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2025/02/22

早稲田摂陵高等学校ウィンドバンド 第66回定期演奏会

 1957年に阪急少年音楽隊が発足、全国の吹奏楽ファンから愛され演奏活動を続けてきましたが女子高となり2009年より早稲田摂陵高等学校ウィンドバンドとなりました。そしてこの4月より校名が早稲田大阪高等学校に変更になるということで、この名称での最後の定期演奏会となりました。
66期生の卒業演奏会ということで、在校生はもちろん沢山のOB,OGや関係各位のご尽力で、この長きにわたる活動が続いています。

基礎練習の積み重ねに支えられた演奏技術はもちろん、魅せる演奏会は見事でした。
また、カレッジスタイルのマーチングやステージドリル演奏は、基礎体力はもちろん優れた演出と緩急を使い分けた圧倒的なダイナミクスで目を離すことができませんでした。



阪急少年音楽隊は平日毎日朝8時前にFM大阪でレギュラー番組「モーニングブラス」で軽快なファンファーレ「オーナーズディ」とともに聴くことができました。また、印象的な赤と白のユニフォームで様々な場所でマーチングや演奏会を開催、高校生が午後のクラブ活動の一環として今は亡き西宮球場バックネット裏の5階と6回で練習に打ち込んでいました。

さて、この定期演奏会第一部の「フォーマルステージ」では、相当な練習量に裏付けされた個人の技量と見事なアンサンブルで美しいハーモニーを鑑賞、金管も木管も打楽器もそれぞれが互いに切磋琢磨した素晴らしい纏まりを感じました。

第2部のゲストステージでは金管と打楽器で構成されたH.B.B.の演奏。久しぶりに「ベルばら」を演奏、私の脳内では「バスチーユに白旗がぁぁ・」がしっかり流れていました。

さて、第3部です。
様々な演奏会ではプログラムの最後に「大曲」をもってきますが、伝統的にカジュアルな構成としています。
昨年秋のマーチングコンテストで聞いた「教えることはなにもない 天才のきみに」ではじまり、J.ガーシュインのすべてに聞き覚えのある懐かしいメロディーが繰り広げられ目頭が熱くなりました。

また、「鈴木武男が愛したマーチ」、そして「音楽隊のあゆみ」では、もう2度と聞くことはないだろとおもっていたメロディーが続々と流れ涙でステージが滲んでいました。
66期生が様々なセリフを振り分け66年の歩みを語るその口調はもちろん凛とした所作や切れのあるそれぞれの動きのは日頃からの鍛錬の賜物なのでしょう。

学園生活で学んだものを糧に春から新しいステージに進まれる12名には輝かしい未来が待ってます。「伝統は守るものではなく築き上げるもの」と言われた鈴木隊長イムズをもって新しい世界を楽しんでください。本当に卒業おめでとうございます。











2021/10/17

「死の都」に響いた「未完成交響曲」〜1943.9.28 戦火のワルシャワ公演を再現する〜 鑑賞

『「死の都」に響いた「未完成交響曲」〜1943.9.28 戦火のワルシャワ公演を再現する〜』先般、NHK BSで放送された番組を鑑賞。

 1943年9月28日 占領下のポーランド「ポーランド劇場」において近衛文麿指揮ポーランド人の演奏家で編成されたオーケストラでのコンサートが開催された。観客はドイツ軍の将校たち。

当時のポーランドはドイツ軍の侵攻にょり占領され、激しい弾圧を受けている。その中で当時ヨーロッパを巡り活動していた近衛文麿氏は指揮をしている。ドイツと日本は同盟関係の間柄ではあるものの、不足しているパート、セクションを補うたえに様々な工夫をこらしたこの「未完成交響曲は」近衛文麿版と呼ばれているそう。

シューベルト交響曲第8番「未完成」ロ短調がなぜ、未完成となったのかという真相はわからないがとても美しいメロディをもつ2つの楽章だけでも十分という判断だったのかもしれない。

私の手元にあるミニスコアを引っ張り出してきて思いだしたことがある。このスコアは私が中学生のころに買い集めたものなので相当昔のもの。この交響曲は長い間どうしてもこの曲が3/4拍子と思えず、1楽章を構成する前半は4/4もしくは8/12だと思い込んでいて途中3/4かな?と。。

で、あらためて手元のスコアをみると交響曲8番と書かれているが、現在出回っている楽譜は交響曲7番になっていることに気が付きました。ウィキによると国際シューベルト協会(Internationale Schubert-Gesellschaft)が1978年に決定したらしい。

