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2021/04/13

吉田松陰先生とテロリスト 「吉田松陰190歳」(一坂太郎先生著 青志社)を読んで

 山口県萩が生んだ幕末維新史の中のキーマンの一人でもある〔吉田松陰先生〕。松下村塾で教鞭をとり数々の幕末に多くの名を馳せた人々を育てた・・その情熱溢れる教育や思想はいまでも引き継がれ・・云々・・・。

ほんまかいな。。それ。。 22019年1月にこんな本が出版されています。

「吉田松陰190歳」一坂太郎(著)

 

松陰先生の多感な幼少時代は同学年の子供たちとのつながりもなく、超スパルタ式にひたすら叔父に学問を叩きこまれ非常に歪な育ち方をしたと思っています。
山鹿流の兵学を幼いころから学ばされ、武士道・精神修養を重んじるその考え方を大人に説く子供ってどうなん?

余談ですが私の大好きな忠臣蔵(赤穂事件)の大石内蔵助も山鹿流兵法を重んじ、正々堂々と仇討ちを果たしていますよね。幕末の頃よりおよそ160年くらい前ですが受け継がれている思想であることに驚きです。

開国攘夷思想であるがゆえに自らが東北の海防を見て回るときに、「友人との約束を守るために脱藩」することも、「停泊している黒船に乗り込むために深夜の海を小さな船で漕ぎ出すこと」もいとわず、また「幕府要人(間部詮勝)を暗殺するために、長州藩に武器を貸してほしいと願い出たり」している。もちろんこれだけではないし、相当過激なことも言っている。。

「禁はこれ徳川一世の事、今時のことはまさに三千年の皇国に関係せんとす、何ぞこれを顧みてる暇にあらんや」

「一人の奸猾さえ仆し候えば、天下の事は定まり申すべく候」

「死を畏れざる少年、三、四輩、弊塾まで早々お遣わししかるべく」
(※吉田松陰190歳 一坂太郎著262P-263P引用)

まぁ現代語に訳すのも憚られるような過激な内容でびっくり!詳しくは本でごらんください。



私は、吉田松陰先生の目的達成の為にまっすぐに進む猪突猛進なところが私は大好きなのですが、それ以上に地元は「吉田松陰先生」をブランド化していることは想像がつきますよね。
誰しも、長所もあれば短所もあるけれど、神仏や崇拝対象としていくためには、良い点だけにスポットライトをあてて、いわゆるブラックな発言や言動は見えないようにする。そして今の時代にそぐわない点を述べる人へは意義を申し立て葬り去ろうとしている。と、そんな構図がこの書籍からありありとみて取れます。

同じことが様々な人物や地域や組織で行われているとしたら怖い事だし、私たちは評価すべき対象についてはその全容をしっかりと掴んだ上で自分なりの価値や尺度を持つことが必要なんですよね。そして側面だけを捉えることはなんの意味もないことなんですよね。

【東京小塚原刑場の墓所】

【萩市にある墓所】

【東京松陰神社の墓所】

このBLOGに下記のエントリーがありましたのでぜひご一緒にご覧くださいね^^


2019/03/20

2019 3/21 一坂太郎著「 吉田松陰190歳」

先日、18日の夕方に一坂太郎先生とお話をする機会がありました。

おそらく6年ぶりくらいかとおもいます。積るさまざまなお話をさせていただいた中で
一坂先生が話された内容にとっても驚きました。

ホント耳を疑うような言葉です。





吉田松陰先生はまだ死んでいない・・というか死なせてもらえないというお話でした。
とても興味深く、そして詳しい内容は「吉田松陰190歳」という書籍をということで
さっそく注文し19日の夕刻に到着。本日1日で読破して驚いた。

松陰先生は様々な「要人暗殺未遂」や「国外脱出」という罪を犯したり、「命の惜しくないと思っている若者を数名よこしてほしい」や「一人の悪者を殺したら政局は変わる」等テロ的な発言をしたり、そうかと思えば「自由闊達で自主性を慮る授業」や呆れるほどの「尊王思想」に「自分の一生を種に見立てた留魂録」に「大好きだった子弟をボロカスに言って拗ねてみたり、周りが見えずに猪突猛進的な事」をしたり、「脱藩して無茶苦茶な旅をしたり」・・それだけに行動や残存している手紙や書物や言論の記録の過激な部分だけを切り取られてしまうことで亡くなってからもざまざまな人の心に入り込み、教育や思想やそして右翼にも左翼にも政治家にも利用されやすい方なのでしょう。

