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2023/12/31

2023年の振り返りと展望

2023年は激動の年になりました。
お陰様で桜の咲くころに還暦を迎えるとともに初夏には今まで過ごした会社と決別。有給消化後の翌日より他社へ移籍しました。
 業務内容はまったく変わらないものの扱う商材が違うとここまで攻め方が違うのか、、と日々修行の毎日ですがネット通販の売上を最大化するための施策と実施は非常に楽しいものです。ネット通販は単純な仕組みで【売上=来店客数×平均購入金額×転換率】に過ぎないものの、この公式を阻害する様々な事象が次々と現るたびに、その壁を打破していく・・まるでゲームのような感覚です。

来年はどんな素晴らしい1年になる事でしょう?
『まず考えよう 力一杯行おう 常に光を求めよう』
大好きな言葉で私の心の支えになっています。

3月には母の三回忌。大好きだった講談や落語会はまだまだ行く気になれませんが、偲んだ日々を送るとともに自己研鑽を怠らず、幅広くまだまだ知らない色々な事柄に興味の火を絶やさないようにすごしてまいります。少々体調面で不安が出てきていますが抜本的な治療は行わずになんとか乗り切りたいものです。


映画:パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービー

年末の押し迫った31日に映画:パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービーを孫と鑑賞しに行きました。
いわゆるトドラー対象の映画ではあるものの、アニメの完成度は想像以上に高く、特にフルオーケストレーションでのジョン・ウィリアムズばりの緊張感高まるサウンドは見事!
よくあるDTMではなく大変、完成度の高い音楽でした。主人公(犬)は体格が小さく、不幸な環境で育ってきた女の子のスカイ。彼女のテーマは、なんとクリスティーナ・アギレラが歌っている!彼女が主演した映画:バーレスクは私の一番のお気に入りで、疲れた心をすっきりさせてくれます。

自分にコンプレックスがあり引け目を感じることが常となってるそんなスカイ。「自分から踏み出さないとなにも解決しないこと」に気づく。
バーレスクの映画の中でアリと呼ばれていたアギレラは、「自分の才能を信じ疑わず、そのチャンスをつかむために大きく踏み出すこと」を行う。

パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービーは子供向けにわかりやすいストーリーになっていますが色んな要素を絡めた大変良い映画でした。




2023/11/25

翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて

 話題の映画を鑑賞。壮大な茶番劇という前触れに偽りのない面白さ。その宣伝の巧みさは見事!どんなに良い内容でも宣伝方法が弱いとHITしないだけにこの映画の番宣は大したもの。滋賀県の野洲をはじめ和歌山県、奈良県のディスり方には大爆笑。「琵琶湖の水を止める」はたしかに言い古された言い回しだけに思わず失笑。










1作目のラストシーンで使われてる曲はSW4の戴冠式のテーマのおもいっきりオマージュ。ルークとレイア姫が反乱軍から祝福を受ける大切なシーンにふさわしいファンファーレ調から威風堂々を思われる流れるようなメロディに受け継がれていくその曲調がそのままに使われている。もちろん今回も使われていた。
また、私の大好きなカヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲が効果的に使用されていました。大変美しい曲だけに、その先を予見させる展開があるのかな?と深読み。。

2023/11/23

阿麻美許曾神社

 大和川はその昔は南から北に向かって流れていましたが、度々の河川反乱のために1704年に現在のように東から西に付け替えられました。このあたりは、当方のBLOGにも詳しく書いていますが、忘れてはならないのは、大和川によって既存の地が大和川によって分断されたということ。もちろん現在の大和川の川底には1704年以前の生活をささえていた家屋、畑、寺社や墓地などがあったらしく、近代に向かうに連れ住居表示が厳格化される中で、さまざまな理由でいわゆる【飛び地】が誕生、そのなかでもひときわ目を引く【飛び地】にはこの【阿麻美許曾神社】とその参道があります。

まずはYahooMAPで飛び地の現状を確認すると、「東住吉区矢田エリア」は大和川の南に大きく飛び出た地域からさらに細長く、南に延びていることが確認できます。周りは大阪府松原市。

https://map.yahoo.co.jp/address?ac=27121&az=MTg&lat=34.59683&lon=135.54065&zoom=13&maptype=basic


S18の地図では、矢田村は大和川をはさんで南北に分断されていることが確認できます。
(内河内郡矢田村/瓜破村/天美村等:昭和30年(1955年)に大阪市東住吉区に編入)また別途記載の〔城連寺〕の記載が確認できました。また江戸初年に使われていた「枯木」の地名も見られました。おそらく現在の場所は行基大橋の北詰めあたり?


