明治元年の大阪行幸は明治天皇17歳。3月21日に御親征並海軍御検閲の為に京都皇居御出発され22日には大阪府庭窪村、守口行在所、23日には西井茶屋(当時の大阪市東成区)、八軒屋の紀州屋敷から西本願寺津村別院でご宿泊(閏4月7日まで御駐軍)。そして26日に天保山で肥前、肥後、薩摩の軍艦操練を閲されました。
参考までに4月6日は大阪城、11日には東本願寺難波別院、17日は福羽美静(ふくばびせい:津和野藩出身国学者)に書を講ぜしめ木戸孝允、後藤象二郎に海外事情を尋ね、坐摩社で御臨幸相撲展覧。20日には天下茶屋から住吉神社へご参拝、4月1日には英国特派全権公使ハルリー・エス・パークスと謁見、5日は大阪城で各藩兵の大砲、小銃訓練天覧。6日には大阪裁判所、豊太閤祠造営その他人民案んどの勅を賜う、その後7日に津村別院を出発、八軒屋より御乗船淀に上陸され一泊。4月8日に京都御所に還御されています。
大阪地下鉄中央線[大阪港]を下車。西へひたすら進み大阪咲州海底トンネルに入らずに側道を進むと明治天皇聖躅碑(大阪市築港事務所跡)が見つかります。
天保山は大阪五低山のなかでも一番低い山で標高はわずか4.53m。
ちなみに倒産の憂き目にあった帝塚山正圓寺がある聖天山と、生野の勝山通りの地名由来となった御勝山古墳がそれぞれ14m。前回の明治天皇聖躅巡りでいった帝塚山古墳が20m。そして大阪冬の陣、夏の陣で徳川勢と戦ったゆかりの場所の天王寺茶臼山古墳が26m。






