ところが・・・・・
◎三国干渉(1895年(明治28年4月23日)
日本の南下を警戒したロシアは、ドイツ・フランスを引き連れて「遼東半島を日本が取るなんて清の首都も危ないし、東アジアの平和が乱れる!」と、まさかの返還要求をつきつけてきます。首謀者はもちろんロシア。日本が断れば戦争も辞さないという、超強硬スタンスです。「誠実な友好」どころか、完全に脅しです。
ロシアの本当の狙いは、1年中凍らない港・旅順を手に入れることでした。
一方、ドイツが乗っかったのは「ロシアの目を東アジアに向けさせて、欧州での自国の脅威を減らしたい」から。フランスも「露ドの緊張がほぐれれば自国も安泰」という計算がありました。実はこれ、清国も一役買っていたと言われています。講和会議の真っ最中から日本側の情報を露英にリークして、わざと列強に干渉させ、日本を押さえ込もうとしていたフシがあるんです。とはいえ、ロシア・フランス・ドイツの3か国連合軍に、当時の日本の陸海軍が勝てるわけもありません。誰の目にも負けは明らかでした。5月4日、明治政府は泣く泣く干渉を受け入れ、遼東半島の放棄を決定します。
こうして日本は涙をのんで遼東半島を返し、国内には「今に見ておけ!」というロシアへの激しい敵対心(臥薪嘗胆)が炸裂。これがのちの日露戦争へと繋がっていくことになります。
明治天皇は「遼東還付の詔」を出されました。
「日本が清国と戦うことになったのは東洋平和のためであり、露仏独の三国も東洋の平和を考えての忠告だという。また、時局を難しくし、国民生活を苦しくし、国運伸張を妨げることは望ましくない。 そこで政府に遼東半島の還付を命じた。国民は平和を図るという意図を理解し、時勢を大局から深くとらえ、国家の大計を誤まらないようにしてほしい」
これは国民に生じた負の思いをやわらげ、軽挙妄動に走らせないための詔勅であったといえるでしょう。
さらに・・
◆ロシアの動き
◎李鴻章・ロバノフ協定(露清密約)1896年(明治29年6月3日)、ロシアは清国と締結。
対日相互援助:日本が東アジア(ロシア、清国、朝鮮)の領域に侵略した場合、両国は全軍隊で相互に援助し合う。
◎東清鉄道の敷設権獲得:ロシア軍が清国領域へ迅速に軍隊・補給品を輸送できるよう、満洲(中国東北部)を横断してウラジオストクに至る鉄道の敷設権をロシア側に許与する。
◎軍港の利用:有事の際、清国の港湾をロシア艦隊に開放する。
清国としては「日本に対抗するための防壁」としてロシアに権利を与えたつもりでしたが
ロシアの目的は軍事同盟そのものよりも満洲への勢力拡張(鉄道敷設権の獲得)にありました。
◎旅順・大連租借条約(露清条約)1898年3月
1897年、ドイツが膠州湾(青島)を占領したことに乗じ、ロシアも太平洋への不凍港を求めて軍艦を旅順・大連へ派遣。清国に圧力をかけ、遼東半島の先端部(旅順・大連)を25年間租借する権利と、東清鉄道の支線(旅順・大連へ伸びる南満州鉄道の前身)の敷設権を獲得。
清国(李鴻章)は、日清戦争後に日本から遼東半島を守ってくれた「恩人」としてロシアを頼り、露清密約を結びました。しかしロシアは、その密約で得た橋頭堡を利用してわずか2年後に「かつて日本から還付させたはずの遼東半島(旅順・大連)を自ら強奪した」ことになります。
このロシアの「裏切り」とも言える一連の動きにより、日本国内では対露感情が一気に悪化し、「臥薪嘗胆」の合言葉とともに日露戦争への道を突き進むことになりました。
強まるロシアの脅威を念頭に置いて、明治政府は軍備拡張に力を注ぎ、清国から得た賠償金はほとんどが軍事費に回されましたが、それだけで足りるはずもなく、増税によってまかなうことになります。
大国と思われていた清国の弱体が露呈したため、欧米列強(ロシア・ドイツ・イギリス・フランスなど)が一斉に清国へ進出し、借款や租借地(利権)を奪い合う「清国分割」が加速、日本は東アジアの新興強国として認められ、戦争中・直後には欧米列強との間で
悲願であった不平等条約の改正(治外法権の撤廃)が達成されました。また、得られた巨額の賠償金は八幡製鉄所の建設や金本位制への移行に充てられ、日本の産業革命と軍備拡張を急速に進めさせました。
1894年(明治27年)7月に朝鮮半島の忠清道・成歓(ソンファン)で行われた成歓の戦い(陸上の開戦)の様子を描いた作品(「成歓激戦之図」)
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19世紀末における主要列強および日本の植民地・領有地
■ アジア・太平洋地域
| 国名 |
特徴・進出の背景 |
主な領有地・植民地 |
| イギリス |
アジア支配の拠点。東南アジアの海上交通路(マラッカ海峡)を掌握。 |
インド、ビルマ(ミャンマー)、マレー半島、香港 |
| フランス |
メコン川・紅川流域から中国南部への進出ルートを構築。 |
仏領インドシナ(ベトナム・カンボジア・ラオス)、広州湾 |
| オランダ |
香料貿易以来の拠点を背景に、島嶼部全域を支配。 |
オランダ領東インド(インドネシア全域) |
| アメリカ |
米西戦争(1898年)により太平洋・アジア進出の拠点を一挙獲得。 |
フィリピン、グアム、ハワイ(併合)、サモアの一部 |
| ロシア |
陸続きで南下を進め、太平洋および不凍港を目指す。 |
沿海州、中央アジア(ウズベキスタン等)、旅順・大連 |
| ドイツ |
後発として太平洋の島々や中国の港を獲得。 |
膠州湾(青島)、ミクロネシア諸島(マーシャル諸島等) |
| 日本 |
日清戦争(1894–1895年)の勝利により獲得。 |
台湾、澎湖諸島 |
■ アフリカ地域
| 国名 |
特徴・進出の背景 |
主な領有地・植民地 |
| イギリス |
アフリカを縦断(カイロ〜ケープタウン)する縦断政策を展開。 |
エジプト、スーダン、ナイジェリア、ケニア、南アフリカ |
| フランス |
大西洋から紅海へ向かう横断政策を展開(イギリスと衝突)。 |
アルジェリア、チュニジア、西アフリカ全域、マダガスカル |
| ドイツ |
ビスマルク主導で参入し、東西のアフリカ各地を押さえる。 |
カメルーン、トーゴ、東アフリカ(タンザニア)、南西アフリカ |
| ベルギー |
国王レオポルド2世の私有地として出発し、ゴム・鉱山資源を搾取。 |
コンゴ自由国(のちのベルギー領コンゴ) |
| ポルトガル |
大航海時代からの古い沿岸拠点を内陸部へ拡大。 |
アンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウ |
| イタリア |
後発で進出するも、エチオピア(アドワの戦い)で撃退される。 |
エリトリア、ソマリア |