滋賀県野洲市にある「行事神社」で見られる勧請縄。
神の領域を思わせる静かな佇まいを感じさせる領域。
見事というほか‥言葉が見つからない。
https://www.shiga-bunkazai.jp/shigabun-shinbun/best-place-in-shiga/414/
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
滋賀県野洲市にある「行事神社」で見られる勧請縄。
神の領域を思わせる静かな佇まいを感じさせる領域。
見事というほか‥言葉が見つからない。
https://www.shiga-bunkazai.jp/shigabun-shinbun/best-place-in-shiga/414/
2024年11月11日(月)。
いつになく早起き。滋賀県と大阪の離れた地ゆえにできる事は特にないからこそ
心がもやもやし高ぶる。やきもきする気持ち。せめて、母の眠る一心寺さんへと
参拝に行くことにしました。
ひっそりと静まったお堂に眠る、母と祖父母に
「母子ともに健康で健やかに退院できますように。健康なあかちゃんが生まれますように」
じっと手を合わせてきました。
私の出勤時間とほぼ同じ9時過ぎ。娘より「病院なう」の連絡が入りました。
仕事が手につきません。本当に心から、娘とあかちゃんの無事を祈ることしかできません。
「どうぞ、無事に手術が終わりますように」・・・
13時頃より手術です。
・・
・・
追記)
13時11分。2,878g・ 46.5cm 元気な男の子が誕生しました。
2024年9月8日のAMに港区Asueアリーナ大阪(大阪中央体育館)で開催されましたマーチングコンテスをはじめて鑑賞してまいりました。
若かりし頃、吹奏楽やマーチングには色々とご縁があり、また少しだけ蘊蓄もあることから機会があればと常々感じていたところ今日ようやく鑑賞する機会を頂きました。
入場後に500円でプログラムを購入し座席で読み込むたびに、いろんなページで懐かしいお名前を見ることができそれだけですでに感涙状態、実は今朝、2021年5月に西宮神社に「関西吹奏楽功労者の碑」が建立されたという記事を読み、その功労者の中に何人ものお世話になった方々のお名前があり胸を熱くしたその思いと重なったため。
https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202105/0014303890.shtml
オープン参加の部が定刻に開始。合計4団体がオープン参加の部として演奏を繰り広げました。
工夫を凝らした演出で会場を凝らした文の里中学やとても華やかな登美丘中学校、なかでもマーチングスキルがずば抜けて素晴らしく、カレッジスタイルの模範となる演技のみつばち会吹奏楽団の演技で涙腺崩壊。脈々と受け継がれているドラムマーチのメリハリのある音質と、タテ・ヨコ・ナナメに寸分の狂いがない基本に裏付けられたマークタイム・・等。
さてコンテスト高等学校以上の部では、13団体が出場、いずれも工夫を凝らした8分間。
演技のメンバーが少なくても十分な演奏技術が保たれ、圧倒する音圧と視覚的に引き付ける動きをする団体があれば、動くことで不安定になるピッチやミストーン、動揺を隠せない動きが残念だった団体もありました。
それでも、すべての団体はこの猛暑の中で一生懸命に練習され積み上げてきた結果の発表の場!本当に大変だったとと思います。本当にお疲れ様でした。
マーチングコンテストはあくまでも「コンサートバンドがそのまま演奏しながらパレードをしよう」というコンセプトであり過度な演出や華美な服装を求めていないとのこと。その技術の尺度で定められている規定課題はとてもシンプル!
それだけに個人それぞれに基本的な練習に裏付けされた自信がどれだけあるのか・・自分以外の音や動きをどれだけ把握しているか・・統一された歩調や角度と速度、静と動がどれだけ共有できているか。私の現役時代にはネットもスマホもパソコンさえも普及していない時代だっただけに、当時の指導者を信じてついていく事や、技術をひたすら磨き上げていく事に尽きた時代。それだけに現在の演技者さんたちは余計に悩ましい思いをされているこのでしょう。
マーチングで沿道から拍手や歓声があがったり、演技に対して惜しみない拍手があるだけで今までの苦労は吹き飛ぶことでしょう。またメンバーで力を合わせて作り上げたことは一生涯の宝と自信になります。
いつまでも吹奏楽とマーチングを楽しんでくださいね。
今日21日は「お大師さんの日」。弘法大師の月ご命日ということで境内には所狭しと様々な露天が並んでいて大変な賑わいです。
骨董品、古道具屋さんに着物等の和装や洋装等の様々な古着屋さん、雑貨、インテリア等をはじめ、お好み焼きなどの粉もんの軽食等など。それはびっくりするくりのお店の数。