手元にある「北から西への改流・300年 甚兵衛と大和川」を確認。この書籍は中甚兵衛十代目にあたる中 九兵衛氏著。この図(川違新川図※宝永元年)にも城連寺村の記述あり。1704年の川違えにより村の半分以上が川底となった地域。



話は本筋に。この矢田村には欠かせない阿麻美許曾神社があり創建は大同年間(806年頃)。あの行基さんが居住されていたとの云われがある。高僧でありスーパー土木建築家で、今でいうところの本職が僧の大手ゼネコントップなイメージ。
ということで、阿麻美許曾神社へ参拝してまいりました。
現在の大阪の神社でも少なくなったいわゆる「鎮守の森」が残る美麗な神社さん。その巨木が神殿、拝殿を囲み、木々の間を崇高な風が通り過ぎていきパワースポット感が半端ない。
神社の南に鳥居があったそうで、その位置から参道を含めて東住吉区矢田7丁目。ちなみに6丁目までは、大和川の北側です。







数日前に罹患したインフルエンザA型からの復帰と2週間前に自転車で転倒し肋骨にひびが入ったけど痛みが無くなったお礼をしてきました。


2023/11/19

阪急少年音楽隊 はじめに

 吹奏楽は今やすっかりメジャーな存在で、中学校や高校、大学や社会人等それぞれの世代や地域を核にした団体は相当あるのでしょう。そしてそれぞれの団体には各々の歴史があり、所属していた方々が情熱を注いだ事は忘れることなどは無いでしょう。

昭和、平成、令和と時代が移り変わるとともに日本に溢れる音楽も相当移り変わり替わるとともに楽曲構成、音楽性も相当変化があり、誰しもが嗜好はあることと思いますが私はやはり最近の楽曲は苦手でこの音楽は楽しむことができないって感じ始めると頭が拒否反応を示すようです。
さて、宝塚音楽学校でのあの大変不幸な出来事についてどうしても触れておきたく筆を執りました。

宝塚音楽学校は阪急グループの創始者「小林一三翁」が築いたに他なりませんが実は姉妹校ともいえる男子校を秘書の清水雅氏が築いておりこの学校が「阪急商業学園」で、いわゆる「阪急少年音楽隊」となります。
大変厳しい統制が引かれた学園生活であったからこそ、素晴らしいサウンドと規律の取れたマーチングができたのだと実感しています。現在すでに学園の名前はなく精神のみが受け継がれているとの事ですがその学園生活はいかがなものかはかり知ることはできません。
行き過ぎた指導なのか、指導という名の暴力なのか・・決して肯定するつもりはありませんが、昭和50年前後ではまったく普通に様々な事象が行われていたのは事実です。

令和の時代に昭和チックな指導を進めるのは明らかに誤りで、お互いを思いやり、お互いが切磋琢磨し、お互いが気遣いながらというのが求められているのでしょう。
しかし、プロの世界では労働の提供と対価・条件が事細かに決められ雇用契約で縛られている以上、大きな声でNOとはいえず、その矛先を弱者に向ける事は一般的にあることとおもいます。どうぞすべてをオープンにして新しい伝統を築く努力をしていただきたいものです。

以降、不定期ながらに「阪急少年音楽隊」の事を記述してまいります。







2023/11/15

笑わない数学<非ユークリッド幾何学>

 ユークリッド幾何学って名前は知らなかったけれど確かに内容はしっていた。

①二点を通る直線は1本しか引けない
②直線はいくらでも伸ばすことができる
③ある点を中心にして好きな大きさの円を描くことができる
④直角はすべて等しい
⑤直線と点があるとき点を通って平行な線は1本しか引けない

この公理①~⑤をつかうことで様々な幾何の証明が成り立っている。

ところが、このユークリッド幾何学に異論が登場!

争点は公理⑤。
ハンガリーのボヤイ・ヤーノシュ(1802-1860)が公理⑤の1本しか引けないを2本以上ひけるとして様々な幾何証明をおこなうことで、様々な証明ができることが発見。(双曲幾何学)
ドイツのベルンハルト・リーマン(1826-1866)が公理⑤の1本しか引けないを1本も引けないとして様々な幾何証明をおこなうことで、様々な証明ができることが発見。(楕円幾何学)

本当に非ユークリッド幾何学の世界はあるのか?

