フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
2013/06/07
2013 6/7 福福ラーメン
福福ラーメンの期間限定 肉醤油ラーメン。
あっさり醤油にもみじおろしがアクセント。食べ応えのある豚肉に、しっかり細麺がスープに
馴染んで食がすすみます。
他にも餃子とから揚げとビールを飲んじゃいましたww
お弁当生活になって1年。休日前の晩御飯はたまにはガッツリ!えへへww
2013/06/02
2013 6/2 わつか市
先日5/14のニュースアンカーに、わつか市が取り上げられました。
まぁ世間ではやりの手作り市の紹介程度かな?と考えていましたがそれは大きな間違いでした。
安全な食に支えられる事の大切さを誰もが3・11以降に気づき、それならと自らがムーブメントを起こす。
そんな由来に支えられたコンセプトがわつか市で、手作りの味や生産者の顔が見え、そこにはいろんなこだわりと信頼と安心を求めてお買い上げいただいている訳です。
わつか市はホントに色んな縁をくださいました。
私も今回は『ねむねむや』と『宇口農園』のご縁で参加をさせていただきました。
朝早くからの設営と販売/撤去の合間にいろんなショップの方々とお話しをさせていただけました。
本当にありがたいことです。
2013/06/01
2013 6/1 大阪大空襲 港区戦没者法要
毎年6月1日は大阪港区にある西栄寺さんでの法要に参加させていただいています。
http://sweet-mikan.blogspot.jp/p/blog-page_7391.html
昨年の法要では、いままでのご住職さんがお亡くなりになられ息子さんに変わられました。
そして今回は新しい代となって2回目。
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http://sweet-mikan.blogspot.jp/p/blog-page_7391.html
昨年の法要では、いままでのご住職さんがお亡くなりになられ息子さんに変わられました。
そして今回は新しい代となって2回目。
正信偈を朗々と唱えてくださいました。
このBLOGのどこに書いたか忘れましたが、私の本家筋は浄土宗で、我が家は分け合って曹洞宗。
宗派によってお経はずいぶんちがいますがそれでも亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度と悲劇を繰り返してはいけない気持ちを新たにすることができました。
この法要は特にご案内があるわけでもなく、口コミで伝わっています。
もしお身内の方やお知り合いのかたで大阪市港区で戦死を遂げられたかたがおられましたらせひお声をかけてください。
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2013/05/26
2013 5/26 第17回 東三国 アシスト寄席
早いもので第17回となりました三国アシスト寄席は、お勉強会+交流会的な意義のある落語会でしかも限定30人でデザート付。これで前売り¥1500は絶対にお買い得です!
今回はちゃんと13時過ぎに到着!
いつも表から賑わっているはずなのになんとなくひっそり!
旭堂 南左衛門さんと笑福亭 仁嬌さんが午前中に営業とのことで超人手不足だったそう。
定刻14時になりいつも通りにオーナーの長谷川さんのご挨拶で幕が開きました。
「大安売り」 桂 三河さん
まだまだ初々しさの残る三河さん。
マクラでは、桂文枝さんの出演されるホカ弁のコマーシャルの件や、文枝さん襲名ドキュメント番組の件を話をされました。
ネタの方ではすぅーっとさらわれた様子。
今後のご活躍を楽しみにしています^^
「三人旅」 笑福亭 仁嬌さん
東の旅シリーズで真ん中にあたるこの三人旅。途中での下げとなりましたが
それでも仁嬌さんの喜六さんには味があります^^
「おいにょ」 桂 枝女太
NHKの日本の話芸だったとおもいますが江戸前の噺家さんが演じられていたのを思い出しました。
すっごく説得性のある口調と表情で話される枝女太さん。
微妙な女房の心理がちゃんと読み取ることができました。
「新島襄の妻・八重」 旭堂 南左衛門さん
この講談は2回目となりました。
前回と比較するとずいぶんこなれてきてすっきりと磨かれてきた感じがありました。
ちょうど今週当たりの大河で放映されたシーンとかぶるところがあって
脳裏にイメージがはっきりと浮かび上がりました。
この寄席の良さは演者さんとの距離が近いこと!
