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2026/03/10

映像の世紀バタフライエフェクト 激動アジアの隣人たち 台湾130年の傷痕

 知らなかった事柄を映像を交えて教えてくれる大好きな番組「映像の世紀 バタフライエフェクト」。

今回は「台湾」について。

2021年3月に公共の場所にある蒋介石の銅像がすべて撤去された。その映像はとても無慈悲でクレーンなどの重機を使って取り壊していた。かつて中国を統治した中国国民党の指導者の銅像へペンキで落書きをされ、無惨にも首だけが道端に転がっている。

政府は独裁政治を行った蒋介石を批判した。その是非をめぐり市民は対立。200体以上の銅像が「慈湖紀念彫塑公園」に集められている。映像を見る限りなんとも恐ろしい光景です。

台湾は日清戦争により割譲され、1895年〜1945年の間、日本が統治。いわゆる植民地。戦後は、共産党との戦いに敗れた蒋介石が中華民国総統として国民党を率いて台湾にやってきた。

「我々は一刻も早く大陸の同胞を解放せねばならない 中華民国万歳!」と演説。共産党を倒すために1949年〜1987年の間戒厳令を維持、町中にはトーチカが作られた。大陸から来た外省人が、台湾出身者の本省人を統治。
本省人の娘が外省人に嫁ぐと親子の縁を切り、本省人の青年は国民党への入党を拒む。。外省人と本省人の間には根強い不信感が生まれる。

1971年に国際連盟から脱退を余儀なくされ「世界の孤児となり地球村の一員としての尊厳を失った」中華人民共和国が代表となる。

2013年に植民地時代の記録映画フイルムが多数見つかった。
「南進台湾」(国策記録映画)1937年に制作。台湾総督の小林躋造(せいぞう)が威厳ある敬礼をしている映像が映し出される。ダム、水路、灌漑用水を整備。道路、建築すべて総力をあげて発展に寄与。

当時の人口の大半を占めていたのは漢民族。17世紀に中国を支配していた清朝時代に多くの移民が入っている。山岳地帯には伝統的な暮らしをおこなっていた先住民の高砂族がいた。日本はすべての住民に対して同化政策を取る。

1937年の盧溝橋事件を発端とした日中戦争が始まると、同化政策を強化し軍人として精神修養をはじめ、皇軍としての自覚を植え付ける精神修養を目的とした国民道場を開始。名前を日本人風に改めさせることを推奨。

当時40歳の台湾作家「呉濁流」は漢民族で有りたいと願い、台湾をでて中国へ渡る。しかし、日本の植民地であった台湾から来たものへの風当たりは強く「台湾はアジアの孤児」と呼ぶ。
「台湾人は日本のスパイだと見られ嫌われている悲しい存在」、しかし戦争になると「日本人は台湾人を信用せず、日本官憲に監視されている」 苦しく辛い立場。

全土に徴兵制が開始。昭和19年9月1日全台湾に徴兵制度実施。日本国民として台湾人も戦地に送られた。のちに、台湾総統となる「李登輝」(岩里政男)※京都大学共 もいた。「1945年の22歳まで日本人だった、日本の正統な教育を受けた私の教養は日本の伝統につながっていた」

1945年9月9日 日本軍降伏調印式(南京)により、蒋介石率いる中華民国は第二次世界大戦の勝者となった。2ヶ月後、台湾を統治するために台湾に国民党軍を派遣する。

「呉濁流:50年間の植民地的桎梏から解放された島民は有頂天で喜び勇んだ」
しかし、期待は裏切られ失望した。横領、暴力、日本語禁止による失業、・・外省人と内省人という言葉が生まれた。「犬が去って豚が来た」

1947年2月27日、ついに本省人の不満が爆発、暴動がひろがる。二二八事件が勃発、蒋介石が派遣した軍隊は無差別に多数の市民を殺害してゆく。

この時期をおなじくして、本土の蒋介石は毛沢東率いる共産党と戦っていた。いわゆる第二次国共内戦(1946年ー49年)。

国民党はアメリカの軍事支援を受けていたが、ゲリラ戦を仕掛ける共産党に苦戦。ついに1949年10月に中華人民共和国が建国を宣言。蒋介石は台湾へ政府を移転。当時の台湾人口600万に100万人の外省人が移動。
アメリカ当時のトルーマン大統領は台湾に軍事援助を打ち切る宣言を行うものの、翌年1950年−53年に朝鮮戦争が勃発。トルーマンは台湾海峡の警戒監視のために部隊を派遣、軍事的な価値を見出され再度台湾への支援を再度開始した。