目当てにご年配の方々だけではなく学生さんもちらほら。もちろんインバウンドの影響なのか、各国の言葉も飛び交っていて驚きます。
21日は実は無料で中心伽藍に入ることができます。
今日の大阪は30度超えで境内はすごい熱気ですが、不思議なことにこの中心伽藍のは、とても心地よい爽やかな風が通り抜けてゆきます。
南側から仁王門・五重塔・金堂・講堂がそびえたち、西側と東側にはそれぞれ西重門・東重門があります。
さて、「舎利出」は四天王寺さんのHPには下記のように記載されています。そして薄暗くも蠟燭の揺らめく金堂には「舎利礼文」が響いています。
一心頂礼。万徳円満。釈迦如来。
真身舎利。本地法身。法界塔婆。
我等礼敬。為我現身。入我我入。
仏加持故。我証菩提。以仏神力。
利益衆生。発菩提心。修菩薩行。
同入円寂。平等大智。今将頂礼。
曹洞宗の我が家では、毎年の法事で聞き覚えのあるお経。。
「舎利出」は毎日朝11時より行われていますがなかなか機会がなく、参拝することがありませんでしたが、その厳かで神秘的なその儀式には感動を覚えました。
「舎利職」が救世観世音菩薩の向かって左前にある舎利塔より「南無佛のお舎利」を取り出し、供養し、参詣者の頭上に頂く儀式となります。
太子は生まれたときに左の手を握りしめたままであったが1歳になられた2月15日に東の空に向かって合掌され南無佛と唱えられました。その時に左手より仏舎利がこぼれ落ちたという。その舎利が南無佛舎利で太子信仰の中心。
四天王寺には守屋祠の謎、大阪には、上ノ太子(叡福寺),中ノ太子(野中寺)、下ノ太子(大聖勝軍寺)等、まだまだ聖徳太子に纏わる場所が沢山あります。
もちろんこの堂内は聖域につき、静粛かつ撮影禁止エリアです。
帰りはMIOの蔵元豊祝で軽くいっぱい!昼飲みが止まりませんww
6月上旬に山口県上関室津へ行くことが決まりました。前回は2022年7月なので約2年ぶりです。
前回は、赤根武人氏の居住地、克己堂跡、の阿月周辺。そして今回は、室津地区西方寺さんの境内に眠る義勇隊士高橋利兵衛さんの墓所を訪れたいとおもっています。
この高橋利兵衛氏は山本誠一郎氏・水井精一氏とともに上関三士と呼ばれており、幕末山口県内で佐々木亀之助氏(明治20年頃に北海道へ移住。入植者初代総代人)により結成された義勇隊(周防上関の農民で編成。非常部隊)の隊員で、今回訪問予定の西方寺が義勇隊の本陣。
文久3(1863)年12月24日深夜、薩摩藩士ら68人が乗った蒸気船「長崎丸」が、小倉藩領の豊前国白野江村(現北九州市門司区)の部埼(へさき)沖で炎上、沈没(長崎丸炎上事件)。28人が焼死、溺死した。
https://www.sankei.com/article/20170728-GB57BNGQZRMNPB765QQURTUV5I/
この蒸気船は薩摩藩が幕府より借りていたもので当然ながらその責任問題が問われ、薩摩と長州の間柄が当然悪化。長州藩は西洋商船と勘違いして誤射したとの言い訳に終始。そんな中でこの約2か月後に起こったのが、加徳丸事件(薩摩藩船焼き討ち事件)。長州藩義勇隊士が薩摩船加徳丸を沈没させ、船主大谷仲之進を殺害した事件が起こる。そしてその数日後の元治元年2月26日大阪南御堂の門前に船主の大谷仲之進の首と、長州武士二人が切腹していた。この二人は山本誠一郎氏・水井精一氏。その後、同じ義勇隊の高橋利兵衛氏は西方寺境内で3月10日に自害した。3人はともに長州萩藩出身の義勇隊士。船主大谷仲之進を殺害した理由は「薩摩藩は攘夷を唱えるも異国との貿易を行っている」とのこと、積み荷もろとも炎上させた。
この幕引きは当時の長州藩要職の久坂玄随が描いたシナリオで、できるだけ派手に謝罪をさせることで朝敵となった長州藩への同情を募長州贔屓を増やすの目的。加徳丸事件の犯人が見つからなかったために有志を募り山本誠一郎氏・水井精一氏が名乗り出たといわれる。享年25歳と30歳の二人の心情は如何なるものだったのでしょう。また、高橋利兵衛氏においてはわずか24歳。。
1853年の黒船来航から1889年の明治憲法発布のこの30年余りは本当に「狂った時代」。でも、今の日本も狂っているとは言い切れないのも事実。当時の人々と同じ風景を眺めることくらいしかできないのは寂しいことですね。
亡くなった母と何度か来た思い出が蘇る思い出の美術館です。
和泉市の静かな市街地にあるこの美術館で開催中の「源氏・若冲・応挙ー近世絵画と久保惣の名品ー」へ行ってまいりました。
JAF割引対象がありがたいだけでなく、キャッシュレスにも対応したようでいっそう便利になりました。
前回訪問した「東海道名所風景ー浮世絵に見る将軍様御上洛ー」の際にとても気になった宮本武蔵「枯木鳴鵙図」もありました!なんとまた、応挙の「老松鸚哥図」も初公開!伊藤若冲の「乗興舟」は、京都伏見から大阪八軒屋までの風景を見事!圧巻!