一、至誠に悖(もと)る勿(な)かりしか
一、言行に恥づる勿かりしか
一、氣力に欠くる勿なかりしか
一、努力に憾(うら)み勿かりしか
一、不精に亘(わた)る勿なかりしか
橿原神宮へ参拝。北神門を出て5分ほど木々に囲まれた道を進むと左側に「瑞鶴之碑」が示す通りに50Mほど進むとそこには大東亜戦争で我が国の為に命を落とされた方々の慰霊碑があります。碑はUPしていません。。
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
一、至誠に悖(もと)る勿(な)かりしか
一、言行に恥づる勿かりしか
一、氣力に欠くる勿なかりしか
一、努力に憾(うら)み勿かりしか
一、不精に亘(わた)る勿なかりしか
私が小学生のころ、母につれられて京都大覚寺で写経をして以来、数十年ぶりの写経体験です。
場所は大阪一心寺さん向かい側にある三清庵。
平日(水曜日以外)は朝9時~14時であれば随時体験可能。
受付で1,000円をお支払いし用紙を受け取り後、2階の写経場へ向かい、いよいよ写経開始です。およそ小一時間で書かれている般若心経の上に用紙をかぶせて順になぞっていきます。
細筆の使い方があまりにも久しぶりすぎてうまく運ぶことができず、太くなったり細くなったり震えたり。それでもできるだけ丁寧に移すことで心が少しづつ平穏になっていく気がします。
大阪護国神社 みたま祭へ参加してまいりました。
朝早くから多くの参拝者が来られ開催前の正午になると境内にはあふれんばかりの参拝者さんが来られていました。
本殿左右の日の丸と旭日旗の美しくたなびく中で、黙祷、そして国家斉唱のあといくつかの神事、そして80年前の正午に天皇陛下が語られた「終戦の詔書」いわゆる玉音放送の原稿が朗読されると、私の胸の中の熱い気持ちが涙とともに込み上げてきました。
大きく歴史が動いた幕末・・なかでも白昼堂々と老中を暗殺したいわゆるテロ事件が大きく歴史を変えた桜田門外の変。江戸城桜田門外で起こった事件ですが、実は大阪でもこの事件に連動していました。
戊午の密勅(幕府を飛び越えて水戸藩に直接に勅が下る)により、勅を幕府に返すのか返さないのか?返すならば天皇に返すのが筋・・いや・・返す必要はない・・・水戸藩の中で様々な論議の最中に井伊直弼が行った安政の大獄と呼ばれる時期将軍継嗣問題で井伊直弼は血筋を重んじる南紀派に対し実力を重んじる一橋派を弾圧することで、水戸の徳川斉彬を封じ込めたことで、水戸過激派がさらに過激に進むと同時に薩摩藩島津斉昭が数千人の兵を連れて上京する・・。江戸と大阪。京都で事を起こすそんなプランがドタキャン。。島津斉昭が病死し次の藩主島津久光たちは上京しなかった。。
空
つつしみてこの碑を陸軍航空戦士たちの霊にそしてすべての陸軍少年飛行兵の還らざる青春に捧ぐ
若鷲に捧げる言葉
昭和九年(一九三四年)日本陸軍に少年飛行兵制度が誕生した皇誠 純真 元気 周到の校訓を旨に日夜訓練に励み操縦通信整備の分化に巣立った若者たちは祖国の危急を救うため戦乱に身を殺しその多くは蒼天の中に消えていったしかし昭和二十年夏敗戦辛苦に耐えている日本は画期的な飛躍を続けているけれど私たちはなおあの戦いの日の友たちの紅顔を忘れることはできないなかでもふる里と訣れ雄々しくも散っていった紀州健児を憶るここにその栄光を永久に称えこころの碑を築いて戦友への限りない挽歌を捧げる
陸軍少年飛行隊和歌山県出身生存者一同
魂
歩兵第二百三十聯隊
昭和一四年八月七日歩兵第二百三十聯隊は第三十八師団隷下として編成完了同年十月から南支派遣軍として広東省付近に駐屯諸作戦に参加昭和十六年十二月八日大東亜戦争諸戦に香港島攻略に偉功を樹てたが損耗甚大とのため昭和十七年一月三日広東駐留の歩兵第六十一聯隊より兵員補充その要員は和歌山大阪兵庫健児総勢一千余名昭和十七年三月ジャワ島スマトラ島作戦に参加昭和十七年十月十四日ガダルカナル島に上陸ルンガ飛行場総攻撃に参加したが遂に成らず補給絶え弾薬糧科なきまま、尚敢闘したが部隊の被害90%を超える昭和十八年七月ニュージョージア島作戦に参加
昭和二十一年五月復員完了
礎
祖国と同胞の盾として戦野に散った三千余柱の雄々しいみ魂よ
