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2022/10/22

足立美術館訪問

 横山大観さんの絵画所蔵で有名な足立美術館へ行ってまいりました。この地は18年前の2004年に母と二人で訪れた場所です。
当時は「無我」「雨霽る」「神国日本」だけでなく、美人画の上村松園さんやキレのある日本画の橋本関雪さん、墨の濃淡で奥行きを見事に表現する富岡鉄斎さんの絵画に無性に感動。
今回はやっぱ大観さんの「紅葉」と特別展の武内栖鳳さんの写実的絵画。西洋絵画風にも見えるけれどモチーフとその緻密な表現に驚きました。

足立美術館といえば横山大観さんのコレクションだけでなくとってもキュートな林義男さんの童画。今までになかった北大路魯山人さんのコレクションが数多くあり大いに目の保養をさせていただきました。

もちろん、世界的に有名な庭園も素晴らしく心をほっこりとさせていただきました。










2004年に母と同じ場所で沢山写真を撮りました。
そこに当時の母が佇んでいるようなそんな気がしてなりませんでした。

2022/10/19

もう7か月が過ぎました。

 早いもので今日で7カ月が過ぎました。

きっとそっちの世界では自由に歩き、祖父や祖母、そして一足早く逝った父と楽しく過ごしているかな?

この週末を利用して生前に母が愛した『足立美術館』に行ってくるね。

2022/10/10

練習場所がない。。

 久しぶりにトランペットの練習をしようと大阪城公園へ向かいました。音量がありますので迷惑かからないように森の中へセッティング。

雨上がりのイキイキした草木の声に包まれながらマウスピースだけで唇のコンディションを確かめたあと、愛機を出してロングトーンをしたのもつかの間、あっという間に「ヤブ蚊」の襲撃。一目散に退散しました。


やっぱ広い公園の駐車場へ停めた愛車の中でしか場所は無いみたいです。ほかの方はどうされているのでしょう?ホントは毎日決まった時間にロングトーンやスケール練習ができればいいのだけれど。

2022/10/02

生と死を分け隔てるもの

 子供さんの事故や病気、行方不明等のニュースを見聞きするたびに本当に心が痛みます。
「祖父母死に、父母死に、我が死に、これぞ目出度き」一休宗純の言葉だそうですが、この順番に狂いが生じる場面が多すぎて当事者のその悲痛な思いは計り知れないものです。それだけに一休宗純のお言葉は真実すぎて、素直に受け入れられない気持ちが先に立ってしまいます。

子供の頃は「死」は遠いものと捉えていましたが、齢を重ねるごとに身近なものと思えてきました。ましてや色々な個所に爆弾を抱える身となると避けることのできない運命として正面から向き合う心が出来てきたような気がします。
「正月は冥途の旅の一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし」なんて言葉もあるように、自分よりも相当年配の著名人や俳優さんの亡くなられたニュースであったはずが、いつの間にか少し上の年齢の方のニュースに変わり、そしていまでは自分と同年代や年下の方のご不幸のニュースを聞くことが多くなってきました。

この週末土日に娘と2歳4か月の孫が遊びに来てくれましたが、すこし熱があったようなので2日間を自宅で過ごし、そして昨日は午後から片道80Kmほど離れた家まで車で送りました。すこし休憩がてらお茶を頂いていますと、「ドーン」という鈍い音が!

どうやら室内用ジャングルジムから落ちたらしい。その直後、孫の様子がおかしく、焦点の合わない眼差し、両手足の痙攣が出たことから救急車を呼び救急病院へ搬送。頭を打ったからなのか、それとも発熱のためなのか直接原因はわからないようですが、発熱を下げる座薬処置で元気になりました。
救急病院から自宅へ孫と娘を送り届け、私はすっかり日が暮れた高速道路を、孫の無事と健康を祈りながらも「なにが生死を分けるのか、幸せと不幸せってなんだろう」と考えていました。

実は救急病院に到着した私は、診療室の前に立ち尽くしたまま、3月に亡くなった母へ「ままさん、どうぞ孫を助けてください」と祈ったのが本音であり、そのお陰だったのか、今朝一番に「孫は元気だよ」と一報がありました。
ままさん、ありがとう、本当にありがとう。

 尊敬する吉田松陰先生の「留魂録」には人の一生を四季に例えた章があり、浄土真宗蓮如上人の「白骨の章」、そして曹洞宗道元禅師は「修証義」の中で死生観がはっきりと書かれています。
それぞれの先達においてその死生観は異なるものの人のやはり一生は儚く、夢幻如く(ゆめまぼろしのごとく)。「なるようにしかならない」人生だけど私は自分で運命は変えられると思っています。運の良し悪しが生と死を分け隔てるのならば、運命と運は?運の量は?

まだまだ凡人な私です。