でも日本は言論の自由で守られているのです。
私のこのBLOGでの発言はあくまでも私個人の発言であって、私の所属する団体の正式な発言や見解ではないのです。

それにしても洋泉社 歴史REALwebに掲載されている一坂先生の書かれている「大河ドラマ『西郷どん』批評」の最後の回の批評末尾あたりに書かれている文章が大変気にかかる。

http://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/54612753.html

平成27年の吉田松陰の妹を主人公にした『花燃ゆ』のお話や「ドラマを批評したことは、行政を批判したこと」と圧力をかけられまくったお事柄等の詳細な状況が書かれた内容を読むたびに今の政治体制に疑問が出てくる。
私はそれでも松陰先生が大好きだし、きっと一坂先生も好きだろう。同じように山口出身の政治家さんも、どこぞの大学の先生も博物館の館長さんも好きなんだろうとおもう。
でもどの部分を切り取って「すきっ」て言ってるのかは甚だ疑問が残る。

そういえば私のBLOGの過去の記事にこんなのがあります。
*********************************
2014 5/17 歴史と人間   アーネスト・サトウ

今回の大河ドラマの次の2015年は「花燃ゆ」で松陰先生の妹がヒロインだそう。
で、再来年の2016年は先日発表がありましたが三谷幸喜さん脚本の「真田丸」。
真田幸村が亡くなって401年の記念すべき年に・・・・はぁ?・・・?
401年?むちゃくちゃ違和感を感じているのは私だけでは無かったようです。
噂では震災の復興をテーマに2013年の「八重の桜」はまだ良かった。
そして2014年の姫路城のリフレッシュ公開と合わせた軍師官兵衛VS大阪の陣が勃発した真田幸村となるかの対決で
大阪方は【真田幸村を大河ドラマにする会】を発足していっぱい署名を集めてきたけれど
残念ながら軍師官兵衛に決定。。
そこで不思議な・・とっても不思議なことが起きました。
どこからか、松陰先生をテーマに大河ドラマを作りなさいってお声があったようです。
数回前の講義で、吉田松陰先生が一時的に書籍として取り上げらた時期があると言われていました。
強烈なまでの尊王思想で過激的であるが故に斬首となり罪人となったが、
ある時期から神とまでに奉られている松陰先生の言葉が修身の教科書に載ったそう。
そして数年後にも掲載されるらしいですが・・そのもてはやされた時期は?・・・さぁいつでしょう。。
中国やロシア、北朝鮮のキナ臭い動きを鑑みて集団的自衛権の行使容認で憲法解釈の変更を唱えた事になにか関係があるのかも?
*********************************
この書籍では上記記事の真相なんかも書かれています!



吉田松陰190歳   一坂 太郎 (著)

でもこれだけは言えるとおもう。松陰先生は文系の人で理系ではないし何を捉えてなぜこんな話になったのかはしらないが松下村塾は「明治の産業革命遺産」ではない。

2013/03/21

2013 3/21 西遊草

先日の一坂先生の歴史と人間講座で話されていました[西遊草]を購入!
届いてびっくり!初版本でした!
 
 
幕末の方がどう観光地をとらえていたか・・大阪の風景の変遷や戦国時代をどう見ていたか・・などなど・・興味がいっぱいです。
じっくりと腰をすえて、読んでみたいとおもいます。
 

2012/10/18

2012 10/19  伊藤痴遊全集第7巻 袖付橋の闇討ち

この夏の終わりころからちょっと体調を崩し実は10月12日にお腹の一部分を切ってきました(笑)
で1週間ほどは自宅で療養ということでお仕事をしています。←あかんやんww

おかげで今まで買っていたのになかなか読めなかった本や気になる情報を整理することができました。ありがたいことです。












10月13日産経新聞に「消えた偉人物語」小学国語読本巻十【母の力】が掲載されていました。

これは昭和14年発行の小学国語読本巻十は今の小学5年生用の下巻にあたるそうでこの14課に【母の力】と題されている教材がある。

あらすじ的には下記の通り。

明治の政治家の井上馨(聞多)が暴漢に襲われ大怪我を負った。
全身に無数の刀傷。もう虫の息という状態でようやく自宅に担ぎ込まれた。

城下の医師は来たものの手をこまねいている。そこへ幸いやっていたのが美濃の国郷士の所郁太郎で、大阪の緒方洪庵の塾で外科手術の助手をしたことがある。
「よし。拙者が療治しよう」と刀の下緒を取って襷掛け。焼酎を薄く溶いて傷口を洗いながら端から縫いだした。
縫った針は畳針。五十幾針縫ったところで夜が明けた。

