しこく8「恋女房おりょう 龍馬を語る」
放送日:2010年 9月20日(月)午後11:30~21日午前0:13
これは四国限定で9/10に放送された番組で、今回BShiで再度放送されました。
番組内容:幕末のヒーロー・坂本龍馬の実像を、妻のおりょうが晩年克明に語っている。女優の富田靖子さんが、おりょうの言葉を読み解きながらふたりの波乱万丈の人生をたどる。
詳細内容:幕末のヒーローとして注目される坂本龍馬。龍馬の魅力はこれまで数多くの小説や映画で語られてきた。しかし龍馬の妻おりょうの存在、そして彼女が晩年、龍馬との愛の日々を語った事実はあまり知られていない。番組では女優・富田靖子さんがゆかりの地の京都・下関・横須賀を旅しながら、おりょうの言葉を朗読。騒然とした時代を大胆に駆け抜けた龍馬と妻のおりょうの人生を、詩的に描いたヒューマン・ドキュメンタリー。
【出演・朗読】富田靖子, 【語り】鈴木省吾
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=101-20100920-10-10468
で・・・なにが言いたいかというと、【わが夫 坂本龍馬 おりょう聞書き】の文章が朗読されているということで、著者は大好きな先生の一坂太郎さんです^^
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
2010/09/19
2010 9/19 第545回田辺寄席~新・じっくりたっぷりの会-笑福亭恭瓶の段~
第545回田辺寄席・長月席・昼席~新・じっくりたっぷりの会-笑福亭恭瓶の段~
今回は5月以来の田辺寄席の参加となりました。
股ケ池の蓮が元気いっぱいに広がっていて、前に見えるのが「蛇島」。
私が子供のときは蛇島とはつながっていなくて、ジャブジャブと腰近くまで水に浸かりながら渡ったものでした。
笑福亭生寿 牛ほめ
生寿さんご自身の事で、なかなか口にだして褒める事が苦手という件から、料理好きな師匠のお料理に対して上手に褒められなかったということをさらっと話されて本題に入られました。
生寿さんはイキイキと話しをされる表情や口調、所作の変化に富んでいるので、見ている側をぐいぐいと話の世界に引きずり込んで行かれる良さがあります。
笑福亭恭瓶 何考えとんね
初めて聞かせていただいたこのネタ。桂三枝さんのエッセンスがいっぱい入っているネタですね。子供をもつ親であれば一度はぶつかったことがある内容でした。
桂米輔 宿屋仇
はじめてお目にかかった桂米輔さん。プロフィールを調べにサイトへお伺いしましたところ「噺家の手拭」に見入ってしまいました。
さてお話のほうは聞きなれた「宿屋仇」。落ち着いた声量でわりと淡々と話されている印象でした。
桂文太 鷺取り
文太さんの鷺取りは今回で2回目で前回は今年の昭和の日のイベントでした。お話の後半で賑やかに織り込まれる「俄じゃ♪俄じゃ♪」が一番の聞かせどころで内容は前回とおんなじ。それでもつい引き込まれてわらっちゃいますよねー。
またいつも話題になるサゲにはびっくり♪座布団が見台の上に。。
笑福亭恭瓶 宮戸川
あれ?この話し・・どこかで聞いた・・でも思い出せない。。
ちゃんとストーリーも記憶とおり。たぶん「日本の話芸」で聞いたんじゃないかな?
