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2026/05/17

6年ぶりの九度山訪問

 久しぶりに九度山を訪問、京奈和自動車道がだいぶ整備されたことでわずか1時間程度で到着。ずいぶんと楽になりました。前回の訪問は2019年3月なので6年ぶりとなります。

ちなみにはじめての訪問は2008年5月で、今のように観光地化されておらず駐車場等を探すのに相当苦労したことを覚えています。

 以降、母が健在であった頃、毎年5月に開催される「真田まつり」や、秋に開催される「収穫祭」はよく楽しませていただき、様々なご縁を頂戴いたしました「大石順教尼記念館」の館長さんをはじめご関係の皆様、また「住民クラブ」のご代表様をはじめ町長さんには大変お世話になりました。

さて、まずは久しぶりに「真田蕎麦」を堪能。スッキリとした味わいと喉越しが心地よく、まだ5月だというのにきつい日差しで火照った体を冷ましてくれました。オープン当時よりもずっとそばつゆが洗練され関西風味となったようで、舌を楽しませてくれました。




さて、久しぶりの「真田庵」です。しっかりと真田三代のご冥福をお祈りしてまいりました。
与謝蕪村の句碑「炬燵して語れ真田が冬の陣」の前で、蕪村の気持ちを考えていました。
蕪村は1784年生まれですから、幸村公が戦に敗れて170年後経過、当時の江戸中期、将軍は9代徳川 家治さん。天変地異とNHK大河ドラマ「べらぼう」で渡辺謙さんが演じた田沼意次が亡くなったのは1788年。


真田は武士として著名で、当時のいわゆる観光地としての名所図会がブームとなりいろんな書籍が出版、その中でもこの真田庵に眠る真田三代は有名で、中でも真田丸を築き大活躍された幸村公の武勇は語り継がれたことでしょう。




「真田ミュージアム」はコアなファンが多いようで、ちょうどAmazonPrimeで「真田丸」が鑑賞でき、しかも大河ドラマでは「豊臣兄弟」。
受付の方と少しだけ会話をさせていただきましたが当時、九度山で大変お世話になりました方が亡くなられたことを知り心はがっくり。。

そういえばこの数年間にお世話になった方の訃報を知ることが多くなり、本当に辛く、またご恩返しのできぬままになっていて、申し訳ない限り。
ふと、「大石順教尼記念館」の萱野正己館長さんのお言葉「人間は出逢うべき人には必ず逢える。一瞬遅からず一瞬早からず」を思い返すと同時に、儚さと移ろいを感じました。

和歌山県九度山町は自然豊かな美しい地。いつまでも心の故郷でありますように。

2026/05/16

明治天皇の足跡を訪ねて 大阪市西成区天下茶屋公園内

 様々な観光名所にいくと「明治天皇聖躅の碑」に出会えるときがあります。これは明治の世となり近代国家を目指したことをきっかけに天皇の役割が変わったと思っています。

明治天皇の父の孝明天皇は1831年生まれ、16歳の弘化三年(1846年)に即位。ちょうど幕府はアメリカからの鎖国解除の要請で幕府内の意見が揺れ動いていた時期。そして孝明天皇の崩御から明治天皇のご即位。この時わずか満14歳。

1868年(慶應4年)9月8日に「明治」と改元され、この年の慶応4年が明治元年となる。

明治元年(1年)旧暦9月下旬~10月中旬の23日間に京都御所紫宸殿(下記画像)を出立し陸路東海道で東京へ巡行。岩倉右大臣はじめ3千人以上。


その後、6回にわたり日本国中を巡行されています。
なぜ、明治天皇は各地を巡行されたのか?なぜ、その地に宿泊され、立ち寄られたのか?いろんな疑問が湧いて出てきます。

そういえば、いままで様々な観光地等へ行った際に「「明治天皇聖躅の碑」を見かけたことがありました。

第一回目は偶然にも通った西成区天下茶屋公園。




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大阪市では、西成区の都市景観資源の発掘のため、「わがまち自慢の景観」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成30年3月23日に25件を都市景観資源に登録しました。また、令和4年3月31日に1件登録解除しました
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上記ページの記載内容を引用