縫った所郁太郎は名医でもなんでもなく、助手をしたことがある程度だし、畳針と焼酎。
見舞いに来たものは、井上との今生の別れをして帰ってゆく。

「おお聞多。しっかりせい。敵は誰だ。何人いたか?」と兄に尋ねられても声がでない。
瀕死の重傷で意識も絶え絶えの中で、手真似で「介錯をしてくれ」。兄は涙ながらにうなずき、どうせ助からない弟の命。それなら一思いに死なせてやるのがせめてもの慈悲だ・・・と兄は刀を抜いた。

そこへ母のお勝が現れた。


「お前は何をしているのか?」答えない兄・・・「お前・・全体何をしているのか?」

刀の柄に手をかけ恐ろしい表情の兄は「聞多の苦しそうなこの様を見ましては、兄の情として、耐え難くいっそ一思いに刺し殺そうかと思いまして・・・」と答えた。

母は「私の眼の黒いうちは例えどんなことがあってもそういうことはさせませぬ。聞多は私の倅じゃ。天命がきて死ぬのなら拠所ないが現在の兄が手を掛けようとは何事か」と兄を叱った。
必ず、私の一心で助けて見せると、必死の母の看病で三日目には「水をくれろ」と言えるようになりなんとか一命をとりとめた。


全文を読んだことはないが、今年の4月に入手した原本となっている伊藤痴遊全集第7巻の<袖付橋の闇討ち>と<気丈な母の介抱>の部分にあたると思われる。

また、このエピソードは講談となっており、11月11日(日)に大阪の泰聖寺で行われる旭堂南左衛門一門会で旭南湖さんが「井上馨の袖付け橋の危難」を演じられます。

幕末大好きな方は是非お越しくださいませ。

http://www.chonmage.tv/schedule.htm

2012 11/18 孝明天皇

前回の朝日カルチャーの一坂太郎先生の講義を聴いて【孝明天皇様】に非常に興味を持った。

で・・色々と探してみて左の書籍を入手!

昭和49年秋田書店発刊(初版)
福地重孝著 孝明天皇





講座でもたびた取り上げられる公家諸法度。その法度以外にも天皇の大権があり、それは改元。
孝明天皇の時代には弘化・嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応と7回も改元があった。これはさまざまな天変地異や縁起直し的な意味合いが原因で、非常に大変な時代であったことがうかがえる。

人しらず我が身一に思ひ尽くす 心の雲の晴るるをぞ待つ (慶応元年)

日本国内がドタバタしていた時代に詠まれました。。。その苦悩のお心が偲ばれます。


異人と共ども払へ神かぜや 正しからずとわか忌ものを(文久2年9月11日)


徹底した攘夷思想であったが政権奪回の気持ちは毛頭無く、純粋に日本を愛しておられた方なのでしょう。

その純粋さゆえに型破りと思われたのかもしれません。

なかでもアメリカとの条約締結に関する勅を入手するために上京した堀田正睦の悪戦苦闘からさまざまな駆け引きが繰り広げられ、ついに幕府の旗色が良くなってきて、まさに自分の意図しない勅裁案が出されようとしていた時に、下級公家を動かして八十八人の公家が九条関白の家へ集結!そして情勢をひっくり返させている。実に爽快。

熟読するにつれて新たな、孝明天皇様の色んな面が読み取れるかもしれません。

2012/05/19

2012 5/18 これだけは知っておきたい幕末・維新

今日発売の一坂太郎先生の最新の著書が届きました。

ホントは今日は一坂先生が大阪市内の散策をされているはずなのですが、所要で私は不参加・・それでも最新の書籍が届いたのでご機嫌です^^

3年間朝日カルチャースクールで話された内容が1冊の本になっていますので、必死でノートに記述していた私としてはおお助かりです。

来週からしばし山口県で過ごすことになりましたのでしっかり持参していきます。


私の行くところは残念ながら萩ではなく、今、原発建設で揺れている話題の上関町です。
すっかり様変わりしているかもしれません。

 

2012/04/30

2012 4/30 これだけは知っておきたい幕末・維新 (朝日おとなの学びなおし 日本史) 発売のお知らせ

一坂太郎先生が言われていた本が5/18に発売になります。これは朝日カルチャーで3年間お話しくださったさまざまな内容が一冊の本になりました。これは、幕末史好きな方は絶対にオススメの書籍になるとおもいます!



