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2025/03/16

十人十色が如何に変化しているか。。

私が流通関連の仕事に就いた時によく言われた言葉。
「モノが無い時代は十人一色だったが、今は十人十色の時代だ」と当時の役付け上司に言われましたが、すぐに「十人百色」から「一人十色」へ。

当時、毎週日曜日の11時から60分間に若手が非常階段に集合し、いろんな流通に関する情報を受けるそんな会議がありましたが数年後に迎えたバブル崩壊以降にはそんな言い回しではなく「モノからコトへ」のフレーズが持てはやされると同時に、百貨店では自主編集ゾーンの平場がなくなり、業者へ魂を売り渡すがごとく「売仕ゾーン」とよばれる売り上げから定率契約と、「委託」と呼ばれる仕入れと返品が伴うゾーンが主流になりました。

いかに少ない在庫残高で売上高を向上させるか?の効率の悪しき商慣習についてまわる月末調整や値下げ原資の獲得というテクニックが重要視され売上至上主義から、利益確保が重要視される時代になりました。

 数年後トイザらスが日本へ上陸すると一斉に百貨店の玩具売り場は30%~10%近い値引きで販売、SPAやOMOでアパレル流通とMD手法が転換期を迎えました。

近年では「モノからコト、そしてトキへ」・「モノからコト、そしてトキからヒトとエモへ
」。いかに共感を得るか?なにを媒体として売るのか?というキーワードが必要となった。

「購買心理の7段階」や「AIDMAの原則」ではなく「バタフライ・サーキットモデル」や「エビングハウスの忘却曲線」「アサエルの行動販売類型」「パルス型消費行動」などいかに現代の消費行動が混沌としているか、それでなくても、越境ECに無在庫販売、インバウンドにBtoBマーケット。広告の舞台はSNSに移り動画がもてはやされている。

先日のインテックス大阪で参加したセミナーでも「基本に忠実にすること」が主題であり、正道は奇道に勝るがごとく、三方良しの精神で進むしかないのでしょうね。
隣国からの輸入商品について回る不良品率は何%までならよいのか?という議論は無意味で、限りなくゼロになるように努力することが互いの発展のために必要なことに気づくべきなんでしょうね。





2025/03/08

千里中央とEXPO '70 万博記念公園

今回ははじめてモノレールを使って万博記念公園に行ってきました。
いつもは車で行くのですが今回は途中乗換駅でもある「千里中央」の変遷をしっかりと脳裏に焼き付けたくて電車利用です。

私の社会人デビューした懐かしい思い出の場所「千里阪急」は、当時は3階建てで翌年頃から増床工事が始まりました。若手は全員力仕事で明け暮れていました。早朝から深夜まで何も疑うこと書く毎月の残業代は基本給を遥かに超え100時間超え・・それでも和気あいあいと目標に向かって邁進。懐かしい思い出ばかりです。

現在のコンプライアンスに照らし合わせるとトンデモナイことばかりでしたがそれでもホントに面白かった。増床や改装、催しの設営などで一晩中勤務や宿直当番なんてのもありましたっけ。


下記の店内案内は当時の店内案内で今でも大切に保管しています。当時の梅田本店の店内案内も大切に保存中。。


久しぶりに千里中央に行って驚いたのがなんといっても「オトカリテ」(大丸ピーコック)が無くなり駐車場担っていたこと!「1D1S計画」でOPENしたスーパーマーケットで、フルラインナップ型の愛されたお店でした。特に食品売り場にはとてもお世話になったものです。


隣接している施設「セルシー」はもはや廃墟。。
この広場では多くの歌手、アーティスト、バンドやイベントが繰り広げられそのたびに抜け出して見に行ったものでした。ボウリング場にローラースケート場、プールがあったことも。。
なかでもセルシーホールにはとてもお世話になったものでした。もちろん、ダイエーにもよく買い物に行きました。地下にも多くのお店があり、なかでも噴水の裏にあった「ダーリン」は間に合わせスポットだし、映画館やサウナ、ライブハウスなどいろいろとお店が変遷。
鷹ケ巣に田よし、頻繁に飲みに行った記憶がいっぱい。
若かりし頃、警備員に追いかけられたなんて記憶も蘇ってきました。


さて、久しぶりにモノレールに乗り万博記念公園前へ。
その昔、エキスポシティ側にはオオサカサンパレスホテルがあり、よく催事利用したものでした。



小学生低学年だった私は毎回胸をドキドキさせながら4〜5回くらい来たはず。財布を拾ったこと、迷子になったこと、太陽の塔の中や日立館、サンヨー館、そしてサウジアラビア館をわずかに覚えています。
たしか、砂漠の砂が敷きつけられていて、訪れるたびにハンカチにくるんで大切に持って帰っていましたが何度目かに行ったときは持ち帰り禁止になっていまし(笑)



