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2019/04/01

2019 4/1 新生活の開始です。

新元号の発表に合わせて私も今日から新生活の開始です。

自慢にはならないけれどこの3ヶ月はホントにのんびりさせてもらいました。
たらたらした生活にくわえて今まで出来なかった体験もいっぱいでした。

ラクなようで精神的にはきつかったときもあったけどさ。

だから新生活の節目とアップダウンの激しい町なので電動自転車を早速購入!

目立つオレンジ色。かるーく踏み込むだけで20kmくらいでちゃうんですよね。
  

こんどのお仕事は前よりもう~んと責任の重いお仕事のようだから、あんまり
のんびりできないけれど、十分見合うだけの収入でUPする予定。

はるばる遠方まで来ただけの甲斐があって、前職と違って
なんといっても年間休日も20日くらい増えるみたい!
     

しんどいけど頑張らないとねー。

う~んと働くけど、今度のお仕事はおもいっきり成果主義にくわえて自己管理が
そこそこ必要らしいので気合が大事です。

2019/03/24

20193/23-24 出雲大社・島根と境港

毎年、春と秋の2回は各地へ旅行に行くことにしていまして、今年は出雲大社さん・八重垣神社さん・熊野大社さん・美保神社さんと巡り境港経由で帰阪しました。

朝6時順調に出発し、なんだか急に冷え込んできたかと思うと米子自動車道の蒜山当たりでまさかの雪。。「え?もう三月も末にこの時期に。。」と驚きです。

11時には出雲大社さんに到着、あいにくの天候は雪交じりの冷たい小雨です。
多分気温は5度くらい?

まずは参拝の前に出雲そばをいただきます。お店は駐車場まえにある「八雲さん」です。
上手いこと5分くらいでテーブルに案内いただきました。

割り子そば 5段+蕎麦湯!

3色割り子蕎麦+蕎麦湯!

うん!おいちい!

出雲大社さんは現在60年に一度の遷宮中。なんか前に来た時と景観が違うような。。




「二拝四拍手一拝」で参拝して神門通りを色々と散策。

大半のお店がすっごくキレイになっていてお土産のバラエティも豊富。海外のお客様もいっぱいです!
途中【ウサミミ】を付けたり、たい焼きを食べたり、勾玉屋さんやお塩屋さん、お土産物やさんで試食したりとむっちゃ楽しかったよ。

一通り散策を終えたので宿泊先の八雲温泉へ。で向かう途中、「八重垣神社さん」へ寄りました。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」
素盞嗚尊さんと稲田姫がこの地でご結婚されたことから

【鏡の池】には沢山のレディースたちが!
池に硬貨を乗せた占い用紙を浮かべて早く沈めば(十五分以内)縁が早く、遅く沈む(三十分以上)と縁が遅くとの事。また近くで沈むと身近な人、遠くで沈むと遠方の人とご縁があると伝えられています。











ということで、この八重垣神社さんからホテルまではすぐ!

チェックイン後、露天風呂を満喫して夕食後、爆睡!

翌朝は8時に出発。泊ったホテルは実は熊野大社さんの参道横にありますので、わずか1分程度熊野大社さんに到着!

張り詰めた空気感の中にズンッとたたずむご本堂。










一路、松江市内に向かいます。
松江城ではちょうど【第1回国宝松江城リレーマラソン】のスタート時間ちょうど。
一斉に多くの方々が走り出し、急こう配の石段を元気よく走って行かれました。





松江城天守閣はまぢ急こう配。。城内の階段は60度くらいあるんじゃないかな?

「大阪城みたいにエレベーターあるんかな?」
近くにいた島根観光ボランティアに爆笑されておもいっきり突っ込まれまた。。

天守閣からでるとなんとなーく、膝が痛い!そんな年齢になったのでしょう。。。

さて、一通り観光を終え、さて次はいよいよ「美保神社さん」です。
島根県の北東方面のいちばんさきっちょにあり、恵比寿さんの総本社なので商売繁盛+海上交通安全の神様でもあります。



思っていたよりも100倍くらい大きくて、そのスケールに驚きました。


海上安全だけでなく、全国各地にある事代主神を祠る「えびす社」3,385社の総本宮です。
しっかりとお参りしてきました!