1951年9月 サンフランシスコ講和会議で日本は独立復権(吉田茂)、しかし植民地であった台湾の地位はあいまいなまま据え置かれる。
条文;日本は朝鮮の独立を承認し、台湾、澎湖諸島、南樺太、千島列島などの領土を放棄。
→放棄のみが書かれており返還先は明示されていない。

蒋介石:英米は私を対日講和条約から排除した。この外交は劣悪の極みこれ以上悪化しようがない。

毛沢東:我々はかならず台湾を解放せねばならない。1954年・1958年 台湾海峡危機〜毛沢東は蒋介石が実効支配する金門島に砲撃をしかける。

毛沢東も蒋介石も一つの中国という理念では一致、どちらが正当な中国か?の争いが切り広げられる。

蒋介石(国民党)♪反攻大陸去 の歌が流行。中国本土の奪還を狙う手始めとして、台湾本土に増えている共産党員の根絶を強化、戒厳令を発布し政治犯を処分。密告を奨励、大金がもらえる世相に変わってゆく。いわゆる白色テロ。抵抗の証として笑みを浮かべながら処刑場へ向かう。冤罪が増え、でっち上げが増える。

李登輝も一時期は共産党に入党した経緯から密告に怯える日々が続いた。

本土では大躍進政策により多数の餓死者が出たことをきっかけに、本土から亡命してきた者を反共義士とよび英雄扱いをすることで、共産党を心理作戦を用いて非難した。故宮博物館(当時:中山博物院)を公開し北京からの宝物を展示した。台湾南部での軍事演習から毛沢東は軍隊を台湾反対側の沿岸に集結させ、一触即発状態になる。

1964年10月に中国が核実験に成功!これにより蒋介石は本土奪還を急ぐこととなりついに1965年8月に八六海戦が始まる。(本土上陸奇襲作戦)しかし失敗におわり蒋介石は落胆。
蒋介石;海軍指揮官の無知と無能を殊に憂う

1960年半ばからGDPは10%以上の伸びで経済躍進時代に突入!これは、海外企業の下請けで繊維業や電子機器を手掛ける本省人の中小企業の働きによるもの。すでに大陸敢行ではなく経済発展に資金を投入した結果となる。政治や軍の要職から締め出されていた本省人の働きは目覚ましく経済面での活躍の場を見出した。

しかし、経済発展に取り残された退役軍人達(外省人)は肉体労働に従事するしかなく「東西横貫公路」の工事に従事した。大陸の故郷に帰ることもできず、大陸反抗が叶う日を待ち続けるしかなかった。

1971年7月 周恩来はニクソン大統領の訪中を受け入れることを表明、米中接近の流れから国連から台湾を締め出し、中華人民共和国を代表とした。翌年、田中角栄も中国との外交回復、台湾とは断絶。そんななかで蒋介石は1975年4月5日に87歳で死去した。

1979年に後ろ盾としていたアメリカからも断交を申し渡された。

台湾の歌手により「アジアの孤児」という歌が流行する。

独自の生存戦略を模索するしかなかった台湾。蒋介石の息子も独裁政治を継承、戒厳令、言論統制を続ける政府に対して40年前の二二八事件が蒸し返される。

退役軍人の外省人からも不満が吹き出す・・ついに1987年7月に40年間続いた戒厳令が解除され、本土への親族訪問が許されたがすでに故郷の景色も変わり、自分の住んでいた場所も知人もいない。

1988年1月 李登輝が総統に就任、ついに本省人による政治が始まった。民主化へのうねりが大きくなり、李登輝は学生たちとの対話を重視、圧倒的な支持を集め民主主義を突き進める。

TSMC(半導体のシェア60%)が台湾経済を牽引、本土ではなく経済で世界を圧倒させる方針。

台湾との国交はわずか12カ国、しかし貿易相手国は190カ国以上。それが今の台湾。


映像の世紀バタフライエフェクト 激動アジアの隣人たち
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025147638SA000/


