大正14年8月30日、天王寺公園に於いて打上げ煙火の為
本殿お屋根が炎上し後、また大阪市都市計画により
境内の減縮を来し本殿の位置を後退の上
氏子の献金により俊築し昭和4年7月竣工する。
依りてここに石灯篭を献しこの由来を記す。
昭和7年12月 堀越神社
ということで、屋根が炎上したきっかけは大正14年8月30日の出来事。
3月14日より4月30日の期間中に天王寺公園付近で行われた「大大阪記念博覧会」が原因。
当時の市長は第七代市長関一氏。この4月1日に浪速区、天王寺区、港区、此花区、東淀川区、西淀川区、西成区、住吉区が生まれている。
大大阪時代は、この第二次市域拡張により市の面積は日本一となる。また人口も東京市の199万人を抜き日本一。しかも世界第6位。※東京は大正12年の関東大震災で一時的に人口減少
※引用 大阪市の歴史 大阪市史編纂所編