これだけは知っておきたい幕末・維新 (朝日おとなの学びなおし 日本史)

2012/04/29

2012 4/29 伊藤痴遊全集

先日朝日カルチャーセンターで開催された、一坂太郎先生と旭堂南左衛門さんとのコラボイベントで何度も話されていた伊藤痴遊の全集の一番興味のある巻を入手しました。

第7巻で伊藤博文・井上馨の巻でぜひ読みたかったのは袖付橋の闇討についての記述です。はい!ばっちり読破しました(^_^)
その場に居たようにイキイキと描かれています。

これは昭和4年に配本されたもので非売品のようですねー。ぜひ残りも入手したいとおもいます(^O^)v

伊藤痴遊全集

2012/04/21

2012 4/21 大石順教尼の漫画制作発表会

大石順教尼の漫画制作発表会
久しぶりの京都。さて、どの経路でも名神の京都南の渋滞は避けられないので早めに大阪を出発しました。
そのお陰で11時には会場付近に到着、ゆっくりとランチを頂くことが出来ました。
今日の会場は、京都国際マンガミュージアム。
今日は順教さんが亡くなられて90年目にあたるご縁日となるとのことで、日頃から、順教さんは亡くなるんなら21日と決めておられたそうで驚きです。
さて、ここは小学校の跡地を利用したそうで、なんだか妙な暖かさを感じる建物です。
私たち一行は受付を済ませ場内に入ると、九度山の岡本町長さんをはじめ遠方より多数お越しになっておられます。
不思議なものではじめての会場で、顔見知りの方が居られるとすごく安心した気持ちになれます。

さて、定刻になり式典がはじまりました。
司会の西出様より開演の言葉に続き、漫画制作委員長さんの大石哲史さまのご挨拶でした。
大石哲史さまは、順教さんのお孫さんにあたるそうで、なんども「ばぁちゃん・・」と呼びかけられ。また.。順教尼が亡くなられた日、ボーイスカウトでの行軍の最中であったその日のことを語ってくださったのが印象的でした。続いて、九度山町岡本町長さんのご挨拶では九度山と順教尼さんとのご縁のお話と九度山町の歴史と文化についての文化の部分を大石順教尼記念館の設立ということで熱く語られました。
次に大石雅美さんのお話です。この雅美さんのその心温まるお話を数々聞かせていただき、順教さんのそのお人柄がよくわかったそんな気がいたしました。とくに心にのこったのは、順教尼が自らの人生の中に引いた3本の線のお話で、それは赤の線~あの惨劇のあった日。金の線~ご結婚された日。 空の線~得度された日。
人生を大きく変えた3つの日お話でした。
パネルディスカッションでは、大石雅美さんの同級生であり、今回の漫画制作の要となった赤坂博さま(精華大学理事長)、そして作画をされた濱田麻衣子さんのお話では、涙で声が詰まる一場面があり、その思い入れが伝わってまいりました。
映画「天から見れば」の監督の入江富美子さんのお話では、映画のネタバレにならない程度の様々なエピソードをお話くださいました。そして最後には、九度山の記念館館長さんの萱野正巳さんのお話を頂戴、中でもお人柄がわかるエピソードがありました。正巳さんがまだ幼少であったころ防火水槽に居たぼうふらを見て「ぼうふらも蚊になるまでの浮き沈み」と詠まれたそう。そしてお話の中で「ぜひ講談に!」というありがたいお言葉を頂戴いたしました。



漫画の贈呈式を終え、マリンバ演奏にあわせた大石哲史さんの歌を拝聴。この曲は順教尼の14編の詩に印象的なモチーフを使ったメロディをつけたものをすごく叙情的に歌ってくださいました。
(こんにゃく座でオペラ歌手をされているとの事)
中でも私の心をぐっと締め付けたのは下記の詩。。。
船底の朱ぬりの枕に黒髪は血しおにぬれてまつわりつきぬ
くちに筆とりて書けよと教えたる鳥こそわが師にてありけり
祖母様はだるまのお手て神様に一つ貰えと初孫はいう
そして・・
落とされし双手を高野のきりふかきその奥つきの土にうずめん