で、マクラで恭瓶さんが言われていた通り、江戸前落語。ホントはスリリングな後編に入っていくらしいんだけれど今回は全編で終了。
たしか初めて聞いた時も時代背景が飲み込めず、半七が2階に上がり行灯に火をともす件で、あ・・明治かな?って・・それと
話しの内容に宮戸川がでてこないのでつい???ってなっちゃいました。
今回は5月以来の田辺寄席の参加となりました。
股ケ池の蓮が元気いっぱいに広がっていて、前に見えるのが「蛇島」。
私が子供のときは蛇島とはつながっていなくて、ジャブジャブと腰近くまで水に浸かりながら渡ったものでした。
笑福亭生寿 牛ほめ
生寿さんご自身の事で、なかなか口にだして褒める事が苦手という件から、料理好きな師匠のお料理に対して上手に褒められなかったということをさらっと話されて本題に入られました。
生寿さんはイキイキと話しをされる表情や口調、所作の変化に富んでいるので、見ている側をぐいぐいと話の世界に引きずり込んで行かれる良さがあります。
笑福亭恭瓶 何考えとんね
初めて聞かせていただいたこのネタ。桂三枝さんのエッセンスがいっぱい入っているネタですね。子供をもつ親であれば一度はぶつかったことがある内容でした。
桂米輔 宿屋仇
はじめてお目にかかった桂米輔さん。プロフィールを調べにサイトへお伺いしましたところ「噺家の手拭」に見入ってしまいました。
さてお話のほうは聞きなれた「宿屋仇」。落ち着いた声量でわりと淡々と話されている印象でした。
桂文太 鷺取り
文太さんの鷺取りは今回で2回目で前回は今年の昭和の日のイベントでした。お話の後半で賑やかに織り込まれる「俄じゃ♪俄じゃ♪」が一番の聞かせどころで内容は前回とおんなじ。それでもつい引き込まれてわらっちゃいますよねー。
またいつも話題になるサゲにはびっくり♪座布団が見台の上に。。
笑福亭恭瓶 宮戸川
あれ?この話し・・どこかで聞いた・・でも思い出せない。。
ちゃんとストーリーも記憶とおり。たぶん「日本の話芸」で聞いたんじゃないかな?
で、マクラで恭瓶さんが言われていた通り、江戸前落語。ホントはスリリングな後編に入っていくらしいんだけれど今回は全編で終了。
たしか初めて聞いた時も時代背景が飲み込めず、半七が2階に上がり行灯に火をともす件で、あ・・明治かな?って・・それと
話しの内容に宮戸川がでてこないのでつい???ってなっちゃいました。
2010/09/18
2010 9/18 俺たちの明日 ~坂本竜馬、中岡慎太郎!!幕末に散った壮絶な青春~
俺たちの明日 ~坂本竜馬、中岡慎太郎!!幕末に散った壮絶な青春~
(1980/05/08 木曜ゴールデンドラマ 21:02-22:54 )
幕末時代に精一杯生き、そして散った坂本竜馬、中岡慎太郎を中心に、若者たちのエネルギーを描いていく。幕末の京都。土佐を脱藩した坂本竜馬(中村雅俊)と中岡慎太郎(勝野洋)は二年ぶりに再会した。そこで竜馬は薩長同盟の構想をうち明けた。その後、竜馬は江戸に下り、勝海舟(石原裕次郎)に会った。今度は大阪・薩摩屋敷で西郷隆盛(梅宮辰夫)と会談し、薩長同盟の手応えを感じるが…。
主な出演:中村 雅俊(竜馬)、勝野 洋(中岡)、森下 愛子(おりょう)、多岐川裕美(お登勢)、沖 雅也(沖田)、石原裕次郎(勝)、梅宮 辰夫(西郷)、キャシー中島、范 文雀、河原崎建三、東野 英心、山本 紀彦、加賀まりこ、(ナレーター・米倉斉加年(米倉斎加年))
