付も完備されていて2階の座敷へ。
頻繁に吉次さんがお見えになりお客さんを笑わせてくださいます。なんて陽気な吉次さん^^
開演5分程前に主催者の露の吉次さんより意外な提案がww
いやぁ。。画期的!かつ会場の雰囲気がぐっとよくなりました。 そんな中で開始されました。

桂治門 普請ほめ

ご入門され2年と10ヶ月とのこと。ご自身ネタで大学へ6年在学されたとのこと。
さて、噺の方は普請ほめ。現代になかなかお目にかかれない言葉がたくさん出てきます。

いわゆる一般では聞くことの無い言葉の数々。

総一面の栂造り(栂の木材はとても木目が美しく、柱や敷居、鴨居等に使われる)・縮緬漆喰(漆喰の塗り技法で、表面が縮緬のようなシワが無数に見られる)・上り框(玄関先で靴を脱いですぐに踏む板の部分)が桜の三間半(約6.3m)節無しの通り門(う~ん・・どんな状態なのか。。いわゆる玄関ホールの次の部分が通り門状態?)・備後表(たたみの表の造り方で熊本産で備後織・い草は備後産のものが最高級とされている)の撚り縁(ヘリを撚っている?)・薩摩杉の鶉杢(鶉の羽に似た模様・焼き物や工芸でも鶉杢がある・小さな波目がいくつにも表現されている)に
探幽(加納探幽)等など・・
実際にそんな現場があって自分の目でみたら一目瞭然なんでしょうね^^なかなか落語って勉強になります。


露の吉次 次の御用日

マクラはボクシングネタ。うまくご自身の落語感と掛けて表現されていました。
前半の常吉×旦那・常吉×ごりょうはんのシーン・中盤の夏の暑い日差しの中を寂しい安堂寺町~東横堀から住友浜あたりの風景で天王寺屋藤吉と出会うシーン・そして終盤のお白州での取調べのシーン。いずれもちゃんと私の脳内でイキイキと描く事ができました。
まぁ、ハプニングはあるものでこの噺には丁稚の名前が3人登場しますが常吉がぁ。。。。うまくリカバリされた上に見事に笑いに代え、しかも時折ご自身でも念を入れた噺っぷりがおもしろく感じました。


桂 ひろば てれすこ 

マクラはご自身の様々な営業のお話。中でも大阪で実施されている難波探検クルーズでのハプニングで場内爆笑。
また地方それぞれの方言話へ。「ある⇒いる」や「半殺し・皆殺し・手打ち」等ぶっそうな方言も紹介。
さてここでテレスコへ。めったにされないお話で私も今回はじめて聞かせていただきました。
う~ん。なかなか笑い所の無いお話・・。それでも珍しいお話なので充分に満足感がありました。「どうして九両三分二朱」・・当時は4進法、江戸は金本位(上方は銀)。あと二朱足すと10両で打ち首らしいですww帰宅後に落語辞典でちょっと確認すると「ステレンキョ」(あかんやん・・そのままやん)とされる場合もあり、江戸へ移植されてもある切りネタだそう。


笑福亭 仁嬌 遊山舟 

実は私もなんか変だなーって・・なんとなーく違和感がありました。今日の落語会って小拍子が鳴らないww
それもそのはず・・見台を忘れてきたらしい(爆)
さて遊山舟は昨年8月にアシスト亭でネタおろし。
視線の先に本当に「げい衆、まぁ衆、なぁ衆や、たぁ衆」等が居るような錯覚にはまります。
しっかりと上方の風景を想像させていただけました。


さて、次回は11月27日(日)
桂さろめさん・笑福亭喬若さん・露の吉次さん・桂文喬さんとのこと。
なかなか値打ちのある実力本位の地域寄席。もっと宣伝されたら必ず動員が図れる見逃せない会だとおもいます。
※会場は座布団席+椅子座席、西長堀駅すぐ。付近には駐車場沢山あり(終日¥1500を利用しました)

