先日から講談漬け。
ありがたいことに講談を聞いているときにはすっかりその世界に入り込んでいる。
その時間は間違いなく日常を忘れることが出来る。←ヾ(・・;)ォィォィ
定刻になると、旭堂南舟さんの簡単な挨拶のあと、旭堂南斗へ。
旭堂南斗 秀吉と利休
自ら元気だけがとりえですから!と宣言。他にもとりえはいっぱいあるんですけど・・。とかるーく笑いをとって講談へ。
このネタは昨年11/23の再演。当時は詳しく書いていないので今回は粗筋を書いてみます。
秀吉と利休・・・茶の湯の師弟関係ではあるものの、それが秀吉は面白くない。
利休が下座で秀吉が上座。それでは学ぶべきポイントもわからない。そこで利休を上座として秀吉が下座へ座ることに。
「藤吉郎!水をもて!」と利休が命令。その水の運び方に対して「腕が下がっている!目八分にもつのじゃ!」「足の出し方がわるい!」「畳のふちを踏んでいる!」等ぼろかす!
そこまでして茶の湯を学ぶのは何故?との問いに対し、「茶の作法に通じれば何事にも動じることはない」と言い切る利休に対し秀吉は、それでは利休を驚かせてやろう!と企んだ。
片桐勝元にアイデアを問いかけた秀吉に対し、槍の名手の亀井新十郎に茶を立てている利休の鼻先にいきなり槍の切っ先を突き出したら?と決まる!
しかし実際に実行してもさすが利休は動じることがない。
なんとか一泡ふかせたい秀吉はある日、深夜まで続いた雪見の宴の後でいきなり利休の屋敷へ行き、道明寺(お粥)を出せ!と乗り込む。
さて・・利休は・・・?
旭堂南舟 浪速侠客伝より 木津勘助
ありがたいことに講談を聞いているときにはすっかりその世界に入り込んでいる。
その時間は間違いなく日常を忘れることが出来る。←ヾ(・・;)ォィォィ
定刻になると、旭堂南舟さんの簡単な挨拶のあと、旭堂南斗へ。
旭堂南斗 秀吉と利休
自ら元気だけがとりえですから!と宣言。他にもとりえはいっぱいあるんですけど・・。とかるーく笑いをとって講談へ。
このネタは昨年11/23の再演。当時は詳しく書いていないので今回は粗筋を書いてみます。
秀吉と利休・・・茶の湯の師弟関係ではあるものの、それが秀吉は面白くない。
利休が下座で秀吉が上座。それでは学ぶべきポイントもわからない。そこで利休を上座として秀吉が下座へ座ることに。
「藤吉郎!水をもて!」と利休が命令。その水の運び方に対して「腕が下がっている!目八分にもつのじゃ!」「足の出し方がわるい!」「畳のふちを踏んでいる!」等ぼろかす!
そこまでして茶の湯を学ぶのは何故?との問いに対し、「茶の作法に通じれば何事にも動じることはない」と言い切る利休に対し秀吉は、それでは利休を驚かせてやろう!と企んだ。
片桐勝元にアイデアを問いかけた秀吉に対し、槍の名手の亀井新十郎に茶を立てている利休の鼻先にいきなり槍の切っ先を突き出したら?と決まる!
しかし実際に実行してもさすが利休は動じることがない。
なんとか一泡ふかせたい秀吉はある日、深夜まで続いた雪見の宴の後でいきなり利休の屋敷へ行き、道明寺(お粥)を出せ!と乗り込む。
さて・・利休は・・・?