◆所在地 西成区岸里東 1 丁目 16 番
◆概要
天下茶屋公園は薬屋「是斎屋(ぜさいや)」の跡地である。薬屋「是斎屋」は寛永年間(1624~1644 年)近江の国の津田宗右衛門が、住吉街道に面した当地へ来て「和中散(わちゅうさん)」という薬を商ったのが起こりで、街道の旅人達で大いに繁盛したという。また、茶屋としても有名であった。現在は、遊具や広場で子どもが遊び、ベンチで休憩される方も多く、近隣住民の憩いの場となっている。
面積:8,052㎡、開園日:昭和 26 年(1951 年)4 月 30日、公園種別:街区公園。公園内には、大阪府指定有形文化財である阿倍寺塔刹柱礎石(あべでらとうさつちゅうそせき)がある。阿倍寺は今の阿倍野区松崎町にあった奈良時代前期(白鳳期)の創建と考えられる寺、この礎石も永く現地にあったが、現在はこの公園に保存されている。礎石は花崗岩でできており、中央に柱穴があり、その穴の中央に舎利穴が彫られている。また、「明治天皇駐蹕遺址(めいじてんのうちゅうひついし)」碑もあり、明治天皇が、明治元年(1868 年)と明治 10 年(1877年)に住吉大社へ参拝される途中で、「是斎屋」に立ち寄られた際に、ご休息をされた御殿跡に建立されたものである。
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この公園は老若男女が集う憩いの場所。大変歴史のある場所。
明治元年2月に御親征詔、3月23日に大阪八軒屋、4月20日に住吉大社ご参拝途中に是斎屋でご休憩。当時の邸主橋本尚四郎は休憩所を新築し後年大阪府知事渡辺昇は紫雲楼の号を付したが、後年老朽化したために当時の主高久右エ門により撤去、大正8年12月にこの碑を建造した。なお、明治10年2月14日にも行幸御少憩されています。

2026/05/09

明治天皇の足跡を訪ねて 滋賀県野洲市/蒲生郡竜王町/大笹原神社

 明治11年8月30日から11月初 旬の72日間にわたって上信越から北陸へ5回目の巡行をされています。往復いずれも陸路を用いて岩倉右大臣、大隈、井上参議以下300人、警官400人と大規模。

この場所をさがすのに相当苦労しました。

細い通りにある石材店さんの裏側です。実はこの細い道は旧中山道であり、本陣宿であったと思われます。

(有)森石材店 〒520-2315 滋賀県野洲市辻町264 

1878年(明治11年)10月12日と10月21日、明治天皇は森六兵衞宅で休憩されています。



この場所から国道8号線を北へ進むと【道の駅 竜王かがみの里】(〒520-2573 滋賀県蒲生郡竜王町鏡1231−2)に到着します。

この竜王の地は【源義経元服の地】であり、また【平家終焉の地】でもあります。詳しくは下記をご参照ください。

竜王町観光協会



さて、この道の駅からわずかに徒歩3分程度で【明治天皇聖躅】がありますが
まぁ、この場所もなかなかわかりにくい場所にあります。
道の駅手前の国道8号線沿いの小道、実はこの道も旧中山道を少し戻ると左側に空き地がでてきます。

明治11年10月12日 

鏡村 辻熊次郎宅御小休⇒道の駅脇の小道沿い 
辻町 森六兵衛宅御小休⇒森石材店の裏庭
守山 守山小学校御小休
草津行在所 田中森之助宅御泊

という順序で巡行されています。




滋賀県には神社建築で国宝は八つあります。

大津日吉神社本殿と拝殿・東本宮本殿と拝殿・竜王町苗村神社西本殿、長浜竹生島の都久夫須麻神社本殿、野洲市御上神社本殿・・そしてこの大笹原神社本殿。

ということで参拝をさせていただきました。

8号線から細い道を5分ほど進むといきなり空気感が変わり張りつめてきます
10台程度駐車可能な駐車場があり、左右に杉の木立道を進むと、その張りつめた空気の源、本殿と篠原神社本殿(餅の宮)を拝むことができます。
さて、大笹原神社社殿の棟札で応永21年(1414年)であることが判明。そして篠原神社は応永34年(1427年)。小鳥の鳴き声と風の音以外に聞こえない静かなたたずまいの神社です。





