「小塚原回向院」
寛文7年(1667年)本所回向院のご住職が行路病死者や刑死者の供養のために
開いたお寺。
吉田松陰さんをはじめ橋本佐内さん、頼幹三郎さん、入口近くには関鉄三郎さんのお墓も。
明和8年(1771年)蘭学者の杉田玄白さんらの腑分けと称する解剖により解体新書を翻訳。
間口60間(108m)奥行30間(54m)の1800坪の敷地。
ここでは磔・獄門などの刑罰や死刑者、行倒れ者の埋葬、遺体を使った刀の試し切りや解剖も行われていたそうです。
橋本左内先生のお墓
吉田松陰先生のお墓。
松陰二十一回猛士と書かれています。
たしか教科書でみたような。。
解体新書のマーク?
「首切り地蔵」
「泪橋」
吉田松陰先生が小伝馬町の牢獄から小塚原刑場へ移されたときに通られた
泪橋。いまは交差点に名前を残すのみ。
位置的には回向院さんから徒歩5分くらい。
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