そろそろ最後の目的地。島根県に別れを告げて鳥取県にある境港へむかいます。
ここから鳥取県境港はホントにすぐ!



先日朝のよみうりテレビ「すまたん」で放映された回転すしへ向かいます。
【廻るお寿司屋さん 大漁丸 みなとさかい店】
http://tairyoumaru.com/shop/shop-minatosakai
やっぱ境港の回転すしはクオリティが高い!


ふぐー!


まぐろー!

サーモン祭りぃ!

アナウンサーの森ちゃんと絡んだ店員さんに「テレビみたよー!」って話すととっても恥ずかしそうにされていましたがこのお寿司屋さん、、まぢ美味しかったです!

 https://www.pictame.com/media/2002678225496303440_2130875792


 ということで楽しかった出雲&島根県・鳥取県旅行も終わり帰路につきました。
米子自動車道からみた大山は雪景色です!

2019/03/20

2019 3/21 一坂太郎著「 吉田松陰190歳」

先日、18日の夕方に一坂太郎先生とお話をする機会がありました。

おそらく6年ぶりくらいかとおもいます。積るさまざまなお話をさせていただいた中で
一坂先生が話された内容にとっても驚きました。

ホント耳を疑うような言葉です。





吉田松陰先生はまだ死んでいない・・というか死なせてもらえないというお話でした。
とても興味深く、そして詳しい内容は「吉田松陰190歳」という書籍をということで
さっそく注文し19日の夕刻に到着。本日1日で読破して驚いた。

松陰先生は様々な「要人暗殺未遂」や「国外脱出」という罪を犯したり、「命の惜しくないと思っている若者を数名よこしてほしい」や「一人の悪者を殺したら政局は変わる」等テロ的な発言をしたり、そうかと思えば「自由闊達で自主性を慮る授業」や呆れるほどの「尊王思想」に「自分の一生を種に見立てた留魂録」に「大好きだった子弟をボロカスに言って拗ねてみたり、周りが見えずに猪突猛進的な事」をしたり、「脱藩して無茶苦茶な旅をしたり」・・それだけに行動や残存している手紙や書物や言論の記録の過激な部分だけを切り取られてしまうことで亡くなってからもざまざまな人の心に入り込み、教育や思想やそして右翼にも左翼にも政治家にも利用されやすい方なのでしょう。

でも日本は言論の自由で守られているのです。
私のこのBLOGでの発言はあくまでも私個人の発言であって、私の所属する団体の正式な発言や見解ではないのです。

それにしても洋泉社 歴史REALwebに掲載されている一坂先生の書かれている「大河ドラマ『西郷どん』批評」の最後の回の批評末尾あたりに書かれている文章が大変気にかかる。

http://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/54612753.html

平成27年の吉田松陰の妹を主人公にした『花燃ゆ』のお話や「ドラマを批評したことは、行政を批判したこと」と圧力をかけられまくったお事柄等の詳細な状況が書かれた内容を読むたびに今の政治体制に疑問が出てくる。
私はそれでも松陰先生が大好きだし、きっと一坂先生も好きだろう。同じように山口出身の政治家さんも、どこぞの大学の先生も博物館の館長さんも好きなんだろうとおもう。
でもどの部分を切り取って「すきっ」て言ってるのかは甚だ疑問が残る。

そういえば私のBLOGの過去の記事にこんなのがあります。
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2014 5/17 歴史と人間   アーネスト・サトウ