2026/04/18

京都御所 参拝

 京都三条大橋に「高山彦九郎先生」三条大橋より御所へ向かい拝礼をする「高山彦九郎先生の像」が有名で昭和59年高山彦九郎祭世話人会が建立。


さて、御所へは地下鉄今出川駅を降りると目の前。
まずは午前中に2回行われている日本語での御所解説ツアー。2回目10時半の部に参加させていただきました。広大な敷地の京都御苑の中に京都御所があり南北450m、東西250mの11万㎡。平安京〜明治初年に明治天皇が東京へいかれるまでの期間お住いになられていました。


数多くの歴史的建造物の中でも私の目的は紫宸殿と小御所。

紫宸殿では、即位の礼が行われた場所、また「五箇条の御誓文」が発布された場所。
右近の橘、左近の桜が大変バランスよく配され檜皮葺きの入母屋造り。

また、小御所は幕末ファンなら超有名な場所!王政復古の大号令のその夜から行われた徳川慶喜さんへの対応をぶっ通しで行われた場所。

他にも、公家が牛車から乗り降りする御車寄、馬車に対応した新御車寄、公家や幕府の使者の控えの間となる諸大夫の間はランクによって「虎の間」「鶴の間」「桜の間」があり、畳や襖絵の設えが異なる。日常をお過ごしになられる清涼殿、蹴鞠の庭にご学問書などの建築物だけではなく、そのお庭が超素晴らしい!どの角度から見ても調和が取れている美しさ!





御所の周りを取り囲んでいる土塀は「築地」(ついじ)。壁に見られる5本線は最高位を表す。また、御所は東西でおよそ2mほどの高低差があり、その築地の高さを一定にするために、築地の基礎となっている石段が徐々に高くなっているのがわかります。


北東の角は鬼が出入りすると言われているので「んじゃ、東北の角を無くせばいいんじゃね?」ということで東西の角はなく、門の欄間には「烏帽子を被った猿」がいます。猿は南西を表す干支。なのでこのあたりを「猿ヶ辻」と言われているとのこと。


また、京都御苑の外周にも幕末ファンなら見逃せない門があります!そう「蛤御門」!
薩摩、会津藩らが長州藩と戦った場所!いたるところに銃弾痕がみられました!



冒頭の「高山彦九郎先生」にはとうてい及ぶことはありませんが、日本を統治するのは幕府ではなく天皇であり京都へ出入りする際は御所を拝していたその心根は、完全に今の日本からは失われています。これは時代性故、やむを得ないもの。吉田松陰先生をはじめ勤王の志士らはおなじ精神で繋がっていたことでしょう。
しかし、いずれの方々も今の日本のあり方を嘆き悲しんでおられることに相違なく、街を我物顔で闊歩する海外人。資本で日本を振り回し、伝統ある木造建築に巣食うシロアリの如く酷い輩が見受けられます。神道と仏教が互いに絡み合い素晴らしい礼と義をもつ日本人の心が壊れない事を願ってやみません。

田中卓評論集1「愛国心と戦後50年」を読みさらにその思いが強くなりました。
ありがとうございました!



2025/09/21

ウッディパル余呉 第9回ファミリーキャンプ開催

今年で第9回目のファミリーキャプ。今年から例年通りの【ウッディパル余呉】に戻ってきました。いきなりのトリプル台風の発生でお天気が不安でしたが夕方に一時的に小雨が降った程度でほとんど影響なくBBQを楽しんできました。
※東京チームは不参加で残念・・。

このウッディパル余呉は2013年~2017年と連続。2018年は台風でロッジ倒壊で中止・2019年に開催。2022年・2023年は別会場。

ロッジは6人用と12人用の2種類。清潔に保たれている室内にはバスルームと冷暖房・流し台完備です。残念ながらwifiは無し。。
屋外にはBBQができる専用の炉があります。

食材は木之本駅近くの平和堂がおススメ。

今回は木之本地蔵堂へ参拝、素晴らしいお寺で超感動!詳細は後日UP予定です。


 




 

2日目は超ハードなアスレチック!








