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2026/05/23

明治天皇の足跡を訪ねて  大阪市役所/京都泉涌寺/奈良県橿原神宮

明治天皇が大阪に来られたのは
明治5年旧暦5月下旬から7月中旬の49日間で伊勢、大阪、西海道方面へ行かれています。

5月23日に浜離宮、品川沖から高尾丸に乗船、帰路は広島丸。岩倉右大臣、木戸顧問、大久保内務卿をはじめ230人。
5月28日には大阪行在所となった西本願寺津村別院で宿泊。5月30日には八軒屋浜から淀川を上り伏見へ。6月4日に大阪に戻り造幣局、ここで泉布館というお名前をいただき、7日には小豆島へ。

明治5年(1872年)は少々ややこしくて、暦が太陰暦から太陽暦に変わりました。
11月9日に太政官布告があり、明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日とすることになりました。

また、明治10年の1月下旬と7月末。
1月24日大和国並西京都行幸。横浜から高尾丸に乗船され、26日に三重県鳥羽港、
1月30日に京都の後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)なので、きっと泉涌寺。
孝明天皇の十年御式年祭御親祭へご参加されています。




また2月5日には京都神戸間鉄道開通式臨幸、伏見、奈良、11日には神武天皇陵御親祭に行かれているのでこれがきっかけとなり橿原神宮が創建された?
※橿原神宮は明治の時代となり神武天皇の御聖徳を景仰してこの橿原の宮跡に橿原神宮創建の請願が民間有志から起こり、明治天皇はこれを御嘉納になり明治23年4月2日に御鎮座になった。




神武天皇の陵がある大和三山 畝傍山


堺方面から2月14日に住吉神社、天下茶屋では橋本尚史郎宅御小休、操練場、砲兵支省、造幣局、大阪府裁判所から大阪府庁、東本願寺。
2月16日には中島精糖所、堂島製藍所から梅田停車場発御七條停車場、京都西本願寺飛雲閣から京都御所へご宿泊。

大阪市役所にある碑はこの時のものかと考えられ、正面右手の駐車場スロープ入り口付近の植え込みの中にあります。





明治天皇は、2月19日に「鹿児島暴徒征伐」を布告されている。これは日本国内の最大の内戦といわれる西南戦争(明治10年1月29日から9月24日)に対して。

江戸から明治になってわずか10年。まだまだ国内が慌ただしく動いている大変な時代だったのでしょう。

2026/05/17

6年ぶりの九度山訪問

 久しぶりに九度山を訪問、京奈和自動車道がだいぶ整備されたことでわずか1時間程度で到着。ずいぶんと楽になりました。前回の訪問は2019年3月なので6年ぶりとなります。

ちなみにはじめての訪問は2008年5月で、今のように観光地化されておらず駐車場等を探すのに相当苦労したことを覚えています。

 以降、母が健在であった頃、毎年5月に開催される「真田まつり」や、秋に開催される「収穫祭」はよく楽しませていただき、様々なご縁を頂戴いたしました「大石順教尼記念館」の館長さんをはじめご関係の皆様、また「住民クラブ」のご代表様をはじめ町長さんには大変お世話になりました。

さて、まずは久しぶりに「真田蕎麦」を堪能。スッキリとした味わいと喉越しが心地よく、まだ5月だというのにきつい日差しで火照った体を冷ましてくれました。オープン当時よりもずっとそばつゆが洗練され関西風味となったようで、舌を楽しませてくれました。




さて、久しぶりの「真田庵」です。しっかりと真田三代のご冥福をお祈りしてまいりました。
与謝蕪村の句碑「炬燵して語れ真田が冬の陣」の前で、蕪村の気持ちを考えていました。
蕪村は1784年生まれですから、幸村公が戦に敗れて170年後経過、当時の江戸中期、将軍は9代徳川 家治さん。天変地異とNHK大河ドラマ「べらぼう」で渡辺謙さんが演じた田沼意次が亡くなったのは1788年。


真田は武士として著名で、当時のいわゆる観光地としての名所図会がブームとなりいろんな書籍が出版、その中でもこの真田庵に眠る真田三代は有名で、中でも真田丸を築き大活躍された幸村公の武勇は語り継がれたことでしょう。