ボヤイの死後40年後に「ユークリッド幾何学に矛盾がなければ非ユークリッド幾何学にも矛盾はない」ことが証明されてしまった。

20世紀に入り非ユークリッド幾何学の世界が見つかりました。

アインシュタイン一般相対性理論:「時空が質量の影響で非ユークリッド幾何学的に湾曲することを予言」。

1919年アフリカとブラジルで検証実験が行われました。
星からの光は太陽の重力を影響を受けて曲がるのか?曲がらないのか?そして正しい音が証明されました。
質量の大きい星の周りに3角形を構築した場合、その内角の和は必ずしも180度ではない・・
私たちの住む世界は非ユークリッド幾何学ででいている。というお話^^


インフルエンザA型

13日の午後あたりから急に寒気がやっていて咳がとまらなくなりました。
職場からのチャリを走らせる途中、冷たい冷気が襲っていて、帰宅して、そのまま食事もとらずに就寝。14日は38.5度。一仕事を終えて近所のかかりつけ医へ連絡を取り診断いただいたとことインフルエンザA型。このかかりつけ医さんのところには先週、先々週と肋骨のひびでお世話になっている病院。イナピル吸入粉末剤をその場で処方いただいたおかげで15日朝は37.0。16日朝は36.5でようやく平熱。
会社にとっても理解があり、また自宅でポツポツできるお仕事なので助かっています。
それにしてもとんでもない11月の予感。2度ある事は3度ある。。用心しなきゃね。今年初めて3日間の断酒をしましたww

2023/11/11

慶沢園と佐久良東雄

私が覚えている限りの古い記憶の中の一つにS58年3月に亡くなった祖父との思い出があります。
 天王寺公園が今のように人工の美しさではなく、戦後の荒れ果てた大阪からの復興を模索、発展、成長を目指し「植物園」「図書館」があり、そして長い坂を下ったところに「動物園」の入り口があった頃、そしてその坂のいたるところにいわゆる「自由人」が集まり、バラック小屋で歌や踊りを楽しんでいる風景が普通に見らていたころの記憶です。

 医薬品のブローカーのような仕事をしていた祖父のお取引先のあったジャンジャン横丁の中にあるお店に連れていかれいて、ひとしきり仕事のお話をした後、茶色のアンプル剤をポキッと折り私に飲ませ「はよ。おおきゅうなれよ(大きくなれよ)」と祖父は笑っていました。
 その帰りは「慶沢園」を手を引かれながらひとしきり散歩したものでした。

そして昨日は本当に数年ぶりに「慶沢園」を訪れその懐かしい記憶を思い出していました。






すぐ横の「てんしば」では、おおさかもん祭り2023が開催、賑やかな歓声と吹奏楽の音色が聞こえ日本庭園らしい小鳥の鳴き声や小鳥のさえずりは聞こえず静寂性は失われていました。それ以上にこの数十年に建造された構想マンションや商業ビル、最大の高さを誇るハルカスがなんとも調和性を欠いた状態で見えることに相まり私たちが経済の発展を選択したからに他ならない。
景観や歓声は避けることができないが、海外からのお客様に対してあまりの手入れがされていないことを大変恥ずかしく思う。
だしっぱなしの脚立や水やりホース、伸び放題の松や紅葉、濁り切り、悪臭さえ感じる池。

「昔はこんなではなかったはず・・・」

大阪市はお金のかけるポイントを誤っている。見えることろだけキレイにし、見えないところには蓋をする・・。壊すのなんて容易いこと、お金を出せば簡単に作られる、しかし維持し、発展させることまで考えないで実行することは無能であり愚者にほかならない。

先日行ってきた「足立美術館」や「久保惣美術館」なみの手入れをしてくれと言ってるわけではない、慶沢園の入園料150円を500円にしてもいいから、もうすこし誇れるお庭にして欲しいものです。


せっかくなので、久しぶりに「佐久良東雄先生の碑」を参拝してきました。現在大工事中の大阪市立美術館のすぐ前の茂みの中にひっそりとたたずんでいます。
当時の体制に対し衝撃を与えた「桜田門外の変」に関与し投獄されたものの、獄中で「徳川の粟は食まず」と断食され自ら命を亡くされています。
「花のあらしに散るをみて
  事しあらば我が大君の大御為(おおみため)
     人もかくこそ散るべかりけり」乃木希典書 大阪府知事安井英二撰文
昭和10年に建立さえたこの碑は忍び寄る日中戦争に対する政府のプロバガンダなのか・・それとも純粋な顕彰の思いなのかわかりませんが、今の国際社会を含めて終末に進まないように声を上げる事が必要なんだと感じた一日になりました。



 

2023/11/01

はじめての骨折。。

 やっちゃいました。。自転車通勤をはじめて4カ月。

会社からの帰り道。
坂道を勢いよく下り、左折した直後に左側の溝に前輪を取られて左側へ倒れ込みました。
左手の中指と薬指、小指が縁石のブロックに擦れたようで激しく出血打撲。