1980年の5月8日に一度だけ放映された【俺たちの明日】。これは版権の関係でDVDにもVideoにもされていませんがなぜか鑑賞する機会がりまして。(;・∀・)
中村 雅俊さんの超黄金期に作られただけ有る映画で、【俺達~】の関連では、俺達の勲章(S50)・俺達の旅(S50)・俺達の祭り(S52)・そして、ゆうひが丘の総理大臣(S53)と続き今回の俺達の明日(S55)となります。また同時に石原裕次郎さんや勝野 洋さんの当時の有名な番組の太陽にほえろ!はちょうど絶頂期だが、3年B組金八先生と重なり苦戦となった時期でもあります。
さてお話のほうは色々と突っ込みどころ満載ですが、全体的には明るーい雰囲気をもったあの人懐っこい笑顔をお持ちの雅俊さんの魅力がいっぱいです。BGMもスタジオ録音。音楽シーンを変えてしまったDXサウンドは皆無でアナログしてました。また和気藹々と、鹿児島への新婚旅行のシーンはちょうどジャストなタイミングの竜馬伝とまったく対照的。川へ飛び込み魚を素手で捕まえ、川原で焼いて食べながらあるく3人、竜馬がブーツを川に流してしまいあわてて追いかけるお茶目なシーンなどおもわずクスッてしちゃいました。
(1980/05/08 木曜ゴールデンドラマ 21:02-22:54 )
幕末時代に精一杯生き、そして散った坂本竜馬、中岡慎太郎を中心に、若者たちのエネルギーを描いていく。幕末の京都。土佐を脱藩した坂本竜馬(中村雅俊)と中岡慎太郎(勝野洋)は二年ぶりに再会した。そこで竜馬は薩長同盟の構想をうち明けた。その後、竜馬は江戸に下り、勝海舟(石原裕次郎)に会った。今度は大阪・薩摩屋敷で西郷隆盛(梅宮辰夫)と会談し、薩長同盟の手応えを感じるが…。
主な出演:中村 雅俊(竜馬)、勝野 洋(中岡)、森下 愛子(おりょう)、多岐川裕美(お登勢)、沖 雅也(沖田)、石原裕次郎(勝)、梅宮 辰夫(西郷)、キャシー中島、范 文雀、河原崎建三、東野 英心、山本 紀彦、加賀まりこ、(ナレーター・米倉斉加年(米倉斎加年))
1980年の5月8日に一度だけ放映された【俺たちの明日】。これは版権の関係でDVDにもVideoにもされていませんがなぜか鑑賞する機会がりまして。(;・∀・)
中村 雅俊さんの超黄金期に作られただけ有る映画で、【俺達~】の関連では、俺達の勲章(S50)・俺達の旅(S50)・俺達の祭り(S52)・そして、ゆうひが丘の総理大臣(S53)と続き今回の俺達の明日(S55)となります。また同時に石原裕次郎さんや勝野 洋さんの当時の有名な番組の太陽にほえろ!はちょうど絶頂期だが、3年B組金八先生と重なり苦戦となった時期でもあります。
さてお話のほうは色々と突っ込みどころ満載ですが、全体的には明るーい雰囲気をもったあの人懐っこい笑顔をお持ちの雅俊さんの魅力がいっぱいです。BGMもスタジオ録音。音楽シーンを変えてしまったDXサウンドは皆無でアナログしてました。また和気藹々と、鹿児島への新婚旅行のシーンはちょうどジャストなタイミングの竜馬伝とまったく対照的。川へ飛び込み魚を素手で捕まえ、川原で焼いて食べながらあるく3人、竜馬がブーツを川に流してしまいあわてて追いかけるお茶目なシーンなどおもわずクスッてしちゃいました。
2010 9/18 教科書に書かれなかった幕末史 戊辰戦争
王政復古の大号令から戊辰戦争へのわずか1ヶ月間の間には色々な駆け引きがあったことは教科書には書かれていない。
舞台は江戸。撹乱作戦が起ころうとしていた。