2025/09/01

五省と橿原神宮

 一、至誠に悖(もと)る勿(な)かりしか 

一、言行に恥づる勿かりしか

一、氣力に欠くる勿なかりしか

一、努力に憾(うら)み勿かりしか

一、不精に亘(わた)る勿なかりしか


まったく存じ上げませんでした。畝傍山の麓にこの場所があるとは・・・。

橿原神宮へ参拝。北神門を出て5分ほど木々に囲まれた道を進むと左側に「瑞鶴之碑」が示す通りに50Mほど進むとそこには大東亜戦争で我が国の為に命を落とされた方々の慰霊碑があります。碑はUPしていません。。
それぞれに敬意をこめて合掌してまいりました。この場所はこんな世相だからこそ皆様にも参拝していただきたい。






2025/08/30

藤原宮跡散策

 日本史の中でなかなか興味を持つ事ができなかった時代が、思わぬ出来事から身近に感じる事があります。私自身、強烈な幕末史や近世史が得意だと自負している反面、戦国時代以前は不得意でしたが、先日の吉野神宮へ参拝して以降、南北朝時代や飛鳥時代等様々な歴史知識の断片が繋がりだし、それとともにとても楽しくなってきました。

毎日の日課のように撮りだめたテレビ録画をチェックしていたら「三田村邦彦さんのおとな旅あるき旅」が目に留まりました。その放映は奈良県の大和八木駅周辺で、オープニングが藤原宮跡のハスの花が咲き乱れる風景でした。一瞬に心奪われ、衝動的に出かけることにしました。

自宅からは高速道路+高田バイパスを使うと小1時間で藤原宮跡へ到着。超広大な草むらを歩きハス池に向かいましたが・・よく考えると咲いているはずがありません。テレビ収録はおそらく7末頃。。
ふと周りを見渡すと、「ここに超巨大な都があったんだ」と熱射病寸前のふらふらの頭の中になんとなく景色が見えてきました。

駐車場横にある「藤原京資料室」までたどり着きそのスタッフさんの会話を聞きながら頭の中には、20代のころに何度も読んだ「宇宙皇子」の小説の登場人物像やエピソードが、繋がりだし強烈なアハ体験!もっと知りたいという気持ちが高まりました



藤原宮は日本初の中国様式を取り入れた日本最大!北にそびえる耳成山・西に畝傍山・東には香久山に囲まれた三角形のほぼ内側に位置しています。この藤原宮の前の都は、わずか東南に位置する飛鳥浄御原宮、そして藤原宮の後が平城京となります。


広大な風景をご覧ください!


春車菊を一輪見つけました

大極殿跡

畝傍山

今までの都は板葺きでしたがこの藤原宮から以降は瓦葺・・奈良県の有名な観光名所の薬師寺も元々は藤原宮にあり天武天皇が妻の持統天皇の病気平癒を祈願したお寺です。平城京にある中国式の大極殿等の建物はこの藤原宮より移築されたものとの事。念願の中央集権国家設立の都・・でしたがわずか16年しか使われなかったそうです。

2025/08/04

和歌山県護国神社参拝 20250803

連日猛暑の中、思い立って和歌山方面へ散策に出かけました。
今年は戦後80年の節目の年。先日の大阪護国神社参拝をきっかけに護国神社に興味が高まっています。和歌山城不明門跡から入りすぐの駐車場へ停めすぐの位置にあります。

静寂な森の中に荘厳な雰囲気のこの護国神社さんも大阪と同様に戊辰戦争以降の英霊をお祀り、先の大戦に関する方々を厳粛にお祀りされています。それぞれの碑に刻まれている刻印内容を読み進めるのしたがって目頭が熱くなり、祖国のために戦ってくださった英霊の方々の御霊に合掌してまいりました。

日本人として、今、何ができるのか?私になができるのか?何をすべきなのか・・真剣に見つめるきっかけとなりました。





つつしみてこの碑を陸軍航空戦士たちの霊にそしてすべての陸軍少年飛行兵の還らざる青春に捧ぐ

若鷲に捧げる言葉

昭和九年(一九三四年)日本陸軍に少年飛行兵制度が誕生した皇誠 純真 元気 周到の校訓を旨に日夜訓練に励み操縦通信整備の分化に巣立った若者たちは祖国の危急を救うため戦乱に身を殺しその多くは蒼天の中に消えていったしかし昭和二十年夏敗戦辛苦に耐えている日本は画期的な飛躍を続けているけれど私たちはなおあの戦いの日の友たちの紅顔を忘れることはできないなかでもふる里と訣れ雄々しくも散っていった紀州健児を憶るここにその栄光を永久に称えこころの碑を築いて戦友への限りない挽歌を捧げる