2011/08/20

2011 8/20 教科書に書かれなかった幕末史 岩倉使節団 

自国の歴史を学ぶことにはどんな意味があるのか?どうも現在においてはその情熱は非常に生ぬるくなっているように思う。この明治黎明期の岩倉使節団を見習うべき。

さて、廃藩置県が行われた4ヵ月後、岩倉使節団は明治4年(1871年11月12日)に横浜よりアメリカ号にて出発。19発の祝砲+15発の礼砲が横浜の町を大音響で揺らした。この様々な内容は公式記録である久米邦武著の【米欧回覧実記】による。
人数は46人の役人+18人の随行者に加え、5人の女子を含む留学者で総勢107名の大所帯。

そのメンバーは、特命全権大使の岩倉具視 (47才)・副使の木戸孝允参議 (39才)
・副使の大久保利通大蔵卿(42才)・副使の伊藤博文工部大輔(31才)・副使の山口尚芳(ますか)外務少輔(33才)がTOP5!他に著名な方といえば【津田梅子】【田中光顕】【中江兆民】等。特筆すべきは海外渡航経験者は伊藤博文を含む6人。また、書記官10人の内、7人が幕臣出身。すべて洋学の担当者だったそう。 また46人の平均年齢はなんと32才。時代を担う若
者達への期待のあらわれなのでしょう。

使節団の中に内海忠勝氏が居られます。この方は長州出身の吉敷毛利家に仕えていた方で本家から見ると陪臣。
あのパークスと揉めたくらいの根性の座った方。長崎県令・三重県令・長野県知事・兵庫知事・大阪知事・京都の知事の後に神奈川知事をされた方。

さて、一向が目指したのはアメリカ・サンフランシスコ。けしてその道中は楽なものではなく色んな事件がおこったらしい。
渡航経験の無い者達の不安を嘲る渡航経験者との軋轢に加え、長野桂次郎(幕臣出身)にからかわれた女子が大久保へ訴えかけ伊藤を筆頭に模擬裁判が行われるなどがあったらしい。

さて、使節団の目的は下記のとおり。
1.修好通商条約改正の期限があと1年と迫ったが改正するための期限延長を願う。
2.新政府としての正式な挨拶と国書を渡す。
3.近代国家化するための調査

明治5年1月15日、アメリカ・サンフランススコ到着は街を上げての大歓迎に一同は猛烈に感激!
木戸孝允は、「もし日本に文化の遅れた国が来たら、日本人は同じように大歓迎できるのだろうか?」「やはり教育が必要だ!」と再認識したらしい。
伊藤博文は有名な「日の丸演説」をおこなった。

「我国の旗の赤丸は、もはや帝国を封ずる封蝋のように見えることなく、今、まさに洋上に昇らんとする太陽を象徴し、わが日本が欧米文明の中原に向けて躍進する印であります」

それまで日の丸は、「遅れた人種が入っている白い封筒の口に赤いシールを貼っている」と馬鹿にされていたらしいが見事に伊藤の演説は大喝采を浴びた。

で・・この大歓迎ムードが大きな誤りを生むこととなる。。。

「こんなに大歓迎されるのであれば、条約改正の件は我々でなんとかなるんじゃないか?」と甘く考えてしまう。そこで申し出たところ条約改正の委任状を持ってきていない事が当然問題になる。
それなら・・と大久保と伊藤は2ヶ月の予定で大急ぎで帰国し委任状を貰うことにした。日本についた2人が会ったのは外務卿の副島 種臣。なんとか委任状を貰いアメリカに戻った頃には4ヶ月が経過。

ようやく話し合いになったが、関税自主権の確率や治外法権の撤廃は当然アメリカはNO!
また居留地内のみで商売が出来ないという条約を変更し、雑居を認めて欲しいとの事。
結局条約改正は失敗におわりとんぼ返りした4ヶ月は無駄となった。


余談として、条約改正は万国公法による必要があるとの事。
この万国公法で思い出されるのが、坂本龍馬の「いろは丸事件」。紀州藩を争った際にこの万国公法を楯として海上運航のルールを基に賠償金をふんだくった件。
この万国公法には海難に関することが一切書かれていないらしい。それじゃ「いろは丸」の際にホントに龍馬は万国公法をもちだしたのか?