旭堂南舟 浪速侠客伝より 木津勘助
マクラではAKB48の総選挙の仕組みを解説された上、1位から40位のフルネームを講談調で言われました。小拍子と張扇でパパン、パパン、パパン、パパン、パンパンと合いの手入り^^
さて、私が講談でどうしても聞きたかったのが木津勘助。そしてその願いをかなえてくれたのが南舟さんでした。2009/5/25ですからもう2年も前です。当時のBLOGを読み返しても粗筋は書いていなかったのでせっかくなので書いてみます。
大坂の豪商、今橋に店を構える十兵衛の暖簾を頭で押し分けて男が入ってくる。
「ごめんやで。十兵衛、いてるか!」
その男の身なりは、立派な店に似つかわない質素で薄汚れた着物。
てっきり「菜売り」と間違えた番頭と一悶着がり当主の淀屋十兵衛が応対をすることに。
その男は木津に住む勘助。「おまえ、最近無くしたもん、無いか?」と非常に怒りに満ちた口調。
難波にある「鉄眼寺」へ墓参りに行った際に、ふくさ包みを無くし、その中には判子と20両の金が入ってあったそう。
勘助は和尚さんより、墓石の上に置き忘れていたふくさ包みを淀十へ届けるよう頼まれ持ってきたのだった。
「ご先祖様が大切で数珠を出すときについ、隣の墓石に置いた?となりの小さな墓石の持ち主も先祖が大切なんや。自分さえよかったらそれでいいという、金持ち根性が大嫌いだから怒ってるんだ」
と話すと、さすが大店、素直に自分の非を認めて、これがきっかけで、貧乏な勘助と大金持ちの淀屋さんとの奇妙な交際が始まった・・・・。
この話は落語にもなっていますが、私もこの木津勘助さんには非常に思い入れがあり、大坂の多数の民衆を救った正義のヒーローであることを知っている方があまりにも少なくて残念です。
旭堂南左衛門 左甚五郎伝より 竹の水仙
講談の練習についてお話をされました。題材として「三方ケ原戦記」。修羅場読みして講談の独特の口調を作るとの事。そんな修行を終え、先日は南舟さんが前座に。そして斗さんは今年12/15に晴れて前座となられるとのこと。
さて竹の水仙は落語ネタにもなっていますが、講談ではきっちりと設定がされているのが大きく違うところ。舞台は尾張の国、なるみの宿。宿屋の名前は大松屋。
もちろん落語のようなオチはありませんがそれでも設定が細かい分だけ世界に入り込みやすくなっています。
旭堂南舟 霧隠才蔵
九度山での講談会の話をされました。
九度山より著名なスポーツ選手を輩出しているらしく、現在の横浜ベイスターズの尾花監督、NHKのスポーツ解説で、日本代表野球の杉浦さん、PL清原の時の監督さん・・・?など。残念ながら私は野球がハテナな人なのでよくわかんなかったけど九度山恐るべしww
さて、関ヶ原の戦いで西軍に味方した真田昌幸と真田幸村は九度山で蟄居することとなった。
その長い蟄居生活の中で、父の昌幸が亡くなり、妻も亡くなってしまう。また上田にいた母も亡くなったしらせが。
ショックで気が抜けてしまった幸村は、高野山へ経を読む生活へ。
当時の和歌山藩主の浅野 長晟(ながあきら)は参勤交代の際に家康に、幸村の近況を尋ねられる。
「すっかり気が抜けてまるであほうの様」と答えたところ、家康は「そろそろはじまったか!」と一瞬でその裏を見抜いた。
それもののはず、毎晩、幸村は息子の大助に軍学を教えていたのでした。
さっそく幸村を暗殺に向かった忍びの者の山本九兵衛は・・・・。
今日はおもいっきり暑い日。動楽亭付近の駐車場はあまりに少ないために、大国町の駅前に停め、地下鉄で一駅・・の予定でしたが、あまりの暑さで断念してタクシーで会場まで。
15分前に到着したものの開場の13:30までは下の門が開いていないよう。すでに数人が暑い中で待っている。桂あおばさんが、旗を出しにきた際に「すぐに上がれるように往ってきます」と機転を利かせてくださいました。
高座で「暑いところ・・云々」よりも、あおばさんに行動のほうがはるかに説得力がある。
杓子定規は大切だけど、お客さんの気持ちを考えることの方が大切。当BLOGで説教めいたことを書く場合はすべてこのあたりがテーマ。春と秋だけじゃない。雪の日、雨の日、寒い日、暑い日があることを忘れちゃダメ。