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2010/04/18

◇2010/04/18 交通安全お払い ~安居神社~

今回いろんな事情で車を買い換えました。いままでは納車の日和等もまったく気にしたことの無い無頓着派でしたが先般のもらい事故があったので今回はちゃんとしようということで納車は大安を選び、そして生まれて初めて車のお払いをしていただくことにしました。

せっかくお払いをしていただくのだからと、先般からなにかとご縁のある安居神社の宮司さんにお願いに。
そして快く引き受けてくださいました。

当日は見事に快晴に恵まれ春のあたたかい陽気の中、ご神殿に上がらせていただく機会などそうあるはずもなく、身も心も引き締まる思いがいたしました。

背筋を伸ばすこと。正座すること。腰をまげて神に敬意を表すこと、それぞれの中に儀式を感じ、また宮司さんの所作はとても美しく日本古来の美学をも感じました。

お払いのために神殿に上がらせていただいた30分弱・・・。すでに足が痺れるようじゃダメダメですねww

2010/04/17

◇2010/4/17 教科書に書かれない幕末史 ~薩長接近

教科書に書かれない幕末史  

幕府が崩壊した原因は勅許をもらうことに2回失敗したことに起因している。
孝明天皇は産業革命に成功した欧米に対してどうも誤解していたようで。
真っ赤な処女の血を飲み、肉をナイフで切り刻んで食べる・・そんな人種が欧米人であるときかされたら誰でも友好的になりたくない。
もともと徳川政権は天皇には政治に口出しすることを認めておらずその姿勢を貫き通せばよかったが、日米修好通商条約の締結の際に、勅許を求めてしまった。

この時点で天皇の下に幕府があることを自らが認めてしまう。もちろん攘夷大好きな孝明天皇は勅許を出すはずもなく、幕府は独自で条約を締結してしうことで、幕府に反感を持っている他藩に「幕府は勅許もないのに開国した」という大義名分を与えてしまう。

鎖国の際は勅許は無いのだが、責任転嫁の逃げ道を作るために天皇を巻き込んだが失敗したというわけ。

そんな幕府と天皇の間を国事周旋にせっせと励んで台頭した長州藩。ついに禁門の変にいたり朝敵の烙印をおされてしまう。第一次長州征伐は勝さんと西郷さんの会談により戦火を見ることは無くそれでも幕府の要求を呑んだことで長州に対するペナルティははずされるはずだがそれでも朝敵というマークは消えることがなく、ひたすら長州は<武備恭順>の姿勢を貫く。

そこに幕府はまたまた勇み足。

孝明天皇は朝敵の烙印をはずさない=長州が嫌い!ならば第二次長州征伐で徹底的に打ちのめす許可を求めた。当然すぐに勅許がでると誰もがおもったが、ここに盲点があった。

なぜか孝明天皇はOKしない。ついにOKしても色んな条件付で1年以上も降りることが無かった。


長い前置きになりましたがこれらの表の話に対する裏の話が今回の講義になりました。


幕府のお金で神戸に海軍学校+私塾をもっていた勝さん。禁門の変で戦った浪人も実は塾生であったことからお取り潰しになってしまう。行く先の困った勝は愛弟子を西郷にゆだねる。実は土佐藩中心でこの中にはご存知の龍馬さんや近藤長次郎さんがいた。

薩摩藩は薩英戦争により海軍の強化を命題としていたことからこれは渡りに船と引き受け、近藤長次郎さんには長崎で<社中>をつくらせる。そして龍馬には長州を探るように特命を与える。

薩摩と長州はこの時点では犬猿の仲。即乗り込んでしまうと間違いなく斬り殺されてしまう。龍馬はまず大宰府にいる五卿を訪ねる。(元七卿)五卿は長州贔屓な公家であることや、大宰府を警護しているのが薩摩藩であることから、まず安全策をとったのでしょう。

そしてついに桂小五郎と坂本龍馬の会談が実現する。
日本同士がいがみ合っていては・・云々・・。

このとき流れてきたのは、幕府が勅許をもらうために動いている情報・・。となると間違いなく戦争になる。。しかし長州には武器がない・・。

ちょうどこの時期に日本をマーケットにしいていた列強間では密貿易を禁止する約束が交わされた。
喉から手が出るくらいに武器が欲しい桂は龍馬に「薩摩名義で武器を買って欲しい」と依頼。そしてすかさず龍馬はOKと周知の事実。

日が経過し待てど暮らせど音信普通。桂さんは井上聞多さんと伊藤俊介さんに長崎の薩摩屋敷の小松帯刀を訪ねていくように指示。到着し聞いてみたが小松は龍馬?は?知らん?という返事。
それならと社中を紹介し高松太郎(龍馬の甥)・井上・伊藤の3人でグラバーに会うことが出来、無事小銃7000丁と船をGET!