明治5年8月16日 イギリス リバプール到着。
ウィンザー城においてビクトリア女王へ国書を渡している。
この際に女王より「先日は私の息子を親切にしてくださってありがとう」のお礼を言われている。
これは明治2年7月21日に第二王子が来日した事に由来しているが、この時、天皇に会う王子に対しお祓いの儀式をしてから会わせたというから実は失礼千万。。

イギリスの感想は「英国人は早足」だそう。
またこんな比喩も作られたらしい。
6時間仕事をさせた場合・・・
アメリカ人は4時間で済ませ残り2時間はブラブラする。
フランス人は4時間で済ませ残り2時間はワインを飲む。
イギリス人は5時間で済ませ残り1時間は他の仕事をする。
ドイツ人は6時間で終わらず残業する。

明治5年12月16日 フランス パリ到着。
この時はフランスの労働階級者政府のコミューンが崩壊して1年半。有名な凱旋門等は修理中。
ルイ大統領と会い、コミューンの感想を聞かれた際に、コミューン側を暴徒としてみた発言をする。

明治6年3月30日 ロシア サンクトペテルクブルグ到着しアレクサンドル2世と会う。
江戸時代は非常にロシアを脅威と感じた印象での会談だったが実際は怖くないという印象だったらしい。

明治5年6月3日 オーストリア訪問し明治以前の日本国を見るようだという感想・・。すでに小国を見下した感想にびっくり。


明治6年3月9日 ドイツ訪問。ビスマルクの演説。これは弱肉強食の国際社会をあらわした本音の演説であった。

・世界のあらゆる国家がお互いを礼節をもって交わっているというが、これは虚構である。現実には強国の政府が弱小国を圧迫している。
・万国公法は諸国家間の秩序維持を目的としているが、強国が他国と紛争を生じたならば、強国は自国の目的に適合するかぎりで、それにしたがって行為するのであり、さもない場合には自らの力を用いるであろう。弱小国は常に不利な立場に立たされているのである。
・イギリスやフランスは自国の植民地帝国を拡大しつつあるので、これらの諸国が礼節正しく立ち現われようとも、信用することはできない。

この時のドイツは2年前にフランスを侵略し、大国の仲間入りをした直後であった。しかもドイツは農業国であり男尊女卑の風潮が残る日本とよく似た国であることから非常に親近感を覚えたそう。


ここで、日本から木戸、大久保の両名に帰国命令が下るがなぜか2人は別々に帰国する。
これはこの時点で2人は犬猿の仲で喧嘩中だったから。

これらの国以外ではスイス・ベルギーオランダ等を見て回り、いかに小国が生き残るか?を探ったそう。
すなわち、それは自由の権利を守り、自国の権利を守り、他国の権利を侵さないことに尽きるとともに愛国心を育てる教育が大切であることを学んだ。

伊藤らは【脱亜入欧】を目標に掲げた。

この使節団のタイミングでイギリスには秘密留学したは長州藩の竹田傭次郎・山崎小三郎と南貞助の3人がいた。
しかし悲惨な生活環境で山崎は栄養失調で亡くなる。南貞助(助、輔)長州藩士で高杉晋作の親戚。母親が、高杉小忠太の妹のマサ。南はアメリカに岩倉使節団が来ていることを知り会いに行く。
使節団へは、ナショナルバンクの重役に選ばれたという触れ込みで近づいた。日本人が重役だということで「南は日本の誉れである」と称え、木戸や大久保は多額の資金を南へ預けることにした。※伊藤は散財するので預けなかった。
そして一行がイギリスへ行った際にお金を引き出そうとすると銀行は倒産。。。いきなり痛い目にあったのであった。