NHKで初めて聞いた近衛文麿版は、とても表情豊かな演奏で抑揚をはっきりと歌い、余韻を大切にした演奏でした。また、秀麿版は原典版に対してチューバやイングリッシュホルン、ティンパニーが増えているそう。

秀麿はこの言葉を記したそう。

この敗戦で破壊され尽くした死の都に鳴り響いた”未完成”は単なる感傷や悲愁ではなかった。瀕死の呻き 羞恥 絶叫 あきらめ 愛と祈りと成仏・・・それらの交錯であった。


また、どこかで何らかの形で音楽を楽しみたいと思い、すでに20年余りが過ぎました・・。もう少しだけ心に余裕ができればまた始めてみたいな。

2021/04/14

こっそりとラッパの練習!

 こんな便利なアイテムがあるのを全く知りませんでした。

で、先日衝動買い!といっても高価なものではなく、『トランペットの練習用マウスピース』でプラスチック製なのです。本物は金属製でしるばーやゴールドのメッキ仕上げ。



その昔、こんな便利なアイテムはなく、どこへ行くときも本物のマウスピースを肌身離さず持っていき吹いていましたっけ。で。。ときどき落としてしまってベコベコになっておもいっきり先輩さんに怒られたのを思い出します。

何年前になるか。その昔、使っていたトランペットで状態の良いのを楽器屋さんで見つけて衝動買い。以降まったく吹いていませんでしたが、この練習用マウスピースと出会ったのを機会にこっそり練習しています。

当時の価格とそんなに変わっていないのでとっても驚きました。ちなみに赤ラッカーベルのYTR-332。当時は55,000円くらいだっかかなー。あ・・もちろん当時は消費税はありませんでしたww。



3日坊主も10回繰り返せば30日!がんばるお!

2019/01/15

2018 1/15 玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番

お正月に録画しっぱなしだった〔玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番〕をようやく見ることができました。

~引用
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍に包囲され過酷な状況にあったレニングラードで、ある演奏会が行われた。ショスタコーヴィチが故郷・レニングラードにささげた「交響曲第7番」。飢えや寒さと闘いながら、人々はどのようにして“奇跡のコンサート”を実現したのか?一方、作品の楽譜は密かにマイクロフィルムにおさめられ、遠路アメリカまで運ばれた。ソビエトとアメリカの大国同士が音楽で手を結んだ、驚くべき政治的背景とは?〕~ここまで

ショスタコービッチの作品で私的に特に大好きなのは「祝典序曲」「5番」「12番」で
7番は「ちちんぷいぷいのテーマ」ってことくらいしか知らずにその曲の背景を今回初めて知ってびっくり。

1941年9月、ドイツのヒットラーがソ連のスターリンと結んだ不可侵条約を破棄しいきなりレニングラード(サンクトペテルブルグ)へ侵攻。地理的に北はフィンランド・西はフィンランド湾・東はラドガ湖で南から攻め込まれ、完全に孤立してしまう。「レニングラードを地球上から失くしてしまえ!」と宣言されレニングラード包囲戦が900日にわたり行われた。

戦火が激しくなる中、ショスタコービッチは生まれ故郷のレニングラードで作曲を続け、ようやく2楽章を書き終えたところでショスタコービッチはラジオで市民に対しメッセージを流す。それは「私は、新しい交響的作品の最初の2つの楽章を書きあげました。」から始まる祖国や町への愛情を伝えこの交響曲を祖国で演奏を行いたいという内容だったそうです。

ラジオオーケストラはすでに戦地に送られ、怪我人や死者もある状況でこの「7番」は意外な運命を辿っていくこことなります。

レニングラードに大飢饉が襲い、猛烈な飢えと寒さが人々を襲いしかもドイツ軍の火の手が迫ってきます。また弾薬等の資源がつきかけているところでなんとかアメリカの協力が欲しい。

1942年 1月、交響曲第7番がスターリン賞第1席受賞。ロシア共和国功労芸術家の称号を授与することでこの曲への評価を国内で高めたうえで利用することを思いつく。

アメリカ大統領のルーズベルトはドイツの支配を好ましく思わずなんとか社会主義であるソ連へ肩入れをしたと考えたが、自分の任期と当時のアメリカの世相を考えると社会主義に対する反感が強いことからおおっぴらには行えない。
そこでこの「7番」に目を付けた!