今回の大河ドラマの次の2015年は「花燃ゆ」で松陰先生の妹がヒロインだそう。
で、再来年の2016年は先日発表がありましたが三谷幸喜さん脚本の「真田丸」。
真田幸村が亡くなって401年の記念すべき年に・・・・はぁ?・・・?
401年?むちゃくちゃ違和感を感じているのは私だけでは無かったようです。
噂では震災の復興をテーマに2013年の「八重の桜」はまだ良かった。
そして2014年の姫路城のリフレッシュ公開と合わせた軍師官兵衛VS大阪の陣が勃発した真田幸村となるかの対決で
大阪方は【真田幸村を大河ドラマにする会】を発足していっぱい署名を集めてきたけれど
残念ながら軍師官兵衛に決定。。
そこで不思議な・・とっても不思議なことが起きました。
どこからか、松陰先生をテーマに大河ドラマを作りなさいってお声があったようです。
数回前の講義で、吉田松陰先生が一時的に書籍として取り上げらた時期があると言われていました。
強烈なまでの尊王思想で過激的であるが故に斬首となり罪人となったが、
ある時期から神とまでに奉られている松陰先生の言葉が修身の教科書に載ったそう。
そして数年後にも掲載されるらしいですが・・そのもてはやされた時期は?・・・さぁいつでしょう。。
中国やロシア、北朝鮮のキナ臭い動きを鑑みて集団的自衛権の行使容認で憲法解釈の変更を唱えた事になにか関係があるのかも?
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この書籍では上記記事の真相なんかも書かれています!



吉田松陰190歳   一坂 太郎 (著)

でもこれだけは言えるとおもう。松陰先生は文系の人で理系ではないし何を捉えてなぜこんな話になったのかはしらないが松下村塾は「明治の産業革命遺産」ではない。

2019/03/14

2019 3/14 旧萱野家(大石順教尼の記念館)訪問

2年ぶりの九度山訪問です。また、旧萱野家は2013年11月以来となります。

まずは、私の大好きな橋本市やっちょん広場 二階にある「食彩館」で昼食です。

うん!ぶれないですねー。地元食材をうまく利用、すごく工夫したお料理ばかり。
酢豚&グラタンにいろんなお料理が盛りだくさんの定食をいただきましたが
このお店のランチは「はずれなし!」間違いなく美味です。

食べログ
https://tabelog.com/wakayama/A3001/A300103/30005878/

道の駅を見学したあと、目的の「旧萱野家」を訪問させていただきました。

萱野正巳館長様や住民クラブご代表の阪井様と数年ぶりにお会いさせていただき様々なお話をさせていただきました。

やっぱ大石順教尼様の教えって素晴らしいですね。
詳しい生い立ちは下記をご覧ください。
( http://www.jyunkyo.jp/index2.html )

萱野正巳館長様は大石順教尼記念館は単なる記念館ではなく【道場】と言われていましたが本当にその通り。
大石順教尼様の教えに触れることで「また頑張ろう!」って元気や勇気が出てくるからホント不思議です。

萱野様が座右の銘として書かれておられましたお言葉の
「人間は出逢うべき人には必ず逢える。一瞬遅からず一瞬早からず」の言葉に大変感銘を受けました。

2019/03/11

2019 3/11 第288回天満講談席 〜南青改め旭堂南龍襲名・真打昇進講談会〜

はじめての「天満講談席」へ参加。
事情があり相当早くから会場へ到着したおかげで会場の設営段階から拝見させていただく機会を得ました。

旭堂南左衛門ご一門の皆様が次々に17時に参集され会場の設営をテキパキと進めていかれる姿を目の当たりにしてなんだか感動です。




開演時間となり続々とお客様がお見えになられ30人以上!満席となりました。
定刻となりいよいよ 第288回天満講談席がはじまりました。

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○左楽  『黄門と農業』
○南斗  『曽呂利新左衛門』
○南舟  『名画の力』
○南鷹  『津波てんでんこ』
○南左衛門『頼朝の夜這い』
※口上あり
○南龍  『裸の角左衛門』
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『黄門と農業』を読まれた旭堂左楽さんはとっても表情が豊かで、私の脳裏に田んぼ仕事をしている黄門さんの風景をが描かれました。これからが本当に楽しみな左楽さんです。
 私が講談にはまったのは2008年ですからちょうど旭堂南斗さんや旭堂南舟さんがご入門された頃、久しぶりの旭堂南斗さんの講談は太閤秀吉に御伽衆として仕えたといわれる『曽呂利新左衛門』、また旭堂南舟さんは丸山応挙の名画「幽霊」を題材にした『名画の力』。お二方の講談は4年ぶりになるかとおもいますが、見事に私をそれぞれの世界に引っ張り込んでくださいました。

