
フランス風懐石料理中華風
フランス風懐石料理中華風・・・お寺や神社が大好きです。 大阪市内住人です。尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん ・・
2026/06/20
室津小学校と鳩子の湯

2026/06/13
明治天皇の足跡を帝訪ねて 大阪造幣局
大阪の春の風物詩「造幣局の通り抜け」。今のようなインバウンドが盛んではなかった頃は、通り抜け期間中であれば何時行っても入ることができましたが、数年前から予約制となり、申込みの日となると、申込みページにアクセスが集中してなかなか予約が難しくなりました。それでもできるだけ毎年参加するようにしています。
さて、この造幣局の通り抜けのときにいつも目にしていながらなかなか訪問する機会のない施設「造幣局博物館」に行く機会に恵まれ、もちろん今回も「明治天皇聖躅」に出会ってまいりました。
江戸時代を舞台としら映画やドラマ、落語や講談にも出てくる様々な貨幣単位はどうも馴染みがないのでわかりにくいものです。その上、幕末に諸外国との貿易が始まると、その為替の不平等さにより、貨幣や様々なモノが流出し国内物価が高騰、幕末には様々な藩だけで使える藩札や金、銀、銭が入り乱れ、含有量も徐々に減らしていった貨幣が登場、日本経済はとんでもない状況に見舞われ、少しでも早く、貨幣の統一が必要な状態でした。
ちなみに江戸経済は金貨の両目で両・分・朱。上方経済は銀貨の両目で貫・匁・分・厘・毛。
銀貨十分で1匁、千匁で1貫。金貨は四朱で一分、四分で一両。元禄年間より金一両は銀六十匁で銭四貫文と定められたが金銀は相場性。そこで幕末に銀目廃止の令が出たことで銀目の手形を持っている商人は両替屋仁殺到、大阪経済は混乱をきわめたそう。※百年の大阪第1巻幕末維新 昭和41年 浪速社発刊引用
さて、明治天皇は明治5年、明治10年、明治31年の合計3回この地に来られており、造幣寮の応接所として建てられた西洋式建築へ明治5年の6月4日から7日に滞在。6月6日に明治天皇が「泉布観」と命名されています。また、2回目は明治10年2月14日から16日に滞在。さらに、明治31年には陸軍特別大演習統監に際し、11月19日に行幸されています。
※明治20年に昭憲皇太后(明治天皇の皇后)行啓、明治24年に英照皇太后(孝明天皇の女御)行啓、明治36年に昭憲皇太后が行啓。
広大な土地と物流を背景とした川があることなどを考慮し、この天満川崎の地が選ばれ、建築が進められたが途中で火事がおこるやら、海外から購入した資材を積んだ船が難破するやらで前途多難。アヘン戦争で香港に建設した造幣工場が廃止となることをきっかけに6万両で資材を買い受け、以降華々しく東洋一の造幣寮の開業式は明治4年2月15日。右大臣三条実美や参議の大隈重信、大蔵卿の伊達宗城ら政府高官38人、イギリス公使のパークス氏、フランス公使ウオートレーら使臣57人、地元の名士や外人職員220人!文明の進歩を表明するこの式典に乗り込んできた政府高官は烏帽子姿の衣冠束帯!ちょんまげ姿の侍らも入り乱れたなんとも不思議な写真が撮られています。
天保山沖の各国軍艦の祝砲と大阪城からの礼砲、式典後の西洋流の祝宴が繰り広げられたそう。
造幣には、金属を鋳造する機械技術、硫酸やソーダなどの薬品を作る精密など様々な知識が必要とされお雇い外国人の力を借りるしかない状態から開始、徐々に日本人だけで貨幣が作られる様になっていきました。
2026/06/06
明治天皇の足跡を訪ねて 天保山
明治元年の大阪行幸は明治天皇17歳。3月21日に御親征並海軍御検閲の為に京都皇居御出発され22日には大阪府庭窪村、守口行在所、23日には西井茶屋(当時の大阪市東成区)、八軒屋の紀州屋敷から西本願寺津村別院でご宿泊(閏4月7日まで御駐軍)。そして26日に天保山で肥前、肥後、薩摩の軍艦操練を閲されました。