私からすれば、中国人も台湾人も同じに見える。同じように我が強く大声で話す。
日本はどうあるべきなのか?今の若者には日本人の日本人たる誇りはあるのか?
外省人や本省人、国民党と共産党・・日本もかつては戊辰戦争で内戦が勃発した時期があるが1年半程度。そもそも中国は権力争いを基盤とした陥れ合戦。。日本はそうではない。互いを信じ、性善説に基づいた国民のはず。たぶん、解りあえないとおもう。














2026/02/22

御菓印 白玉屋榮壽

 白玉屋榮壽 名物みむろをいただきました。
奈良県桜井市 大神神社さんのさ32m余りある大鳥居の麓にあります。





白玉屋榮壽

2026/02/15

堀越神社の灯篭について


大正14年8月30日、天王寺公園に於いて打上げ煙火の為
本殿お屋根が炎上し後、また大阪市都市計画により
境内の減縮を来し本殿の位置を後退の上
氏子の献金により俊築し昭和4年7月竣工する。
依りてここに石灯篭を献しこの由来を記す。
昭和7年12月 堀越神社


ということで、屋根が炎上したきっかけは大正14年8月30日の出来事。

3月14日より4月30日の期間中に天王寺公園付近で行われた「大大阪記念博覧会」が原因。

当時の市長は第七代市長関一氏。この4月1日に浪速区、天王寺区、港区、此花区、東淀川区、西淀川区、西成区、住吉区が生まれている。
大大阪時代は、この第二次市域拡張により市の面積は日本一となる。また人口も東京市の199万人を抜き日本一。しかも世界第6位。※東京は大正12年の関東大震災で一時的に人口減少

※引用 大阪市の歴史 大阪市史編纂所編





2026/02/14

繊細かつ豪快で本質を捉える方

2026年1月25日に大変お世話になった会社の社長さんが亡くなられました。

およそ27年前に大手百貨店を退社し、生まれたばかりのIT企業の役員となったばかりの当時、積極的に営業をしなくても人伝、口コミでいろんな依頼が舞い込むそんな時期でもありました。「なんでもできる・・」そんな意気込みとノウハウで天狗になっていました。

そんなときに、ごある方のご紹介でその社長さんと出会いました。

「なんと怖そうな方なんや・・怒ってる顔やし・・」が第一印象。

今から思えば、「時代の本質を見極める目」を持たれていた上でに、豪快さと繊細さを兼ね備えた方でした。

当時の事務所は灰皿にてんこ盛りの吸い殻、そんな中で世間話を交えながら、当時の時局やIT関連のお話で、何時間も過ごさせていただきました。「この後なんか用事あるんか?」のお言葉から、社長の愛車で、北新地へ。
なじみのモータープールへ入れ、いつも行かれているらしいタバコ屋さんでたばこを買い、社長のなじみのラウンジへ連れて行っていただき楽しい時間を過ごさせていただきました。また、ご自宅にも数回お招きいただき、とてもお洒落なマンションに案内くださいました。

「ちょっと困ってんねん・・」と突然の電話が何度あったことでしょう。色んな案件を容赦なく振ってこられる方だけど、そんなやりとりを私はおもいっきり楽しんでいました。

「せっかくやったら、その思いを文章にしたらどうですか?」
私の勧めで開設されたTwitterに相当熱中され、その紡がれた文章は政治の方向性の誤りを指摘、文化の敗退を嘆き瞬時にして多くのフォロワーに支持されたようです。

そのままの勢いでBLOGやHPにも熱い文章を認められ、時局の潮流を読む鋭い視点の文章は私には到底書くことのできない文章ばかり。

40年以上いわゆるサラリーマンであった私が、自分への還暦のご褒美とばかりに初めて数か月の失業期間を得た2024年の6月。「時間あんねやろ・・晩御飯でも食べにいこうや」とお誘いいただき天満橋の京阪シティモールにある美濃吉に招いていただきお元気なご様子・・。そして翌年に入院・・そして先日亡くなられました。

たしか・・お写真があったはず・・と探しましたが一枚も見つからず。ぱっとみぃ怖そうな顔ですが、くったくのない笑顔で鋭く突っ込んでくる社長さん。
本当にお疲れさまでした。そうぞ安らかにお休みください。そのうち私もそっちに行きますので、その時はまた楽しいお話をしてくださいね。



2026/01/25

大阪城の梅とビリヤニ!