「7番」をアメリカで演奏をさせ、世論を動かすことでソ連への支援と自分への評価を高めようと考え楽譜を極秘でマイクロフイルムに収めとんでもないルートでアメリカへ運び入れることに成功した。

さて、誰に演奏をさせるのがBESTか・・・・。

選ばれたのはイタリア出身のトスカニーニ!彼は祖国のファシズム化に抵抗しアメリカへ亡命している。まさに適任!
1942年7月にアメリカで初演され大喝采、以降場末のストリップ小屋のBGMでさえも7番のフレーズを使ったくらいの大人気の曲となるにつれ世論が盛り上がりルーズベルトは再選を重ね、おおっぴらにソ連を支援・・1944年1月にようやく解放。ちなみに
日本の真珠湾奇襲は1941年12月で戦線を南方へ拡大している時期。

そして祖国レニングラードで演奏されたのは1942年8月。まさにドイツとの戦争の真っただ中。もちろん演奏会開催の情報はドイツへも筒抜けでこの日に合わせて総攻撃が予定されていたが、全力攻撃で回避、この「7番」の演奏会の音は前線でも放送されたそうです。

1楽章の小太鼓が刻む一定のリズムにあわせ進軍のテーマが遠くから聞こえてくる。。なんとも陽気な雰囲気のテーマが、回数を繰り返すうちにどんどん変容し、ついにクライマックスを迎えるとなんともおぞましく悲劇的なテーマにかわっていることに誰もが気付きます。戦争のなんとも悲惨で無意味な暴力行為を否定するも逃れることのできない運命に流されていくそんな無力さを思い知ることになります。

こんな感じの流れの番組でした。
玉木宏さんが実際にサンクトペテルブルグで当時の様子を知っている方へのインタビューやその場所をめぐります。

さて、余談ですこしだけ触れましたが、はたしてショスタコービッチの真意はどこにあったのでしょう。
ソ連の社会主義体制に迎合した音楽だけを求められ、批判的と取られたら処刑されるそんな体制での曲作りに嫌気をさしていたのも事実なのでしょう。曲のなかに巧みにメッセージを盛り込み苦しみながらも体制を笑っていたのかもしれません。







2018/04/29

2018 4/29 大阪府職場一般吹奏楽フェスティバル

吹奏楽サウンドを満喫したのは何年ぶりでしょう。

軽快かつ重厚、そして爽やであり、叙情豊か。そんな多彩なサウンドを体いっぱいで受け止めてきました。

オーケストラとは違ったサウンドの妙が味わえました。

各団体とも相当な推敲を凝らした選曲と練習量を想像させる大変良い演奏会でした。

やっぱ音楽って良いものですね。

ご出演の皆様。本当にお疲れ間でした。そしてありがとうございました。



余談ですが、今日の大阪は夏日を思われるような陽射しの中、時折通り抜ける風が心地よいお天気でした。ということで今日のランチはこれ!



白米ともち米を蒸した御飯の上にちりばめられた海鮮丼!と
よく冷えたビールでした。

2017/09/12

2017 9/12 DTMへの道②

11日に届いた「UR22mkⅱ USB AUDIO INTERFACE」を昨夜セッティング。


付属のDAWソフト「Cubase AI 9」をセッティングしました。

ライセンス登録やらデータダウンロードやら小一時間で立ち上がりました。
これから色々と格闘することになる事とおもいますが、すごく楽しみです。

画像はとりあえず開いてみた状態!



 思い起こせば1987年に日本橋のジョーシン電気でPC9801 VM21(5インチFDを2基搭載)パソコンと「ダイナウェア プレリュード」を分割ローンで買って、当時はDTMなんて言葉すらなかった時代から一気にDAWの世界へ突入ですからカルチャーショックです。
パソコンは当時は「NEC vsDosV」という構図、圧倒的にパソコンならNECという世界で、余談ですが我が家にはMSX2やFMVなんてのも転がっておりカセットテープにセーブした「ロードランナー」で遊んでおりました。

それが今では外部音源も外部ミキサーもエフェクターもいらない。パラアウトできるドラムマシンもいらない。。

音源ラックやミキサーの裏には「色とりどりの焼きソバ!」っていうくらいのシールドがわしゃわしゃ渦巻いていましたが今じゃ全部不要らしい。

んじゃ、私の背後にある音源類はどうしたらいいのっ?って状態です。



先日、楽器出張買取をお願いした 「AKAI MX76」「RhodesModel660」「YAMAHA KX5」や「Boss DD-2」に「Roland SC-88」は全部で7,000円した(涙)
でもお部屋に眠らせておいても使用する予定もないし、まぁいいかなって感じです。

