昨年は大阪住之江にある護国神社さんへ参拝できましたが今年は所用で参拝できませんでした。それでも正午12時にはテレビ放映されていた第81回目の終戦の日「全国戦没者追悼式」を見ることができ、テレビの前に向かい「君が代」を斉唱し「高市総理の挨拶」そして「天皇陛下のお言葉」を拝聴させていただきました。
私はもちろん戦争を知らない世代ですが、母は昭和13年生まれ。学童疎開、機銃掃射、模擬原爆の恐怖と戦い、大阪一面焼け野原だったことを私に何度も話してくれました。
記憶を受けぐ事はとても大切な事、それでも振り絞るような思いで辛かった記憶を話してくれた母には本当に感謝しています。
戦前は大阪港区石田呉服町で親子3人で暮らし、戦争が激しくなる前に滋賀県近江八幡の市辺村へ疎開、戦中、戦後は大阪の田辺村で数年間暮らしたあと、令和3年まで暮らした場所へ引っ越してきたそうです。
田辺村では逃げ惑う子供達を揶揄うように機銃掃射があり、道脇に流れる小川に飛び込んで助かった話や、田辺では模擬原爆の爆風を体験、焼け野原の港区にポツンと我が家の冷蔵庫だけが立っていたそうです。
我が家に眠る戦禍の写真

