いままで、騙し騙しで過ごし、のらりくらりと言い逃れをしていましたが
ついに自ら高血圧を認め、朝だけの投薬が始まりました。
この3か月間、ほぼ昼食にラーメンを食べ、ご丁寧に汁までキレイに飲んでしまう食生活に加え、夜はダブルの水割り2杯か、ビール+水割り、日本酒+酎ハイ等を飲んで、熱いお風呂に入るのを楽しみとしていた生活が祟った模様。
この15年間は職場へはマイカー通勤なので、平日はほぼ歩くことなく、2週間に一回の体に負担をかける注射。
ということで10月5日に体調を崩し、不本意な禁酒生活が始まりました。そして15日から血圧降下薬の服用も始まりました。
シルニジピン錠とカンデサルタン錠の合わせ技で目標血圧の130/90を目指す予定です。
まぁ今月いっぱいはフリーダムだから大丈夫だけどちゃっちゃと健康体に戻りたい!
フランス風懐石料理中華風・・・お寺や神社が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です。尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん ・・ようは何でもアリなのです
2025/10/17
高血圧・・禁酒生活12日目
2025/09/28
木之本地蔵院
北陸道木之本ICからすぐのところにある寺院。
恒例の余呉ウッディパルを利用する際は必ず手前にある平和堂さんを利用することにしていましたが、今回は待ち合わせまで1時間程度あったことからはじめて参拝させていただきました。
駐車場完備ですが、北國街道に面していることから道幅が比較的狭いので注意が必要、木之本小学校手前の駐車場に停めました。
お寺の裏手から入り正面から入りなおすと左側にご本堂・右側に6mのお地蔵様がおられます。お地蔵様のお足元には無数の片目を瞑ったカエルの像が!
奥には阿弥陀堂、その手前には明治天皇が行幸の際に立ち寄られた坊がありました。
手を合わせる機会を得ました。
来年はさらに時間をとってじっくりと参拝させていただきたいとおもいました。
2025/09/21
ウッディパル余呉 第9回ファミリーキャンプ開催
※東京チームは不参加で残念・・。
2025/09/07
和泉市久保惣記念美術館 第三期
初日に鑑賞。 和泉市久保惣記念美術館は私のお気に入りの美術館です。
今日は台風一過の超暑い日でした。
特に感銘を受けたのは「天正遣欧使節肖像画」「踏絵聖母子像」「うんすんかるた」をはじめ葛飾北斎の「富岳三十六景」の数々。また扇型のドガの踊り子・・「ちりめん本」・・。
もちろん丸山応挙の「老松鸚哥図」に伊藤若冲の「老松鸚鵡図」も。日本画ファンなら見逃せません。
いかに日本の絵画・造形美術が海外で刺激を与えたかということ。パリ万博をはじめヨーロッパの方は今までにない色使いや遠近法、作風やテーマ・構成で驚かれた事でしょう。
この作品を10枚のパネルサイズにして「市立伊丹ミュージアム」が所蔵しているようです。
一番はじめの3人は「3世紀:アリストテレス・アルキメデス・タレス」からはじまり、ダビンチやレントゲン、グラハムベル・・など超有名人が親しみやすいタッチで描かれています。
現物は無理でもぜひ大塚美術館あたりで取り上げて欲しいなって思っちゃいました。
※余談ですが、初日に行くべきでは無かったと後悔しています。
様々な方が鑑賞されていましたが、私語が酷い・・あまりの雑音に耐えかねてスタッフの方にお伝えしましたが無理&無駄でした。
賑やかな方がいる場合は、私が時間をずらすことでなんとか鑑賞させていただきましたが、あまりのマナーの悪い方が多く、さらに反響するロビーではもう雑談の嵐。。
集客のある初日にはいくものではありませんね。
2025/09/01
五省と橿原神宮
一、至誠に悖(もと)る勿(な)かりしか
一、言行に恥づる勿かりしか
一、氣力に欠くる勿なかりしか
一、努力に憾(うら)み勿かりしか
一、不精に亘(わた)る勿なかりしか
橿原神宮へ参拝。北神門を出て5分ほど木々に囲まれた道を進むと左側に「瑞鶴之碑」が示す通りに50Mほど進むとそこには大東亜戦争で我が国の為に命を落とされた方々の慰霊碑があります。碑はUPしていません。。
2025/08/30
藤原宮跡散策
日本史の中でなかなか興味を持つ事ができなかった時代が、思わぬ出来事から身近に感じる事があります。私自身、強烈な幕末史や近世史が得意だと自負している反面、戦国時代以前は不得意でしたが、先日の吉野神宮へ参拝して以降、南北朝時代や飛鳥時代等様々な歴史知識の断片が繋がりだし、それとともにとても楽しくなってきました。