さて、この週末あたりからごそごそとしてみたいとおもいます。

2017/08/20

2017 8/20 DTMへの道①

このお盆期間にお部屋を大掃除した事で、ようやく日の目をみた楽器
そしてふつふつと湧いてきた音楽への情熱。

とうことでまた音楽活動をこっそりとしてみたいなーということでまずはDTM環境を構築することになりました。

その昔、DTM関連であればパソコンショップ等の店頭で華々しくデモをしていた・・という記憶でソフマップへ行ってみました。ソフマップ自体も本当に何年ぶり?というくらいです。

色々と店内を徘徊しましたが、そんなお目当てのコーナー等もなく、また関連機器などもまったくありません。店員さんに確認してみると、関連商材はまったく取り扱っていないとの事。

そこでキューズモールにたしか楽器屋さんがあった?というだけの記憶で行ってみると先日移転しているようでまたまた驚きでした。
阿倍野近鉄にある島村楽器さんにいくとこじんまりした店構えのなかに色んな楽器や楽譜類が満載。

可愛いウクレレを物色していると親切なお兄さんが接客にきてくださった事もあり最近のDTM(Desk Top Music)やDAW(Digital Audio Workstation)事情を色々と聞いてみました。

ちなみに私が現役だったころは、パソコンのMIDIインターフェイスからMIDIセレクターを経てマスターキーボードやドラムマシンや外部音源、エフェクター類に信号を送りそれぞれのオーデイオ信号はミキサーを経て録音していました。

また、音色エディットは外部音源側でエディットしストア。
MIDI信号でそれらの音色を呼び出してシーケンサー等で自動演奏させる等でした。
また、DAWなる単語も無く、単にパソコンでシーケンスソフトを動かし、16や32トラックをいかにうまくやりくりするか?という格闘でもありました。

ところが現在は、パソコンにインストールしたDAWにはシーケンスソフトだけでなく様々な音色がそろっており、またHDDレコーディングを前提としているとの事。

そのため、当時はミキサーに突っ込んでいたギターやベース等のラインやマイク入力は、直接パソコンへ取り込む必要があるためにそのインターフェイスが必要で、その機器が様々なメーカーから発売されているようです。

もちろんマスターキーボードはMIDIではなくUSB!私の手持ちのキーボードや音源類は多数ありますがUSB端子があるハードなんてありません!
まさに浦島状態です。


それにしても久しぶりに楽器屋さんへ行くと楽しいですねー。
トランペット等の金缶楽器にラッカー仕上げのレッドベルは無く、木管楽器のリードは個包装だし。電子縦笛もギターもベースも種類がいっぱい。

***************やらなきゃだめなこと****************************
◆自宅PCのグレードアップと、モニターの買い替えを検討。
 せっかくなら買い替えちゃおうって物色!

◆オーディオIFが必要 現在物色中!
https://www.roland.com/jp/categories/production/audio_midi_interfaces/

◆DAWはどれにしようか考え中!
Cubase 9?PreSonus Studio One?
***********************************************************

2017/08/14

2017 8/14 キーボード復活!

たぶん15年ぶりくらいになるでしょうか。

私のお部屋の一角に片付けられてました楽器を全部組み立てました。



さて組み立てたものの長い間、通電していなかったからどうなるか・・・不安でしたが
何の問題もなく懐かしい音が蘇りました。


あんまし詳しく書けないのですが、まだMIDI規格が無く、モノフォニックしか無い時代に興味を持ち、当時心斎橋にあったソニービルの5階にMoogのシンセが置かれていて色んな音を作って遊んでいました。そいっても機関車や波の音、雷などの効果音ばっかりでしたが本当に新鮮でした。

当時はアナログシンセのみで、YAMAHAはSKシリーズがメイン。RoLandはJUNOかな。
そして数年後、あのDXシリーズの発売は衝撃的でした。
FM合成?波形選択やフィルターが無い!
そしてサンプリングとアナログやデジタル音の合成などがでてきて百花繚乱。
そのうちDTMなんてジャンルが出てきたのが懐かしいです。
私もダイナウエアのプレリュードなるソフトをPC98VM21で動かしていました。
あぁぁ懐かしい。