第一部の最後にお礼の言葉を述べられたのは大石智教さん。順教さんの長男のお嫁さんにあたりますので
順教さんは姑さんにあたります。その語られた言葉のひとつひとつに敬愛の念が感じられ、拍手喝さいの中、終了いたしました。

第二部はドキュメンタリー映画「天から見れば」の上映会。
この主人公の南正文(日本画家)は順教さんが亡くなる2年前にその門を叩かれた最後のお弟子さんとのこと。
ある日突然背負ったあまりにも過酷なハンデで希望を失いかけたときに出会った順教尼に生きる道を教えていただいた方とのこと。
私はお蔭様で五体満足であるからそれぞれの有り難味に気がつく事は無く、もし両手がなくなったとしたら。
自分が生きている事は常に誰かのお世話になり続けることを意味し、そのあまりの心労に耐えられなくなることでしょう。「私の弟子になりたいのなら3つの約束をせよ」と言った順教尼の言葉に従った南さん。「できない事とやらない事は違う!」と、ついあきらめてしまう私の甘い心におもいっきり喝!をいれられてしまいました。
映画が終わり、その感動も醒めないままに入江監督さんや大石雅美さんにご挨拶をさせていただき京都を後にいたしました。


今日の様子は下記BLOGでも紹介されています。
環翠軒にて in九度山 大石順教尼記念館

最後になりましたが、関係者の皆様!本当に素晴らしい漫画ができましたねー。
もっともっと順教尼さんの心が浸透すれば、ステキな国になると信じています。
まずは私から。。頑張ります。
今日はホントにありがとうございました。素晴らしい一日になりました。

2011/10/27

2011 11/27 大石順教尼の世界のご案内

大石順教尼の世界
順教尼とその弟子達の作品展

期間:平成23年11月2日~12月4日
時間:AM10:00~16:30
休館日:月・火曜日
場所:旧萱野家(大石順教尼の記念館)





○同時開催
ドキュメンタリー映画【天からみれば】上映会

日時:11月27日 /会場:午後1時
開演:午後2時 /場所:九度山ふるさとセンター5階大ホール /入場料:500円

◇私のBLOGから~
http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/05/2010-56.html


http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/05/2010-511.html
http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/11/1314.html

 
大石順教尼さんの事を知ったのはまだわずか数年前。
そして著書を拝読。
 
【無手の法悦】(むでのよろこび)
 
踊りの名手でわずか11歳で名取となった彼女の人生を大きく変えた事件が17歳の夜におこる。
養父の内縁の妻に対する邪推から6人を殺傷(※堀江六人斬り事件)し、なんとか一命を取り止めたが
こと惨劇の際にはなんと両腕が切り落とされていた。
この事件がきっかけで大きく人生が変わった彼女のその後の様々な運命を描いた実話。
 
生きることに疲れた・・なんて甘えた事を言ってる人は必読の書!



2011/09/06

2011 9/6  浜口悟陵さん「稲むらの火」と地震学者今村明恒さん

津波と戦った人 ~浜口悟陵伝(戸白四郎著)を読みました。
おそらく近いうちに現地に行ってきます!

さて、3/11の東日本大震災以降に様々な地震や津波などと天変地異にまつわる番組が放映されます。私がこの浜口悟陵さんの存在を知ったのもそんなNHKの番組です。

■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇
※本書P92を参照  稲むらの火 ~抜粋

「これはただ事ではない。」
とつぶやきながら五兵衛は家から出て着た。
五兵衛は、自分の庭から、心配げに下の村を見下ろした。
村から海へ移した五兵衛の目は、忽ちそこに吸い付けられてしまった。
波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れて来た。
「大変だ、津波がやって来るに違いない。」と、五兵衛は思った。
四百もの命が村もろ共ひとのみにやられてしまう。

「よし。」
と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んである。
 「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ。」と五兵衛は、いきなりその稲むらの一つに火を移した。
火の手がぱっと上がった。
五兵衛は夢中で走った。
自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、まるで失神したように、彼は沖の方を眺めていた。
 日はすでに没して、稲むらの火は天をこがした。

「火事だ。庄屋さんの家だ。」と村の若い者は、急いで山手へかけ出し、老人も、女も、子供も続いた。
やっと二十人ほどの若者がかけ上って来て火を消しにかかろうとする。
五兵衛は大声に言った。
 「うっちゃっておけ。大変だ。村中の人に来てもらうんだ。」

