相当な昔になりますが、電車通勤だったころ、城山三郎の小説「ねずみ」鈴木商店焼き討ち事件という小説を読んだことがあります。はじめて「鈴木商店」という名前を知り、そのスケールの大きさと日本経済の礎となった会社であったと驚きました。
明治から大正時代にかけて日本一の総合商社に成長した「鈴木商店」は、約80もの事業会社を興し、日本の近代化や重化学工業の発展に多大な貢献をしました。昭和初期に経営破綻したものの、同社が関わった多くの企業は形を変えながら現代の日本経済を支えています。
| 現代の関連企業名(設立時の名称) | 業種 | 鈴木商店との関係・歴史 |
双日(日本商業) | 総合商社 | 鈴木商店破綻後、営業が「日本商業(日商)」に移譲されて再出発しました。物流ビジネス等から黒字化させ、現在へとつながっています。 |
| 神戸製鋼所 | 鉄鋼・機械 | 鈴木商店が主力事業として育成した企業であり、破綻後は自主再建を果たしました。 |
帝人(帝国人造絹糸) | 化学・繊維 | 鈴木商店系の「帝国人造絹糸」として設立され、破綻後は自主再建されました。 |
IHI(播磨造船所) | 造船・重機械 | 鈴木商店傘下であった神戸製鋼所から分離独立した「播磨造船所」が、現在のIHIの源流の一つとなっています。 |
サッポロビールなど(帝国麦酒) | 食品・飲料 | 鈴木商店系の「帝国麦酒」が「桜麦酒」を経て、のちの「大日本麦酒」へと合流しました。 |
商船三井(国際汽船) | 海運 | 鈴木商店系の「国際汽船」が、のちに現在の商船三井の前身である「大阪商船」へ移管されました。 |
出光興産(旭石油) | 石油 | 鈴木商店系の「旭石油」が早山石油、新津石油と合併して「昭和石油」(のちに他社と統合し現在の出光興産)となりました。 |
日油(合同油脂グリセリン) | 化学 | 鈴木商店系の「合同油脂グリセリン」が日本食糧工業などと合併し、「日本油脂(第一次)」として設立されました。 |
J-オイルミルズ (豊年製油) | 食品(製油) | 鈴木商店系の「豊年製油」として設立され、破綻後は自主再建されました。 |
ニッスイ(日本トロール) | 水産 | 鈴木商店系の「日本トロール」が日正水産と合弁し、「共同漁業」(ニッスイの源流)となりました。 |
大和紡績 / ダイワボウ(佐賀紡績) | 繊維 | 鈴木商店系の「佐賀紡績」が「錦華紡績」を経て現在の姿へとつながりました。 |
ニチリン(日本輪業) | 自動車部品 | 鈴木商店の化学事業の原点「東レザー」から発展した日沙商会から分離独立した「日本輪業」が前身です。 |
| 日本発条 / ニッパツ | 金属製品 | 旧鈴木商店ゆかりの「日商」が再び生産事業に進出して設立した企業で、後に世界的なばねメーカーへと成長しました。 |
| 帝国通信工業 | 電気機器 | 鈴木商店系の「東京無線電機」が、東芝などと共同で設立しました。 |
太陽鉱工(太陽曹達) | 鉱業・不動産 | 「太陽曹達」として鈴木家のお家再興の軸となり、自主再建の後「太陽産業」を経て現在の名称になりました。 |
鈴木商店の倒産は日本経済に多大な影響を与えましたが、世界的な砂糖商であった同社の破綻が砂糖流通組織の変革の契機となったり、新たな化学工業への既成財閥の進出を後押ししたりと、結果的に日本の産業や工業化のスピードを加速させる役割を果たしました。
「お家はん」という名前でドラマ化されたのは記憶に新しく、天海祐希と小栗旬が主演。読売テレビ開局55周年記念ドラマとして2014年5月9日に放送された日本のスペシャルドラマです。明治から昭和初期にかけて、神戸の小さな砂糖問屋を世界的巨大商社へと成長させた実在の女性・鈴木よねと、彼女を支えた大番頭・金子直吉の波乱の生涯を描いています。
その鈴木商店が生まれる元となった会社は「かね辰」。
明治7(1874)年、創業者である鈴木岩次郎は江戸時代から続く大阪の有力な砂糖商「辰巳屋(辰巳屋嘉兵衛)」で丁稚(でっち)として働き、修行を積みました。
岩次郎の誠実な働きぶりが認められ、暖簾分け(のれんわけ)を許され、神戸での開業時に、本家の屋号である「辰巳屋」と、
その商標である「かね辰」を名乗ることを許されました。
その神戸で砂糖の卸売業を始めた際、最初に掲げた看板が「辰巳屋・鈴木商店」でした。
この辰巳屋(たつみや)の頭文字を記号化したものが「かね辰(曲尺の中に「辰」)」であり、これが鈴木商店の最初の商標となりました。
そして下記の灯篭に刻まれた名前「松原藤助」は、「鈴木岩次郎」が懸命に修業をし、商いの基礎を学んだ「辰巳屋」の主。
江戸時代後期の文政7(1824)年、初代・松原藤助が大阪の有力な砂糖商から暖簾分けを受け、大阪大宝寺町に「辰巳屋・松原商店」を開業しました。これが鈴木商店の歴史のすべての始まり(源流)となります。
初代・藤助の次男が家業を継ぎ、二代目・松原藤助(のちに隠居して松原恒七と名乗る)となります。この二代目恒七の時代に、若き鈴木岩次郎が「辰巳屋」へ丁稚(でっち)として奉公に入りました。岩次郎はここで砂糖商としての商売のノウハウを徹底的に叩き込まれ、やがて頭角を現して神戸の弁天浜出張所を任される重要な番頭へと成長します。
一心寺さんの松原藤助さんと松原恒七さん親子のお墓は、南門から入り右手側にありました。