自宅まであと300m程度。すっかり日が暮れた道路を痛みを堪えながら帰宅しました。

傷口をキレイに洗い乾かしながら体内のアルコール消毒。さすがに痛みで入浴を控えてほろ酔い気分で就寝しました。
翌日はテレワークなので、ポチポチと仕事をしていましたが午後から指が腫れてくると同時になんとなく左わき腹にも痛みが走ってきたので夕方に整形外科へ。

先生曰く「自転車でコケて通院してきたのは本日3人目やなぁ」。
一目見るなり「たぶん肋骨にヒビがはいっているんちゃうかな・・」とそのままレントゲン室へ。

10分程度で診察があり、左の中指、薬指は打撲創。自転車とブロックに圧迫され打撲&擦り傷で骨は無事らしいけれど、肋骨は・・「レントゲンではなかなか見えにくいけれど、ヒビやな・・」3日間くらいで痛みのピークがくるから胸部を圧迫するベルトで固定して過ごすことになりました。

いままで骨折とはまったく縁のない生活だっただけになかなか不思議な感覚です。
それにしても、笑ったりくしゃみ、寝返り等態勢をかえるとピリピリと左わき腹が痛みます。てことで今週はテレワークになりました。

2023/10/22

雑感

 なかなかハードだった会社を6月末に退職し、一息入れる暇もなく翌日より別の会社でお仕事をしている私です。
 業種は違えど職種は今までと全く同じ、扱う商品が違うだけでこれだけ考え方が違うのかと驚かされています。
 しかも、こんな手法があったのか・・こんな考え方があるのか・・・と「目から鱗」なシーンもしばしば。。
ランチェスター戦略でいう弱者の理論の発展形なだけに日々の攻め方をいかに積み重ねて行くか・・仕入れや商品管理、販売計画に宣伝手法・・ご縁をいただいた会社はなかなか勢いのあるだけに将来が楽しみです。やっぱネット通販は面白いですね。

転職したおかげで土日も安心してリフレッシュに専念。
大好きな浄瑠璃寺へ行ってまいりました。




ご本堂に見える9枚の障子を開けるとそれぞれの真正面に大きな大日如来像を拝むことができる浄瑠璃寺さんは九体寺さんとも言います。いわばご本堂は巨大なお厨子です。その空気は研ぎ澄まされ、張り詰めた空間の中に吉祥天如像がおられます。
昨年3月に他界した母は、自分の守り神のように感じていた天女像はお彼岸と気候の良いこの時期した会うことが出来ない秘仏。久しぶりにご本堂で対面させていただきいろんなお話を聞いていただきました。

帰り道に少し遠回りをして「恭仁京後」へ向かいましたが駐車スペースがなく断念。。見事なコスモス畑を眺めながら帰阪となりました。


2023/07/16

はじめてのNMP

 30年近く使っていたDOCOMOとお別れし5月末にOCN、そして昨日よりイオンモバイルに変更しました。DOCOMOでは話し放題が月額2700円必要だったのにイオンモバイルだと1200円程度。データを家族で分け合うためにOCNのSIMを月額400円程度追加していましたがでイオンモバイルだと220円。。回線はDOCOMOなのでSIMフリースマホで利用も問題なし。。ベストエフォートなので速度保証はありませんので平日の朝の出勤時、お昼休み、退社時あたりが繋がりにくいらしいですが、今のところ超快適です。

イオンモバイル  https://aeonmobile.jp/



2023/07/01

阪急幼年音楽隊 夢のたわごと

私の手元にとても懐かしい本があります。

昭和41年発行11月10日発行された「夢のたわごと」著者は清水雅氏。発行所は梅田書房で住所は阪急百貨店内となっています。

この清水雅氏は阪急百貨店社長を経て、東宝会長、東京タワー、後楽園、東京新天地、東京テアトル、千代田生命、京阪神急行電鉄、阪急不動産等を歴任、兼務。なによりもその功績が大きいのは阪急初年音楽隊の創設者であるということ。

音楽隊員は年に1度、六甲山バーベキューテラスへご招待いただき、さすがに演奏はできないので合唱を披露することが習わしとなっていました。

さて、この清水雅氏が書かれた「夢のたわごと」によると、「小林一三翁が亡くなられてしばらくして翁の書かれた書物を読んでいたら、三越の少年音楽隊を見たときの記述を発見。」