旭堂南鷹さんは、「2011年1月に噴火した新燃岳被災により都城市の観光大使のご縁によるチャリティーに精を出されていた」「3・11の東日本大震災での活動」のエピソードから創作講談『津波てんでんこ』を読まれました。 どうも最近涙脆くなったのか、後半はなんども涙をぬぐうことになりました。

さて、旭堂南左衛門さんの『頼朝の夜這い』は、はじめて聞く講談で、ご本人も「珍しい講談」であるとの事。源頼朝が伊豆へ流されたエピソードからはじまり北条政子、時子を加えたおもわず笑ってしまう講談でした。

さて10分程度の中入りを挟み「口上」です。

下手(しもて)から〔南鷹さん〕〔南龍さん〕〔南左衛門さん〕がはかま姿で舞台上へ勢ぞろい。進行役の南鷹さんが口火を切られそのまさかの口上にいきなり会場は大爆笑!
また、見事なツッコミ役&主役の南龍さんとのやりとりでさらに会場は爆笑の渦へ。
 南左衛門さんからは、南青さんとされたときの思いを語られおもわず聞き入るシーンもありました。
 はやく大阪の一等地に講釈小屋ができる事を楽しみにしています。

さていよいよ〔旭堂南龍旭堂さん〕です。
江戸時代の大名火消しのお話。大名の松平出羽守がイナセで粋な若者を集めて火消しを組織していたそうですがあらたにスカウトされてきた角左衛門。見事な「羅生門、渡辺綱の入れほくろ」(刺青)の青年が纏持ちとなったがある事件で打ち首に・・。
緩急を巧みに使い分け、また会話の江戸弁のなかに時折くすぐり程度で入る大阪弁がとても心地よい講談でした。

ということで18:30から始まった講談もすでに21時前。今日は合計6本の講談を堪能しました。本当にお疲れ様でございました。

2019/03/03

2019 3/3 「第39回 三国アシスト亭」

何年ぶりでしょう。ひさしぶりの「三国アシスト亭」です。
この会はネタおろしの会、それでもきっちりと仕上げられたネタばかりで久しぶりの落語と講談を堪能しました。

「千早ふる」桂 白鹿(五代目桂文枝さん⇒文福さん⇒文鹿さん⇒白鹿さん)
限られた時間の中でキッチリと笑いをとられ、和やかな雰囲気にされました。

「茶の湯」笑福亭 仁嬌
「ふぐ鍋」桂 枝女太
「太閤記・秀吉とお祢」旭堂 南左衛門

今日の会は満員御礼状態!お師匠様の方々の落語がこのお値段で楽しめて、しかもおいしいコーヒーとデザート付き。次回は6月だそうで、見逃せない落語会です!

2019/03/01

2019 3/1 最初の第一歩

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

本当に自分のことを城や石垣や堀とおもってくれる人とお付き合いしたいものですし
色んな言葉に一喜一憂することもあるけれど、情けをかけてくれた方への恩義は忘れてはいけません。

不幸なことに、辛いことや心がポキッと折れたり傷ついたことがあっても恨むような事だけはしないようにして、結局その方がとっても可哀そうな人なんだ、だからはやく安らかで穏やかな心が戻る事を心底願い、私は当分モヤモヤした気持ちが続くけれど早く断ち切る事につきます。

それっ!最初の第一歩!




2019/02/26

2019 2/26  第7回 力だめし講談会 ~南左衛門一門・四天王の会~

ある事情から長い間、講談会を絶っていましたが気分転換に復活!

あぁぁ動楽亭!久しぶりぃ。



ということで、やってきたのは【旭堂南左衛門様一門 力試し講談会】の最終日となります旭堂南鷹さんの会。


さすが平日の夜だけにお客様は20人超えくらいだったけれど、会場の熱気は大したものです!

