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2022/03/16

最近会った困った出来事。

 たぶん私は、私が思うよりも困った性格なのかもしれません。

最近、特にちょっとした会話の中で言葉の節々が気になって、つい言わないでもよいことを言ってしまうというシーンが何度かありました。

また、携帯ショップへ相談に行った時も、店員さんの言葉遣いや対応につい指摘をしてしまいます。

私がまだ20代~30台の頃、当時の会社の上司や他部署の役職者に対して色んな事で腹立たしく思っていたように、今の私は同じように疎まれているのかもしれません。

間違いを間違いだと指摘することは大切な事だけど、本当に間違いなのか?なんてわからないし、物事はすべて多面性があり角度を変えると正しい事だってある・・。

仮に本当に正しいことでも、指摘の方法は、その方の立場となって伝えるべきで決して威圧的や高圧的ではない。

こう考えると、人っていつまでたっても精進しなきゃダメなんだなって事に気づかされます。

今のロシアとウクライナの戦争の悲惨な状況をショスタコービッチの戦争三部作と言われる7番・8番・9番を重ね合わせ、なんとも重く暗い気持ちを吹き飛ばすために「ロシア5人組のムソルグスキー『展覧会の絵』の最終曲『キエフの大門』を車内で大音量で聴いてみたりします。そういえば「キエフ」はロシアにある街だと信じていたくらい地理がわかっていませんでした。またチャイコフスキー2番はウクライナ民謡が多く用いられていることから仕事中のBGMにしたり。

日本も色んな脅威に晒されているようにそれぞれの国にもいろんな立場があって・・その歯車が狂いだすと次々と連鎖的に変な風に進んでいく。
国難ではなく世界中が乗り越えるべき試練の時、人と人、国と国、そして世界。

それぞれがもう一度自分を見つめなおすことができたなら解決するのでしょう。

2019/01/15

2018 1/15 玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番

お正月に録画しっぱなしだった〔玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番〕をようやく見ることができました。

~引用
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍に包囲され過酷な状況にあったレニングラードで、ある演奏会が行われた。ショスタコーヴィチが故郷・レニングラードにささげた「交響曲第7番」。飢えや寒さと闘いながら、人々はどのようにして“奇跡のコンサート”を実現したのか?一方、作品の楽譜は密かにマイクロフィルムにおさめられ、遠路アメリカまで運ばれた。ソビエトとアメリカの大国同士が音楽で手を結んだ、驚くべき政治的背景とは?〕~ここまで

ショスタコービッチの作品で私的に特に大好きなのは「祝典序曲」「5番」「12番」で
7番は「ちちんぷいぷいのテーマ」ってことくらいしか知らずにその曲の背景を今回初めて知ってびっくり。

1941年9月、ドイツのヒットラーがソ連のスターリンと結んだ不可侵条約を破棄しいきなりレニングラード(サンクトペテルブルグ)へ侵攻。地理的に北はフィンランド・西はフィンランド湾・東はラドガ湖で南から攻め込まれ、完全に孤立してしまう。「レニングラードを地球上から失くしてしまえ!」と宣言されレニングラード包囲戦が900日にわたり行われた。

戦火が激しくなる中、ショスタコービッチは生まれ故郷のレニングラードで作曲を続け、ようやく2楽章を書き終えたところでショスタコービッチはラジオで市民に対しメッセージを流す。それは「私は、新しい交響的作品の最初の2つの楽章を書きあげました。」から始まる祖国や町への愛情を伝えこの交響曲を祖国で演奏を行いたいという内容だったそうです。

ラジオオーケストラはすでに戦地に送られ、怪我人や死者もある状況でこの「7番」は意外な運命を辿っていくこことなります。

レニングラードに大飢饉が襲い、猛烈な飢えと寒さが人々を襲いしかもドイツ軍の火の手が迫ってきます。また弾薬等の資源がつきかけているところでなんとかアメリカの協力が欲しい。

1942年 1月、交響曲第7番がスターリン賞第1席受賞。ロシア共和国功労芸術家の称号を授与することでこの曲への評価を国内で高めたうえで利用することを思いつく。

アメリカ大統領のルーズベルトはドイツの支配を好ましく思わずなんとか社会主義であるソ連へ肩入れをしたと考えたが、自分の任期と当時のアメリカの世相を考えると社会主義に対する反感が強いことからおおっぴらには行えない。
そこでこの「7番」に目を付けた!

