落語ファンならピンとくるかもしれません。立川志の輔さんの名演『質屋暦』。
明治5年11月9日に政府から驚きの発表がありました!「明治5年12月2日の次の日は明治6年1月1日になります」この発表で町民は大慌て!
明治5年12月3日が消え去ったことで大混乱に陥る町人たちを描いた落語ですが、これが実にわかりやすくて面白いんですよね。
今回は、落語の題材にもなった「明治の改暦騒動」の裏にある、「太陽暦」と「太陰太陽暦(旧暦)」の仕組み、そして「閏月(うるうづき)」の知られざる謎についてじっくり解説します!
1. 私たちが今使っている「太陽暦(グレゴリオ暦)」のルール
現在、世界中で使われているカレンダーは「太陽暦(グレゴリオ暦)」です。これは「地球が太陽の周りを1周する時間」を「1年」とする暦です。
地球が太陽の周りを回る周期は、正確には約365.2422日。この「0.2422日」を時間や分に換算してみましょう。
0.2422 × 24時間 = 5.8128時間
0.8128 × 60分 = 48.768分
0.768 × 60秒 = 46.08秒
つまり、1年は正確には「365日5時間48分46秒」となります。
毎年約6時間のズレが生じるため、そのままにすると季節とカレンダーがどんどん離れてしまいます。そこでご存じの通り、「4年に1度、2月を29日にする(閏年)」ことで調整しているわけです。
【閏年(うるうどし)の法則】
西暦が4で割り切れる年は「閏年」(例:2024年、2028年)
ただし、100で割り切れる年は「平年」(例:1900年、2100年)
ただし、400で割り切れる年はやっぱり「閏年」(例:1600年、2000年)
2. 幕末ドラマによく出る「閏○月」の正体
歴史の教科書に載っているあの事件も、実は「閏月」に起きています。
1603年(慶長8年 閏1月): 徳川家康が征夷大将軍に就任(正月にあたる月が2回!)
1702-03年(元禄15年 閏8月):吉良邸討ち入り(12月14日)※現在の1月31日頃
1783年(天明3年 閏10月): 浅間山の大噴火(天明の大飢饉が深刻化)
1837年(天保8年 閏4月): 大塩平八郎の乱
1860年(万延元年 閏3月): 桜田門外の変(3月3日)の翌月が「閏3月」
1868年(明治元年/慶応4年 閏4月): 戊辰戦争
なぜこんなことが起きるのか?その原因こそが、当時使われていた「太陰太陽暦(旧暦)」です。
3. なぜ「1年が13か月」になるのか?(無中置閏法)
農業や漁業を営む上で、太陽の動き(季節)を把握することは命綱です。
しかし、月の満ち欠け(1か月=約29.5日)を基準に12か月を計算すると、1年は約354日にしかなりません。太陽の1年(約365日)と比べると、3年で約33日(約1か月分)もズレてしまうのです。
そこで昔の人は、「約2、3年に1度、1か月丸ごと『閏月』として挟み込む」ことで、強引に季節を同期させていました。
では、一体どのタイミングで「閏月」を入れていたのでしょうか?ここで登場するのが「無中置閏法(むちゅうちじゅんほう)」というルールです。
二十四節気のしくみ
1年を24等分した「二十四節気」は、奇数番目の「中気」と、偶数番目の「節気」に分かれます。
春: 【節気】立春、啓蟄、清明 / 【中気】雨水、春分、穀雨
夏: 【節気】立夏、芒種、小暑 / 【中気】小満、夏至、大暑
秋: 【節気】立秋、白露、寒露 / 【中気】処暑、秋分、霜降
冬: 【節気】立冬、大雪、小寒 / 【中気】小雪、冬至、大寒
基本ルールは「冬至が含まれる月を必ず11月とする」こと。
通常は1か月の間に「中気」が1つ入ります。しかし、月の満ち欠け周期(約29.5日)は中気の間隔(約30.5日)より少し短いため、2〜3年に一度「中気が入らない月(無中気月)」が発生します。
この「中気が入らない月」ができたとき、その月を直前の月の『閏月』とするのが決まりだったのです。
地球の軌道はきれいな円ではなく「楕円」を描いているため、季節によって中気の間隔は変わります。江戸時代の265年間で、98回の閏月(=1年が13か月ある年)が存在しました。
4. 日本の「歴代カレンダー」進化の歴史
江戸時代に使われていた太陰太陽暦は、何度も改良が重ねられてきました。
① 宣明暦(せんみょうれき)
使用期間: 862年〜1684年(約823年間)
平安時代から江戸初期まで使われた中国(唐)製の暦。長年の使用で実際の天体運動と大きなズレが生じていました。
② 貞享暦(じょうきょうれき)
使用期間: 1685年〜1755年(約70年間)
渋川春海が作った日本初の国産暦。京都の経緯度をもとに作成され、映画・小説『天地明察』の題材にもなりました。2012年には映画になりしっかり鑑賞していました!