今日からリビングではエレキギターの練習!お部屋ではキーボードの練習。
あと押し入れの中にはトランペットが眠っていますがこれはまたそのうち。。

ちなみに石橋楽器さんに夕方に来ていただき「AKAI MX76」「Rhodes Model660」「YAMAHA KX5」や「Boss DD-2」に「Roland SC-88」を引き取っていただきました。さていくらいなるかすごく楽しみです。

2016/09/20

2016 9/20 仰げば尊し

TBS日曜劇場「仰げば尊し」。


http://www.tbs.co.jp/aogeba-toutoshi/


http://www.tbs.co.jp/aogeba-toutoshi/

一つの目標に向かってみんなで進んで行くもいろんな障害が行く手を阻む。それでも
友情や努力で乗り越えて行く。。そんなよくあるドラマだけれど見逃せないのです。

私のBLOGの読者さんでまさか吹奏楽関係の方はいないと思うから書いちゃうけど、
ドラマでよく使われているセリフ「心が音楽を作る」っていうのは間違いじゃないんですよね。

ホントふしぎなんだけどお互いが思いやりの心をもつと、ピッチも合うしブレスの位置があうと
細かなパッセージもピッタリあってきます。

木管楽器なら運指が揃い、金管楽器なら音終いが揃ってきます。

吹き始めが揃うのは当然、難しいのは音の終わりを合わせること。

これは友情という名の以心伝心力がないと無理。。

そして初心者にありがちな「私の音を聞いて!」じゃなくってまずは同じセクションの音を聴いて、そして全体の音を聴くように心がけると不思議なようにダイナミクスの調整が身についてきます。

一人一人がほんの少しのクレッシェンドをするとバランスの良い響きのままで抑揚がコントロールできます。

吹奏楽の楽しさって不思議。

緻密な織物のような音を紡ぎあう喜び、みんなの心が一つになってそれが観客の拍手ですべてが
報われる事が喜びになるのでしょうね。

パートごとにいがみ合っていたり、妙に気の合う方がいたり。
良くない先輩がいたり。。

懐かしい・・吹奏楽に熱中していた頃をふと思い出しました。

2016/08/14

2016 8/14 やりたいこと 『マエストロ』鑑賞

お盆休暇中にぽっかりと予定が空きました。

そこでしばしの間、Amazonで映画鑑賞!

あ、私はPrime会員なのでAmaozonプライムビデオで見放題なんですよー。
で、チョイスした映画は『マエストロ』。



西田敏行が演じるうさんくさい指揮者。確かな実力と耳を持ち合わせているものの
その悪態で団員との様々な摩擦が生じてくる。
いろんな過去がわかってきてようやくコンサートにこぎつける。

音を聞いただけで、『あ・・これ・・・むっちゃ有名なオケの音やん』・・・やっぱりそうでした。
ベルリンフィルでした^^

てなことで、色々考えながら思いを書いてみました。



私も音楽に何らかの形で関わっていたい気持ちはある。

トランペットもクラリネットも。

賞を取るための音楽も悪くない。

個人の技量を上げるための基礎練習は最高に楽しい。

演劇舞台の音効さんもいい。

ゲーム音楽の作曲も楽しい。

吹奏楽やクラシックの作曲も奥深い。

富田勲さんのような電子音楽にも興味がある。

ましてやフュージョンバンドなんて最高に楽しい。


何度やってもできないパッセージは100回演奏して101回成功するまで
ひたすら練習をすることを忘れちゃダメ。

ピッチは友情で合わせることを忘れぬように。

伝統は守るものじゃなく築くもの。

スポットライトを浴びるのは最高に心地いい。
でも本番前は怖くて震える。



楽器を処分しようかどうか真剣に考えている。

怒られるかな?

ハロー!バンドの仲間たち

2016/06/17

2016 6/17 展覧会の絵

[展覧会の絵]

ムソルグスキー作曲の組曲で、一般的にはモーリス・ラヴェルが管弦楽用に編曲したものが有名です。たしか、ムソルグスキーの友人の画家[ハルトマン]さんの遺作の絵画をみたときのインスピレーションが作曲のきっかけだったと記憶しています。

この組曲には思い出がいっぱい詰まっていていますがなんといっても、私のクラシック大好きな趣味が始まった原因がこの曲の最終曲「キエフの大門」を吹奏楽で演奏することになりミニスコアを購入したことです。