「真田ミュージアム」はコアなファンが多いようで、ちょうどAmazonPrimeで「真田丸」が鑑賞でき、しかも大河ドラマでは「豊臣兄弟」。
受付の方と少しだけ会話をさせていただきましたが当時、九度山で大変お世話になりました方が亡くなられたことを知り心はがっくり。。

そういえばこの数年間にお世話になった方の訃報を知ることが多くなり、本当に辛く、またご恩返しのできぬままになっていて、申し訳ない限り。
ふと、「大石順教尼記念館」の萱野正己館長さんのお言葉「人間は出逢うべき人には必ず逢える。一瞬遅からず一瞬早からず」を思い返すと同時に、儚さと移ろいを感じました。

和歌山県九度山町は自然豊かな美しい地。いつまでも心の故郷でありますように。

2026/05/16

明治天皇の足跡を訪ねて 大阪市西成区天下茶屋公園内

 様々な観光名所にいくと「明治天皇聖躅の碑」に出会えるときがあります。これは明治の世となり近代国家を目指したことをきっかけに天皇の役割が変わったと思っています。

明治天皇の父の孝明天皇は1831年生まれ、16歳の弘化三年(1846年)に即位。ちょうど幕府はアメリカからの鎖国解除の要請で幕府内の意見が揺れ動いていた時期。そして孝明天皇の崩御から明治天皇のご即位。この時わずか満14歳。

1868年(慶應4年)9月8日に「明治」と改元され、この年の慶応4年が明治元年となる。

明治元年(1年)旧暦9月下旬~10月中旬の23日間に京都御所紫宸殿(下記画像)を出立し陸路東海道で東京へ巡行。岩倉右大臣はじめ3千人以上。


その後、6回にわたり日本国中を巡行されています。
なぜ、明治天皇は各地を巡行されたのか?なぜ、その地に宿泊され、立ち寄られたのか?いろんな疑問が湧いて出てきます。

そういえば、いままで様々な観光地等へ行った際に「「明治天皇聖躅の碑」を見かけたことがありました。

第一回目は偶然にも通った西成区天下茶屋公園。




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大阪市では、西成区の都市景観資源の発掘のため、「わがまち自慢の景観」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成30年3月23日に25件を都市景観資源に登録しました。また、令和4年3月31日に1件登録解除しました
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上記ページの記載内容を引用

◆所在地 西成区岸里東 1 丁目 16 番
◆概要
天下茶屋公園は薬屋「是斎屋(ぜさいや)」の跡地である。薬屋「是斎屋」は寛永年間(1624~1644 年)近江の国の津田宗右衛門が、住吉街道に面した当地へ来て「和中散(わちゅうさん)」という薬を商ったのが起こりで、街道の旅人達で大いに繁盛したという。また、茶屋としても有名であった。現在は、遊具や広場で子どもが遊び、ベンチで休憩される方も多く、近隣住民の憩いの場となっている。
面積:8,052㎡、開園日:昭和 26 年(1951 年)4 月 30日、公園種別:街区公園。公園内には、大阪府指定有形文化財である阿倍寺塔刹柱礎石(あべでらとうさつちゅうそせき)がある。阿倍寺は今の阿倍野区松崎町にあった奈良時代前期(白鳳期)の創建と考えられる寺、この礎石も永く現地にあったが、現在はこの公園に保存されている。礎石は花崗岩でできており、中央に柱穴があり、その穴の中央に舎利穴が彫られている。また、「明治天皇駐蹕遺址(めいじてんのうちゅうひついし)」碑もあり、明治天皇が、明治元年(1868 年)と明治 10 年(1877年)に住吉大社へ参拝される途中で、「是斎屋」に立ち寄られた際に、ご休息をされた御殿跡に建立されたものである。
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この公園は老若男女が集う憩いの場所。大変歴史のある場所。
明治元年2月に御親征詔、3月23日に大阪八軒屋、4月20日に住吉大社ご参拝途中に是斎屋でご休憩。当時の邸主橋本尚四郎は休憩所を新築し後年大阪府知事渡辺昇は紫雲楼の号を付したが、後年老朽化したために当時の主高久右エ門により撤去、大正8年12月にこの碑を建造した。なお、明治10年2月14日にも行幸御少憩されています。