旭堂 左山さん 「水戸黄門 長屋の出世」

旭堂 南鷹さん    「バロン西・硫黄島に散ったメダリスト」

君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで♪の独唱から始まる講談。
いきなり意表を突く演出だけどこれが大きな伏線!
ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト「西竹一」士の熾烈な障害を愛馬ウラヌスとともに活き活きと、そして熾烈に描いたこの講談でおもいっきり泣かされました。

旭堂 南左衛門さん 「義士の早駕籠」

時は元禄14年、浅野内匠頭長矩が江戸城松之大廊下において吉良上野介に斬りかかった事に端を発する忠臣蔵。主君が刃傷事件を起こしたことを一刻も早く伝えなければと早水藤左衛門と萱野三平が早駕籠で赤穂に向かうも街道には関所があり閉門時刻がすぎると翌朝までだれも通すことができない。。
さてどうなったか。。。

旭堂 南鷹さん 「太閤記・明智光秀の眉間割り」

主君信長と明智光秀の関係は色々と取りだたされているものの、家康の接待役としての対応にご不満があったのか。。長い物語の序章部分です。

「五代友厚一代記」…旭堂 南鷹

大阪経済の基盤を整備した五代友厚の生涯を語る講談です。
幼少の時の五代才助が竜馬と出会い、薩長同盟を結び、またイギリス留学を経て日本の発展に寄与する物語の一部。

※2年前に参拝させていただきました阿倍野斎場に眠る五代友厚さんのお墓。。
合掌。


講談って張扇で釈台をパンパンって叩くと、私の頭の中の風景もパンッて切り替わります。そして目の前に水戸黄門さんや赤穂義士さんや五代友厚さんがイキイキとそのセリフを語っているの。
泣いて笑ってドキドキしてハラハラして。子供のころに母親が読み聞かせてくれた絵本のようにシーンが再現される・・そんな芸能なんですよね。

もっとたくさんの方々に広まりますように。

2019/02/17

2019 2/17  ありがとう。 退職を選択。

昨年初夏頃より、当家を襲った様々な問題。。

私が生まれ育ち、そして母が住んでいる家の急な立ち退き問題から始まり、母の複数回に渡る緊急入院や数度の手術と介護施設の選定、入所にまつわる要介護度の変更等に介護士さんと弁護士さんが加わったのドタバタ劇のおかげで会社から<期限付き自宅勤務>か<介護休業選択>か<退職>の選択肢を選ぶことになりました。

たぶん、むっちゃレアなケースだとおもいます。

そして今回、色々と悩んだ挙句に今回<退職>を選択しました。

人生って本当になにがあるかわかりませんねー。

昨年の5月に本家にやってきた土地売買の会社さんのおかげで、この10ヶ月間は本当に色々ありすぎましたが、すごい貴重な経験をさせてくれたおかげでようやく進む方向が見えてきました。

今まで培ってきた私のキャリアに価値を見出してくださった方々や、手を差し伸べてくれた沢山の皆様、本当にありがとうございました。



今年に入り、介護の用事はあるものの
毎朝4時半~5時起床することも毎日まだ暗い時分からお弁当を作って、眠たい片道1時間のマイカー通勤からも逃れることができました。

 自らが事故を起こしたことはありませんが、通勤中の追突事故信号待ちの時の当て逃げに遭った事で自動車通勤が正直怖くなり、また夏は暑く冬は寒い倉庫での出荷応援による熱中症で急性腎盂腎炎を併発!何度も三途の川を渡りかけてから、爆弾を抱えた体となりました。

 朝7時~7時半ころからの仕事にくわえ土日や年末年始、お盆やゴールデンウイークの期間中もお客様からのメール対応でどこに行くにもノートパソコンを話さずにクレーム対応をしたことも過去の事となります。
また3ヶ月に一度と、隔週の通院へ行くことが条件でしたが結局ほとんどが叶わず心と体の不調をごまかし続けるスリリングな毎日とお別れです。

 心と体が疲れると変わりゆく街の変遷にも興味を示すことができず、カルチャーセンターやスポーツジムも辞めざる終えませんでしたがこれからは何にでも興味深くアンテナを張り巡らせる自分を取り戻すことができそうな気がします。


ネガティブな事ばじゃりじゃなく、この7年間で相当パワーアップした私!

特に企業におけるKGIを設定し達成するためのKSFやKPIとしてUX/CXの向上を目標としたCRMやMAを使った構築方法を色々と実践することができました。
たぶん、負ける気がしない(笑)これが最大の成果!

ということで、数か月後から始まる知らない土地でのお仕事は、たくさんの知らない人と知り出合えて、いろんなお話の中で自分の知らない事を知ることができそう。そして何よりも今までのキャリアを生かすことができそう。
いまからワクワクが止まりません。
ホントにありがとうございました。

2019/02/10

2019 2/10 大阪オートメッセ2019

いろんなご縁をいただきましていってきました!「大阪オートメッセ」!