 毎年1月中に大阪城の梅林で梅を愛でることを習慣にしています。そしてまた今年も行くことができたと喜んでいます。
毎年、同じことができるって本当に素晴らしいことです!

例年、昼食を大阪城公園手前のTWIN21で摂ることにしています。
ハンバーガーだったり、ラーメンだったり、カレーだったり。。

そして今年は大HIT!
先日、BS11で放映された「RRR」を観てから心を鷲掴み!3時間もある映画だけど、録画だけでは飽き足らず、塚口サンサン劇場でテルグ語版を堪能、22年の宝塚版のブルーレイを買ったり。

で、エリックサウスの店頭に貼られている「コムラム・ビームとラーマ・ラージュ」のポスターを発見!そのまま店内に入り、生まれてはじめて「ビリヤニ」なる不思議なランチをいただきました!



この写真の左下の顔写真だよ



んで、これがビリヤニなる南インドのパエリア!
なんと奥行きのある辛味と甘み。




この日は大阪も激寒・・それでもこのカレーのおかげでぽっかぽか。




なんとか、月一くらいでエリックサウスへ行きたいものです!


2026/01/24

梅田芸術劇場 「忠臣蔵」観劇

 梅田芸術劇場「忠臣蔵」を観劇。

わずか3時間でこの長大な物語をまとめるのは相当なご苦労があったことでしょう。
しかも「新解釈」とのこと。

 忠臣蔵を題材にした講談では、銘々伝、本伝、外伝があり、四十七士の様々な物語や、義士にまつわる様々な人間模様を描いたエピソードがあります。もちろん人それぞれに大好きなエピソードがあり、すべてを盛り込むことは無理は承知ですが割愛されたエピソードやナレーションで済まされた部分も多く、それでも主君の仇を討つ義士それぞれの気持ちがしっかりと描かれており、その世界観に没頭することができました。


また舞台上での様々な仕掛けでいわゆる大道具や書割りは姿を消し、LEDを背景にしたセットが主流となったことから、わずかな暗転で世界を描くことが可能になりました。しかしどうしても場面転換の多い忠臣蔵は細切れ感が否めませんが、それでも客席と平行に配し、平面の広がりを見せたり、また斜めに配することで本当の舞台以上に奥行きを感じさせたたり・・また役者との動きや音楽、効果音とシンクロさせたり、背景をスクロールさせることで360度の動きを見せたりと様々な使い方がありました。


劇場にボンやセリがない場合でも可能な限りの世界観を出すことができるのは技術の進歩なのでしょう。あとはリアルな芝居からLED背景のアニメの世界での動きに違和感がありましたがそれでも十分な演出効果です!

さて、新解釈の部分では「なるほど・・そうきたか!」と思わせられましたよ。

「裏切ったな!」の2重スパイや「大石内蔵助vs吉良上野介」の解釈。
特に圧巻だったのは吉良邸へ入ったあとの殺陣の動き!これは素晴らしい!一瞬の狂いもなく緻密に計算されたスピード感のある機敏な動き!ほんとにお見事でした。

ナレーションをされた松平健さんの味のある語りと、様々な役者さんを見事にまとめ上げられた上川隆也さんに高橋克典さん、藤原紀香さん、そして役者さんとしての実力がメキメキとUPしているのを感じさせた立入俊樹さん。多くの素晴らしい方々に支えられた良いお芝居でした。
お疲れ様でした。


2026/01/18

病気平癒

 夜が明けきらぬ一心寺さん。

目に入れても痛くない孫が手術することに。。

出来る事といえば・・神頼み・・仏頼み・・。

道修町少彦名神社で願掛け。一心寺さんにご先祖様にすがる事。

これくらいしかない。


2026/01/11

春の訪れと散策

 11日の恵比寿神社さんに今年一年の福を祈願に参拝した帰り道。

合邦辻の閻魔堂~安井神社~秦聖寺から愛染坂を上り大江神社・・そし愛染さんへ参拝。

春はそこまで来ているようですね。







2026/01/01

新年に寄せて

 例年、年末に寄稿するのですが今年は流石にドタバタ騒ぎで無理でした。

年末より娘&孫二人が帰省。ありがたいことと本当に喜んでいますがお陰様でもうヘトヘト。
夜間の発熱騒ぎや救急病院・・コロナやインフルではないとのことですがどうも夜になると39度近くまで発熱し寝かしてくれません(汗)だっこのしすぎでひさしぶりの腰痛ベルトのお出ましです。
きっとあと何年か経てば良い思い出となることでしょう。