この記述を遺言と捉え運命に引っ張られるような気がしたとのこと。世界各国を視察した際の思い出をからめて阪急少年音楽隊の構想を練ったそう。

開校に向けて、三越少年音楽隊のその行き方を調べてみると音楽家となった方もいる反面、多数の方のその存在がはっきりせず少年が成長した後、正業がなくなり身を滅ぼすものもいるのではないか。だから卒業後は正業をつけて余暇に音楽をやるという形態をとりたいと思われたそう。

中学を卒業したフレッシュな音楽好きの少年を採用して三年間高等学校科目を教育し午後からは音楽の勉強をさせ、卒業後は社員に登用するという骨子を作り上げました。すると色々な企業から演奏に来てほしいという依頼が殺到したそうですが、すべてお断りされました。この音楽隊は宣伝用に作ったものではなく社内におけるうたごえ運動を作るものであったからです。

清水雅氏は小林一三翁の秘書を長らくされておりましたが1994年の12月に他界されました。

先日NHKの朝ドラで放送された「ファミリア」に焦点をあてた「べっぴんさん」の中で伊武雅刀氏が演じた大急百貨店社長は実はこの清水雅氏なんですね。

ちなみに音楽隊の中では親しみを込めて「がーさん」ってお呼びしていたそうです。






2023/06/25

浄瑠璃寺参拝

 私にとって、とても大切な場所があります。それはこのBLOGでもたびたび登場する浄瑠璃寺さん。昨年3月に大好きな母が入寂。早いもので1年3ヶ月が経ちました。

私の環境の変化から母の眠る一心寺さんにはこの1ヶ月は皆勤賞になりそうなくらいな勢いで毎朝お参りに行っています。もちろん今朝も行ってきました。
そして午後からは浄瑠璃寺さんへ行ってまいりました。

2011 1/9 浄瑠璃寺 秘仏 大日如来像公開

2012 1/8 浄瑠璃寺

信仰と信心

初めて母に連れられて参拝したのは小学生低学年のころ、以降、何かあれば御本堂の厨子におられる吉祥天如さんにご報告にいくのが習わしです。ただし厨子が開くのは年に3回のみ。残念ながら今日は御開帳のタイミングではありませんでしたので、御本堂の大日如来さんと厨子の前でながらく正座し目を閉じてご報告と相談をさせていただきました。

「あんたの好きなようにしたらええ」「そのかわりにがんばりや」そんな声が聞こえた気がしました。

涙と鼻水が止まりません。。それでもやっぱり来てよかった。

御本堂の出口の手前にあるお不動さんと両脇に控える制多迦童子さんと矜羯羅童子さんにも私の背中を押してくださっているそんな気持ちになりました。





季節柄、参道は紫陽花が満開でしたが、やっぱ浄瑠璃寺は馬酔木。イキイキとした新芽が育っていました。秋にいくと、何とも言えない酸味のある香りがあたりを包み込みます。次はそのころ・・秋のお彼岸の頃に行きたいものです。

2023/06/20

退職のまとめ

 退職した時のチェック項目

・雇用保険被保険者証
・年金手帳・源泉徴収票
・健康保険資格喪失証明書
・離職票(雇用保険被保険者離職票)
・健康保険証・扶養控除等申告書
・健康保険被扶養者異動届・給与振込先の届書
・高年齢雇用継続給付 受給資格確認票(初回)高年齢雇用継続給付資格申請書
・雇用保険被保険者 60歳到達時等賃金証明書

色々あるけど、取り急ぎ。
・健康保険は「協会健保」を任意継続した場合の保険料を確認
⇒全国健康保険協会のHPによると、「いままで会社が支払っていた金額×2倍」となるようですが、退職時の標準報酬月額が30万円を超えていた場合は、30万円の標準報酬月額により算出した保険料なので【36,330円】が上限。

・厚生年金保険
⇒国民年金と厚生年金保険を合算した賃金額(標準報酬月額)に応じて決まる。
費用は4月から6月までの給与額で「算定基礎届」を作成。退職したら年金事務所に「健康保険・厚生年金保険被保険者資格喪失届」を提出。14日以内に資格取得手続きを行う事。
厚生年金保険 費用は標準報酬月額 × 保険料率(18.3%)!!
国民年金 16,520円/月!!

・住民税は前年課税。
所得からあれやこれやを控除して算出された総所得金額の10%!!