薩摩藩邸(芝浦の三田)付近に檄文がまかれ、相楽総三を中心として500人の浪人らが大集合。
薩摩藩邸が三田糾合所と名前を変え、その目的は天璋院 の護衛のはずが実体は御用強盗。ますます悪くなる江戸の治安。
当時江戸警備を担当していたのは庄内藩(酒井家)。12/25未明にこの三田糾合所を攻撃し50人あまりが死亡する事件が起こる。(江戸薩摩藩邸の焼討事件)首謀者は京都へ脱出し、12/28には大阪にいる幕府軍に伝わり、同時に1/1には薩摩藩邸の西郷に伝わる。これは、開戦の口実ということで大いに喜んだらしい。
場所はかわり京都。
12/9に発せられた王政復古の内容を二条城にいる慶喜さんに伝えに行く役は「松平春嶽」さん。
実に嫌な役。つい先日は後藤象二郎さんから、慶喜さんは<議定>にいるはずと聞いていたが結果はつまはじきにくわえて、官位の剥奪。。
12/10には慶喜さんは激怒。この時二条城には旗本5000人+会津3000人+桑名1500人が居たので即、会戦でもよかったが慶喜さんはぐっとこらえて大阪城へ移動。
彼の心の中には、「王政復古の内容は自分はつまはじきだが、かならず私は復帰できる」と信じていたから。
それが証拠に、お金の無い新政府。12/14には新政府の出納係の戸田忠至が5万両を借りに行き慶喜さんは貸し付けている。
慶喜さんの行いは色々と新政府に影響を及ぼし、12/28の三職会議が行われ、慶喜さんを前内大臣(さきのないだいじん)というポジションへ戻そうか?という話もあったらしい。
と・・そんな良い話の矢先に!・・・・・・・・・<江戸での話が飛び込んでくる。!>
慶喜さんの選んだ選択は京都へ攻め上ることを選んだ。
1/1には<討薩の檄(表)>が発行され、これは薩摩との私闘であり、朝廷には恨みはないことを表明。
薩摩を<奸臣>と呼び、ついに戊辰戦争に突入してしまう。
1/2には大阪から京都へ向かう15000人の兵。途中、鳥羽街道と伏見街道の二手に分かれて1/3の17時頃に開戦。
実は1/2には再度三職会議が行われており慶喜の新内閣入りの話がされていた矢先に出兵の情報が飛び込んできてすべてはNGとなってしまう。
元々、容堂さんや春嶽さんは慶喜さん側。この事態を知って怒り狂った容堂さんは、まわりに当り散らし、ついには議定を辞めると言い出し●●公家が懐のピストルでおもわず狙ったらしいが後藤に取り押さえられえる。
1/3は決着がつかずに淀城へ退却。
1/4は旧幕府15000人VS薩長5000人なので数の上では旧幕府側は楽勝。ところが東寺に錦旗が上がったことで情勢が変ってくる。旧幕府は賊軍で、薩長は官軍という図式になる。
1/5に淀城へ一旦退却を図った旧幕府。ところが淀城へは入れてもらえない。淀城は譜代大名因幡家。実はこの時、殿様は不在で城を守ったのは「田辺治之助」。一部、城の門が破られ、旧幕府が入ってしまったことの疑いがかけられるかもということで切腹してしまう悲劇がおこった。
イケイケ状態の官軍。1/4には三浦五郎(奇兵隊)が抜け駆けし淀の堤の千両松へ。この三浦五郎は明治になると梧楼と改名し韓国のミンピ暗殺の黒幕。反骨将軍と呼ばれた人。
1/6には山崎方面の津藩山崎家が官軍へ寝返りいきなり桑名藩を攻撃・・そんなときに またまた事件がおこる。
1/6 PM9:00に慶喜さんは大阪城を脱出して江戸へ逃げ帰ってしまい1/7には兵隊も大阪城から退散。1/9には城に白旗が上がる。
官軍との交渉には妻木田宮(つまきでんきゅう)が選ばれ、城内で旧幕府軍との交渉をおこなっている最中に不幸がおそう。
