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2013/10/05

2013 10/5 第50回 四天王寺秋季大学



今年も参加!素敵な会場でわずかな費用で幅広いお話を聞くことができました。

第1講目 13:00~14:20
髙橋弘次氏(大本山金戒光明寺御法主)「念佛発祥の寺、金戒光明寺」

なぜ黒だにさんと呼ばれるのか?また法然が最初に浄土宗を布教を行った地であることに因んで、後小松天皇より「浄土真宗最初門」の勅額を賜っている。
また法然さんが入滅の前に、一枚起請文を認めており現存している。
その後小松天皇のご落胤があの一休宗純。
法然上人を生き如来と讃え一枚起請文をもっとも奇なるかなと賞賛されています。
さとりはいらぬものじゃ。
あみだのご誓願のお念仏一遍にて無量無辺の罪さえ滅ぼし候うえは
、さとりたりというきゃつめが胸になにがある。
へんてつもなきあばら骨皮。
九年までさせらんずるこそ無益なれ。まことのときは阿弥陀の一声。
そのあらかたの意味は下記の通り。
さとりはいらない。
阿弥陀のみ旨にそう念仏があればいい。
悟った人の胸にはなにもない。
あるのはへんてつもないあばら骨と皮ではないか。
面壁九年の座禅修行も無益である。
まことの教えはただ南無阿弥陀仏にある。
とてもユニークな僧侶で、そのエピソードは『狂雲集』(柳田聖山著)にかかれている。
有漏路より無漏路へ帰る一休み。
雨ふらば降れ 風ふかば吹け。
十年、鼻の下、芳盟を理む。
一段の風流、無限の情。
惜別す枕頭児女の膝、
夜深こうして雲雨、三世を訳す。
これが辞世の詩といわれている。

第2講目 14:40~16:00
入澤崇氏(龍谷大学教授・龍谷ミュージアム館長)「大谷探検隊とシルクロード」

日本最初の学術調査隊である大谷探検隊。
1902年~1914年に三回にわたり調査に行っているが詳しい資料は残っておらず謎が多い。
その中心人物の大谷光尊(明如上人)は西本願寺派で1850年~1903年。
廃物稀釈の吹き荒れる中、仏教界のリーダー的存在。
西洋の教育制度に着目して調査研究を推進していた。
数回にわたり中国、インド、ビルマへ派遣し学術的な成果を残した。
第3講目 16:20~17:40
肥塚隆氏(大阪大学名誉教授)「仏教遺跡ボロブドゥルの謎」
1991年に世界遺産に指定、8世紀頃にシャイレーンドラ家が造営。
日本では東大寺の建立の頃になる。
120mの正方形に5層の方形テラスと3層の円形テラスを重ねて、頂上にストゥーパを築いている。すべてが回廊となっておりゴーダマシッタルダの様々な物語をなしている。
それぞれのパネルをスライドで拝見させていただき、とても興味深いものでした。