あらま。。

2023/05/31

一心寺さん

 毎日の過ごし方に少しだけ時間的な余裕が出てきました。

いままで何十年も座り仕事だったので、ホントに足腰に自信がありません。

なので、できるだけ母の眠る「一心寺さん」へ往復歩いて参拝したいとおもっています。



今日は雨上がりの合間をぬって参拝してきました。
ひんやりした風が心地いい境内にはだれもいないけれど、ご本堂からは荘厳な読経が聞こえてきました。

2023/05/30

新しい門出

昨日大きな節目を乗り越えてようやくひと段落。

やっぱ3月におかげさまで還暦を迎えたことが一番大きい出来事です。
ホンネでは60才まで生きるとは思いませんでした^^

この機会に少しだけゆっくりしたいな。

今まで、イライラしたりすることが多かったけど「和顔愛語」。これからはいつでも笑顔で過ごしたいし、棘のある言葉や態度を取らないようなヒトになりたいものです。


2023/05/20

十二支と子午線と巽の覚書

 ◎江戸時代の時刻はアバウトで日の出を明け六つ、日没を暮れ六つ。仮に夕方18時に日が沈み朝6時に夜が明けるとして、2時間をひと単位として一刻。

朝6時⇒明け六つ

8時⇒五つ時

10時⇒四つ時

12時⇒九つ時

14時⇒八つ時

16時⇒七つ時

18時⇒暮れ六つ時

20時⇒五つ時

22時⇒四つ時

24時⇒九つ時

2時⇒八つ時

4時⇒七つ時

なので、時うどんで「22時と24時」の違いは「四つ時と九つ時」の違いになる。

◎夜中の23時から2時間ごとに十二支を当てまめると下記。

23 1  3  5   7  9   11  13  15  17  19   21 

子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

これを南北で表すと子午線になり東西だと卯酉(ぼうゆう)線になる。

また時刻を十二支で表す場合、丑三つ時は深夜2時が丑。
一つは30分単位なので2時30分頃。

2023/05/14

母の日の報告

 本当に寂しくてならない。

今日も一心寺さんへお参りに行って報告してきました。

ママさんは黙ってたままで何も言ってくれないけれど
たぶん「あんたの思うようにやったらええ」って言ったとおもう。

予定通りマンションのローンをあと4年残してモーバースリゲージの契約を締結。
肩の荷物をすこしだけ降ろせました。

明日の出社が楽しみですww


ママさん、ありがとう。カーネーションをそっとお供えしました。

2023/04/27

令和四年納骨供養大法要開催

 4月26日と27日の2日間に限り昨年納骨を済ませた方々を対象に大法要が行われました。この2日間だけは通常の業務は行わないことから、今まで見たことも無い一心寺さんの風景でした。

普段利用する茶臼山駐車場は長蛇の列。。そこで下寺3丁目の裏手、愛染公園から南50m程度にある駐車場は狙い通り!十分空きがありました。ここから一心寺さんはわずかな距離。穴場です^^

一心寺さんへ近づくにつれ、長打の列が見えます。どうやら事前に受付が必要らしく、三千佛堂へ向かいます。

ハガキを出すと受付印を押して粗品を受領します。無事一心寺三千佛堂で受付を済ませると、大勢の関係者やご住職の案内に従い、一心寺さんの中に進むことができました。

いつも境内のローソク、線香を販売しているあたりにご焼香台と供養塔婆が設置。
順にご焼香を済ませると、御本堂左側のいつも、お線香の煙がモクモクと立ち上る横当たりから、靴を脱いでお骨佛さんの前に進みます。
ここでは多くの戒名が書かれたリストを元に延々と読経をされているお坊さん。おそらく1ページに100人。としても10cm以上のリストですから2万人くらい?
お骨佛さんの前のご焼香を済ませると、中の通路を通り本堂へ入ります。

いつ見ても威厳のある本堂。ここで再度ご焼香を済ませると一通りの式典は終了です。

母のお骨は一心寺さんにお預けしており数年後には開眼法要があります。
「しらん人も手をあわせてくれるんやから、死んだら一心寺さんにいれてや」
「おじいちゃんやおばあちゃんと一緒がええねん」

はい。遺言を守りました。そしてひと月に何度も一心寺さんへ母に会いに行ってますよ^^
マスクのおかげで、手を合わせてどれだけ泣いても目立たないからマスクは良いですね。

追記)

お土産にいただきました袋に「離偏処中」と書かれていました。かたよらず・こだわらず・とらわれず・ひとすじにの意味。
そういえば、般若心境経は「こだわるな」だし、八正道も中道だし。突き詰めていけば「無」に行きつく。




せっかくなので、合邦辻閻魔堂の前の歩道橋に上がり風景を収めました。今まででこの歩道橋に上がったのは初めてです。見慣れた大阪の風景も違って見えました。



2023/04/16

膀胱炎の恐怖・・

 13日明け方のお手洗いで何となく違和感がありましたが眠たさからスルー。そして気が付いたのは出社してから。。あらま・・便器が真っ赤!

