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2013/01/13

2013 1/13 NHK 日本人は何を考えてきたのか  大本教について

江戸末期から明治初年に様々な宗教が開かれています。金光教や天理教もこの時期。
時代が大きく変化する不安定な時・・民衆の大多数を構成する貧しい方々が心のより所を求めていたのでしょうか。

先日から色んな縁で、興味をもった大本教。たまたまNHKの番組があったので録画して鑑賞。

艮(うしとら)の金神さんより出口なおさんが言葉をいただいてはじまった宗教。
幕末期に貧しい農村に生まれ、貧しく辛い日々。綾部に嫁いだが苦労の連続。
出口なおと上田喜三郎がで出会う。
金明霊学会が生まれ、なおの娘のすみさんと結婚し、出口王仁三郎となる。日露戦争勃発。なんとか持ちこたえて得た勝利で日本は進む道を誤ってゆく。
大日本修賛会となり発展してゆく。

なおさんは三千世界の建て直しを説き、王仁三郎さんはそれらを実践をしてゆく。
第一次世界大戦の陰でアジアへ進出すると、国内の貧富の格差がどんどん開いてゆく。
政治と宗教の分離により祭政一致を唱え、皇道大本、天皇親政を推進する政治思想となることで軍人が入信をする。これが世界を一つにする神政復古、帝国主義に発展してゆく。
大正7年、富山県で米価高騰による米騒動が勃発した同11月に81歳で出口なおさんが亡くなる。ロシア革命による社会主義の成立から大正デモクラシー運動による民衆運動の高まりで教団は支部を拡大。それは台湾までも広がることになる。
大正9年、協会への弾圧が開始。不敬罪で王仁三郎さんが逮捕されてしまう。
そのためなおさんの言葉ではなく、自分の霊界体験を全面に表現してゆく。これが有名な霊界物語。全81巻。

またエスペラント語を普及。人類同胞主義を説くために必要な手段として採用。
五四運動をへて、日本は中国進出と同時に教団も進出。
満州事変勃発。世界の統一を理想とし日本を世界の中心とする思想と、世界大恐慌に重なり民衆に浸透してゆく。

国際連盟脱退から宗教家から政治家へかわってゆく王仁三郎さん。
昭和神聖会となり政治色が濃くなってゆく。天皇機関説の廃絶を唱え、大本は拡大を続け国家主義を進んでゆく。信者800万人。全国支部は414。あまりに拡大したために国家から危険団体としてついに弾圧を受ける。
本部は破壊。全国の支部も破壊。1500のダイナマイトを3週間かけて破壊。王仁三郎は再び捕らえられた。
なおさんのお墓は荒らされ、遺骨は持ち去られた。大本信徒の墓石は削られている。
太平洋戦争勃発。戦局悪化し終戦。
施設再建を目指し人類同胞主義を見つめな直す。世界平和は軍備撤廃を唱える。
S23、王仁三郎さんが亡くなった。


先日の、『何を言うやら蜜柑やら』がここまで広がるとは思わなかった(^_^)

2013/01/12

2013 1/12 西宮戎さんと清荒神さん


十日戎には欠かさず参拝していましたが、今年は転職したので無理でした。
長年の習慣を絶つのって辛いですね。

で、今年は残り戎の終わった12日に参拝することにしました。
せっかくなので今年は西宮戎神社へ。

境内では昨日までの喧騒を思い出させるような屋台の撤去のタイミングと重なって
車やトラックがいっぱい!

なんとか参拝を終え、テレビ中継でおなじみの赤い門の前で記念撮影^^この門の前からたくさんの方々がダッシュされてるんだなーって思うと感慨深い思いが。。



清荒神さんもいつも参拝をしているのですが、前回前回お参りした時には改装工事中で入ることができなかった富岡鉄斎さんの美術館にどうしても行きたくって・・。「鉄斎 -喫茶の楽しみ-」と題して書画や茶器が展示。
勢いのある水墨画や繊細に書かれている線に論語が書かれている掛け軸や茶器に目を奪われました。
そして横にある奥ノ院の滝でしばしクールダウン♪

ステキな日本画を見ると、また足立美術館に行きたくなってきました。
今年中には行って来ようかなー。
参道をぶらぶら歩いているとステキな竹細工のお店発見!お店の中には白蛇さんが!おもわず記念撮影してステキナ週末の一日を終えました。

2013/01/10

2013 1/10 自分の感受性くらい

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自分の感受性くらい

                       作:茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

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2013/01/01

2013 1/1 年頭



これは2007年の年末から2008年のお正月にかけて喉の手術で入院した際に
病院のロビーに掲げられていた額の言葉です。

この時は泣きそうなくらい辛くて・・さみしくて。。悲しくて。。。。

でもこの額の言葉を読んですごく自分が恥ずかしくなりました。

今年1年は謙虚に過ごしたいとおもいます。

2012/12/30

2012 12/31 年末に寄せて

今年のように色々と出来事があった一年は初めてでした。

昨年秋の大手術の経過が思わしくない事から5月に再手術。
そして15年間勤めた会社を退職。そして新たな会社へ就職。
極めつけは7月に信号待ち時にノンブレーキで普通乗用車に追突されました。
昨年4月には信号待ち時にタクシーに追突事故を受け、今回ばかりは間違いなく死んだ・・と思いましたが奇跡的に外傷はゼロ!