③ 宝暦暦(ほうれきれき)
使用期間: 1755年〜1798年(約43年間)
朝廷(土御門泰邦:つちみかど やすくに)と幕府の政治的争いから生まれた2番目の国産暦。残念ながらあまり精度が高くありませんでした。
④ 寛政暦(かんせいれき)
使用期間: 1798年〜1844年(約46年間)
高橋至時(伊能忠敬の師匠で大阪出身!)や間重富(大阪の長堀橋当たり出身)らが西洋天文学を本格導入して作った傑作暦。精度が飛躍的に向上しました。麻田剛立が二人の師匠で大阪三休橋(本町3丁目3-4)に先事館を作り天文暦学の私塾を作っていました。
⑤ 天保暦(てんぽうれき)
使用期間: 1844年〜1872年(約29年間)
日本最後の太陰太陽暦。運用開始から29年後の明治5年12月3日、突如「太陽暦」へと変更され、明治5年12月3日は「明治6年1月1日」となりました。
5. カレンダーはどうやって庶民に届いていた?
江戸時代、来年のカレンダーを作るのは命がけの一大プロジェクトでした。
幕府の天文学者(天文方)が天体観測と複雑な計算で「翌年の閏月の位置」や「大の月(30日)・小の月(29日)」を割り出し、幕府の最高権力者である「老中」に提出して承認を得る。
京都の朝廷(土御門家)へ送り、天皇の許しを得る「具注暦進献(ぐちゅうれきしんけん)」の儀式を行う。
正式決定した情報を全国の「暦問屋(暦師)」に渡し、木版印刷で伊勢暦・京都暦・江戸暦などを印刷 毎年11月1日に一斉販売!
こうして全国の庶民の手元に翌年のカレンダーが届けられていたのです。落語でも、「伊勢参りの時に暦を買ってきてくれ!」というくだりがありました。
現在のグレゴリオ暦の前の暦はユリウス暦。
どちらも太陽暦ですが1582年、ローマ教皇グレゴリウス13世がグレゴリオ暦を導入した際に、ユリウス暦時代に生じていた約10日分のズレを正すため1582年10月4日(木) の翌日を 1582年10月15日(金)としました。
これにより、10月5日から10月14日までの10日間が世界で初めてカレンダーから消滅しました。なお、曜日の連続性を保つため、木曜日の翌日はそのまま金曜日として扱われました。
おもしろいのは国ごとにこの移行タイミングが異なるので空白期間が異なる事です。
イタリア・スペイン等(カトリック諸国)1582年10月5日 〜 10月14日
イギリス・アメリカ植民地1752年9月月3日 〜 9月13日
日本 1872年12月3日 〜 12月31日
ロシア 1918年2月1日 〜 2月13日
ギリシャ1923年2月16日 〜 2月28日
おわりに:完全に季節がズレていく「純粋太陰暦」の世界
ちなみに、太陽の動きをいっさい考慮せず、純粋に月の満ち欠けだけで運用する暦を「純粋太陰暦」と呼びます。その代表例がイスラム教で使われる「ヒジュラ暦(イスラム暦)」です。
閏月による調整を行わないため、毎年約11日ずつ季節が前にズレていきます。そのため、イスラム教の断食月(ラマダン)は、年によって「猛暑の夏」になることもあれば「過ごしやすい冬」になることもあるのだとか!
これで時代劇や幕末史のお勉強のときにモヤモヤすることが無くなりました!