ちょうどこのタイミングで小松殿が薩摩に帰るということで井上が同行。これが効果あり!で、長州と薩摩の連合について活発な話が行われ、大幅前進!

それではと今度は井上は近藤長次郎を長州につれて帰り薩摩との友好を説得。なんと毛利のお殿様にお目通りでたいそうお喜び。
この時期に毛利の父子が島津宛に手紙をおくりその内容は<万端及氷解候>
これでいままでの感情的な遺恨の部分はなくなった。
ここで気をつける点として・・龍馬は出てきていないこと!

さて、この手紙の2週間後、条件付の勅許が降りた。もう時間がない。

それでは、と桂小五郎と西郷隆盛の具体的な打ち合わせが京都で行われる。
小説では色々あったが実際はそうではなかった。

決まったことを6か条にまとめ龍馬が裏書する。
長州はこれから幕府が突きつけてくる条件はすべて蹴る!薩摩は尽力を尽くす!
これで薩長同盟が締結された。

2010/04/12

◇2010/4/10 書き始め

今まで利用させていただいていた某BLOGサービスがいきなりの中止となってしまい急遽このサイトへ移転しました。
今までとおり、落語や歴史、日常ネタを中心に記載しますのでご興味がありましたらぜひご笑覧くださいませ。

また毎日コソコソっと過去の記事を当BLOGに移転してまいります^^

2010/04/10

◇2010/4/10 しのぶ庵寄席

毎月第二土曜恒例の<しのぶ庵寄席>この寄席もずっと満席で世間は落語人気なんですねー。

◎桂福丸 道具屋

レギュラーの福丸さん。マクラでは色々なところへ旅行され、その中でもエジプトへ行かれた時の話を冒頭に、大阪某所にある通商「泥棒市」の話へ。ネタは通なら年に何度も聞く機会のある<道具屋>。この話はどうしてもネタが先読みできてしまう話でダレてしまうのですが、さすが福丸さん。ポンポンっとテンポよくメリハリのある話術で会場を沸かしてくださいました。
実はこの話しは、次にご出演の桂雀太さんのバージョンで先日聞かせていただいたばかり。演者さんによってずいぶん印象が代わるものだなーってあらためて認識しました。


◎桂雀太 代書屋
マクラは先日、NEETの集まりで「道具屋」をしたときの失敗。これには大爆笑。「まぁこっち入り・・まだ座布団、ぬくいやろ・・さっきまでお前の母が来てて泣いてたで・・・」って!あかんやろーww。
客層にあわせて話しを選ばなきゃww「心のシャッターが・・云々」では大爆笑でした。また、腹話術関連の団体の前で高座をしたときの話も。繰り返し韻を踏むおかしさってありますよねー。で、これでもかーってくらいに次の話題に。
噺家さんは日夜言葉に対し研鑽しているとのこと。
<松屋町>→まっちゃまち・<日曜、月曜>→げっちょ、にっちょと言葉に小さい<っ>が入る。<エチオピアの散髪屋は月曜が休み>はエッチョピアのサンパッチャはゲッチョがやすみ・となる。

さて、噺は「代書屋」。懐かしい枝雀さんの代書屋をベースにさらに独自のくすぐりが満載。
もともと古い話がベースで堤燈行列やらが出てきますが、これで時代感覚がずれてしまうところがあります。でも雀太さんは、すべて年号を隠して話されたことで誰でも昔の記憶にあるような笑いに変えてしまわれました。
主人公「とめ」の生年月日のくだりは枝雀さんを彷彿。もちろん春団治さん系のガタロではなくオチへの運びはは「ポンでぇす!」でした(笑)