本当にありがたいことです。

そして新しい会社に入って一番に感じたことはその社風。
色々と書くと弊害がありますが、【努力する者、夢語り、怠る者は愚痴語る】
そして【諦めた者は何も語らない】。

 私はどのタイプになるのでしょうか。

社会人である以上、労働は必要ですが私に期待されていることと私が期待することがマッチしているかどうかは今の段階では疑問です。

これが愚痴になるのであれば私は怠る者ということになりますね(笑)

色んな出来事があっただけに、来年は平穏無事が一番!
穏やかな心で健やかに暮らしたいものです。

2012/12/25

2012/12/25 何を言うやらミカンやら

朝5時からいつも[子守康範 朝からてんコモリ!]を聞いています。

その中で話題になっていた[何を言うやらミカンやら]がネタになっていました。私はずっと原田のぶろうさんのギャグだと信じ込んでいましたがどうやらもっと昔の事らしい。

で、語源は1922(大正12年)/04に出版された[如意宝珠巳 春野の旅] の中に出てくるそうで、作者は出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)さん。この方は宗教「大本(おおもと)」の教祖とのこと。

 WIKIでその生涯を読んでみたがとでも興味があります!いくつか書籍を調べてみたいと思います。

夏彦『モシモシお爺さま、此奴ア、由良の湊の秋山彦の門番をして居つた男です。偉さうに口ばつかり開くのですよ。朝から晩まで門を開くのが商売だから、その惰力が未だに残つて居つて、大門のやうな大けな口を開きよるのだ。相手になりなさるな。この男の云ふ位な事は、私だつて、年の功は豆の粉だ、豆の粉は黄な粉だ、黄な粉はヤツパリ豆の粉だ。猪喰た犬は、犬のどこやらに勝れた所が有りますワイ。私が教へてあげませう』

加米彦『コレコレお爺さま、此奴はなア、ウラナイ教の黒姫と云ふ、口ばつかり達者な奴に十年間も朝から晩まで、法螺を仕込まれて来た奴だから、何を言ふやら、蜜柑やら、金柑桝で量るやら、なにも分つた代物ぢやありませぬワイ』


爺『最前からこの老爺が一生懸命に頼みて居るのに、お前さま達は、この老人を飜弄するのかい、エーエやつぱり英子姫さまのおつしやつた偉いお方は、この御連中ぢや有るまい。アーア阿呆らしい、コンナ事ならこの重い足を、老人が引摺つて来るのぢやなかつたのに……』

 参照)

2012/12/23

2012/12/23 講談祭

会場へは13時すぎに到着。母に先に会場入りしていただいて私は車を置きに大国町の駐車場へ。
で13時半に会場に着いたら驚きました!
えぇぇ?会場がいっぱい!お客様がどんどん。。。。何があったの?
ついに講談の時代がきたか!って思いました。


旭堂南舟 松浦壱岐守
赤穂浪士の討ち入りには四十七士に関する本伝、それぞれの個人のお話の銘々伝、
そして討ち入りに関係した方々のお話の外伝があるとのこと。

さて、この松浦(まつら)壱岐守のお話は外伝。お話のイメージからすると
赤ら顔のエラそうにしている松浦壱岐守。寒い日には生き炬燵と称して女性を先にお布団へ入れて温まるのを待つ・・そんな感じの方らしい。
山鹿流の陣太鼓が聞えてきた、慌てて様子を探りに行かせた松浦は・・・。

旭堂南青 赤垣源蔵 徳利の別れ
今日の講談祭は今までにない客入り!
座椅子席と長椅子席の間にスペースをつくり座椅子を増やすために後ろに下がっていただきました。
今まで前に詰めていただくために「お膝送り」というのは経験がありますが[お膝下がり]というのは
初めて!ありがたいことです。