まぁ年末の有馬記念で馬連225倍を取ったので良しとするか。

2025/12/21

12月の行事

 LEDで飾られた御堂筋を深夜にドライブ。「こんな装飾は無駄や」とぼやくこと。


四天王寺の吉祥寺さんで行われる「義士祭」に参加。「新しく映画やドラマで骨太な忠臣蔵が作られないのはさみしい・・」とぼやくこと。


いつものお店で「てっちり」を食べながら、「私が学生の頃に、毎年12月に家族でづぼらやへ食べに行き、ヒレ酒を飲んだなぁ」と思い出を語ること。


そして、年末になると娘と孫が大阪に帰って来ること。

毎年、毎年・・繰り広げられることが今年もできること。

これが喜び。



2025/12/07

高血圧投薬1か月半。

10/15 
 シルニジピン 5mg×21
     カンデサルタン 4mg×21

10/30
      シルニジピン 10mg×35
          カンデサルタン 4mg×35

11/29
         シルニジピン 10mg×35
           オルメサルタン 10mg×35

不思議なもので、毎朝欠かさず飲むことで毎日夕食後に血圧を測るとこの1か月半での効果がすごい!180/130前後していた血圧が日を追うごとに低下し、いまでは130/100以下に。

なんでこんなに血圧が下がるの?って調べてみたら驚きました。血圧を下げるメカニズム!

おもに、血管を収縮させる物質を抑えると同時に拡張させるらしい。また、血液か塩分や水分を積極的に排出させることで血流を少なくさせて血圧を抑える。。




それでなのか・・。
たまにふらついたり、身体がだるく感じることもあり、10年ぶりに受診した健康診断では貧血気味らしい。
自分的にはまったくそう感じないし、相変わらず瞬間湯沸かし器のような性格なので、いわゆる血の気は多いと思っていたけど実際はそうじゃなかった。

昨日、かかりつけ病院で、いつもの注射2アンプルと、インフルエンザの注射をしてきたよ。
臀部と左腕。。インフルの注射は、薬が腕の中に入っていく感じがすごく変な感覚で、なんとなく鉛のような重たい液剤が入るような妙な感覚・・。昨夜はせっかくのすき焼きだったのにノンアルコールビール。ほんとはお気に入りの酒器で熱燗を楽しみたいところだったけど我慢。。



2025/11/15

護衛艦しらぬい

 本年6月の護衛艦朝霧乗船見学に続き、今日は護衛艦しらぬいの乗船体験に参加してまいりました。前回は堺浜でしたが今回は大阪港です。

乗船までおよそ1時間半近く並びましたが価値あり!絶対に見ることのできない体験をさせていただきました。また多くの自衛官さんが丁寧にアシストしてくださり感謝しかありません。本当にありがとうございました。





62口径5インチ砲、水上艦用機関銃、90式艦対艦ミサイルなどが目前に!不撓不屈と書かれたフラッグや旭日旗をみると胸が熱くなります!



2025/11/03

充電終了!

 超長期間の充電期間で十分な骨休めをさせていただきましたが11月4日から通常運転に戻ります。

この4か月以上あった期間中には遠距離では、山口県上関町・岡山倉敷方面・三重県伊勢神宮・滋賀県木之本方面をはじめ、奈良県藤原宮跡や和歌山城に和歌山護国神社、姫路城に兵庫県護国神社以外にも普段はなかなか行きにくい寺社仏閣へ参拝させていただき、愛車のRANDY君も大変よく走ってくれました。

孫の長女は5歳半、長男はまもなく1歳で、週末に孫を連れて帰ってきてくれる娘とともに関西の様々な室内型遊園地で遊び、片道80Kmの自宅まで送迎し充実した週末ライフを過ごしました。

また、10年ぶりに健康診断を受診し結果待ちですが、高血圧対策として減塩生活をしながらも投薬を開始し約20日が経過し、絶好調に低下中!おかげで、毎晩の飲酒も程々になり自主的に1か月近くの禁酒をするという快挙を成し遂げました。この調子で休肝日を設け、塩気を控えた生活を送る方向になりました。

