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2023/11/23

阿麻美許曾神社

 大和川はその昔は南から北に向かって流れていましたが、度々の河川反乱のために1704年に現在のように東から西に付け替えられました。このあたりは、当方のBLOGにも詳しく書いていますが、忘れてはならないのは、大和川によって既存の地が大和川によって分断されたということ。もちろん現在の大和川の川底には1704年以前の生活をささえていた家屋、畑、寺社や墓地などがあったらしく、近代に向かうに連れ住居表示が厳格化される中で、さまざまな理由でいわゆる【飛び地】が誕生、そのなかでもひときわ目を引く【飛び地】にはこの【阿麻美許曾神社】とその参道があります。

まずはYahooMAPで飛び地の現状を確認すると、「東住吉区矢田エリア」は大和川の南に大きく飛び出た地域からさらに細長く、南に延びていることが確認できます。周りは大阪府松原市。

https://map.yahoo.co.jp/address?ac=27121&az=MTg&lat=34.59683&lon=135.54065&zoom=13&maptype=basic


S18の地図では、矢田村は大和川をはさんで南北に分断されていることが確認できます。
(内河内郡矢田村/瓜破村/天美村等:昭和30年(1955年)に大阪市東住吉区に編入)また別途記載の〔城連寺〕の記載が確認できました。また江戸初年に使われていた「枯木」の地名も見られました。おそらく現在の場所は行基大橋の北詰めあたり?


手元にある「北から西への改流・300年 甚兵衛と大和川」を確認。この書籍は中甚兵衛十代目にあたる中 九兵衛氏著。この図(川違新川図※宝永元年)にも城連寺村の記述あり。1704年の川違えにより村の半分以上が川底となった地域。



話は本筋に。この矢田村には欠かせない阿麻美許曾神社があり創建は大同年間(806年頃)。あの行基さんが居住されていたとの云われがある。高僧でありスーパー土木建築家で、今でいうところの本職が僧の大手ゼネコントップなイメージ。
ということで、阿麻美許曾神社へ参拝してまいりました。
現在の大阪の神社でも少なくなったいわゆる「鎮守の森」が残る美麗な神社さん。その巨木が神殿、拝殿を囲み、木々の間を崇高な風が通り過ぎていきパワースポット感が半端ない。
神社の南に鳥居があったそうで、その位置から参道を含めて東住吉区矢田7丁目。ちなみに6丁目までは、大和川の北側です。







数日前に罹患したインフルエンザA型からの復帰と2週間前に自転車で転倒し肋骨にひびが入ったけど痛みが無くなったお礼をしてきました。