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2017/04/23

2017 4/23 大阪護国神社

良く晴れた23日は、かねてから参拝したかった「護国神社」さんへお参りをしてきました。

この護国神社さんは、昭和15年創建で新しい神社になりますがそれでもその意義は非常に重く、支那事変をきっかけとして、英霊に参拝をしたいという人々の願いからこの大阪の地に建てられたそう。

天誅組、西南の役、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争に関する英霊の御霊を祀りしているとの事。しかしながら昭和20年の敗戦後は、当然に禁止されたために仁徳天皇をごお祀りするための「浪速宮」と改称その後、昭和27年のサンフランシスコ講和条約締結後に大阪護國神社になったとの事。
先般いってきました靖国神社さんのような静けさとなかに凛と張り詰めた空気の中に様々な慰霊碑があり、しっかりと手を合わせてまいりました。

大阪護国神社   http://www.osakagokoku.or.jp/










それぞれの慰霊の碑に記載されている銘板を読み進めるうちにどうしても私の脳裏に浮かぶ「君臣湊川」「七生報国」の言葉。


楠木正成公が、圧倒的不利で負けるとわかっていた戦いにおいても当時の後醍醐天皇の命にしたがい湊川の戦いで戦死をしたというエピソードで、これは幕末史に何度も登場するキーワードで第二次世界大戦中からすると650年程度前の話。

また幕末からすると550年程度前の話。現在からすると730年ほど前のお話。
「君臣湊川」の決意は長州藩が幕末の方針をめぐり意見が分かれた結果、藩の方向性を破約攘夷とさだめ、その心意気を「君臣湊川の決意」と評した。

また「七生報国」は七回生まれ変わってでも朝敵を倒し(朝廷に)報いたいという楠木正成公自刃の言葉とされています。

これが上述のとおり、赤穂浪士や幕末の動乱期、そして数度にわたる近代の戦争に登場しています。
現代人としてとても複雑な心境で心が痛み、国の安寧を信じ、それぞれの思いを信じ
御霊となられた方々の安らかな眠りを祈るほかありません。
そして 朝鮮半島をや中東をめぐり様々な戦いの火種がある現在、どうぞ穏やかな解決がされることを祈ってやみません。