教科書に書かれない幕末史
幕府が崩壊した原因は勅許をもらうことに2回失敗したことに起因している。
孝明天皇は産業革命に成功した欧米に対してどうも誤解していたようで。
真っ赤な処女の血を飲み、肉をナイフで切り刻んで食べる・・そんな人種が欧米人であるときかされたら誰でも友好的になりたくない。
もともと徳川政権は天皇には政治に口出しすることを認めておらずその姿勢を貫き通せばよかったが、日米修好通商条約の締結の際に、勅許を求めてしまった。
この時点で天皇の下に幕府があることを自らが認めてしまう。もちろん攘夷大好きな孝明天皇は勅許を出すはずもなく、幕府は独自で条約を締結してしうことで、幕府に反感を持っている他藩に「幕府は勅許もないのに開国した」という大義名分を与えてしまう。
鎖国の際は勅許は無いのだが、責任転嫁の逃げ道を作るために天皇を巻き込んだが失敗したというわけ。
そんな幕府と天皇の間を国事周旋にせっせと励んで台頭した長州藩。ついに禁門の変にいたり朝敵の烙印をおされてしまう。第一次長州征伐は勝さんと西郷さんの会談により戦火を見ることは無くそれでも幕府の要求を呑んだことで長州に対するペナルティははずされるはずだがそれでも朝敵というマークは消えることがなく、ひたすら長州は<武備恭順>の姿勢を貫く。
そこに幕府はまたまた勇み足。
孝明天皇は朝敵の烙印をはずさない=長州が嫌い!ならば第二次長州征伐で徹底的に打ちのめす許可を求めた。当然すぐに勅許がでると誰もがおもったが、ここに盲点があった。
なぜか孝明天皇はOKしない。ついにOKしても色んな条件付で1年以上も降りることが無かった。
長い前置きになりましたがこれらの表の話に対する裏の話が今回の講義になりました。
幕府のお金で神戸に海軍学校+私塾をもっていた勝さん。禁門の変で戦った浪人も実は塾生であったことからお取り潰しになってしまう。行く先の困った勝は愛弟子を西郷にゆだねる。実は土佐藩中心でこの中にはご存知の龍馬さんや近藤長次郎さんがいた。
薩摩藩は薩英戦争により海軍の強化を命題としていたことからこれは渡りに船と引き受け、近藤長次郎さんには長崎で<社中>をつくらせる。そして龍馬には長州を探るように特命を与える。
薩摩と長州はこの時点では犬猿の仲。即乗り込んでしまうと間違いなく斬り殺されてしまう。龍馬はまず大宰府にいる五卿を訪ねる。(元七卿)五卿は長州贔屓な公家であることや、大宰府を警護しているのが薩摩藩であることから、まず安全策をとったのでしょう。
そしてついに桂小五郎と坂本龍馬の会談が実現する。
日本同士がいがみ合っていては・・云々・・。
このとき流れてきたのは、幕府が勅許をもらうために動いている情報・・。となると間違いなく戦争になる。。しかし長州には武器がない・・。
ちょうどこの時期に日本をマーケットにしいていた列強間では密貿易を禁止する約束が交わされた。
喉から手が出るくらいに武器が欲しい桂は龍馬に「薩摩名義で武器を買って欲しい」と依頼。そしてすかさず龍馬はOKと周知の事実。
日が経過し待てど暮らせど音信普通。桂さんは井上聞多さんと伊藤俊介さんに長崎の薩摩屋敷の小松帯刀を訪ねていくように指示。到着し聞いてみたが小松は龍馬?は?知らん?という返事。
それならと社中を紹介し高松太郎(龍馬の甥)・井上・伊藤の3人でグラバーに会うことが出来、無事小銃7000丁と船をGET!
ちょうどこのタイミングで小松殿が薩摩に帰るということで井上が同行。これが効果あり!で、長州と薩摩の連合について活発な話が行われ、大幅前進!
それではと今度は井上は近藤長次郎を長州につれて帰り薩摩との友好を説得。なんと毛利のお殿様にお目通りでたいそうお喜び。
この時期に毛利の父子が島津宛に手紙をおくりその内容は<万端及氷解候>
これでいままでの感情的な遺恨の部分はなくなった。
ここで気をつける点として・・龍馬は出てきていないこと!
さて、この手紙の2週間後、条件付の勅許が降りた。もう時間がない。
それでは、と桂小五郎と西郷隆盛の具体的な打ち合わせが京都で行われる。
小説では色々あったが実際はそうではなかった。
決まったことを6か条にまとめ龍馬が裏書する。
長州はこれから幕府が突きつけてくる条件はすべて蹴る!薩摩は尽力を尽くす!
これで薩長同盟が締結された。