この事実が判明し落首がはやった。~条約は結びそこない金とられ世間に対し何と岩倉~

その後、南はいったん帰国し、再度留学。再び帰国した際にはライザという奥様連れ。国際家結婚第一号となった。(その10年後には離婚・・ライザは日本で亡くなっている)

2011/08/19

2011 8/19 霰松原

難読地名は沢山ありますがおそらくこの地名も難読でしょう。

<大阪市 住之江区 安立>

これは< おおさかし すみのえく あんりゅう >と読みます。
古い昭和の香りを残した紀州街道の街並みの沿いに記念碑がありました。







安立町の由来
古く万葉の昔から海辺に沿うように紀州街道の松原の景勝地であったが元和年間(1615-1622)典薬頭半井安立という良医この地に居て その治療を受けに集まった近国の人々が住みつき一つの村落となり 安立町の名をなすに至ったという。
(霰松原旧跡・安立忠魂碑 整備委員会 )


そこで書かれている霰(あられ)松原とは・・・・


霰松原の由来

霰松原の名は「万葉集」(巻一)天武天皇第四皇子である長皇子(ながのみこ)の「霰打つ あられ松原 住吉(すみのえ)の 弟日娘(おとひむすめ)と 見れど飽かぬかも」の歌などでよく知られています。
 この地は、奈良・平安時代は海に沿った境まで続く松原で、白い砂と松の緑は四季を通じて素晴らしい景観をみせ、多くの人々が訪れ、大阪と河内南部のや紀州方面を結ぶ街道としても重要で「岸辺の道」、室町後期からは「紀州街道」とも呼ばれていました。
 天水分豊浦命神社(あめのみこまりとようらのみことじんじゃ)は、延喜式代の古社で、創建は詳らかではありませんが、「住吉大社(すみよしたいしゃ)神代記」にも記録されていることより千二百年以上経ており、明治四十年に沢之町の止止呂支比賣命神社(とどろきひめみことじんじゃ)〔若松宮〕に合祀されています。 安立町の由来は江戸時代初期の良医であった半井安立(なからいあんりゅう)が、この地に住み多くの人々を助けた徳により、その名を残して町名となったと伝えます。(財団法人 住吉名勝保存会)


 ちなみに、万葉集の原文は【霰打 安良礼松原 住吉乃 弟日娘与 見礼常不飽香聞】。
訳としてはこんな感じかな?
-あられ松原にあられがふっている。弟日娘?と一緒に眺めてみたら飽きることは無い-

う~ん・・弟日娘が何かわかんないです(-_-、)

それにしてもこの時代の海岸線はこの辺りだったのでしょうねー。
住吉は、住み良い場所。住之江も同じ意味だったらしく、海の神様の住吉神社さんに守られた景勝地だったのでしょう。

2011/08/17

2011 8/17 井原西鶴 日本永代蔵


元禄元年(1688年)に出版された井原西鶴さんの「大福新長者教 日本永代蔵」。
過去に何度かチャレンジしたけど文章が難しくて挫折しましたがようやく発見♪
現代訳された「日本永代蔵」。これなら私でもラクラクです^^
6巻からなる日本初の経済小説というか、まぁ庶民がお金持ちになる秘訣を書き綴った内容で、それぞれの巻には5~6話が納められています。

江戸時代の大坂、堺や江戸の商人や町人の生活が詳細に書き綴られ、大成功した例や大失敗した例が書かれています。なんだか全てに通じるのは「商いの種を根気よく育て上げる」「質素倹約に励む」「飲む・打つ・買うは絶対NG!」ってすべて現代に通じる事ばかり。
当時の貨幣価値、物の単位や仕事の内容などいまからでは想像のつかないことがかかれてあり、当時の暮らしについ思いを馳せてしまいます。