おそらく2mも離れていません。だからこそ微妙な表情や所作、汗などもはっきり見えちゃいます。
やっぱ落語、講談って良いですねー。
2013/05/19
2013 5/19 豊崎神社 フリーマーケット

宇口農園のお二方のみの対応で私は自由行動ですww。
それにしてもいつも精力的な活動のお二人には頭が下がる思いです。
いろんなご縁でつながっている大切な方々です(´∀`)
2013/05/18
2013 5/18 朝日カルチャー 歴史と人間 ~ 島津久光
今日の一坂先生の講義のテーマは島津久光。
いままでよく名前は出るもののザックリしたイメージしか無かった久光さんの色んな事がわかりました。
生まれは文化14年10/24(1817年12月2日)。
島津家27代当主で薩摩藩10代藩主の島津斉興(なりおき)と側室のお由羅の間に生まれました。 11代藩主の島津斉彬は兄にあたり幼名は普之進(かねのしん)
小説にもなったお由羅騒動(お家騒動)は、なんとか久光を藩主にしたいというドタバタ劇。当の本人は知らなかったらしい。
元々は島津斉興が藩主の座をなかなか譲らなかったために起こる。
これは薩摩藩の経営難にもよるもので、全体の30%を占める武士人口の多さや桜島の噴火による凶作、そして幕府から嫌がらせにように押し付けられた木曽川の治水工事が起因している。
このために83万両の負債・・当時の藩の収入は14万両。。
島津家25代当主で薩摩藩8代藩主の島津重豪(しげひで)は非常な西洋かぶれで蘭癖大名といわれ 大変な借財をつくってしまい89才で大往生。
この借財を引き継いだ 島津家26代当主で薩摩藩9代藩主の斉宣は15歳で家督を継ぎ財政改革に着手。
そして10代藩主となった島津斉興(なりおき)は、腹心の調所広郷(ずしょ ひろさと)とともに、 当時の薩摩藩は500万両にもおよぶ借財で危機的状況であったが強引な手腕で再建!借金は250年ローンに無理やりさせたり 琉球を通じた清国との密貿易で反対に蓄えをつくる程となった。
お由羅と調所は仲良し・・なぜか斉彬の子供はみな早死にをしてしまい家内を調べてみると修験者の牧仲太郎の呪いの文字が書かれた札が見つかったらしい。
また、幕府より密貿易が暴かれ調所は切腹。斉彬はいっさい歓喜無いということで藩は無罪放免となった。
43才の斉彬、ようやく念願の藩主となった。さっそく国防、軍備を拡張!幕府の阿部正弘に働きかけ大船建造を申し入れOKを取る。
そして50歳で病死・・枕元に弟の久光を呼び話したそう。
長男の忠義を藩主とし、斉彬の娘と結婚させてほしい。。
そして忠義(茂久⇒将軍の家茂から字をもらう(偏諱:へんき:かたいみな))の時代。。
斉彬のおこなってきたことを否定。。。
さて本題の久光さん。
文久2年3月
前回の講座であったように毛利家は中央へ乗り込み周旋活動を活発化。
10月には慶喜さん、春嶽さんの復権を幕府へ打診するもあっさりとNG。
12月には近衛家に進言。
天皇より詩をいただき感激!
そこで1000人の兵を引き連れて京都へ進軍
これって当時のルールは完全無視の暴挙!ところがこれを幕府は止められない。
4/16 近衛家と会い、建白書を出す。天皇曰く『浪士鎮撫をせよ』の言葉!