「7番」をアメリカで演奏をさせ、世論を動かすことでソ連への支援と自分への評価を高めようと考え楽譜を極秘でマイクロフイルムに収めとんでもないルートでアメリカへ運び入れることに成功した。

さて、誰に演奏をさせるのがBESTか・・・・。

選ばれたのはイタリア出身のトスカニーニ!彼は祖国のファシズム化に抵抗しアメリカへ亡命している。まさに適任!
1942年7月にアメリカで初演され大喝采、以降場末のストリップ小屋のBGMでさえも7番のフレーズを使ったくらいの大人気の曲となるにつれ世論が盛り上がりルーズベルトは再選を重ね、おおっぴらにソ連を支援・・1944年1月にようやく解放。ちなみに
日本の真珠湾奇襲は1941年12月で戦線を南方へ拡大している時期。

そして祖国レニングラードで演奏されたのは1942年8月。まさにドイツとの戦争の真っただ中。もちろん演奏会開催の情報はドイツへも筒抜けでこの日に合わせて総攻撃が予定されていたが、全力攻撃で回避、この「7番」の演奏会の音は前線でも放送されたそうです。

1楽章の小太鼓が刻む一定のリズムにあわせ進軍のテーマが遠くから聞こえてくる。。なんとも陽気な雰囲気のテーマが、回数を繰り返すうちにどんどん変容し、ついにクライマックスを迎えるとなんともおぞましく悲劇的なテーマにかわっていることに誰もが気付きます。戦争のなんとも悲惨で無意味な暴力行為を否定するも逃れることのできない運命に流されていくそんな無力さを思い知ることになります。

こんな感じの流れの番組でした。
玉木宏さんが実際にサンクトペテルブルグで当時の様子を知っている方へのインタビューやその場所をめぐります。

さて、余談ですこしだけ触れましたが、はたしてショスタコービッチの真意はどこにあったのでしょう。
ソ連の社会主義体制に迎合した音楽だけを求められ、批判的と取られたら処刑されるそんな体制での曲作りに嫌気をさしていたのも事実なのでしょう。曲のなかに巧みにメッセージを盛り込み苦しみながらも体制を笑っていたのかもしれません。







2016/06/17

2016 6/17 展覧会の絵

[展覧会の絵]

ムソルグスキー作曲の組曲で、一般的にはモーリス・ラヴェルが管弦楽用に編曲したものが有名です。たしか、ムソルグスキーの友人の画家[ハルトマン]さんの遺作の絵画をみたときのインスピレーションが作曲のきっかけだったと記憶しています。

この組曲には思い出がいっぱい詰まっていていますがなんといっても、私のクラシック大好きな趣味が始まった原因がこの曲の最終曲「キエフの大門」を吹奏楽で演奏することになりミニスコアを購入したことです。


様々なオーケーストラが演奏していますが、中でもユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団のレコードが私の一番の思い入れの強いレコードです。まだCDはなかった時代です。
また原曲のピアノ版や先日お亡くなりになられました冨田勲氏の展覧会の絵はいまでも
想像を掻き立ててくれます。

で、なぜこのエントリーを書いたのか・・。


数か月前からamazonプライムに加入したおかげで色々とお得に入手。

中でもお気に入りは下記を購入したことでバスタイムが100倍楽しくなりました。

http://sweet-mikan.blogspot.jp/2016/02/2016-26.html


脱衣所でamazonミュージックでお気に入りの音楽を探してBluetoothで、お風呂場の中のスピーカーで再生、で、たまたま流れてきた展覧会の絵のプロムナード。。

あれ??

違う!!!


これ!ラヴェルじゃない!!


すぐに飛び出てスマホをみると、レナード・スラットキン指揮で15人の編曲者によるものみたい。

これは面白い!

解釈は同じなんだけど管弦楽法も違うし楽器のアプローチも違います。





絵を見たときのインスピレーションは人それぞれが違うように編曲で音楽を紡ぎだす手法も異なるのは当然。いおんなお噺を聞いているかのような音楽です。

ラヴェル版を聞きなれている私にとっては、なんと斬新で、曲にメリハリのある解釈で当分はまりそうです。

さてさて、余談ですがもっと違った趣きを楽しみたい方はE&LPの展覧会の絵!
これは楽しい!!





参考までに映像はこれ!