相励ましつつ砲煙弾雨に挺身した懐かしい面影よ
運命の不可思議にふたたび故国の土を踏み得た我ら
今日太平の礎は兄らが赤誠と碧血の上に成るを想い
年々歳々感謝と追慕を新たにする
世ののちまで永く憶念のよすがならん事を願ってここに
一碑を建てた
み魂やすらかに眠れ
鎮魂 歩兵第六十一聯隊
日本国の防人としてひたすら永遠の平和を目ざして栄えある軍旗のもと
北満の野に はたまた中支南方戦線にその青春の純潔を捧げ
自ら進んで国難に殉じた一万余柱の御霊よ
生死を共に相励ましつゝ骨をも凍る酷寒の地に
あるいは赤道直下の炎熱と悪疫のジャングルに砲煙弾雨のなか砂塵にまみれ
獅子奮闘の死闘に敢然と身を挺したあの元気な懐かしき面影よ
我等いま過ぎし日の想い出を 辿るとき万感胸に迫りて涙の止まるをしらず
戦友の赫々たる武勲は燎然として 千戴に輝く
天命の定めにより生きながらえた我等の今日の平和と繁栄は偏に諸霊の築かれた
礎の上に憤念の心情にして我らの願いを建碑にこめ
後世に遺すものである 願わくば御霊よ
此処に静まりて俱会一処の妙果を証せんことを
あゝ予科練
予科練とは海軍飛行予科練習生即ち少年飛行兵の称なり航空機搭乗員として英才の早期養成をめざし昭和五年この制度発足以来大東亜戦争終結迄学業半ばの少年が七ツ釦は桜に錨と志し単越せる技量 旺盛なる攻防精神 崇高なる犠牲的精神を基に日夜猛訓練に耐え大空に巣立てり志那事変は海鷲として渡洋爆撃の初陣依頼開戦陣頭ハワイマレー沖航空戦はその威名を世界に轟かせ我が航空戦力の中●なるも戦局利あらず敵本土に迫るや悠久の大●に滅せんと自らを爆弾に変え身をも命も惜しまず特攻機と共に未曾有の国難に殉じたり祖国永遠の平和と安泰を祈り散るべくして散り得ざりし我等予科練出身者は英魂の萬古に安らかならん事を祈念しつつこの碑を建立し大空に眠れる御霊に捧ぐ
予科練和歌山県人会
この円卓子は元歩兵第六十一聯隊酒保の藤の棚下にあったもので当時、兵士たちが
訓練の余暇にこの卓子を囲んで団らんしふるさとをしのんだのである。
終戦後この地に移して永くこれを保存するものである。
久しぶりの参拝。
やはり夏になるとなぜか護国神社さんへ参拝しなきゃって気持ちになります。
世界各地の様々な地域で戦争が起こり、また起ころうとしています。
ウクライナとソ連、イランとイスラエル、インドと中国、北朝鮮と韓国、台湾と中国・・香港、イエメン、シリア内戦・・。
沖縄八重山諸島や北方領土以上に不穏な様子の日本国内にいる中国人やクルド人をはじめ様々な移民。
決して他人事では済まされません。その時・・私達は何をすべきか。私は何をすべきか。
拝殿内の右奥で「終戦80周年特別企画展示 わだつみ渡る 焔のたより 」が開催中。
様々な軍艦の絵と、乗船されていた方々からの封書やハガキを展示されていました。その苦しい胸の内を明かすこともできず家族に宛てた様々な文章が綴られています。
35年くらいぶりの伊勢参りです。西名阪⇒名阪国道⇒東名阪⇒伊勢自動車道で伊勢西ICまでおよそ3時間。平日のおかげで外宮駐車場は余裕!
伊勢参りは外宮⇒内宮へ参拝しなきゃ・・ということでまずは外宮。豊受大神宮は衣食住の恵みをお与えくださる守護神。ちなみに20年に一度行われる第63回神宮式年遷宮は令和15年とのこと。
鳥居を潜り砂利道を進む音だけが・・・と言いたいところだけれど静寂を破る中国語・・ええかげんにしてくれ・・・。心静かに参拝できないのか。。。と自分の心を荒立てるのは私の精神修業が未熟なのか。
遅めの昼食&デザートを済ませたのち、本宮へ移動。
皇室の御祖神の天照大神が御祭神の皇大神宮(内宮)です。
手入れの行き届いた参道を進み正宮へ。下記の横に正宮があります。
無事、伊勢参りを済ませたあとは「おかげ横丁」へ。
日本人のDNAに刷り込まれている自然崇拝をはじめ、あらゆるものに神が宿っているその美しい心。他人を思いやり、慈しむ心。悲しいことにどんどん忘れている。本当に恥ずかしい事です。いかに生きるか・・の問いに対して神道があり、いかに死ぬかの問いに対して仏教があるようにおもいます。決してそれだけではありませんが、あたりまえの事をあたりまえに行う事が欠けているように反省してばかり。