毎日の日課のように撮りだめたテレビ録画をチェックしていたら「三田村邦彦さんのおとな旅あるき旅」が目に留まりました。その放映は奈良県の大和八木駅周辺で、オープニングが藤原宮跡のハスの花が咲き乱れる風景でした。一瞬に心奪われ、衝動的に出かけることにしました。
自宅からは高速道路+高田バイパスを使うと小1時間で藤原宮跡へ到着。超広大な草むらを歩きハス池に向かいましたが・・よく考えると咲いているはずがありません。テレビ収録はおそらく7末頃。。
ふと周りを見渡すと、「ここに超巨大な都があったんだ」と熱射病寸前のふらふらの頭の中になんとなく景色が見えてきました。
駐車場横にある「藤原京資料室」までたどり着きそのスタッフさんの会話を聞きながら頭の中には、20代のころに何度も読んだ「宇宙皇子」の小説の登場人物像やエピソードが、繋がりだし強烈なアハ体験!もっと知りたいという気持ちが高まりました
藤原宮は日本初の中国様式を取り入れた日本最大!北にそびえる耳成山・西に畝傍山・東には香久山に囲まれた三角形のほぼ内側に位置しています。この藤原宮の前の都は、わずか東南に位置する飛鳥浄御原宮、そして藤原宮の後が平城京となります。
2025/08/28
一心寺写経堂 三清庵
私が小学生のころ、母につれられて京都大覚寺で写経をして以来、数十年ぶりの写経体験です。
場所は大阪一心寺さん向かい側にある三清庵。
平日(水曜日以外)は朝9時~14時であれば随時体験可能。
受付で1,000円をお支払いし用紙を受け取り後、2階の写経場へ向かい、いよいよ写経開始です。およそ小一時間で書かれている般若心経の上に用紙をかぶせて順になぞっていきます。
細筆の使い方があまりにも久しぶりすぎてうまく運ぶことができず、太くなったり細くなったり震えたり。それでもできるだけ丁寧に移すことで心が少しづつ平穏になっていく気がします。
2025/08/15
大阪護国神社 みたま祭
大阪護国神社 みたま祭へ参加してまいりました。
朝早くから多くの参拝者が来られ開催前の正午になると境内にはあふれんばかりの参拝者さんが来られていました。
本殿左右の日の丸と旭日旗の美しくたなびく中で、黙祷、そして国家斉唱のあといくつかの神事、そして80年前の正午に天皇陛下が語られた「終戦の詔書」いわゆる玉音放送の原稿が朗読されると、私の胸の中の熱い気持ちが涙とともに込み上げてきました。
境内で、開催を待っていると「アイデンティティ」なる新聞を頂戴しました。この紙面の綱領としては下記の通り。
私たちは「天皇陛下を中心とした日本の歴史・文化」が、私たち日本民族のアイデンティティの根幹であると考えます。私たちは「天皇国日本」に込められた、民族の使命、理想、世界観、国家感、宗教観を多くの国民に啓蒙し、失われた民族の誇りを回復して、美しく、偉大で。明るい祖国に現成を目指します。
2025/08/13
盂蘭盆会/万灯会/お盆の法要
大阪四天王寺では毎年この時期になると盂蘭盆会法要が行われます。なかでもご本堂と五重塔を取り囲むように並べられた供養ローソクを一斉に点火、その後、御住職の唱えられる般若心経を全員で唱えながらご境内を練り歩くきます。境内には美しく吊られた灯篭が灯され幻想的です。
私には生まれてすぐに亡くなられた叔父がいます。その叔父の弔いとして物心がついたころから毎年法要が行われていました。また、祖母と懇意にされてた庵主さんのおかげで毎月ご命日に法要くださっていた時期もあったそうです。祖父母が亡くなったときに大騒動がありましたが、母の代になると8月の第一日曜日に一足早いお盆の法要が行われる習慣へ。庵は交通の便が悪い場所にあったので私が当日、お迎えに上がり、当家の法要が終わると次の場所へお送りする事に・・。曹洞宗の我が家のお盆はなかなか準備が大変で、乾物七品・お野菜七品・果物七品にご先祖へ捧げるお膳の用意に塔婆と用意・・故人が好んだ様々なお供えの品を飾り、お仏壇のレイアウトを整えそして庵主さんに法要していただきます。
我が家は先代の庵主さんからのお付き合いだそうですが私は記憶がありません。母が特養に入所されてからもその習慣は続き、8月第一日曜日は特養のお部屋をお借りして法要を営んでくださいました。そして、4年前に母が亡くなりお葬式をお願いした時に残念ながら体調をこわされ入院されていたらしく、それでも初七日以降の法要には大変な身体にも拘らず母の為にお経を唱えてくださいました。そのお声は昔のような勢いこそ無かったけれど、愛情のこもったとても丁寧な法要でした。そしてしばらくしてご入院されたと聞いた以降連絡も途絶えて数年。