この期間中、トランペットやピアノ、ギターの練習はまったくできませんでした。
お部屋の模様替え&片づけもできませんでした。

予定の詰まっていない限り、朝は一心寺さんに参拝し、祖父母やご先祖様に家族の健康を祈ることを欠かしませんでした。一心寺さんへは、徒歩で往復なら90分、自転車なら40分くらい。早朝とはいえ真夏の炎天下は大変でした。

2012年からずっとマイカー通勤でほぼ歩かない生活が続いていましたが、今度は電車通勤となります。いまさら満員電車に乗れるか不安ですが頑張ります。といっても通勤時間は30分くらいかな。。

ネット通販に対するいままでの知見に加え生成AIの活用と情報分析を駆使してまいります。

2025/10/22

浄瑠璃寺さん 参拝

 はじめて、浄瑠璃寺へ行ったのは私が小学生低学年の頃。
加茂駅から徒歩で数時間かけて浄瑠璃寺~岩船寺と山中の石仏を巡ったのを覚えています。
以降、毎年数回は訪問させていただく心の故郷的なポジションなお寺さんです。

自分自身だけでなく家族になにかあったら必ずこのご本堂に安置されている吉祥天如のお厨子に向かいご報告させていただいています。

そして今日は小雨模様でしかも気温が10℃程度に冷え込みましたが行ってまいりました。
ご寺内は某芸大の方々や町内会的なバス旅行の方々で迷惑な賑わいで閉口・・。

それでもご本堂内で正座し一心に手をあわせ、3年前に亡くなった母の事等を思ると大粒の涙がボロボロと湧き出てくるもなんとか11月からの事を報告することができました。

予定では、蟹満寺さんへ行く予定でしたがあまりの寒さで断念。またあったかい日に再チャレンジする事にします。


吉祥天さんのお厨子が開かれるのは年3回。今回はうまくタイミングが合いましたので
限定の御朱印を頂戴いたしました。



趣のある浄瑠璃寺さんの山門。


東側にある三重塔におられる薬師如来さん側から、西方極楽の彼岸に見えるご本堂を拝む。

雨粒にキラキラとかがやく酔芙蓉のお花。


2025/10/21

【書籍】幕末外交談 田辺太一著/坂田精一訳

 先日四天王寺で開催された古本市で入手した本を整理。

今回、特に気に入った書籍は「幕末外交談 2冊組」田辺太一著/坂田精一訳で1966年初版本を偶然入手!某サイトでは高値がついているようですが、申し訳ないくらいの超安値でした。

著者の田辺太一氏は天保2年(1831年)-大正4年(1915年)で幕末、明治期に活躍された幕臣であり外交官。ペリーが浦賀に来たときは22才で長崎海軍伝習所第3期生。勝海舟もいました。咸臨丸で小笠原諸島測量をはじめ2度にわたるフランス赴任。ナポレオン3世に謁見。維新後は岩倉遣欧使節に随行をはじめ清国公使館勤務/元老院議官。

明治31年に幕末の回顧録として〔幕末外交談〕を出版された書籍が坂田精一氏(明治36年生)により訳される。ちなみに坂田精一氏はハリスの日本滞在記やアーネストサトウの外交官の見た明治維新等の書籍を訳されています。

国立国会図書館デジタルコレクション





混沌とした幕末史を知る上で、その時々に置いて様々な背景があり、いままで知らなかった事や、わかりやすく全文が掲載されていることから今まで以上に深く理解することができます!

2025/10/20

【映画】RRR〜Ⅱ

 先日偶然に録画したインド映画「RRR」が面白すぎで、ついに大阪尼崎市塚口にあるサンサン劇場へ行って参りました。
14:40からの一日一回だけの上映で、シアター4は155席あり、およそ40人弱くらいの方が入られていたようです。スクリーンは小ぶりですがそれでも十分な迫力な上に、音響がすごい!
メインスピーカに加え、客席を取り囲むようなスピーカーとウーハーで重低音の響きにびっくり!
普段の映画館にありがちなしつこい番宣もなく、快適に鑑賞できました。

上映は字幕版でしたが「ラーマ」と「ビーム」が繰り広げる「友情か・・使命か・・」の葛藤やそれぞれの生い立ちや背景が今まで以上に理解でき、RRRの世界観にどっぷりとつかつことができました。もちろん「ナートゥ」のキレッキレダンスも堪能!
そしてひさしぶりに映画のパンフレットを購入するくらいにのめり込みました。

さっそくDVDをレンタルしましたので、じっくりと楽しみたいとおもいます。

近年みた映画の中では話題の「国宝」を抜き最高です!