そういえばなんともツーンとした痛みがありしばらく動けないことも。。そのうち左下腹部が痛くなりしばし動けず。それでもPMより会議が予定されているので根性で準備、会議へ参加。終わった直後から・・もうダメ。でもすでに病院は受付終了していることから小林製薬ボーコレンを購入。

この薬はおそるべしですね。飲んだ直後からもう大変。

一晩で6回近くお手洗いに行ったことから14日はふらふら。午後早退して病院へ行き、検尿。。

なんとも恐ろしい記憶がよみがえってきます。それは下記のエントリーをご覧ください。

2015 8/6 あれから1年 今だから書ける顛末

2014/8/7に起こった出来事を思い出しました。

かかりつけ医で血液検査をした翌日、「白血病かもしれないからすぐに救急病院へいきなさい!」という電話。薄れてく意識。そして即入院。。さては今回も急性腎盂腎炎か?



今のところ、膀胱炎ということで快方へ向かっていますがこの原因は、絶対に精神的なダメージだと信じています。親知らずの痛みも気管支炎もみーんなストレスだとおもう。

てなことで、体内をアルコール消毒してきました^^

やっぱ冷えて無きゃダメ!

ちょいと焦げ気味。



ふむ。「炙りがっことクリームチーズ」は中々美味ですなー。

2023/03/24

十干・十二支と還暦

 今年、2023年は癸卯(みずのとう)。

干支は「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」
十干というのは、「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」。

今年は【癸卯】。2024年はひとつづつ横にずれるので【甲辰】。2025年は【乙巳】。

読み方に注意しようね。

「こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き」だけど

暦では

甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)です。

ここでいう「え」や「と」は「兄(陽)」「弟(陰)」にわかれておりすべてを司る「木・火・土・金・水」に関わっているらしい。。

ちなみに「干支」は12個・「十干」は10個。だから順列組み合わせでは120種類だけれど

「子甲」⇒「子丙」⇒「子甲」⇒「子戊」⇒「子庚」⇒「子壬」で・・・「子甲」に戻ります。このサイクルが60年なので還暦というわけ。。

ということで私・・祝!還暦!です。

2023/03/12

一周忌法要

 12日(日)一周忌法要が滞りなく終わりました。
惜しむらくは今まで私の祖父母の代から続いていました庵主さんが、ご入院中ということ。そこで急遽おなじ曹洞宗のご住職さんに来ていただきました。このご住職はお葬式、諸七日法要の際にもお世話になったご住職さんです。
参列者に曹洞宗の教法をお渡しくださり唱和するスタイル。やっぱ修証義は身が引き締まる思いがします。

・・生を明らめ死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死すなわち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり唯一大事因縁と究尽すべし・・

大好きな母の死は人生観を大きく変えました。
死は避けられないものだけに今を精一杯生きることに尽きるのでしょう。

12日夜19時頃から久しぶりに滋賀県まで往復。往復150kmくらいなので2時間半程度のドライブになりましたが、運転中、色々と考える事が出来ました。私が背負うもの、家族に背負わせてしまっているもの、「生きる事と死ぬこと」の境目っていったい何なんだろうって。いつ亡くなるのかわからないだけに人は日々を精一杯生きるんだろうなって、禅問答のような回答しか出てきませんでした。





2023/02/23

BP祭

 おそらく大半の方はご存知ない言葉でしょう。

英国人のベーデン・パウエル卿が提唱し世界に広がったボーイスカウトの創始者で、2月22日は彼の誕生日を世界中の人々がお祝いをします。このお祭りを「BP祭」と呼びます。

私の母はボーイスカウト活動に関わっていた関係で私もボーイスカウト活動にはたくさんの思い出があります。

年長者は年少者を導くために手本となることが求められると同時に一体となってスカウト活動の理念と誓を立てます。

私達が日々を過ごす中では様々な事柄が起こります。もちろん想定外のこともあることでしょう。そのためには私達は精神的に肉体的にもベストなコンディションを保つことが必要です。「そなえよつねに」・・ボーイスカウトの一番大切な理念です。

私の大好きな歌「3つの誓い」をよく母と歌いました。

♪三つのちかい 名誉かけて ボーイスカウト おきて守り 人のために 備えよ常に
 ♪強き体 かたき心 ボーイスカウト 築きたてて この世のため 備えよ常に

他にも「掟」や「モットー」など細かく決まって年長者は慕われ、年少者を導きます。

決して宗教でもなく、自衛組織でもありません。

それでいて、団体生活を基調として互いの思いやりの心と努力、友情を育むことができる素晴らしい団体だとおもいます。私が所属していた団はいまはもうありません。それでも当時の思い出だけは生き生きと心に残っています。