会場のインテックス大阪は車で30~40分程度の距離。9時に家を出たらまぁ余裕で10時には入れるかな?と思ったのが大間違い。。

会場に近づくにつれ車の数がだんだん多くなってきて会場の屋上駐車場への入り口はすでい長蛇の列・・。「あかん・・・」付近のどの駐車場もすでに満杯・・しかも多くの車がすでにならんでいる状態・・。
諦めかけた前方にちょうど臨時駐車場を開門したばかりの個所が!ラッキー!
駐車場から会場までは5分程度。

で、会場入り口には・・・あれ??なんの列?当日券売り場??

げ・・・入場まちの長蛇の列でした。。。


で、結局会場入りできたのが10時30分頃。。


はじめてのオートメッセの雰囲気は、今まで経験してきたIT関連やホビー関連とは全く違います。まさにフェスティバル!!!お祭り騒ぎやないですかー!



楽しすぎる!!


色々なブースをうろうろとして見つけた「ハセ・プロ」ブース。



ふむ。。。マジカルアートシート??


これなかなかよさげですねー。

いろんな車がありました!

日頃見かけない車ばっかりだけど、モータースポーツは楽しいですねー。






 




2019/01/19

2019 1/19 浄瑠璃寺

今から数十年前にはじめて参拝した浄瑠璃寺、いままで何度行ったことでしょう。

https://sweet-mikan.blogspot.com/2011/01/2011-19.html

数年ぶりに当尾に行くと、ニュータウン化が進んでいて驚きました、また新しい道路もできており便利になりました。

さて、山門近くの有料駐車場に車をとめて山門へ。いつも昼食をいただくお店が・・・あれ?閉まってる? 

 いつも、やなぎ屋さんっていう食堂でとろろ蕎麦を食べたり甘酒を飲んだり・・。
その相手は家族だったり大切な人だったり親友だったり。かならずこのお店でいただいていたのに。

向かいのお店で聴いてみると、お店をされていた老夫婦さんはすでにお亡くなりになられていてお店はあけられていないとの事。

残念でたまりません。



やなぎ屋さんをすぎると馬酔木の甘酸っぱい香りの参道です。また蝋梅も満開でした!






はい。かわいい山門です。この山門をくぐると撮影禁止!

本堂手前の受付で入山料と御朱印帳をお渡しし記載していただきました。





薄暗い本堂の中にはピンっと張り詰めた空気の中に、1000年以上前から私たちを見つめてくださっている阿弥陀如来さんや表情豊かな四天王立像、そして不動明王と矜羯羅童子と制多迦童子。

正座してそっと手を合わせるとなぜだか涙が止まりません。

母の事、家族の事、自分自身の事、まだまだ悩みはつきません。

右へいくの?左にいくの?それともまっすぐなの?





本堂を挟むように、大きな池があります。

本堂側が彼岸、そして撮影している側が此岸を表しています。今日のような春の麗らかな柔らかい日差し。誰もいない境内。

思いにふけるのに最高でした。


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2019/01/15

2018 1/15 玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番

お正月に録画しっぱなしだった〔玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番〕をようやく見ることができました。

~引用
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍に包囲され過酷な状況にあったレニングラードで、ある演奏会が行われた。ショスタコーヴィチが故郷・レニングラードにささげた「交響曲第7番」。飢えや寒さと闘いながら、人々はどのようにして“奇跡のコンサート”を実現したのか?一方、作品の楽譜は密かにマイクロフィルムにおさめられ、遠路アメリカまで運ばれた。ソビエトとアメリカの大国同士が音楽で手を結んだ、驚くべき政治的背景とは?〕~ここまで

ショスタコービッチの作品で私的に特に大好きなのは「祝典序曲」「5番」「12番」で
7番は「ちちんぷいぷいのテーマ」ってことくらいしか知らずにその曲の背景を今回初めて知ってびっくり。