ちなみに書かれたのは徳川5代将軍の綱吉さんの時代。戦闘力や統率力を背景とした武断政治から文治政治へと移り変わりようやく落ち着きが見え始めたが、相当なインフレが激しかったらしく、同時に上方では元禄文化が出てきたあたり。
大阪の生國魂神社さんに像がありますが、これはこの場所で一昼夜に2万3500句の「矢数俳諧」を詠む大記録を打ち立てたからだそう。

晩年は目が見えず、とても辛い生活のまま亡くなられたそう。
大阪市中央区の誓願寺さんに井原西鶴のお墓があります。



大きな地図で見る

2011/08/15

2011 8/15 施餓鬼法要


お盆の期間中に自宅に帰ってこられらご先祖様をあの世へお送りするために
恒例の施餓鬼法要へ行ってまいりました。

お弁当と経木塔婆を用意西田辺にある法楽寺へ向かいました。

http://www.horakuji.hello-net.info/

法楽寺さんには遠くからでも見える巨大な樹齢800年という楠木があります。
幹の外周は8mといいますから大人5人が手を繋いだときの太さくらいでしょうか。









山門の横の受付へお弁当をお預けし山門をくぐりますと、
すぐ正面には木造の三重塔が正面にあり、その優雅な佇まいに心が癒されます。










今年はすこしだけ早めに参拝したので境内はまだ人は少ないようでしたが例年は超満員で
お蝋燭やお線香をあげる場所が無いくらいの賑わいです。

経木塔婆をお納めし、お水をふんだんにかけて我が家のご先祖様が元の場所に無事にお帰りいただくことをお祈りいたします。

これで我が家のお盆の行事は全て終了。
終わったあとのその寂しさは何と言い難くもの悲しくさえ感じられました。

2011/08/13

2011 8/13 転載< 東海テレビの不謹慎なテロップを糾弾する> 

2011 8/13  宝塚歌劇 『アルジェの男』

十代の終わり頃から二十歳前半の頃にかけて、たまーに行ってた宝塚歌劇。
チケットを頂戴し、ホントに久しぶりに行ってきました。
実は何度か旧の宝塚大劇場にご縁があり、舞台裏や奈落、盆やそしてあの有名な大階段を歩かせていただいた事があります。まぁどんな関係かは置いといて。。。
さて、今回の出し物は月組公演 ミュージカル・ロマン「アルジェの男」そしてショー・スペクタクル「Dance Romanesque」。
アルジェの孤児院で育った孤児ジュリアン。いつかこの街を抜け出し、大物になる野心を抱いていた彼は、あることをきっかけに、パリ進出のチャンスをつかむ。

あまり書くとネタバレになるので詳しくは避けますが、正直なストーリーの感想は『う~ん・・・イケメンを武器に女心をガッチリ掴む三股オトコの出世物語』かなww。
予測のつく範囲のストーリーに厚みを加えた舞台美術や演出はさすが!
限られたスペースが何倍にも大きく見え、いろんなトリッキーな演出に眼を奪われました。
普段は脳内で場面を想像する落語や講談に慣れているだけに、ビジュアルや音楽、歌詞で世界観を表現するミュージカルも良いもんですねー。

ショー・スペクタクル「Dance Romanesque」では、開始早々、全員が客席に下りてきて熱ーい歌詞を歌ってくれ、もう胸はキュンキュン!
テーマのDance Romanesqueと、EW&Fの名曲を初めメジャーな曲をいろんな編曲で聴かせ、様々なダンスのバリエーションで見せてくれました。

やっぱ宝塚・・・良いですねー。。すっごくドキドキしちゃいますww


その昔にはまった時と比べると、ダンスのステップや曲表現の幅は増えて、見応え充分!
ただ・・・値段がお高くてびっくり!
今回のチケットは母のお知り合いの方から頂戴したので気付きませんでしたがSS席¥11,000~B席\3,500。世間の商業演劇並みに+αくらいにならないかなぁ。

