たぶん私は、私が思うよりも困った性格なのかもしれません。
最近、特にちょっとした会話の中で言葉の節々が気になって、つい言わないでもよいことを言ってしまうというシーンが何度かありました。
また、携帯ショップへ相談に行った時も、店員さんの言葉遣いや対応につい指摘をしてしまいます。
私がまだ20代~30台の頃、当時の会社の上司や他部署の役職者に対して色んな事で腹立たしく思っていたように、今の私は同じように疎まれているのかもしれません。
間違いを間違いだと指摘することは大切な事だけど、本当に間違いなのか?なんてわからないし、物事はすべて多面性があり角度を変えると正しい事だってある・・。
仮に本当に正しいことでも、指摘の方法は、その方の立場となって伝えるべきで決して威圧的や高圧的ではない。
こう考えると、人っていつまでたっても精進しなきゃダメなんだなって事に気づかされます。
今のロシアとウクライナの戦争の悲惨な状況をショスタコービッチの戦争三部作と言われる7番・8番・9番を重ね合わせ、なんとも重く暗い気持ちを吹き飛ばすために「ロシア5人組のムソルグスキー『展覧会の絵』の最終曲『キエフの大門』を車内で大音量で聴いてみたりします。そういえば「キエフ」はロシアにある街だと信じていたくらい地理がわかっていませんでした。またチャイコフスキー2番はウクライナ民謡が多く用いられていることから仕事中のBGMにしたり。
日本も色んな脅威に晒されているようにそれぞれの国にもいろんな立場があって・・その歯車が狂いだすと次々と連鎖的に変な風に進んでいく。
国難ではなく世界中が乗り越えるべき試練の時、人と人、国と国、そして世界。
それぞれがもう一度自分を見つめなおすことができたなら解決するのでしょう。