参考までに4月6日は大阪城、11日には東本願寺難波別院、17日は福羽美静(ふくばびせい:津和野藩出身国学者)に書を講ぜしめ木戸孝允、後藤象二郎に海外事情を尋ね、坐摩社で御臨幸相撲展覧。20日には天下茶屋から住吉神社へご参拝、4月1日には英国特派全権公使ハルリー・エス・パークスと謁見、5日は大阪城で各藩兵の大砲、小銃訓練天覧。6日には大阪裁判所、豊太閤祠造営その他人民案んどの勅を賜う、その後7日に津村別院を出発、八軒屋より御乗船淀に上陸され一泊。4月8日に京都御所に還御されています。
大阪地下鉄中央線[大阪港]を下車。西へひたすら進み大阪咲州海底トンネルに入らずに側道を進むと明治天皇聖躅碑(大阪市築港事務所跡)が見つかります。
天保山は大阪五低山のなかでも一番低い山で標高はわずか4.53m。
2026/05/30
明治天皇の足跡を訪ねて 帝塚山
大阪の南港通り塚西交差点からわずか南東の方角の宅地の一角に、明治天皇聖躅の碑があります。おそらく前回訪問した天下茶屋に立ち寄られた際に来られたか・・。
また上記の碑からわずか100m程度の地にある帝塚山古墳の墳墓の上にも大きな明治天皇聖躅の碑があります。これは明治31年に行われた陸軍特別大演習の際に御統監されたためとのこと。時期的には日清戦争1894年(明治27年)7月25日~1895年(明治28年)4月17日が終わり日露戦争1904年(明治37年)2月~1905年(明治38年)9月までの間に行われています。**************************************************************************
二第二三四六号 参謀本部 大演習施行ニ付地方庁ヘ内訓ノ件 愛知三重静岡大阪和歌山奈良兵庫滋賀京都石川富山福井岐阜岡山鳥取ノ二府十三県ヘ内訓案 本年十一月中部都督管下ニ於テ特別大演習施行セラルル筈ニ付該演習ニ関シ其地方ニ交渉スル事項ハ諸事便利ヲ得ル様注意スヘシ右内訓ス 送乙第二〇六七号 御回答案 特別大演習施行ニ付地方庁ヘ内訓ノ件演第二四号第一ヲ以テ照会之通夫々及内訓置候此段及回答候也 送乙第二七七二号 軍事二第二一六号 本年十一月中部都督@@ニ於テ特別大演習施行セラルニ 演習ニ関シ其地方ニ交渉スル事項便利ヲ得ル様@@スヘキ旨地方庁ヘ内訓相成度此段及照会候也 明治三十一年九月十五日 参謀総長子爵 川上操六
アジア歴史資料センター
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C06083029500
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この古墳周囲を1周しましたがこまかく判読できる場所はなくすべて住宅地に囲まれています。
2026/05/24
マンダロリアン・アンド・グローグー 鑑賞<ネタバレ注意>
2026/05/23
明治天皇の足跡を訪ねて 大阪市役所/京都泉涌寺/奈良県橿原神宮
2026/05/17
6年ぶりの九度山訪問
久しぶりに九度山を訪問、
ちなみにはじめての訪問は2008年5月で、



2026/05/16
明治天皇の足跡を訪ねて 大阪市西成区天下茶屋公園内
様々な観光名所にいくと「明治天皇聖躅の碑」に出会えるときがあります。これは明治の世となり近代国家を目指したことをきっかけに天皇の役割が変わったと思っています。
明治天皇の父の孝明天皇は1831年生まれ、16歳の弘化三年(1846年)に即位。ちょうど幕府はアメリカからの鎖国解除の要請で幕府内の意見が揺れ動いていた時期。そして孝明天皇の崩御から明治天皇のご即位。この時わずか満14歳。
