明治天皇が大阪に来られたのは
明治5年旧暦5月下旬から7月中旬の49日間で伊勢、大阪、西海道方面へ行かれています。
5月23日に浜離宮、品川沖から高尾丸に乗船、帰路は広島丸。岩倉右大臣、木戸顧問、大久保内務卿をはじめ230人。
5月28日には大阪行在所となった西本願寺津村別院で宿泊。5月30日には八軒屋浜から淀川を上り伏見へ。6月4日に大阪に戻り造幣局、ここで泉布館というお名前をいただき、7日には小豆島へ。
明治5年(1872年)は少々ややこしくて、暦が太陰暦から太陽暦に変わりました。
11月9日に太政官布告があり、明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日とすることになりました。
また、明治10年の1月下旬と7月末。
1月24日大和国並西京都行幸。横浜から高尾丸に乗船され、26日に三重県鳥羽港、
1月30日に京都の後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)なので、きっと泉涌寺。
孝明天皇の十年御式年祭御親祭へご参加されています。
神武天皇の陵がある大和三山 畝傍山
堺方面から2月14日に住吉神社、天下茶屋では橋本尚史郎宅御小休、操練場、砲兵支省、造幣局、大阪府裁判所から大阪府庁、東本願寺。
2月16日には中島精糖所、堂島製藍所から梅田停車場発御七條停車場、京都西本願寺飛雲閣から京都御所へご宿泊。
大阪市役所にある碑はこの時のものかと考えられ、正面右手の駐車場スロープ入り口付近の植え込みの中にあります。
明治天皇は、2月19日に「鹿児島暴徒征伐」を布告されている。これは日本国内の最大の内戦といわれる西南戦争(明治10年1月29日から9月24日)に対して。
江戸から明治になってわずか10年。まだまだ国内が慌ただしく動いている大変な時代だったのでしょう。