さて、しのぶ庵寄席、次回は5月2週目土曜だけど、ちょっと事情があり不参加になります。また6月は開催されず7月より会場が変るとのこと。ということでこの心斎橋の会場は今日で最後となってしまいました。1年以上も毎月たのしいお話とおいしいお蕎麦をいただけたことに感謝。それよりもお店に棟方志功氏の版画がたくさんあり素晴らしい雰囲気のあるお店に行く機会がなくなってしまったのが残念です。店長さんを初めほんとうにありがとうございました。

2010/03/30

◇2010/3/30 楽すればらくがわざして楽ならず

楽すれば らくがわざして楽ならず 楽をせぬ身ははるか楽々


富山の薬売りの言葉ということで、大阪天満宮さんの碑に書かれていました。

だれだって辛くしんどい事なんてしたくない。だけど辛いことを避けて通ってばかりだとひ弱な精神になってしまうのかな。
とくに「若いうちの苦労は買ってでもせよ」的な若者だけを鍛える精神論ではなく老若男女すべてに言える言葉だからか感銘すら覚えます。


「棚からぼた餅」なんて事を言ってる私はダメダメなのかもしれませんね。

2010/03/28

◇2010 3/28 上田市市長選挙

東信ジャーナル様の記事によりますと上田市市長選挙は現職 母袋創一市長さんが再選されました。

http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000320075.html

母袋市長さんのご健康と上田市の発展を心よりお祈りしています(^-^)ニコ♪

◇2010/3/28 愛車とサヨナラ。

たしか免許を取ったのはH10年4月なので約12年が経過、干支がひと回りしちゃいました。
車にはいろんな思い出が込められているものでいままで乗り継いだ車それぞれにはいろんな思い出がつまっています。
初めて乗った車は「スカイラインワゴン」友人からうどん定食をおごることを引き換えに名義変更してもらったレトロな車でした。この車で色々と練習し「シャリオ」「初代ステップワゴン」「2代目ステップワゴン」そして「MRワゴン」と乗り継ぎ、来月から「フリード」に乗り換えることになりました。
 

そして昨日さよならした愛車は、初めての軽自動車。それでも四国や島根県、富山県等の旅行に付き合ってくれました。
この軽自動車で思いだすのもつらい、もらい事故が2回。新車2ヶ月目に左ドアの全面交換、そしてこの1月には信号待ちで追突、頚椎捻挫のおまけができましたが、れでも私をばっちく守ってくれました。ほんとに3年間ありがとね♪

2010/03/27

◇2010/3/27 町屋寄席 (くらしの今昔館)

昨年よりずっと注目している大好きな噺家さんが揃ってご出演されるという情報を察知して行ってまいりました。良い席が欲しくて余裕で開演2時間前に到着です。

会場は天神橋6丁目駅上にある<くらしの今昔館>。ここって一応駐車場がありますが高さ制限があるので注意が必要です。なので斜め向いにある巨大なパチンコ屋さんがTIMSを併設されていましたので停めさせていただき店内を通って会場へ。やっぱ店内って煙モクモクですっごい臭いで閉口しました。
さて会場のくらしの今昔館は、古き良き時代の大坂の街並みを再現した趣のある場所で染雀さん曰く、落語の舞台がそのままに存在しているとのこと、まさにそのとおりです。
杉の焼板の塀や瓦葺の長屋に2階には物干し台。駄菓子屋や風呂屋など見覚えのある懐かしい風景がここにありました。

◆笑福亭生寿 四人癖

前回、生寿さんの高座を楽しませていただいた際にも照明がついておらず、今回もその再現を見ているようでした。
前座の役割の携帯電話の注意で、かるーくひきつけて、先日行かれた中国杭州での楽しいお話をマクラに楽しい右喬兄さんの癖でうまく本題に入られました。
途中、ダレてしまいがちになるこのお話を、うまく最後まで持ってゆかれました。

◆林家染雀 佐々木裁き

染雀さんは二胡教室の生徒としてNHKの番組でご出演中とのこと。これは要チェックですネ。
実は私も昔、二胡を入手して練習に励んだことがありましたが断念。あの独特の高周波ノイズしか出なくてダメダメでした。
さて、この<佐々木裁き>、今日のこの会場の雰囲気にぴったりのお話をセレクトされました。
西町奉行所=本町橋を北へ上がったマイドーム大坂の辺りのお話で佐々木信濃守は実在の人物。聞き手の興味をくすぐり、最後まで心を離しません。独自のくすぐりはもちろん、「町内会の役員さんと市会議員」の薀蓄にはなるほどぉぉ!でした。