 「見ろ。やって来たぞ。」
五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、一筋の線が見え、見る見る太くなった。広くなった。
非常な早さで押し寄せて来た。
 「津波だ。」と、誰かが叫んだ。海水が絶壁のように目の前に迫った。

 人々は、自分等の村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。ニ度三度、村の上を海は進み又退いた。
一同は波にえぐり取られてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。
 稲むらの火は、風にあふられて又燃え上がり、あたりを明るくした。始めて我にかえった村人は、此の火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。 

■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇

浜口悟陵さんは、ヤマサ醤油の七代目で、勝海舟さんの生れる3年前。日本近海にたびたび外国船が現れいよいよ幕末の動乱にはいってゆく1820年に生れました。

当時、すでに千葉の銚子に醤油の製造をおこなっていたため銚子での厳しい丁稚修行の傍ら儒学などを学ばれている。
当時の最先端を走る蘭学者との交流が活発で種痘の撲滅のために力を注ぎ、また地元和歌山広村では自警団を組織する。33歳の時に黒船来航。そして1854年(安政元年)の34歳の時に安政大地震津波が和歌山を襲った。

安政時代は地震が非常に多く安政3大地震が下記。

安政元年11月4日(1854年12月23日)安政東海地震(M8.4)
安政元年11月5日(1854年12月24日)安政南海地震(M8.4)
安政2年10月2日(1855年11月11日)安政江戸地震(M6.9)

この浜口悟陵氏の驚くべき行動は【稲むらの火】だけではありません。
津波に襲われた村野復興と、今後の防衛のために堤防の増築に自費を費やします
それは1855年(安政2年)から4年の間に大防波堤の建設を進め、全長600m、高さ5mで、海側に松、陸側に櫨の木が植えられ現存しています。櫨の木は蝋がとれることを狙い、堤防のメンテナンス等の維持費に当てられたそうです。

稲むらの火の館
http://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/index.html


この素晴らしい行いを、あの小泉八雲氏(ラフカディオ・ハーン)は大西洋論評(1896年)に発表。後の作品集の「仏陀の畠の落穂拾い」にも掲載されたことで世界中に拡散されました。

そして時代は経過しようやく今村明恒氏の登場です。
今村氏は明治3年生れの地震学者さん。関東大震災を予言し防災に努めたが町中はパニックになったことから「ほら吹き」と呼ばれてしまう。そして1923年9/1(T12)の関東大震災以降に脚光をあび地震研究の第一人者となる。
彼は防災が非常に大きな役割を担うという観念の中でも津波から逃れる為には幼少の頃からの教育が必要という考えから当時の文部省に何度もかけあいこの「稲むらの火」を教科書に掲載させた。
なので今では少なくなりましたが戦前の方の中にはこの稲むらの火のエピソードはご存知の方がおられました。
そして戦中・戦後教育では教科書から姿を消してしまい、今回の3・11を迎えてしまったわけです。

※WIKIに面白いエピソードが書かれていましたので転載します。
2005年1月、インド洋大津波をうけてジャカルタで開催された東南アジア諸国連合緊急首脳会議でシンガポールのリー・シェンロン首相が当時の小泉純一郎総理大臣に「日本では小学校教科書に『稲むらの火』という話があって、子供の時から津波対策を教えているというが、事実か?」と尋ねた。しかし、小泉は戦後世代なのでこの話を知らなかった。東京の文部科学省に照会したが、誰も知らなかったということである。

2011/08/17

2011 8/17 井原西鶴 日本永代蔵


元禄元年(1688年)に出版された井原西鶴さんの「大福新長者教 日本永代蔵」。
過去に何度かチャレンジしたけど文章が難しくて挫折しましたがようやく発見♪
現代訳された「日本永代蔵」。これなら私でもラクラクです^^
6巻からなる日本初の経済小説というか、まぁ庶民がお金持ちになる秘訣を書き綴った内容で、それぞれの巻には5~6話が納められています。

江戸時代の大坂、堺や江戸の商人や町人の生活が詳細に書き綴られ、大成功した例や大失敗した例が書かれています。なんだか全てに通じるのは「商いの種を根気よく育て上げる」「質素倹約に励む」「飲む・打つ・買うは絶対NG!」ってすべて現代に通じる事ばかり。
当時の貨幣価値、物の単位や仕事の内容などいまからでは想像のつかないことがかかれてあり、当時の暮らしについ思いを馳せてしまいます。