今日、お盆の法要でお寺さんへ行った際にこの4月に亡くなられた事を知り涙が溢れだしました。境内にあるお墓へご案内いただきそこにはお名前が刻まれていました。
きっと極楽で私の祖父母や母と楽しく過ごされていると信じています。
それでも・・それでも悲しくてたまりません。会いたくて、会いたくて。。
2025/08/04
和歌山県護国神社参拝 20250803
今年は戦後80年の節目の年。先日の大阪護国神社参拝をきっかけに護国神社に興味が高まっています。和歌山城不明門跡から入りすぐの駐車場へ停めすぐの位置にあります。
静寂な森の中に荘厳な雰囲気のこの護国神社さんも大阪と同様に戊辰戦争以降の英霊をお祀り、先の大戦に関する方々を厳粛にお祀りされています。それぞれの碑に刻まれている刻印内容を読み進めるのしたがって目頭が熱くなり、祖国のために戦ってくださった英霊の方々の御霊に合掌してまいりました。
日本人として、今、何ができるのか?私になができるのか?何をすべきなのか・・真剣に見つめるきっかけとなりました。
空
つつしみてこの碑を陸軍航空戦士たちの霊にそしてすべての陸軍少年飛行兵の還らざる青春に捧ぐ
若鷲に捧げる言葉
昭和九年(一九三四年)日本陸軍に少年飛行兵制度が誕生した皇誠 純真 元気 周到の校訓を旨に日夜訓練に励み操縦通信整備の分化に巣立った若者たちは祖国の危急を救うため戦乱に身を殺しその多くは蒼天の中に消えていったしかし昭和二十年夏敗戦辛苦に耐えている日本は画期的な飛躍を続けているけれど私たちはなおあの戦いの日の友たちの紅顔を忘れることはできないなかでもふる里と訣れ雄々しくも散っていった紀州健児を憶るここにその栄光を永久に称えこころの碑を築いて戦友への限りない挽歌を捧げる
陸軍少年飛行隊和歌山県出身生存者一同
魂
歩兵第二百三十聯隊
昭和一四年八月七日歩兵第二百三十聯隊は第三十八師団隷下として編成完了同年十月から南支派遣軍として広東省付近に駐屯諸作戦に参加昭和十六年十二月八日大東亜戦争諸戦に香港島攻略に偉功を樹てたが損耗甚大とのため昭和十七年一月三日広東駐留の歩兵第六十一聯隊より兵員補充その要員は和歌山大阪兵庫健児総勢一千余名昭和十七年三月ジャワ島スマトラ島作戦に参加昭和十七年十月十四日ガダルカナル島に上陸ルンガ飛行場総攻撃に参加したが遂に成らず補給絶え弾薬糧科なきまま、尚敢闘したが部隊の被害90%を超える昭和十八年七月ニュージョージア島作戦に参加
昭和二十一年五月復員完了
礎
祖国と同胞の盾として戦野に散った三千余柱の雄々しいみ魂よ
相励ましつつ砲煙弾雨に挺身した懐かしい面影よ
運命の不可思議にふたたび故国の土を踏み得た我ら
今日太平の礎は兄らが赤誠と碧血の上に成るを想い
年々歳々感謝と追慕を新たにする
世ののちまで永く憶念のよすがならん事を願ってここに
一碑を建てた
み魂やすらかに眠れ
鎮魂 歩兵第六十一聯隊
日本国の防人としてひたすら永遠の平和を目ざして栄えある軍旗のもと
北満の野に はたまた中支南方戦線にその青春の純潔を捧げ
自ら進んで国難に殉じた一万余柱の御霊よ
生死を共に相励ましつゝ骨をも凍る酷寒の地に
あるいは赤道直下の炎熱と悪疫のジャングルに砲煙弾雨のなか砂塵にまみれ
獅子奮闘の死闘に敢然と身を挺したあの元気な懐かしき面影よ
我等いま過ぎし日の想い出を 辿るとき万感胸に迫りて涙の止まるをしらず
戦友の赫々たる武勲は燎然として 千戴に輝く
天命の定めにより生きながらえた我等の今日の平和と繁栄は偏に諸霊の築かれた
礎の上に憤念の心情にして我らの願いを建碑にこめ
後世に遺すものである 願わくば御霊よ
此処に静まりて俱会一処の妙果を証せんことを
あゝ予科練
予科練とは海軍飛行予科練習生即ち少年飛行兵の称なり航空機搭乗員として英才の早期養成をめざし昭和五年この制度発足以来大東亜戦争終結迄学業半ばの少年が七ツ釦は桜に錨と志し単越せる技量 旺盛なる攻防精神 崇高なる犠牲的精神を基に日夜猛訓練に耐え大空に巣立てり志那事変は海鷲として渡洋爆撃の初陣依頼開戦陣頭ハワイマレー沖航空戦はその威名を世界に轟かせ我が航空戦力の中●なるも戦局利あらず敵本土に迫るや悠久の大●に滅せんと自らを爆弾に変え身をも命も惜しまず特攻機と共に未曾有の国難に殉じたり祖国永遠の平和と安泰を祈り散るべくして散り得ざりし我等予科練出身者は英魂の萬古に安らかならん事を祈念しつつこの碑を建立し大空に眠れる御霊に捧ぐ
予科練和歌山県人会
この円卓子は元歩兵第六十一聯隊酒保の藤の棚下にあったもので当時、兵士たちが
訓練の余暇にこの卓子を囲んで団らんしふるさとをしのんだのである。
終戦後この地に移して永くこれを保存するものである。
※富国生命の創業者メンバー:初代社長