1941年9月、ドイツのヒットラーがソ連のスターリンと結んだ不可侵条約を破棄しいきなりレニングラード(サンクトペテルブルグ)へ侵攻。地理的に北はフィンランド・西はフィンランド湾・東はラドガ湖で南から攻め込まれ、完全に孤立してしまう。「レニングラードを地球上から失くしてしまえ!」と宣言されレニングラード包囲戦が900日にわたり行われた。

戦火が激しくなる中、ショスタコービッチは生まれ故郷のレニングラードで作曲を続け、ようやく2楽章を書き終えたところでショスタコービッチはラジオで市民に対しメッセージを流す。それは「私は、新しい交響的作品の最初の2つの楽章を書きあげました。」から始まる祖国や町への愛情を伝えこの交響曲を祖国で演奏を行いたいという内容だったそうです。

ラジオオーケストラはすでに戦地に送られ、怪我人や死者もある状況でこの「7番」は意外な運命を辿っていくこことなります。

レニングラードに大飢饉が襲い、猛烈な飢えと寒さが人々を襲いしかもドイツ軍の火の手が迫ってきます。また弾薬等の資源がつきかけているところでなんとかアメリカの協力が欲しい。

1942年 1月、交響曲第7番がスターリン賞第1席受賞。ロシア共和国功労芸術家の称号を授与することでこの曲への評価を国内で高めたうえで利用することを思いつく。

アメリカ大統領のルーズベルトはドイツの支配を好ましく思わずなんとか社会主義であるソ連へ肩入れをしたと考えたが、自分の任期と当時のアメリカの世相を考えると社会主義に対する反感が強いことからおおっぴらには行えない。
そこでこの「7番」に目を付けた!

「7番」をアメリカで演奏をさせ、世論を動かすことでソ連への支援と自分への評価を高めようと考え楽譜を極秘でマイクロフイルムに収めとんでもないルートでアメリカへ運び入れることに成功した。

さて、誰に演奏をさせるのがBESTか・・・・。

選ばれたのはイタリア出身のトスカニーニ!彼は祖国のファシズム化に抵抗しアメリカへ亡命している。まさに適任!
1942年7月にアメリカで初演され大喝采、以降場末のストリップ小屋のBGMでさえも7番のフレーズを使ったくらいの大人気の曲となるにつれ世論が盛り上がりルーズベルトは再選を重ね、おおっぴらにソ連を支援・・1944年1月にようやく解放。ちなみに
日本の真珠湾奇襲は1941年12月で戦線を南方へ拡大している時期。

そして祖国レニングラードで演奏されたのは1942年8月。まさにドイツとの戦争の真っただ中。もちろん演奏会開催の情報はドイツへも筒抜けでこの日に合わせて総攻撃が予定されていたが、全力攻撃で回避、この「7番」の演奏会の音は前線でも放送されたそうです。

1楽章の小太鼓が刻む一定のリズムにあわせ進軍のテーマが遠くから聞こえてくる。。なんとも陽気な雰囲気のテーマが、回数を繰り返すうちにどんどん変容し、ついにクライマックスを迎えるとなんともおぞましく悲劇的なテーマにかわっていることに誰もが気付きます。戦争のなんとも悲惨で無意味な暴力行為を否定するも逃れることのできない運命に流されていくそんな無力さを思い知ることになります。

こんな感じの流れの番組でした。
玉木宏さんが実際にサンクトペテルブルグで当時の様子を知っている方へのインタビューやその場所をめぐります。

さて、余談ですこしだけ触れましたが、はたしてショスタコービッチの真意はどこにあったのでしょう。
ソ連の社会主義体制に迎合した音楽だけを求められ、批判的と取られたら処刑されるそんな体制での曲作りに嫌気をさしていたのも事実なのでしょう。曲のなかに巧みにメッセージを盛り込み苦しみながらも体制を笑っていたのかもしれません。







2019/01/03

2019 1/3 新年に寄せて

新年、あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年秋頃より様々な災難的試練が降りかかってきていますが、私は負けない!

自分自身に勝つ! これしかない!!

今までの最大の正念場の1年になります。

来年の今頃はどうしているか・・全く想像がつきません。

大阪にいるのか・・どこにいるのか・・。

来年はお正月を迎えられるのかどうか。。

それでも自分に負けない!