私が覚えている限りの古い記憶の中の一つにS58年3月に亡くなった祖父との思い出があります。
天王寺公園が今のように人工の美しさではなく、戦後の荒れ果てた大阪からの復興を模索、発展、成長を目指し「植物園」「図書館」があり、そして長い坂を下ったところに「動物園」の入り口があった頃、そしてその坂のいたるところにいわゆる「自由人」が集まり、バラック小屋で歌や踊りを楽しんでいる風景が普通に見らていたころの記憶です。
医薬品のブローカーのような仕事をしていた祖父のお取引先のあったジャンジャン横丁の中にあるお店に連れていかれいて、ひとしきり仕事のお話をした後、茶色のアンプル剤をポキッと折り私に飲ませ「はよ。おおきゅうなれよ(大きくなれよ)」と祖父は笑っていました。
その帰りは「慶沢園」を手を引かれながらひとしきり散歩したものでした。
そして昨日は本当に数年ぶりに「慶沢園」を訪れその懐かしい記憶を思い出していました。
その帰りは「慶沢園」を手を引かれながらひとしきり散歩したものでした。
そして昨日は本当に数年ぶりに「慶沢園」を訪れその懐かしい記憶を思い出していました。
すぐ横の「てんしば」では、おおさかもん祭り2023が開催、賑やかな歓声と吹奏楽の音色が聞こえ日本庭園らしい小鳥の鳴き声や小鳥のさえずりは聞こえず静寂性は失われていました。それ以上にこの数十年に建造された構想マンションや商業ビル、最大の高さを誇るハルカスがなんとも調和性を欠いた状態で見えることに相まり私たちが経済の発展を選択したからに他ならない。
景観や歓声は避けることができないが、海外からのお客様に対してあまりの手入れがされていないことを大変恥ずかしく思う。
だしっぱなしの脚立や水やりホース、伸び放題の松や紅葉、濁り切り、悪臭さえ感じる池。
「昔はこんなではなかったはず・・・」
景観や歓声は避けることができないが、海外からのお客様に対してあまりの手入れがされていないことを大変恥ずかしく思う。
だしっぱなしの脚立や水やりホース、伸び放題の松や紅葉、濁り切り、悪臭さえ感じる池。
「昔はこんなではなかったはず・・・」
大阪市はお金のかけるポイントを誤っている。見えることろだけキレイにし、見えないところには蓋をする・・。壊すのなんて容易いこと、お金を出せば簡単に作られる、しかし維持し、発展させることまで考えないで実行することは無能であり愚者にほかならない。
先日行ってきた「足立美術館」や「久保惣美術館」なみの手入れをしてくれと言ってるわけではない、慶沢園の入園料150円を500円にしてもいいから、もうすこし誇れるお庭にして欲しいものです。
先日行ってきた「足立美術館」や「久保惣美術館」なみの手入れをしてくれと言ってるわけではない、慶沢園の入園料150円を500円にしてもいいから、もうすこし誇れるお庭にして欲しいものです。
せっかくなので、久しぶりに「佐久良東雄先生の碑」を参拝してきました。現在大工事中の大阪市立美術館のすぐ前の茂みの中にひっそりとたたずんでいます。
当時の体制に対し衝撃を与えた「桜田門外の変」に関与し投獄されたものの、獄中で「徳川の粟は食まず」と断食され自ら命を亡くされています。
「花のあらしに散るをみて
事しあらば我が大君の大御為(おおみため)
人もかくこそ散るべかりけり」乃木希典書 大阪府知事安井英二撰文
昭和10年に建立さえたこの碑は忍び寄る日中戦争に対する政府のプロバガンダなのか・・それとも純粋な顕彰の思いなのかわかりませんが、今の国際社会を含めて終末に進まないように声を上げる事が必要なんだと感じた一日になりました。
「花のあらしに散るをみて
事しあらば我が大君の大御為(おおみため)
人もかくこそ散るべかりけり」乃木希典書 大阪府知事安井英二撰文
昭和10年に建立さえたこの碑は忍び寄る日中戦争に対する政府のプロバガンダなのか・・それとも純粋な顕彰の思いなのかわかりませんが、今の国際社会を含めて終末に進まないように声を上げる事が必要なんだと感じた一日になりました。
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此地ハ贈従四位佐久良東雄先生ノ墓ノ在リシ所ナリ
先生ハ常陸ノ人、初メ仏門ニ入リシカ、深く国典ヲ究メ、
国体ニ徹シ、遂ニ慨然還俗シテ義ヲ宣ヘテ皇政ヲ中興セントシ、
居ヲ大阪ニ移シテ同志ト謀ヲ通セシカ、
不幸幕吏ノ捕フル所トナリ、遂ニ命ヲ失フ、
時ニ萬延元年六月二十一日、享年五十一。
然レトモ其精神ハ永ク文ニ寓シテ長ク後人ヲ観感興起セシム。
今ヤ其墓既ニ転々他ニ移リシト雖モ、此地ハサルトハ克ク其霊ヲ安ンセン所、
到底之ヲ湮滅セシムルニ忍ヒサルト、乃チ新ニ碑ヲ建テ、之ヲ表ス、
碑面ノ刻ル所ハ先生ノ詠ニシテ、而シテ往年乃木大将ノ揮毫ニス係ル、
以テ先生忠義ノ精神ヲ長ク後来ニ傳フルニ足ラン。
昭和十年十一月四日
大阪府知事 安井英二
この場所は、従四位を贈られた佐久良東雄先生の、かつてお墓があった場所である。
先生は常陸国(現在の茨城県)の出身で、初めは仏門に入られたが、深く我が国の古典を研究して国体に徹し、
ついに一念発起して俗世に戻られた。そして、正義を世に説き、朝廷の政治を再興(明治維新の先駆け)しようと志した。
住まいを大坂に移して同志たちと計画を練っていたが、運悪く幕府の役人に捕らえられてしまい、
ついに命を落とされた。時は万延元年(1860年)6月21日、享年51歳であった。
しかしながら、先生の精神は永くその文章に宿り、末永く後世の人々を感動させ、
奮い立たせている。今となっては、先生のお墓自体は別の場所へ転々と移ってしまったとはいえ、
この地こそがまさに先生の御霊を安らかに落ち着かせる場所であり、
ここを歴史の彼方に埋もれさせてしまうのは忍びない。
そこで、このたび新しく碑を建てて、その由緒を顕彰することとした。
碑の表面に刻まれているのは先生自身が詠まれた歌であり、それはかつて乃木希典大将が
揮毫されたものである。これにより、先生の忠義の精神を永く未来へと伝えるに十分なものとなるであろう。
昭和10年(1935年)11月4日
大阪府知事 安井英二
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