このことを精忠組ら過激攘夷派が勘違い。。
4/23 寺田屋事変が起こる。このことを天皇はたいそう喜ばれたそう。
5/22 大原重徳(しげとみ)を勅使として立てることに成功し江戸行きへ。
江戸にいた毛利はこっそりと中山道を使って鉢合わせをしないように
帰国。途中中津川で大会議をおこなったらしい。
6/10 家茂と会い慶喜さん、春嶽さんの復権が実現。
結局外様でも天皇の意を使えば将軍は逆らえないということを実感。
そこで久光さんは。慶喜さん、春嶽さんに自分に官位を出すように働きかけたが
8/18にはNGの連絡。。ショックだった久光さん。
当時の階級を飛び越えた無理やりのルール無視はダメ!
ショボンとして帰国する久光さんらはあの生麦村で事件が起こってしいこれが引き金となり
薩英戦争と発展してゆく。
いままでよく名前は出るもののザックリしたイメージしか無かった久光さんの色んな事がわかりました。
生まれは文化14年10/24(1817年12月2日)。
島津家27代当主で薩摩藩10代藩主の島津斉興(なりおき)と側室のお由羅の間に生まれました。 11代藩主の島津斉彬は兄にあたり幼名は普之進(かねのしん)
小説にもなったお由羅騒動(お家騒動)は、なんとか久光を藩主にしたいというドタバタ劇。当の本人は知らなかったらしい。
元々は島津斉興が藩主の座をなかなか譲らなかったために起こる。
これは薩摩藩の経営難にもよるもので、全体の30%を占める武士人口の多さや桜島の噴火による凶作、そして幕府から嫌がらせにように押し付けられた木曽川の治水工事が起因している。
このために83万両の負債・・当時の藩の収入は14万両。。
島津家25代当主で薩摩藩8代藩主の島津重豪(しげひで)は非常な西洋かぶれで蘭癖大名といわれ 大変な借財をつくってしまい89才で大往生。
この借財を引き継いだ 島津家26代当主で薩摩藩9代藩主の斉宣は15歳で家督を継ぎ財政改革に着手。
そして10代藩主となった島津斉興(なりおき)は、腹心の調所広郷(ずしょ ひろさと)とともに、 当時の薩摩藩は500万両にもおよぶ借財で危機的状況であったが強引な手腕で再建!借金は250年ローンに無理やりさせたり 琉球を通じた清国との密貿易で反対に蓄えをつくる程となった。
お由羅と調所は仲良し・・なぜか斉彬の子供はみな早死にをしてしまい家内を調べてみると修験者の牧仲太郎の呪いの文字が書かれた札が見つかったらしい。
また、幕府より密貿易が暴かれ調所は切腹。斉彬はいっさい歓喜無いということで藩は無罪放免となった。
43才の斉彬、ようやく念願の藩主となった。さっそく国防、軍備を拡張!幕府の阿部正弘に働きかけ大船建造を申し入れOKを取る。
そして50歳で病死・・枕元に弟の久光を呼び話したそう。
長男の忠義を藩主とし、斉彬の娘と結婚させてほしい。。
そして忠義(茂久⇒将軍の家茂から字をもらう(偏諱:へんき:かたいみな))の時代。。
斉彬のおこなってきたことを否定。。。
さて本題の久光さん。
文久2年3月
前回の講座であったように毛利家は中央へ乗り込み周旋活動を活発化。
10月には慶喜さん、春嶽さんの復権を幕府へ打診するもあっさりとNG。
12月には近衛家に進言。
天皇より詩をいただき感激!
そこで1000人の兵を引き連れて京都へ進軍
これって当時のルールは完全無視の暴挙!ところがこれを幕府は止められない。
4/16 近衛家と会い、建白書を出す。天皇曰く『浪士鎮撫をせよ』の言葉!