様々なオーケーストラが演奏していますが、中でもユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団のレコードが私の一番の思い入れの強いレコードです。まだCDはなかった時代です。
また原曲のピアノ版や先日お亡くなりになられました冨田勲氏の展覧会の絵はいまでも
想像を掻き立ててくれます。

で、なぜこのエントリーを書いたのか・・。


数か月前からamazonプライムに加入したおかげで色々とお得に入手。

中でもお気に入りは下記を購入したことでバスタイムが100倍楽しくなりました。

http://sweet-mikan.blogspot.jp/2016/02/2016-26.html


脱衣所でamazonミュージックでお気に入りの音楽を探してBluetoothで、お風呂場の中のスピーカーで再生、で、たまたま流れてきた展覧会の絵のプロムナード。。

あれ??

違う!!!


これ!ラヴェルじゃない!!


すぐに飛び出てスマホをみると、レナード・スラットキン指揮で15人の編曲者によるものみたい。

これは面白い!

解釈は同じなんだけど管弦楽法も違うし楽器のアプローチも違います。





絵を見たときのインスピレーションは人それぞれが違うように編曲で音楽を紡ぎだす手法も異なるのは当然。いおんなお噺を聞いているかのような音楽です。

ラヴェル版を聞きなれている私にとっては、なんと斬新で、曲にメリハリのある解釈で当分はまりそうです。

さてさて、余談ですがもっと違った趣きを楽しみたい方はE&LPの展覧会の絵!
これは楽しい!!





参考までに映像はこれ!






2016/06/01

2016 6/1 ショスタコーヴィチ / 交響曲全集 バルシャイ&ケルン放送交響楽団

ショスタコーヴィチ / 交響曲全集 バルシャイ&ケルン放送交響楽団 を入手。

さっそく会社の往復に鑑賞。



ショスタコーヴィチ:交響曲全集 (Shostakovish: Symphonies)

ロシア革命ってどんなだったんだろう。
今の日本で似ている出来事って?

具体的なイメージがわからないけれど、第11交響曲「1905年」を聞いてみると、その音楽的な描写からその悲惨さを感じる事ができます。
立ち上がる民衆、迫る軍靴の音、そして殺戮・・あ。。。これは発砲した描写?・・人々の叫びや嘆きがひしひしと感じられました。

第7交響曲 「レニングラード」の有名な「宮沢りえとシュワちゃん」のちちんぷいぷい。。
これも軍隊が徐々に迫ってきてあの剽軽さを感じさせるモチーフが徐々に恐ろしげな雰囲気となり最高潮を迎え・・崩れ落ちてゆく。。

第4交響曲のオープニングのなんとも暗い世相を感じさせる音使いなのか。。半世紀も演奏されなかったその理由が感じさせられるようでした。

第12交響曲「1917年」 においては、おもいっきりロシア革命がテーマ。
1楽章の5/4と4/4の変拍子から始まるモチーフがこれから始まる恐怖的な運命を感じさせます。
そして壮大な4楽章!新しい時代の幕開けにふさわしく盛大で壮大に終わります。

第15交響曲ではいろんなクラシックのフレーズが顔をだし、とくに1楽章のウイリアムテル序曲スイス軍の行進のあたりはおもわず「クスッ」としちゃいました。そうそう、これは第4交響曲の3楽章にはカルメンの闘牛士の歌が出てきてました(笑)


第5交響曲は下記を参照してくださいませ。

http://sweet-mikan.blogspot.jp/2016/05/2016-55-5.html

ショスタコービッチってすごい作曲家さんですねー!



2016/05/15

2016 5/5 ショスタコービッチとの出会い 交響曲第5番ニ長調

1977年に日本の漁船がニュージーランド沖で不思議な遺体を吊上げ、ニューネッシーと呼ばれました。
1977年 オールナイトニッポン木曜日のパーソナリティ 自切俳人さんの名物コーナー『真夜中の辞典』ではその呼び名を独自で募集し「ユメカシーラ」と決まりました。そしてこのオープニングで流れていた曲がとても印象的でした。

Allegrettoの3/4拍子、コントラバスとチェロのユニゾンで奏でられる低音のフレーズはなんとも不思議なメロディ。不気味でもあけれど陽気なおどけた風でもあります。