上映が終わった瞬間に拍手!


壁面には映画関係者&著名人の感動のコメントがギッシリ!


駅前に塚口サンサン劇場の案内看板がありました。



2025/10/19

【映画】RRR

 数週間前に偶然録画した映画。ようやく鑑賞してその素晴らしさに驚きました。

こんな良い映画を見逃していたとは。。。

今年鑑賞した映画の中での最高の内容!

1920年代のインドが舞台。インドのある部族から少女がインドを支配する英国宮殿に召使として攫われたところから物語が始まる。この部族の勇者「ビーム」は少女を取り戻そうと宮殿を目指す。


そのころ、他の地域では英国支配からの独立を目指し激しい戦闘が繰り広げられる中で、一人の少年が目の前で死を選んだ父の意思を次いで、英国からの独立を目的に、英国警察へ内偵として入隊した「ラーマ」は出世してゆく。その「ビームとラーマ」が出会い、互いの友情を育みながらも運命のいたずらやすれ違いで対立してゆくことになるが・・・。

その骨太のストーリーにこだわりぬいた特撮をはじめ撮影技術。日本人にはなかなかなじみがないが、インド神話や実在の人物の情報を盛り込み出会うはずのない二人が出会ったら・・?という伏線も見事。もちろんインド映画に欠かせないダンスパートも素晴らしく主人公二人のキレッキレの動きに目が離せませんでした。

2022年10月の封切であることから日本でのリバイバル上映はすでに終了していることから映画館でみることが出来ないだけに本当に残念です。※字幕版は塚口で上映されています。






2025/10/17

高血圧・・禁酒生活12日目

いままで、騙し騙しで過ごし、のらりくらりと言い逃れをしていましたが
ついに自ら高血圧を認め、朝だけの投薬が始まりました。

この3か月間、ほぼ昼食にラーメンを食べ、ご丁寧に汁までキレイに飲んでしまう食生活に加え、夜はダブルの水割り2杯か、ビール+水割り、日本酒+酎ハイ等を飲んで、熱いお風呂に入るのを楽しみとしていた生活が祟った模様。

この15年間は職場へはマイカー通勤なので、平日はほぼ歩くことなく、2週間に一回の体に負担をかける注射。

ということで10月5日に体調を崩し、不本意な禁酒生活が始まりました。そして15日から血圧降下薬の服用も始まりました。
シルニジピン錠とカンデサルタン錠の合わせ技で目標血圧の130/90を目指す予定です。
まぁ今月いっぱいはフリーダムだから大丈夫だけどちゃっちゃと健康体に戻りたい!



2025/09/28

難波八坂神社での風景

 難波八坂神社さんはなかなか大変なことになっています。

やはり「映えるスポット」っつうのでしょう。びっくりするくらいの外国人観光客であふれていました。

石碑の脇に座り込んでたり、通路をふさぎ三脚を立てて動画撮影をしていたり・・パンを食べていたり大声で騒いでいたり・・。あげればキリがないくらい。
すごく残念な気持ちでそんな外国人に厳しい態度をとってしまいました(;'∀')





タクシーじゃないのに客待ち??










実は、このあと、南方面にあるとても思い入れのある神社さんへ行きましたが、宮司さんとの会話やその態度がとても荒んでいるように感じて残念におもいました。
ダメなものはダメ!それでも「無財の七施」のようにトゲトゲしい言葉や態度はふさわしくありません。この神社さんは私の亡くなった母がとても愛していただけに名前こそ伏せますが本当に残念でなりません。そこで、おもったのがこの難波八坂神社での様々な風景です。異国の文化を単なる観光地として見るのはしょうがないことだけど、信仰の対象を冒涜する行為は絶対にしてはならない。観光客それぞれの祖国にも信仰の対象があるはず・・それを他の国から来た観光客が土足で踏みにじるようなことを見ていて黙っていますか?私は我慢できません。すべてを神社やお寺に委ねるつもりはありませんが、なんらかの啓蒙活動はしていただきたいものです。ダメなものはダメなのです。