このことを精忠組ら過激攘夷派が勘違い。。
4/23 寺田屋事変が起こる。このことを天皇はたいそう喜ばれたそう。
5/22 大原重徳(しげとみ)を勅使として立てることに成功し江戸行きへ。
江戸にいた毛利はこっそりと中山道を使って鉢合わせをしないように
帰国。途中中津川で大会議をおこなったらしい。
6/10 家茂と会い慶喜さん、春嶽さんの復権が実現。
結局外様でも天皇の意を使えば将軍は逆らえないということを実感。
そこで久光さんは。慶喜さん、春嶽さんに自分に官位を出すように働きかけたが
8/18にはNGの連絡。。ショックだった久光さん。
当時の階級を飛び越えた無理やりのルール無視はダメ!
ショボンとして帰国する久光さんらはあの生麦村で事件が起こってしいこれが引き金となり
薩英戦争と発展してゆく。
2013/05/17
2013 5/19 サービスに関する所感 鳥貴族
先日、鳥貴族の社長さんがテレビ出演されていました。
様々な方針に感動!ステキなお店なんだなーって
おもってぜひ行ってみたいって!
で、やっと念願がかなって5月10日の夜に柏原店を予約していってきました。
清潔な店内、元気の良い店員さん、美味しいお料理でしかもお安いので会話もはずみ、ついつい長居してしまいました。
とにかく素晴らしいお店でもう嬉しくて嬉しくて!
で、こんな良いお店なんだからと、18日の夜に地元大阪市内の鳥貴族〇〇〇店へ。
19:30にということで、事前に電話で予約して行ったまでは良かったのですが、おもいっきり後悔しました。
注文違いが連発。
よっぽど忙しかったのかお店のなかはドタバタ!
オーダーを取りに来てくれないし、呼び出しを押しても
3回連続で見事にスルー!呼び出しランプって一定時間で消えるのかな?また、私だけ飲み物が無いままに放置プレー!
柏原店なら、気を配ってくださって声をかけてくれたよ。
奥まった座席じゃないんだし通路側の席だから見えるのに。
速攻ででてくるスピードメニュー料理も出てこないしさ、
ステキなお店だからと連れて行った家族もがっかり。。いっこうにオーダーしたのが来ないくせに
他の席のオーダー分が届いたり。。
で・・やっちゃダメなんだろうけれど2回目までのミスには我慢したけど
3回目のミスがあった時にキレちゃいました。。。。
あぁぁ。。。せっかくネコかぶっていたのに。。
充分なサービスができないんだったら、予約を取らなかった良いのに。
無理して予約をうけたばかりに信用や信頼を失墜させることになるんだからさ。
それにしても素晴らしい社長さんの鳥貴族だけど
支店ごとにサービスの質にばらつきがあるんですね。
2013/05/12
2013 5/12 泰聖寺講談会 ~旭堂南左衛門一門会
今日はおもいっきり好天に恵まれ、会場は満席!
本当にありがたいもので時代は講談!って感じです。
とくに今日は私の大好きな難波戦記特集。
大阪夏の陣と大阪城落城という悲しい歴史ではありますが
真田幸村公が大活躍される講談はホントにロマンがあります。
定刻少し前にご住職さんよりご挨拶をいただきました。
当麻曼荼羅のお話で、泰聖寺の宗派の西山聖人様との所以をお話しくださいました。
「関東軍総敗軍」旭堂 南斗
イキイキと語られる南斗さんの講談。
「大助の初陣」旭堂 南舟
5月5日に九度山の真田祭に行かれたとの事。
幸村庵の宣伝も含めて、もっともっと九度山がメジャーになりますように。
「幸村の入城」旭堂 南青
冒頭からぐっとお客様の心をつかむ南青さん!
父や妻を亡くした為にすっかり落胆した幸村公と、実はその姿は世を忍ぶ姿であったその対比が
見事でまるでドラマを見ているようでした。
「般若寺の焼討」旭堂 南左衛門
徹底的に苦しめられる徳川家康。
演者さんによって講談ってこうも違うものなのですね。
納得の迫力でした!
今日の終演後に、お客様をご紹介いただきました。
その中に萩市よりお見えいただいた方や、東京からの方もおられました。
もっともっと講談がメジャーになりますように祈っています。
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