なんて曲なんだろ・・ずっと疑問におもっていました。当時はインターネットなんで無く調べるすべも無く、そしてクラシックにますます熱中した頃、ようやく出会いました。
それがショスタコービッチ交響曲第5番2楽章だと知って、興味がどんどんと沸いてきました、心斎橋の楽器店へ行きスコアブックを購入しました。(今見返してみると第4刷発行で昭和51年版450円です)それから数十年後・・今、ショスタコービッチへの興味が止まりません。

さて、この5番の4楽章はご存知、「部長刑事」のオープニングにも使われ、ティンパニーが八分音符で「ダンドンダンドン・・・」と刻む上にトロンボーンとチューバがむちゃくちゃかっこいいテーマを吹き鳴らす曲です。
ショスタコービッチにとってロシア革命は重大なテーマで、たくさんの作品が何らかの形でロシア革命に影響を受けています。この5番は革命20周年記念に捧げられたとの事、1937年に作曲されたとのことで初演では圧倒的な歓呼で迎えられたそう。ショスタコービッチは1906年生まれだから31歳の作品。ちなみに「革命」の表題はついていませんが「革命」ってネーミングはぴったりです。





そしてもっと印象的なのは1楽章。
不穏な幕開けを感じさせるオープニングの主題。次々に繰り広げられるテーマにピアノの低音部が加わりますます曲調が激しくそして物憂げなチェレスタのキラキラ音で静かに終わりを迎えます。

また3楽章のLargoは本当に秀逸でその透明感には不思議な感覚があります。

全体の演奏時間は40分前後なのではじめての方も飽きずに聴いていただける交響曲です。





2016/05/09

2016 5/9 冨田勲さんの思い出

冨田勲さんが亡くなられたとの事。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

中学生の時に初めて聞いたシンセサイザーの音色。これはたしかレコードで入手した「スイッチ・ト・オン・バッハ」だったと記憶しています。

今まで聞いたことの無かった音色で衝撃を受けました。
どうやら楽器はムーグというのを使っているらしい・・そしてそのムーグは心斎橋のソニータワーに有るらしいという情報を聞きつけ頻繁に触りに行ったのを覚えています。

本来はパッチ式なのですがこの部分は触らしてもらえずダイヤルのVCOやVCF、波形(正弦波・鋸歯状波・・)などの部分でマニュアルに沿って機関車や波、雷等の音色を作成して時間を過ごしておりました。

そしてYAMAHAがはじめてFM式のシンセサイザーを発売してすぐに購入。これがあの爆発的にヒットしたDX-7で248,000円でした。それからというもの私のシンセサイザー好きに火がついて新車の乗用車が楽勝で買えるくらいのめり込みました。残念ながらいまでは部屋の大半を占領したまま埃をかぶっています。古いシンセサイザーに興味があるかたはよろしければお知らせくださいませ。超格安にてお譲りいたします。録音機材も多数あります。


さて、冨田勲さんのアルバムでなんといっても衝撃を受けたのは【展覧会の絵】。
元々中学校の吹奏楽コンクールで【キエフの大門】を演奏する為に色々と聞き比べをしていた時に
出あいました。



これは本当に驚きました。
初めて聴いたリバーブやディレィ効果で空間を感じさせる音!単なるステレオ効果ではなく奥行き感をうまく使った曲が印象的でした。

当時はスプリングリバーヴはあったとおもいますが超高価で手が出るはずもなく、どんな仕組みで、どうやって録音したんだろうって疑問に思っていました。

【卵の殻を付けた雛の踊り】の最後に猫の登場してきたり、【サミエル・ゴールデンベルグとシュミーレィ】の2人の見事な対話、【バーバヤガの小屋】から【キエフの大門】への移り変わり等それは驚きの連続でした。

そして、次にであったのはホルストの【惑星】。
非常に原曲に忠実ではあるもののきっとホルストさんもこんな音を望んでいたんじゃないかな?っておもうような音色とスケール感が再現されていました。



その後、ムーグシンセサイザーはその大きさと威圧感から、巨大なタンスと呼ばれ進化を遂げていきました。

キーボード奏者のいるハードロックには欠かせないミニムーグに重厚な音色を誇るオーバーハイム、そしてデジタルシンセもFM方式やPCM方式等様々な進化を遂げましたが間違いなく日本の音楽シーンの礎となられたのは冨田勲さんです。