2011/08/09

2011 8/9 お盆と初音ミク

お盆の儀式・・これは宗派や家庭の様式によって様々だとおもいますが、大まかにはご自身のご先祖様がご自宅に帰ってこられる為のお迎えと、そしてお帰りいただくための作法でしょう。
さて、私の家は浄土宗なのですが、なぜか法事・法要は曹洞宗で行われます。
これは亡くなった祖母と、曹洞宗の尼僧さんがはるか昔からのご友人であったことに起因します。
そして、その祖母が亡くなった際に、式場が手配くださった浄土宗のお坊さんとの事情により、
曹洞宗として式を行いました。
それ以来ずっと我が家に来てくださるのは、祖母のご友人である尼僧さん。すでに庵主さんと
なり体格は小柄な方だけど風格や威厳に加え80才前後とはおもえないくらいの肌の艶や声の張りは毎年、驚いています。

さて、我が家では毎年8月の第1日曜にお盆の法要を行う事になっているため、近づいてくるとその準備に大忙しです。
前日には、果物(メロン、スイカ、桃、林檎、オレンジ等)を7品、お野菜(かぼちゃ、ピーマン、トウモロコシ、ナス等)を7品、
乾物(湯葉、海苔、椎茸、干瓢等)を7品、そして祖父母や叔父さん、父が生前に好きであったものを買い集めてご仏前にお供えします。
そして当日には2膳分を小さな5つの器へご飯やお汁とおかずを盛り付けお供えし、お仏壇の前に経机や木魚等を準備して庵主さんをお迎えに参ります、そして無事法要が終わると次の場所までお送りさせていただき、ようやく我が家の法要の第一段階は終わります。
そして13日にはお迎え日を焚いてお迎えをし自宅に帰ってきていただき、15日には施餓鬼法要の為、お弁当をこしらえて法楽時さんへ参拝し、これで忙しいお盆の行事は終りとなります。

さて読経では「摩訶般若波羅蜜多心経」「四弘誓願文」に「舎利礼文」と・・そして名前がわからなくて調べてみると「大悲咒」だとわかりました。数年前に映画公開された「道元」に感動し、永平寺へ参拝した際に瓦の寄進をさせていただいた際に頂戴したお経の本に載っていた「修証義」・・これは忌年お時に詠んでくださいます、すごく凛として背筋が伸びる思いがします。
最近、YOUTUBEに「舎利礼文」や「摩訶般若波羅蜜多心経」がUPされていることを知りました。

初音ミク(合成音源)を使いDTMの作品として取り上げる題材として面白いからでしょう。

特に感心したのはこれ。機会がありましたら是非ご覧ください。

■舎利礼文


■ゴスペル風 般若心経 つのだ☆ひろ


けしてふざけた内容ではなく、若者がお経へ関心を持つ為のほんの些細な入り口として捉えてみれば、これらの動画ってありがたいことでしょう。

2011/08/03

2011 8/3 味仙 なんばこめじるし店

会社の同僚の方からのオススメがあって食べてきました、ナンバのこめじるしにある【味仙】という台湾ラーメン。
今風のお店構えではなく、町内にある中華料理屋さん風のお店構え。
客席はテーブルのみで15人程度でいっぱい。
中細ストレート麺に絡む、今まで味わったことの無い不思議な塩味に、盛られた豚のミンチ肉と刻んだセロリが絶妙な風味と歯ごたえを出しています。しかもしっかり厚みのあるのチャーシュー2枚が嬉しいです。

半分以上食べたところで、オリジナルのラー油をほんの少し!
すると不思議♪味が変化します^^ほんのちょっぴりえ充分辛みがありますので注意してね♪
今日のお昼ごはんのお値段は¥650也。

【食べログ】