いまでも謎とされている大阪城の謎の炎上事件。この時点で大阪城は焼けてしまい戦後まで再建されない。大阪城のない大阪が始まった。
大正になり、「昔夢会」とよばれる渋沢栄一らを中心とした慶喜さんの聞き覚えを書き残す会が発足され当時の様子が書かれている。
大政奉還の真意はNG。<討薩の檄(表)>は原文はみたが私には責任は無い!とのこと。またなぜ、大阪から東京へ逃げ帰ったのか?については会津の家老<神保修理(じんぼしゅり)>に江戸へ帰って体制を立て直したら?と注進されたから。ということがわかっているそう。
舞台は江戸。撹乱作戦が起ころうとしていた。
薩摩藩邸(芝浦の三田)付近に檄文がまかれ、相楽総三を中心として500人の浪人らが大集合。
薩摩藩邸が三田糾合所と名前を変え、その目的は天璋院 の護衛のはずが実体は御用強盗。ますます悪くなる江戸の治安。
当時江戸警備を担当していたのは庄内藩(酒井家)。12/25未明にこの三田糾合所を攻撃し50人あまりが死亡する事件が起こる。(江戸薩摩藩邸の焼討事件)首謀者は京都へ脱出し、12/28には大阪にいる幕府軍に伝わり、同時に1/1には薩摩藩邸の西郷に伝わる。これは、開戦の口実ということで大いに喜んだらしい。
場所はかわり京都。
12/9に発せられた王政復古の内容を二条城にいる慶喜さんに伝えに行く役は「松平春嶽」さん。
実に嫌な役。つい先日は後藤象二郎さんから、慶喜さんは<議定>にいるはずと聞いていたが結果はつまはじきにくわえて、官位の剥奪。。
12/10には慶喜さんは激怒。この時二条城には旗本5000人+会津3000人+桑名1500人が居たので即、会戦でもよかったが慶喜さんはぐっとこらえて大阪城へ移動。
彼の心の中には、「王政復古の内容は自分はつまはじきだが、かならず私は復帰できる」と信じていたから。
それが証拠に、お金の無い新政府。12/14には新政府の出納係の戸田忠至が5万両を借りに行き慶喜さんは貸し付けている。
慶喜さんの行いは色々と新政府に影響を及ぼし、12/28の三職会議が行われ、慶喜さんを前内大臣(さきのないだいじん)というポジションへ戻そうか?という話もあったらしい。
と・・そんな良い話の矢先に!・・・・・・・・・<江戸での話が飛び込んでくる。!>
慶喜さんの選んだ選択は京都へ攻め上ることを選んだ。
1/1には<討薩の檄(表)>が発行され、これは薩摩との私闘であり、朝廷には恨みはないことを表明。
薩摩を<奸臣>と呼び、ついに戊辰戦争に突入してしまう。
1/2には大阪から京都へ向かう15000人の兵。途中、鳥羽街道と伏見街道の二手に分かれて1/3の17時頃に開戦。
実は1/2には再度三職会議が行われており慶喜の新内閣入りの話がされていた矢先に出兵の情報が飛び込んできてすべてはNGとなってしまう。
元々、容堂さんや春嶽さんは慶喜さん側。この事態を知って怒り狂った容堂さんは、まわりに当り散らし、ついには議定を辞めると言い出し●●公家が懐のピストルでおもわず狙ったらしいが後藤に取り押さえられえる。
1/3は決着がつかずに淀城へ退却。
1/4は旧幕府15000人VS薩長5000人なので数の上では旧幕府側は楽勝。ところが東寺に錦旗が上がったことで情勢が変ってくる。旧幕府は賊軍で、薩長は官軍という図式になる。