本当に心よりご冥福をお祈りいたします。

2012/05/16

2012 5/15 新入社員の時の思い出とこれから。

もう今からずっと前のこと。
私が初めて社会人になって、研修を終え、部署に配属になったときの初出勤の緊張の朝。
全従業員の前でこんな挨拶をしました。

先日、比叡山廷暦寺のお坊さんで史上何人目かで千日回峰をやり遂げられたドキュメンタリー番組を見ました。
この千日回峰というのは超荒行で、数日間断食・断水・断眠・断臥を経たあとに毎日深夜2時に出発し80Kmくらいを毎日歩き、そしてまた翌日も。。。
そこまでした荒行の果てにまっているのは、死かもしれません。
それでも悟りを開く事を願い、自分との戦いに挑まれる姿は感動的です。

自分の目標は、「なんでも見てやろう!知ってやろう!そしてやってみよう!」です。
この千日回峰のように、千里の道もまず1歩から!果敢にいろんな物事に挑戦してみたいとおもいます。

と、まぁこんな偉そうな言葉を吐いたのを覚えています(笑)

あれから数十年が経過した今、「なんでも見てやろう!知ってやろう!そしてやってみよう!」の精神のおかげで
まぁいろんな事をやってきました。
大規模小売店からIT系企業へと転職ししながらも音楽製作、楽器演奏、演劇音効、ゲーム音楽作家にバンド活動。鍵盤楽器、金管楽器、木管楽器に弦楽器。郷土史に幕末史に古典芸能。アウトドアにバックパッキング。ドライブが好きでいろんなところへ長距離ドライブ!日本絵画が大好きな上に落語も講談も大好き。
まぁ凝り性で飽き性な私ですっかり器用貧乏の代表選手ww。
この性分はおそらく治ることはなく、新しいことにどんどんチャレンジしたいと思いっています。

そしていよいよこのたび3回目の転職をすることになりました(*^^*)その前に、今まで走り続けてきた私の体をメンテナンスをしなきゃダメだけどねー。まさかの追突事故にあったり、昨年秋の手術の後遺症に1年前の階段からの転落の事があって中々癒えずにいます。

まさか退職金が1円もでないブラック企業だったって事は、辞表を出した後に知ってもう大変!
そんなことで凹むよりも今しか出来ないステキな思い出をつくって、また新しい活力を創造しようとおもっています。

先日、お世話になったほんの一部の方々にあいさつに行ってきました。
「○○社長・・実は私・・今の会社を辞めることになったので、ごあいさつにお伺いしたいのですが」と、電話をすると「え?辞めるの?おー!それは本当におめでとう!よかったやん!」と言われた社長さんがおられました。
その言葉が嬉しくって!嬉しくって^^
みんな杓子定規な挨拶じゃなくって自分の言葉でお別れを惜しんでくださったのがとても嬉しくて感激した1日になりました。今までお世話になった皆様の元に行ってちゃんとお伝えしたのですがあまりにも多すぎて。。なので後日あらためてご挨拶させていただこうと思います。

本当にありがとうございました。

2010/08/03

◇2010 8/3 音楽に想いを馳せてみる。

先日からまたクラシックを聴き始めました。


そのきっかけが名曲探偵アマデウス(BShi 月曜PM7時- BS2 日曜PM6時-)。

これがなかなか面白い。

おかげで私がクラシックファンであることを久しぶりに思い出しました。

元々J-POPやRock、Fusionよりも大好きで、中学生の時に買い集めたスコアが50冊くらい手元においてあります。

久しぶりにそのスコアを繰ってみると鉛筆書きで色々とマーキングをした形跡がたくさんあって

いかにも凝り性なワタシらしい。



そんな私が音楽関係の趣味の極みともいえるバンド活動を止めてもうずいぶんになります。

当時は気の通じ合った仲間といろんな馬鹿なことをしながらも、最高のアマチュアバンドでいたと切磋琢磨し、青春の時間を費やさせてもらったおかげで随分学ぶことがありました。

まさかワタシ自らが音楽の道を断つとは、今でも信じられません。



なかなか難儀な心境の変化があってステージに立つことが恐怖に思えはじめ、そのうち仲間と話すことや重い機材を運ぶことさえも億劫に思えてきたのです。

時が解決するかな?って考えてはみたものの心に大きく圧し掛かってくるばかり。



ワタシの部屋にはいまだにたくさんの機材があり本当に止めたのならすべてを叩き売ってるんだろうけれど、そんな事もできないのはやっぱり心の奥底には言葉に出来ない想いがあるのかもしれませんね。

元メンバーさんからのいろんなお誘いを頂戴するもののいっつも不義理なかりで本当に申し訳無くおもっています。