これからも色んなことがあることでしょう。肉体的にも精神的にも当時のままではありませんしベストコンディションではないけれど「そなえよつねに」を心がけたいものです。

2023/02/05

万博記念公園 太陽の塔の思い出

 万博記念公園のシンボル「太陽の塔の内部見学」に行ってまいりました。
1970年「人類の進歩と調和」をテーマに千里丘陵を切り開き開催された「万国博覧会」の当時の記憶は、ホントにかすかに残っているくらい。
 ホログラムでキラキラした迷子バッチをつけてもらったことや、会場でお財布を拾い届けた事、そして当時は珍しかった多くの外国人さんにドキドキした事です。それでも太陽の塔の内部の様々なモニュメントをはじめ、鮮明に思い出したこともあり、大変楽しい時を過ごすことができました。



当時の印象では「けったいな形で変な顔やなぁ」と誰もが思ってことでしょう、またその造形もなんとも奇妙な姿でしたが、五十数年が経過した今ではその造形の見事さや計算しつくされた姿は立派なランドマークで、堂々とそびえる姿が愛おしくさえも感じられました。
 正面に2つの顔、裏面に1つの顔、そして地下には黄金の顔がありました。
見学会では地下から最上部まで階段で進みながら見学していくのですが、私は先日来の左膝の不調からエレベーターを利用。中間フロアを経て最上階へ。
最上階は左右に大きく手を広げている地点となります。
生命の樹の下部はアメーバーをはじめとした原生生物、そして上部へ行くにしたがって人類に近づいていく様子を表しています。


立寄った当時の鉄鋼館が「EXPO'70パビリオン」となって、当時の様々な情報を展示してくださっています。その巨大な敷地を埋め尽くすような各国のパビリオンの様子をはじめ様々なモニュメント像におもわず当時の記憶が戻ります。
いまでも自宅には数多くのスタンプ帳やバッジにチケット、そしてなぜかわかりませんが、レンガ色をしたサウジアラビアの砂漠の砂が大切に保管されています。


当時使用されていた「千里阪急百貨店」の案内パネルがありました。たしか万博の開幕とあわせてOPENしたお店でその印象的なデザインからパビリオンに間違えられたという話を聞いたことがあります。



オープン当時は地下+3階建てでしたが、1982年頃に増床し6階(売り場はB1+1F~5F)となりました。色々とご縁があった千里阪急はとても思い出深いお店です。
久しぶりに店内に入りましたがすっかり様変わりしていました。隣にある千里セルシーは老朽化で立ち入り禁止状態。今後どのような開発がされるのか見守っていきたいものです。
WXPO’70の入場料は大人800円(満23歳以上の者)・青年割引入場券600円(満15歳以上23歳未満の者)・小人400円(満4歳以上15歳未満の者)という区分以外に、特別割引入場券があり大人300円・青年200円・小人100円だったようです。その定義は「身体障碍者手帳」「戦傷病者手帳」「被爆者健康手帳」を所持する者および身障者手帳の日本国有鉄道旅客運賃減額欄第1種を所持する者の介護者1人は年齢により当該料金を適用。
第二次世界大戦が終わり、日本国土の都市部をはじめ様々な地域ががれきと化して僅か25年しか経過していないこの時代によく開催できたものです。この頃はまだ、阿倍野の近鉄デパートと国鉄天王寺をつなぐ陸橋に、ボロボロの軍服姿の方がアコーディオンを弾いていたり筵の上に座っているかたが見られた頃。そして100年前の1870年は明治新政府はまだまだドタバタ騒ぎの真っ最中で廃藩置県の1年前。稲田騒動も勃発した年。
日本は何度も占領されかけた経緯があります。

日本は第二次世界大戦後、アメリカの統治下におかれましたが1951年のサンフランシスコ平和条約締結をもって日本にその主権が戻りましたが、アメリカの思惑通り日本をアジア方面の最重要基地とした位置づける代償として米軍基地/沖縄の統治を続けるままに、1950年に朝鮮戦争が勃発、いわばアメリカとソ連の代理戦争で日本は警察予備隊を発足し部分的に参戦しこれが自衛隊につながっていく・・。
本当にわずかな期間で日本が大躍進をとげEXPO’70が開催できましたが、様々な思惑があったことでしょう。さて2025年4月13日から10月13日まで開催の大阪万博ではどのような思惑があるのでしょうね。万博記念公園のように「素晴らしい遺産」となることを願ってやみません。