2026/05/09

明治天皇の足跡を訪ねて 滋賀県野洲市/蒲生郡竜王町/大笹原神社

 明治11年8月30日から11月初 旬の72日間にわたって上信越から北陸へ5回目の巡行をされています。往復いずれも陸路を用いて岩倉右大臣、大隈、井上参議以下300人、警官400人と大規模。

この場所をさがすのに相当苦労しました。

細い通りにある石材店さんの裏側です。実はこの細い道は旧中山道であり、本陣宿であったと思われます。

(有)森石材店 〒520-2315 滋賀県野洲市辻町264 

1878年(明治11年)10月12日と10月21日、明治天皇は森六兵衞宅で休憩されています。



この場所から国道8号線を北へ進むと【道の駅 竜王かがみの里】(〒520-2573 滋賀県蒲生郡竜王町鏡1231−2)に到着します。

この竜王の地は【源義経元服の地】であり、また【平家終焉の地】でもあります。詳しくは下記をご参照ください。

竜王町観光協会



さて、この道の駅からわずかに徒歩3分程度で【明治天皇聖躅】がありますが
まぁ、この場所もなかなかわかりにくい場所にあります。
道の駅手前の国道8号線沿いの小道、実はこの道も旧中山道を少し戻ると左側に空き地がでてきます。

明治11年10月12日 

鏡村 辻熊次郎宅御小休⇒道の駅脇の小道沿い 
辻町 森六兵衛宅御小休⇒森石材店の裏庭
守山 守山小学校御小休
草津行在所 田中森之助宅御泊

という順序で巡行されています。




滋賀県には神社建築で国宝は八つあります。

大津日吉神社本殿と拝殿・東本宮本殿と拝殿・竜王町苗村神社西本殿、長浜竹生島の都久夫須麻神社本殿、野洲市御上神社本殿・・そしてこの大笹原神社本殿。

ということで参拝をさせていただきました。

8号線から細い道を5分ほど進むといきなり空気感が変わり張りつめてきます
10台程度駐車可能な駐車場があり、左右に杉の木立道を進むと、その張りつめた空気の源、本殿と篠原神社本殿(餅の宮)を拝むことができます。
さて、大笹原神社社殿の棟札で応永21年(1414年)であることが判明。そして篠原神社は応永34年(1427年)。小鳥の鳴き声と風の音以外に聞こえない静かなたたずまいの神社です。





2026/04/18

京都御所 参拝

 京都三条大橋に「高山彦九郎先生」三条大橋より御所へ向かい拝礼をする「高山彦九郎先生の像」が有名で昭和59年高山彦九郎祭世話人会が建立。


さて、御所へは地下鉄今出川駅を降りると目の前。
まずは午前中に2回行われている日本語での御所解説ツアー。2回目10時半の部に参加させていただきました。広大な敷地の京都御苑の中に京都御所があり南北450m、東西250mの11万㎡。平安京〜明治初年に明治天皇が東京へいかれるまでの期間お住いになられていました。


数多くの歴史的建造物の中でも私の目的は紫宸殿と小御所。

紫宸殿では、即位の礼が行われた場所、また「五箇条の御誓文」が発布された場所。
右近の橘、左近の桜が大変バランスよく配され檜皮葺きの入母屋造り。

また、小御所は幕末ファンなら超有名な場所!王政復古の大号令のその夜から行われた徳川慶喜さんへの対応をぶっ通しで行われた場所。

他にも、公家が牛車から乗り降りする御車寄、馬車に対応した新御車寄、公家や幕府の使者の控えの間となる諸大夫の間はランクによって「虎の間」「鶴の間」「桜の間」があり、畳や襖絵の設えが異なる。日常をお過ごしになられる清涼殿、蹴鞠の庭にご学問書などの建築物だけではなく、そのお庭が超素晴らしい!どの角度から見ても調和が取れている美しさ!