1/5に淀城へ一旦退却を図った旧幕府。ところが淀城へは入れてもらえない。淀城は譜代大名因幡家。実はこの時、殿様は不在で城を守ったのは「田辺治之助」。一部、城の門が破られ、旧幕府が入ってしまったことの疑いがかけられるかもということで切腹してしまう悲劇がおこった。
イケイケ状態の官軍。1/4には三浦五郎(奇兵隊)が抜け駆けし淀の堤の千両松へ。この三浦五郎は明治になると梧楼と改名し韓国のミンピ暗殺の黒幕。反骨将軍と呼ばれた人。
1/6には山崎方面の津藩山崎家が官軍へ寝返りいきなり桑名藩を攻撃・・そんなときに またまた事件がおこる。
1/6 PM9:00に慶喜さんは大阪城を脱出して江戸へ逃げ帰ってしまい1/7には兵隊も大阪城から退散。1/9には城に白旗が上がる。
官軍との交渉には妻木田宮(つまきでんきゅう)が選ばれ、城内で旧幕府軍との交渉をおこなっている最中に不幸がおそう。
いまでも謎とされている大阪城の謎の炎上事件。この時点で大阪城は焼けてしまい戦後まで再建されない。大阪城のない大阪が始まった。
大正になり、「昔夢会」とよばれる渋沢栄一らを中心とした慶喜さんの聞き覚えを書き残す会が発足され当時の様子が書かれている。
大政奉還の真意はNG。<討薩の檄(表)>は原文はみたが私には責任は無い!とのこと。またなぜ、大阪から東京へ逃げ帰ったのか?については会津の家老<神保修理(じんぼしゅり)>に江戸へ帰って体制を立て直したら?と注進されたから。ということがわかっているそう。
2010/09/15
2010 9/15 般若心経
先般の日記(2010 8/8)で<舎利禮文>に関して書きました。
たらったたったすったった♪と軽快なリズムにのせて読まれる<舎利禮文>に驚きました。
さてその後、第二段や第三段が有るとの事でさっそくチェック!
今回は<般若心経>シリーズです。
手法はなんでも良いとおもいます。
どんな形であれ若年層が興味を持つことが最初であり、いつか
本物のお経に触れたときに記憶の底から甦ってくるのですから。
新しい布教の手法でしょう。でも本人は布教と捉えていないから素晴らしいんでしょうね。
■ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ(コメ付)
ウーピーゴールドバーグ主演の「天使にラブ・ソングを」を彷彿させるような
ゴスペルサウンドに仕上がった般若心教。おみごとです。
■【初音ミク】般若心経ポップ【HD720p】
初音ミクを使ったシンプルかつクセになる画が特徴♪
■歌って覚える般若心
意味までちゃんと表してくれて、とっても親切・・・なの!
たらったたったすったった♪と軽快なリズムにのせて読まれる<舎利禮文>に驚きました。
さてその後、第二段や第三段が有るとの事でさっそくチェック!
今回は<般若心経>シリーズです。
手法はなんでも良いとおもいます。
どんな形であれ若年層が興味を持つことが最初であり、いつか
本物のお経に触れたときに記憶の底から甦ってくるのですから。
新しい布教の手法でしょう。でも本人は布教と捉えていないから素晴らしいんでしょうね。
■ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ(コメ付)
ウーピーゴールドバーグ主演の「天使にラブ・ソングを」を彷彿させるような
ゴスペルサウンドに仕上がった般若心教。おみごとです。
■【初音ミク】般若心経ポップ【HD720p】
初音ミクを使ったシンプルかつクセになる画が特徴♪
■歌って覚える般若心
意味までちゃんと表してくれて、とっても親切・・・なの!