ちなみに書かれたのは徳川5代将軍の綱吉さんの時代。戦闘力や統率力を背景とした武断政治から文治政治へと移り変わりようやく落ち着きが見え始めたが、相当なインフレが激しかったらしく、同時に上方では元禄文化が出てきたあたり。
大阪の生國魂神社さんに像がありますが、これはこの場所で一昼夜に2万3500句の「矢数俳諧」を詠む大記録を打ち立てたからだそう。

晩年は目が見えず、とても辛い生活のまま亡くなられたそう。
大阪市中央区の誓願寺さんに井原西鶴のお墓があります。



大きな地図で見る

2010/12/16

2010 12/15 『高杉晋作の「革命日記」』 一坂太郎著

『高杉晋作の「革命日記」』 一坂太郎著

幕末の風雲児と異名をとる高杉晋作さん。
先日放映が終わったNHK「龍馬伝」でも奇兵隊を組織し四境戦争の小倉口の戦いでは三味線を弾きながら戦場を歩くという風雲児らしい演出を見せてくれました^^
しかしまぁ、昔の方ってなんでこう筆まめさんが多いのでしょう。しかもみなさん全てご達筆!
高杉晋作さんも例外では無く6つの日記を残されていますが、悲しいかな凡人には判読する事ができないのです。
ところがその日記を「高杉晋作さんの研究の第一人者」の「一坂太郎」先生が現代文に訳して出版してくださいました。
出版されたのは2010年の9月30日。
さっそく入手して一坂太郎先生にサインしていただきようやく読破に至りました(;・∀・)

後世に名を残した高杉晋作さんも普通の人なんだなぁっていうのが正直な感想。
中でも興味を引いたのは、23歳の晋作が父の小忠太さんの力で、毛利定広(定封)の小姓役として仕えることになり初出社。
いわば新入社員教習で、上役さんからいろんな礼儀等を教わっている。(○<※勢いの力が日>御日誌〔せつぎょにっし〕)。
24歳になった晋作が幕府の船で上海へ視察に行った際の日記の遊清五録。清国へのその船旅の様子や到着して体調を崩した様子。そして太平天国の乱まっさかりで、アヘン戦争で国力を失った国内を我者顔で闊歩する白人を見て相当なショックを受けたことでしょう。

2010/09/06

2010 9/6 幕末フェチに捧げるオススメの書籍

■維新風雲回顧録---最後の志士が語る (河出文庫)  田中 光顕


まず最初に著者の「田中 光顕」氏の経歴を読んで驚きました。


天保14年(1843)、土佐藩郷士。吉田東洋暗殺事件のひとり。那須信吾の甥にあたります。
土佐勤皇党に加盟、元治元年に脱藩し長州に身を寄せ大坂攪乱の失敗の後大和十津川に潜伏。
高杉晋作や木戸孝允と交わり倒幕運動に奔走。のち中岡慎太郎の陸援隊を継ぐ。維新後は兵庫県権判事や岩倉遣欧使節団、陸軍少将などを歴任し昭和14年(1939年)に没。


ということは96歳でお亡くなりになってるわけで幕末から昭和までを生き抜かれた事になります。そして驚くべきコトは、ドタバタの幕末の生き証人だったことになります。
最後の志士が語る維新風雲回顧録
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価格:840円(税込、送料別)

 



そしてあと1冊。。。これはまだ手をつけていません。(m´・ω・`)m ゴメン…。

■戊辰物語 (岩波文庫 青 431-1) 東京日日新聞社会部



 【中古】文庫 戊辰物語
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価格:150円(税込、送料別)

2010/05/24

◇2010 5/24 涙は流さないでください~大石順教尼の生涯~

先日入手した「無手の法悦」を読んだあと、すぐに母へ手渡した。
書籍を読んで涙がこぼれたのはホントに久しぶり。




大石順教さんがモデルとなったドラマがあったらしい。

涙は流さないでください~大石順教尼の生涯~
(ABC 1981年11月13日 ~  金曜日21:02-22:48)

京マチ子さん主演で、三国連太郎さん/金田龍之介さん/片平なぎささん/花紀京さんらが
ご出演されているそう。
どうしてもこの番組を見てみたいものです。
そういえば、私はこのドラマ以外にもどうしてもまた見たい映像があります。