御所の周りを取り囲んでいる土塀は「築地」(ついじ)。壁に見られる5本線は最高位を表す。また、御所は東西でおよそ2mほどの高低差があり、その築地の高さを一定にするために、築地の基礎となっている石段が徐々に高くなっているのがわかります。


北東の角は鬼が出入りすると言われているので「んじゃ、東北の角を無くせばいいんじゃね?」ということで東西の角はなく、門の欄間には「烏帽子を被った猿」がいます。猿は南西を表す干支。なのでこのあたりを「猿ヶ辻」と言われているとのこと。


また、京都御苑の外周にも幕末ファンなら見逃せない門があります!そう「蛤御門」!
薩摩、会津藩らが長州藩と戦った場所!いたるところに銃弾痕がみられました!



冒頭の「高山彦九郎先生」にはとうてい及ぶことはありませんが、日本を統治するのは幕府ではなく天皇であり京都へ出入りする際は御所を拝していたその心根は、完全に今の日本からは失われています。これは時代性故、やむを得ないもの。吉田松陰先生をはじめ勤王の志士らはおなじ精神で繋がっていたことでしょう。
しかし、いずれの方々も今の日本のあり方を嘆き悲しんでおられることに相違なく、街を我物顔で闊歩する海外人。資本で日本を振り回し、伝統ある木造建築に巣食うシロアリの如く酷い輩が見受けられます。神道と仏教が互いに絡み合い素晴らしい礼と義をもつ日本人の心が壊れない事を願ってやみません。

田中卓評論集1「愛国心と戦後50年」を読みさらにその思いが強くなりました。
ありがとうございました!



2026/02/22

御菓印 白玉屋榮壽

 白玉屋榮壽 名物みむろをいただきました。
奈良県桜井市 大神神社さんのさ32m余りある大鳥居の麓にあります。





白玉屋榮壽

2026/02/15

堀越神社の灯篭について


大正14年8月30日、天王寺公園に於いて打上げ煙火の為
本殿お屋根が炎上し後、また大阪市都市計画により
境内の減縮を来し本殿の位置を後退の上
氏子の献金により俊築し昭和4年7月竣工する。
依りてここに石灯篭を献しこの由来を記す。
昭和7年12月 堀越神社


ということで、屋根が炎上したきっかけは大正14年8月30日の出来事。

3月14日より4月30日の期間中に天王寺公園付近で行われた「大大阪記念博覧会」が原因。

当時の市長は第七代市長関一氏。この4月1日に浪速区、天王寺区、港区、此花区、東淀川区、西淀川区、西成区、住吉区が生まれている。
大大阪時代は、この第二次市域拡張により市の面積は日本一となる。また人口も東京市の199万人を抜き日本一。しかも世界第6位。※東京は大正12年の関東大震災で一時的に人口減少

※引用 大阪市の歴史 大阪市史編纂所編





2025/10/22

浄瑠璃寺さん 参拝

 はじめて、浄瑠璃寺へ行ったのは私が小学生低学年の頃。
加茂駅から徒歩で数時間かけて浄瑠璃寺~岩船寺と山中の石仏を巡ったのを覚えています。
以降、毎年数回は訪問させていただく心の故郷的なポジションなお寺さんです。

自分自身だけでなく家族になにかあったら必ずこのご本堂に安置されている吉祥天如のお厨子に向かいご報告させていただいています。

そして今日は小雨模様でしかも気温が10℃程度に冷え込みましたが行ってまいりました。
ご寺内は某芸大の方々や町内会的なバス旅行の方々で迷惑な賑わいで閉口・・。

それでもご本堂内で正座し一心に手をあわせ、3年前に亡くなった母の事等を思ると大粒の涙がボロボロと湧き出てくるもなんとか11月からの事を報告することができました。

予定では、蟹満寺さんへ行く予定でしたがあまりの寒さで断念。またあったかい日に再チャレンジする事にします。


吉祥天さんのお厨子が開かれるのは年3回。今回はうまくタイミングが合いましたので
限定の御朱印を頂戴いたしました。



趣のある浄瑠璃寺さんの山門。


東側にある三重塔におられる薬師如来さん側から、西方極楽の彼岸に見えるご本堂を拝む。

雨粒にキラキラとかがやく酔芙蓉のお花。