1868年(慶應4年)9月8日に「明治」と改元され、この年の慶応4年が明治元年となる。
明治元年(1年)旧暦9月下旬~10月中旬の23日間に京都御所紫宸殿(下記画像)を出立し陸路東海道で東京へ巡行。岩倉右大臣はじめ3千人以上。
その後、6回にわたり日本国中を巡行されています。
なぜ、明治天皇は各地を巡行されたのか?なぜ、その地に宿泊され、立ち寄られたのか?いろんな疑問が湧いて出てきます。
そういえば、いままで様々な観光地等へ行った際に「「明治天皇聖躅の碑」を見かけたことがありました。
第一回目は偶然にも通った西成区天下茶屋公園。
面積:8,052㎡、開園日:昭和 26 年(1951 年)4 月 30日、公園種別:街区公園。公園内には、大阪府指定有形文化財である阿倍寺塔刹柱礎石(あべでらとうさつちゅうそせき)がある。阿倍寺は今の阿倍野区松崎町にあった奈良時代前期(白鳳期)の創建と考えられる寺、この礎石も永く現地にあったが、現在はこの公園に保存されている。礎石は花崗岩でできており、中央に柱穴があり、その穴の中央に舎利穴が彫られている。また、「明治天皇駐蹕遺址(めいじてんのうちゅうひついし)」碑もあり、明治天皇が、明治元年(1868 年)と明治 10 年(1877年)に住吉大社へ参拝される途中で、「是斎屋」に立ち寄られた際に、ご休息をされた御殿跡に建立されたものである。
この公園は老若男女が集う憩いの場所。大変歴史のある場所。
2026/05/09
明治天皇の足跡を訪ねて 滋賀県野洲市/蒲生郡竜王町/大笹原神社
明治11年8月30日から11月初 旬の72日間にわたって上信越から北陸へ5回目の巡行をされています。往復いずれも陸路を用いて岩倉右大臣、大隈、井上参議以下300人、警官400人と大規模。
この場所をさがすのに相当苦労しました。
細い通りにある石材店さんの裏側です。実はこの細い道は旧中山道であり、本陣宿であったと思われます。
(有)森石材店 〒520-2315 滋賀県野洲市辻町264
1878年(明治11年)10月12日と10月21日、明治天皇は森六兵衞宅で休憩されています。
この場所から国道8号線を北へ進むと【道の駅 竜王かがみの里】(〒520-2573 滋賀県蒲生郡竜王町鏡1231−2)に到着します。
この竜王の地は【源義経元服の地】であり、また【平家終焉の地】でもあります。詳しくは下記をご参照ください。
まぁ、この場所もなかなかわかりにくい場所にあります。
道の駅手前の国道8号線沿いの小道、実はこの道も旧中山道を少し戻ると左側に空き地がでてきます。
明治11年10月12日
鏡村 辻熊次郎宅御小休⇒道の駅脇の小道沿い
辻町 森六兵衛宅御小休⇒森石材店の裏庭
守山 守山小学校御小休
草津行在所 田中森之助宅御泊
という順序で巡行されています。
滋賀県には神社建築で国宝は八つあります。
大津日吉神社本殿と拝殿・東本宮本殿と拝殿・竜王町苗村神社西本殿、長浜竹生島の都久夫須麻神社本殿、野洲市御上神社本殿・・そしてこの大笹原神社本殿。
ということで参拝をさせていただきました。
8号線から細い道を5分ほど進むといきなり空気感が変わり張りつめてきます
10台程度駐車可能な駐車場があり、左右に杉の木立道を進むと、その張りつめた空気の源、本殿と篠原神社本殿(餅の宮)を拝むことができます。
さて、大笹原神社社殿の棟札で応永21年(1414年)であることが判明。そして篠原神社は応永34年(1427年)。小鳥の鳴き声と風の音以外に聞こえない静かなたたずまいの神社です。



















