陸軍少年飛行隊和歌山県出身生存者一同



歩兵第二百三十聯隊

昭和一四年八月七日歩兵第二百三十聯隊は第三十八師団隷下として編成完了同年十月から南支派遣軍として広東省付近に駐屯諸作戦に参加昭和十六年十二月八日大東亜戦争諸戦に香港島攻略に偉功を樹てたが損耗甚大とのため昭和十七年一月三日広東駐留の歩兵第六十一聯隊より兵員補充その要員は和歌山大阪兵庫健児総勢一千余名昭和十七年三月ジャワ島スマトラ島作戦に参加昭和十七年十月十四日ガダルカナル島に上陸ルンガ飛行場総攻撃に参加したが遂に成らず補給絶え弾薬糧科なきまま、尚敢闘したが部隊の被害90%を超える昭和十八年七月ニュージョージア島作戦に参加
昭和二十一年五月復員完了


祖国と同胞の盾として戦野に散った三千余柱の雄々しいみ魂よ
相励ましつつ砲煙弾雨に挺身した懐かしい面影よ
運命の不可思議にふたたび故国の土を踏み得た我ら
今日太平の礎は兄らが赤誠と碧血の上に成るを想い
年々歳々感謝と追慕を新たにする
世ののちまで永く憶念のよすがならん事を願ってここに
一碑を建てた
み魂やすらかに眠れ


鎮魂 歩兵第六十一聯隊

日本国の防人としてひたすら永遠の平和を目ざして栄えある軍旗のもと
北満の野に はたまた中支南方戦線にその青春の純潔を捧げ
自ら進んで国難に殉じた一万余柱の御霊よ
生死を共に相励ましつゝ骨をも凍る酷寒の地に
あるいは赤道直下の炎熱と悪疫のジャングルに砲煙弾雨のなか砂塵にまみれ
獅子奮闘の死闘に敢然と身を挺したあの元気な懐かしき面影よ
我等いま過ぎし日の想い出を 辿るとき万感胸に迫りて涙の止まるをしらず
戦友の赫々たる武勲は燎然として 千戴に輝く
天命の定めにより生きながらえた我等の今日の平和と繁栄は偏に諸霊の築かれた
礎の上に憤念の心情にして我らの願いを建碑にこめ
後世に遺すものである 願わくば御霊よ
此処に静まりて俱会一処の妙果を証せんことを


あゝ予科練

予科練とは海軍飛行予科練習生即ち少年飛行兵の称なり航空機搭乗員として英才の早期養成をめざし昭和五年この制度発足以来大東亜戦争終結迄学業半ばの少年が七ツ釦は桜に錨と志し単越せる技量 旺盛なる攻防精神 崇高なる犠牲的精神を基に日夜猛訓練に耐え大空に巣立てり志那事変は海鷲として渡洋爆撃の初陣依頼開戦陣頭ハワイマレー沖航空戦はその威名を世界に轟かせ我が航空戦力の中●なるも戦局利あらず敵本土に迫るや悠久の大●に滅せんと自らを爆弾に変え身をも命も惜しまず特攻機と共に未曾有の国難に殉じたり祖国永遠の平和と安泰を祈り散るべくして散り得ざりし我等予科練出身者は英魂の萬古に安らかならん事を祈念しつつこの碑を建立し大空に眠れる御霊に捧ぐ
予科練和歌山県人会

この円卓子は元歩兵第六十一聯隊酒保の藤の棚下にあったもので当時、兵士たちが
訓練の余暇にこの卓子を囲んで団らんしふるさとをしのんだのである。
終戦後この地に移して永くこれを保存するものである。


われわれは戦争の悲惨を身をもって知る
日本の高級平和願い子々孫々の繁栄を祈る




富国徴兵保険會社寄進の鳥居


※富国生命の創業者メンバー:初代社長




この後、和歌山城を見学。徳川八代将軍吉宗を皮切りに紀州徳川家より将軍職を輩出。十五代慶喜さんのみ一ツ橋家。残念ながら和歌山城城内や付近には耳成れず甲高い声の中国語、しかも大半のマナーが悪い。。彼らにとって旅の恥はかき捨てなのかもしれないが、郷に入れば郷に従うという心遣いはないものなのか。。。