・炎の如く 吉田松陰  
1991/04/17~1991/04/17 山口放送開局35周年記念ドラマ

・明るいほうへ 明るいほうへ 金子みすゞ物語
2001/8/27日(月)よる7:00~11:24放送 TBS創立50周年記念番組

たぶん・・いつか・・きっと・・・また出会えるかな^^

2010/05/11

◇2010 5/11 無手の法悦

無手の法悦(むてのしあわせ)大石順教著が昨夜届きました。
この週末にじっくりと拝読させていただこうと思います。

中には大石順教尼が書かれた般若心経が入っていました。

それはそれは見事な字で心を込めて書かれたのだという事が一目でわかりました。

大石 順教ってだれ?という方はぜひごらんください。

http://www.jyunkyo.jp/



2010/05/06

2010 5/6 大石順教尼に思いを馳せる・・

毎年春と秋の2回、九度山を訪れる機会に恵まれています。
大阪市内からわずか2時間で真田親子の縁の地、そして自然あふれる九度山に来る事ができます。
そして今年も真田親子の法要の目的で来る事ができました。
時間がすこし早かったので真田庵の向いにある喫茶店で時間調整。九度山の観光パンフレットを見て1人のお名前を見つけました。・・・大石順教・・・どんな事をされた方なのだろう?

九度山に大石順教尼の記念館?

便利なもので携帯で調べてみるといつしかうっすらと涙が滲んできました。
さっそく著書を拝読しようと思います。

※2010年8月に桂都丸さんが4代目桂塩鯛を襲名されます。この3代目が
 桂福壽であったころの妻が松川家妻奴であったそう。
 意外なところで落語との接点がありました。

下記詳しく書かれているサイトです。

http://blog.goo.ne.jp/tiantian334/e/f395a148503fded9caf709507635b060

http://www.jyunkyo.jp/011jyunkyo.html

http://blog.goo.ne.jp/kctk1/e/fb400cf5169fff1a9f7438ac1c184006


2010/04/27

◇2010 04/27 月刊 松下村塾

刊 松下村塾 って雑誌があるのを発見しました。さっそくアマゾンでvol.10とvol.7を購入。


月刊「松下村塾」vol.10


月刊「松下村塾」vol.7



ちなみに発行元は下記。
http://www.mediasion.co.jp/shokasonjyuku/


 


 

<号> <発売日> <主な特集内容> <値段>
第1号 10月27日(2004年) 吉田松陰と幕末の志士たち(在庫切れ)(プロローグ) 680円
第2号 11月27日 吉田松陰と久坂玄瑞(在庫切れ) 680円
第3号 12月27日 吉田松陰と吉田稔麿 680円
第4号  1月27日(2005年) 吉田松陰と高杉晋作(在庫切れ) 680円
第5号  2月27日 吉田松陰と入江九一・野村靖 680円
第6号  3月27日 吉田松陰と中谷正亮・久保清太郎 680円
第7号  4月27日 吉田松陰と山県有朋・赤禰武人 680円
第8号  5月27日 吉田松陰と前原一誠 680円
第9号  6月27日 吉田松陰と伊藤博文 680円
第10号  7月27日 吉田松陰と品川弥二郎・山田顕義 680円
第11号  8月27日 吉田松陰と渡邉蒿蔵・正木退蔵 680円
第12号  9月27日 吉田松陰と木戸孝允(在庫切れ) 680円



 

2009/11/15

◇2009/11/15 わが夫坂本龍馬  おりょう聞書き



わが夫坂本龍馬



一坂太郎先生著 

坂本龍馬ってなぜこんなに有名になったか?いろんな事柄に尾ひれがついて神格化していくようです。この書籍では等身大の龍馬を知る事ができます。また要所にかかれている時代背景と合わせてすごいわかりやすくまとめられています。

2009/05/25

◇2009/5/25 仁王 知られざる仏像の魅力

一坂先生ご執筆の書籍。4月末に発売になりました♪全国いろんなお寺の仁王像を紹介されています。
わたしもさっそく購入させていただきました。
で・・・次回の講義のときにサインしてもらうんだい♪


[BOOKデータベースより]
お寺の入口に立って拳をふりあげ、カッと睨みつける仁王。股をくぐれば子どもの病気が治り、紙つぶてにツバをつけて投げれば願いが叶うという。恐れられ、親しまれてきた仏像だが、風雨にさらされ朽ちやすいため、調査研究も進んでいない。本書は、こうした仁王像について、北海道から沖縄まで約百三十箇所を踏査した、日本ではじめての仁王ガイドである。あるいは恐ろしく、あるいはユーモラスな仁王像を写真と文で紹介。