明治天皇の足跡を訪ねて 住吉大社

2026/08/13

明治 明治天皇聖躅 歴史

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 明治天皇は住吉大社を数度訪問されています。

明治元年4月20日 住吉神社にご参拝。御途中天下茶屋是齋屋に御小休。
明治10年2月14日 堺御発輩、住吉神社に御参拝。天下茶屋橋本尚四郎邸に御小休。
明治20年2月15日 皇后宮難波停車場御発、住吉神社に御参拝、西公園三文字屋に御小休。天皇、皇后行在所に於いて能楽及煙火天覧。

その中でも特に着目したのは明治元年4月の行幸。

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慶応4年(1868年)3月30日

(明治天皇が)大阪の津村御堂の行在所(あんざいしょ)におられる際、お天気を伺うために参内した。その際、住吉の海で獲れたハマグリを献上したところ、神祇事務局の白川三位資訓卿(しらかわさんみすけのりきょう)から次のように伝えられた。
 「本日のお天気伺いとハマグリの献上について報告を受けた。主上(明治天皇)もお気に召され、早速お召し上がりになられた。この旨を確かにお伝えするように」とのことだった。*

同年4月9日 お天気を伺うため、行在所へ参内した。
同年4月17日 (天皇が)住吉神社へお出まし(行幸)になる件について、下見(巡見)のために坊城三位俊政卿と千種正四位有文朝臣が國美(津守國美)の邸宅にお越しになった。
同年4月19日 三条右大臣実美(さんじょうさねとみ)公がお越しになり、津守家の家系図をご覧になった。
同年4月20日(明治天皇が)住吉神社へお出ましになり、國美の邸宅にお入りになった。正印殿のお庭にて弓馬の御実演(流鏑馬など)のご覧があり、國美は衣冠姿で主上(天皇)の御前にお供した。
中山大納言忠能(なかやまただよし)卿からの口頭のお言葉は以下の通り。
 「代々続く旧家の由緒に基づく今日のお出ましにつき、大変お気に召されたご様子で『幾久しく』とのお言葉があった」
(和歌:住吉の神様も、ずっと待ち望んでいた天皇のお出ましをきっと喜んでおられることだろう)

同年4月21日 行在所へ(前日の御幸に対する)恐悦(感謝のお礼)のため参内した。
同年4月23日 行在所にて、以下を下賜(賜りもの)された。
銀貨 20枚 羽二重(高級な絹織物) 2反(2つ揃え)

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津守家(津守氏)は、古代から大阪の住吉大社の宮司(神主)を世襲した名家です。神功皇后から難波の港(津)を守る役目を与えられたのが始まりとされ、歴史や系図、和歌の伝統を伝える家系として知られています。

 津守國美氏は住吉神社第74代神主。明治維新後は華族に加列し、官幣大社住吉神社の少宮司、大宮司をへて同宮司、別格官幣社阿部野神社、官幣大社枚岡神社、官幣大社大鳥神社の宮司を歴任して、明治25年に住吉神社宮司に再任、明治34年まで奉仕。
引用 「住吉公園歴史探訪」第22号

このお泊りになられた場所は





住吉神社舊祠官津守氏居館内正印殿の一部なり
後村上天皇正平七年二月二十八日賀名生の行宮より着御津守國夏ノ館を御座所と定め給ひ 閏二月十五日迄御駐輦あらせられ 其の後正平十五年觀心寺行宮より再び行幸あり 同二十三年三月十一日遂に此の行宮に於て崩御遊ばされたり 而して明治元年四月二十日 明治天皇住吉神社行幸の砌 正印殿に御小休憩はされたり
昭和十六年三月十一日  文部省

本施設は、住吉神社の旧祠官(神職の家柄)であった津守(つもり)氏の居館内にあった「正印殿(しょういんでん)」の一部です。
後村上天皇は、正平7年(1352年)2月28日、賀名生(かなう/奈良県五條市)の行宮(仮の御所)からお着きになり、津守国夏(つもり くになつ)の館を御所とお定めになって、閏2月15日までご滞在(駐輦)なさいました。その後、正平15年(1360年)に観心寺(大阪府河内長野市)の行宮より再びお出ましになり、正平23年(1368年)3月11日、ついにこの行宮(津守邸)にて崩御されました。
また、明治元年(1868年)4月20日には、明治天皇が住吉神社へお出まし(行幸)の際、この正印殿でご休憩なさいました。
昭和16年(1941年)3月11日  文部省

住吉大社さんは今までに何度も参拝していますがこの場所はなかなか気づかない場所にあります。お近くに行かれた際はぜひご参拝ください。






そして、住吉大社さんにはもう一か所、明治天皇が立ち寄られた場所があります。
平素は非公開の場所で、開放されることのない神館は、大正天皇の御即位大礼を記念して建立された歴史的建造物。




門の隙間からなんとか撮影できました(;'∀')


当時は北御堂から住吉さんまでの移動の際に『御觸』(お触書)がでたらしく、大阪の町は大変だったようです。
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『お触れ書き』(慶応4年)辰4月18日夜 急なお触れ

明後日20日の卯の刻(午前6時頃)、住吉神社へお出まし(天皇の行幸)になる旨がお達しになった。お通りになる道筋は、表御門から安土町通・境筋の左右、長堀橋ならびに日本橋通をお通りになり、長町九丁目まで、それより南は本街道(紀州街道)をお通りになる。お帰りの道筋も、行きのお通りと同じ通りとする。ただし、雨天の場合は順延とする。
この趣旨を、お通りになる道筋の各町へ至急言い触らすこと。

辰4月18日 裁判所 惣年寄中

明後日20日の住吉神社への行幸に際しては、お通りになる道筋の町家および諸屋敷において、鳳輦(ほうれん/天皇の乗る輿)が見えてくる近隣の家々では、見張り台(火の見)や二階の屋根などに登って見下ろして眺めることは固く禁止する。

お通りになる道筋の1町(約109メートル)ほど左右離れた場所に縄を張り、お通りの際は町人が群がって行き来するのを禁止(通行止め)とすること。
お通りの際は、町家は店を片付け、家族は残らず土座(平伏)していること。
ただし、親類や知人を呼び寄せて大勢で群がるようなことがあってはならない。

一、お通りになる道筋から、非人や乞食を立ち退かせること。
一、川岸および橋をお通りになる際は、登町(河岸の船着場付近)あたりの場所まで控えて船の通行を行わないよう差し止める件につき、該当する川筋の両側に番船(見張り船)を出すこと。
一、お通りになる道筋の建物二階および浜側(川沿い)などの戸は閉めておくこと。
一、行幸当日は、各町で火の用心や見回り巡回を厳重に行うこと。
以上の趣旨をお通りになる道筋の各町へ触れ回らせ、不都合なことがないように取り計らい、当日は町役人が出向いて諸事の取り締まりを行うこと。
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大変だったみたいですね。
参考文献:明治天皇御降誕と大阪








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