討ち入りの前夜、兄の元へ別れの挨拶に来赤垣源蔵。ところが残念ながら会うことが出来ず、また姉も体調不良とかで会えなかった。
お手伝いの女中が応対をするが・・・。

そのしっとりとしたお話に客席のいろんなところから「グスッ・・・」もちろん私も・・。

客席参加型対談「討ち入りの嘘と誠」
司会は南舟さん。メインは南北さん、南左衛門さん。
一番気になるのは、なぜ浅野内匠頭は吉良さんを襲ったのか。
いろんな説があるがまずは、賄賂説。これは吉良さんからすると当然の事で作法を教える授業料のような物。
ところがいろんな事実検証がされて賄賂説ではないという結果に。
次に出たのは男色説。浅野内匠頭さんには日比谷右近というお小姓さんがいて、日比谷右近を吉良さんが見初めたという説。
ところが浅野さんはNO!でも時の大老の堀田正俊さんから同じ話がでた際にはすんなりOK!うほっ!って感じで逆切れしたのか。
で、次の説は塩の製法説。当時の塩は赤茶けたものだったそうだが赤穂だけは当時から白!吉良さんのご当地も塩を製造していて
この製法を知りたくて・・てな感じで刃傷沙汰になったのか。。真実は今となっては不明。。

旭堂南青さんが話された赤垣源蔵のお話ですが実は赤垣源蔵は赤埴(あかばね) 重賢(しげたか)。本当は下戸で兄はいないらしい(;´Д`)
お芝居や講談では大酒呑みということになってはいるが真っ赤なウソ!えぇぇ!

旭堂南左衛門 三村の薪割り
赤穂の浪士たちは情報収集にために身分や身なりを変えて町にでた。
ところが三村次郎左衛門は武士の姿のままでできることを考えた結果、変わった商売の薪割屋を始めた。
そこで知り合ったのが刀研ぎ屋主人の竹屋喜平次。
大の仲良しとなった二人は友情を温める。
そしていよいよ討ち入りが決まった・・・・・。



旭堂南北 夜もすがら検校(けんぎょう)

玄城検校(げんじょうけんぎょう)は琵琶の名人で、平家のお話を語らせたら一晩中でも語るという。そこで「夜もすがら検校」という名前が付いた。

彼は盲目の為に信頼できる付き人を一緒であったが、江戸からの帰りしなにトラブルが起こる。なんと付き人が色と欲に目がくらみ検校を中山道の雪深い山の中に・・・。
この冬の日にぴったりの臨場感あふれる口調でお話くださいました。

今日の講談祭の一日は講談の魅力をしみじみと感じた一日になりました。

講談ってドキドキしたりハラハラしたり。頭の中にいろんな人物がでてきて語りかけ、泣いたり笑ったり。。張扇の音一つで場所も時代も一っ跳びの素晴らしい芸能だとおもいました。願わくば、もっともぉぉっと講談がメジャーになりますように。

2012/12/16

2012 12/16 笑好寄席

笑好寄席は今回で4回目の参加となります。
前回の事があってか、いつもよりも2か月ほどずれこんだ笑好寄席。
冒頭に席主の桂 文三さんのご挨拶があり、その意気込みと想いが はっきりと伝わってきました!
桂 文三さん!本当にありがとうございました。

笑福亭 生寿 狸の鯉
生寿さんの【狸の鯉】は今回で3回目となります。
最近、すこしふっくらとされてきた生寿さん、すごく所作、仕草がきっちりとされており
あきらかに上達されたなーってあらためて感心しました。
竹林さんとなかなか会えない生寿さんのお言葉!
しらべてみますと2009年に坊枝さんが 天王寺参りをされた回のようですねー。

林家 染弥 天災
無難にきっちりとこなされた染弥さん!
最後にハプニングが!! あぁぁぁ・・・・金屏風がwww
それにしてもお怪我をされなくて本当に良かったです。

桂 南天 壺算
藤井寺でなし、八尾でなし・・柏原市。。
たしかに南天さんの地元の枚方でなし・・寝屋川でなし・・四条畷と
街の雰囲気が似ていますねー。
また大阪人の言葉を切り口に笑いを巻き起こしてそのままネタに突入です。
  坪算では、壺が割れた経緯はバッサリ省略!
その代わりに番頭さんとの掛け合いが絶妙で
ゆにや黒兵衛さん、船場の料亭の比喩がおもしろかったです。
そのほか色んな所に南天さん独自のくすぐりが満載!
納得の面白さでした!

桂 雀喜 初天神
私にとって初天神は超思い出のネタ。 そ
れだけに聞けるのはありがたい。
でもおもいっきり1月の話なのでちょっとだけ えっ?てなりました。
こしゃまくれた寅ちゃんとおやじの掛け合いが面白く楽しめました。

桂 文三 はてなの茶碗
意表をつくマクラでなにか得した気分に!
【子の千三百六十五番!】の話で開場は 大爆笑!
茶道具屋金兵衛さんの貫録や威厳も申し分なく、また京の言葉と大阪言葉の対比も
見事で、はてなの茶碗の世界にスッと入ることが出来ました。
本当に無事に復活して良かったですね!
こんな素敵な寄席!来年からもずっっっ~と続きますように。