2016/06/01

2016 6/1 ショスタコーヴィチ / 交響曲全集 バルシャイ&ケルン放送交響楽団

ショスタコーヴィチ / 交響曲全集 バルシャイ&ケルン放送交響楽団 を入手。

さっそく会社の往復に鑑賞。



ショスタコーヴィチ:交響曲全集 (Shostakovish: Symphonies)

ロシア革命ってどんなだったんだろう。
今の日本で似ている出来事って?

具体的なイメージがわからないけれど、第11交響曲「1905年」を聞いてみると、その音楽的な描写からその悲惨さを感じる事ができます。
立ち上がる民衆、迫る軍靴の音、そして殺戮・・あ。。。これは発砲した描写?・・人々の叫びや嘆きがひしひしと感じられました。

第7交響曲 「レニングラード」の有名な「宮沢りえとシュワちゃん」のちちんぷいぷい。。
これも軍隊が徐々に迫ってきてあの剽軽さを感じさせるモチーフが徐々に恐ろしげな雰囲気となり最高潮を迎え・・崩れ落ちてゆく。。

第4交響曲のオープニングのなんとも暗い世相を感じさせる音使いなのか。。半世紀も演奏されなかったその理由が感じさせられるようでした。

第12交響曲「1917年」 においては、おもいっきりロシア革命がテーマ。
1楽章の5/4と4/4の変拍子から始まるモチーフがこれから始まる恐怖的な運命を感じさせます。
そして壮大な4楽章!新しい時代の幕開けにふさわしく盛大で壮大に終わります。

第15交響曲ではいろんなクラシックのフレーズが顔をだし、とくに1楽章のウイリアムテル序曲スイス軍の行進のあたりはおもわず「クスッ」としちゃいました。そうそう、これは第4交響曲の3楽章にはカルメンの闘牛士の歌が出てきてました(笑)


第5交響曲は下記を参照してくださいませ。

http://sweet-mikan.blogspot.jp/2016/05/2016-55-5.html

ショスタコービッチってすごい作曲家さんですねー!



2016/05/15

2016 5/5 ショスタコービッチとの出会い 交響曲第5番ニ長調

1977年に日本の漁船がニュージーランド沖で不思議な遺体を吊上げ、ニューネッシーと呼ばれました。
1977年 オールナイトニッポン木曜日のパーソナリティ 自切俳人さんの名物コーナー『真夜中の辞典』ではその呼び名を独自で募集し「ユメカシーラ」と決まりました。そしてこのオープニングで流れていた曲がとても印象的でした。

Allegrettoの3/4拍子、コントラバスとチェロのユニゾンで奏でられる低音のフレーズはなんとも不思議なメロディ。不気味でもあけれど陽気なおどけた風でもあります。


なんて曲なんだろ・・ずっと疑問におもっていました。当時はインターネットなんで無く調べるすべも無く、そしてクラシックにますます熱中した頃、ようやく出会いました。
それがショスタコービッチ交響曲第5番2楽章だと知って、興味がどんどんと沸いてきました、心斎橋の楽器店へ行きスコアブックを購入しました。(今見返してみると第4刷発行で昭和51年版450円です)それから数十年後・・今、ショスタコービッチへの興味が止まりません。

さて、この5番の4楽章はご存知、「部長刑事」のオープニングにも使われ、ティンパニーが八分音符で「ダンドンダンドン・・・」と刻む上にトロンボーンとチューバがむちゃくちゃかっこいいテーマを吹き鳴らす曲です。
ショスタコービッチにとってロシア革命は重大なテーマで、たくさんの作品が何らかの形でロシア革命に影響を受けています。この5番は革命20周年記念に捧げられたとの事、1937年に作曲されたとのことで初演では圧倒的な歓呼で迎えられたそう。ショスタコービッチは1906年生まれだから31歳の作品。ちなみに「革命」の表題はついていませんが「革命」ってネーミングはぴったりです。





そしてもっと印象的なのは1楽章。
不穏な幕開けを感じさせるオープニングの主題。次々に繰り広げられるテーマにピアノの低音部が加わりますます曲調が激しくそして物憂げなチェレスタのキラキラ音で静かに終わりを迎えます。

また3楽章のLargoは本当に秀逸でその透明感には不思議な感覚があります。

全体の演奏時間は40分前後なのではじめての方も飽きずに聴いていただける交響曲です。