2010/09/06
2010 9/6 幕末フェチに捧げるオススメの書籍
■維新風雲回顧録---最後の志士が語る (河出文庫) 田中 光顕
そしてあと1冊。。。これはまだ手をつけていません。(m´・ω・`)m ゴメン…。
■戊辰物語 (岩波文庫 青 431-1) 東京日日新聞社会部
天保14年(1843)、土佐藩郷士。吉田東洋暗殺事件のひとり。那須信吾の甥にあたります。
土佐勤皇党に加盟、元治元年に脱藩し長州に身を寄せ大坂攪乱の失敗の後大和十津川に潜伏。
高杉晋作や木戸孝允と交わり倒幕運動に奔走。のち中岡慎太郎の陸援隊を継ぐ。維新後は兵庫県権判事や岩倉遣欧使節団、陸軍少将などを歴任し昭和14年(1939年)に没。
ということは96歳でお亡くなりになってるわけで幕末から昭和までを生き抜かれた事になります。そして驚くべきコトは、ドタバタの幕末の生き証人だったことになります。
そしてあと1冊。。。これはまだ手をつけていません。(m´・ω・`)m ゴメン…。
2010/09/04
2010 9/4 彦八まつり
この週末は毎年恒例の「彦八まつり」。例年以上に暑い二日間となりました。
たしか昨年は11時からセレモニーでしたが今年は1時間繰り上がり10時からとなったためどのブースもドタバタで大変だったみたいです。
さて定刻になると昨年同様に笑福亭生喬さんの明るい声でスタート。そして今年の実行委員長の桂ざこばさんからご挨拶がありました。
「みなさん、おあよーございます。暑いけどどうぞ生きて帰ってください」の声に一同大爆笑で第20回彦八まつりが開始されました。
今年サインを頂戴したのは、(頂戴した順番)桂 枝女太さん・桂 坊枝さん・桂かい枝さん・笑福亭福笑さん・笑福亭福たまさん・林家染左さん・ABC芝田アナウンサーさん・林家染雀さん・笑福亭生寿さん・笑福亭小つるさん(来月には枝鶴さん襲名です)・桂小春団治さん・桂一蝶さん・笑福亭生喬さん・桂福丸さん・笑福亭銀瓶さん。
皆様本当にありがとうございました^^
そして戦利品は桂小春団治さんがツイッターで書かれていましたダーツに参加させていただきおっきなバッグを頂戴しました^^
たしか昨年は11時からセレモニーでしたが今年は1時間繰り上がり10時からとなったためどのブースもドタバタで大変だったみたいです。
さて定刻になると昨年同様に笑福亭生喬さんの明るい声でスタート。そして今年の実行委員長の桂ざこばさんからご挨拶がありました。
「みなさん、おあよーございます。暑いけどどうぞ生きて帰ってください」の声に一同大爆笑で第20回彦八まつりが開始されました。

皆様本当にありがとうございました^^
2010/09/02
2010 9/2 防災週間
淀屋橋で打ち合せがおわりツイッターを確認すると平松市長さんのメッセージが。。
そっかぁ。。。防災週間なので市役所の前にはしご車がきて。。。
ほぅ。。とりあえず行ってみようということで行ってきましたww
横に居たおねーさんが一言。
「最後尾はここですよ」
うに?
なんだろ。。。ということでおねーさんのやや後ろに並んだ直後、私の後ろに
テープが張られ署員さんが「ここで終わりでーす」の声。
どうやらはしご車体験コーナーに並んだらしいwww
ヘルメットと腰に安全ベルトとカラビナをつけて地上40mの空のたびを楽しんできました。
最上部付近でひょっと左をみると、市役所最上階のフロアでデスクワークをされている職員さんの姿が
よくみえたので思わず撮影!
すると同乗してくださった署員さんいわく「そっちやなくて、風景を撮らなかんやん」と
突込みが(;・∀・)
あれから1時間たったいまでも足がガクガクしてますww
そっかぁ。。。防災週間なので市役所の前にはしご車がきて。。。
ほぅ。。とりあえず行ってみようということで行ってきましたww
「最後尾はここですよ」
うに?
なんだろ。。。ということでおねーさんのやや後ろに並んだ直後、私の後ろに
テープが張られ署員さんが「ここで終わりでーす」の声。
どうやらはしご車体験コーナーに並んだらしいwww
ヘルメットと腰に安全ベルトとカラビナをつけて地上40mの空のたびを楽しんできました。
最上部付近でひょっと左をみると、市役所最上階のフロアでデスクワークをされている職員さんの姿が
よくみえたので思わず撮影!
すると同乗してくださった署員さんいわく「そっちやなくて、風景を撮らなかんやん」と
突込みが(;・∀・)
あれから1時間たったいまでも足がガクガクしてますww
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