いろんな意見があると思いますが、今回の大阪万博開催は反対です。建設に関わる力は万博に向けるのではなく東日本や能登半島に被災地域に集中させるべきです。南海トラフに関する防災に投下すべきです。地震や洪水、放射線や山火事・・まだまだ困っている方々を差し置いて開催すべきじゃない。日本国民の税金や大阪市府民税は、大屋根リングや2億円のお手洗い建設には使って欲しくない。マナーの欠如した外国人を招き入れて欲しくない。
長堀通や松屋町筋、日本橋のあたりは本当に汚くなった。ゴミが散乱し変な匂いがする通り。広がって歩き、日本語ではない看板やチラシが貼られた町並み。これが美しい日本と言えるのか。本当にインバウンドに頼らないとダメ?大阪城にいくと悲しいし、奈良や京都は外国人で溢れ・・これが日本が望んだ姿なの?
IR誘致ありの万博開催だけに、負の遺産と言われるあんな地盤のゆるい場所だけに大きな災いが起こると、救助にも行けない陸の孤島になるんじゃ・・と心配です。それでなくても、東京オリンピックの際に大手6社が収賄、汚職があっただけに、マジメに真剣に一生懸命取り組む日本人の美徳が踏みにじられがっかり、今回の大阪万博でもそのうちいろんな不祥事が出てくるのではないでしょうか。
政党政治なだけに今のやりたい放題の政党を正しく評価しませんか?ダメなことはダメ!いますべきことではない!ってちゃんと言えることが大事です。



2025/02/22

夜の梅田を徘徊・・


 久しぶりの夜の梅田を徘徊。
昼間は福島「月島もんじゃ焼きおこげ」で一杯。夜は元大阪中央郵便局後にできた「ニカイノオアシス」で一杯。
最近、飲みすぎ傾向あり、いくら体調が悪くてもお酒が止められないものです。




早稲田摂陵高等学校ウィンドバンド 第66回定期演奏会

 1957年に阪急少年音楽隊が発足、全国の吹奏楽ファンから愛され演奏活動を続けてきましたが女子高となり2009年より早稲田摂陵高等学校ウィンドバンドとなりました。そしてこの4月より校名が早稲田大阪高等学校に変更になるということで、この名称での最後の定期演奏会となりました。
66期生の卒業演奏会ということで、在校生はもちろん沢山のOB,OGや関係各位のご尽力で、この長きにわたる活動が続いています。

基礎練習の積み重ねに支えられた演奏技術はもちろん、魅せる演奏会は見事でした。
また、カレッジスタイルのマーチングやステージドリル演奏は、基礎体力はもちろん優れた演出と緩急を使い分けた圧倒的なダイナミクスで目を離すことができませんでした。



阪急少年音楽隊は平日毎日朝8時前にFM大阪でレギュラー番組「モーニングブラス」で軽快なファンファーレ「オーナーズディ」とともに聴くことができました。また、印象的な赤と白のユニフォームで様々な場所でマーチングや演奏会を開催、高校生が午後のクラブ活動の一環として今は亡き西宮球場バックネット裏の5階と6回で練習に打ち込んでいました。

さて、この定期演奏会第一部の「フォーマルステージ」では、相当な練習量に裏付けされた個人の技量と見事なアンサンブルで美しいハーモニーを鑑賞、金管も木管も打楽器もそれぞれが互いに切磋琢磨した素晴らしい纏まりを感じました。

第2部のゲストステージでは金管と打楽器で構成されたH.B.B.の演奏。久しぶりに「ベルばら」を演奏、私の脳内では「バスチーユに白旗がぁぁ・」がしっかり流れていました。

さて、第3部です。
様々な演奏会ではプログラムの最後に「大曲」をもってきますが、伝統的にカジュアルな構成としています。
昨年秋のマーチングコンテストで聞いた「教えることはなにもない 天才のきみに」ではじまり、J.ガーシュインのすべてに聞き覚えのある懐かしいメロディーが繰り広げられ目頭が熱くなりました。

また、「鈴木武男が愛したマーチ」、そして「音楽隊のあゆみ」では、もう2度と聞くことはないだろとおもっていたメロディーが続々と流れ涙でステージが滲んでいました。
66期生が様々なセリフを振り分け66年の歩みを語るその口調はもちろん凛とした所作や切れのあるそれぞれの動きのは日頃からの鍛錬の賜物なのでしょう。

学園生活で学んだものを糧に春から新しいステージに進まれる12名には輝かしい未来が待ってます。「伝統は守るものではなく築き上げるもの」と言われた鈴木隊長イムズをもって新しい世界を楽しんでください。本当に卒業おめでとうございます。











2025/02/02

大切にしたいこと

 昨年の秋に前々職の仲間3人と梅田で「第二回昼飲みの会」開催ww 例の如く3件くらいのはしご酒を楽しみました。で昨日は前職の勤務先の仲間4人と梅田へ飲みに行きました。

互いの近況やいまだから言えること・・なかなか楽しいお酒になりました。

私が20代〜30代に熱中した音楽関係や演劇関係、また40代、50代に熱中した歴史関係の方々とは残念だけどご縁が途切れているみたい。ほんとにさみしい限りだけれどまた繋ぐ方法がわからない。

「そんなつもりじゃなかった」なんて後悔が多い日々を過ごしたって書いたらまるで太宰治の「人間失格」みたいだけれど、人生のたくさんの分岐点を自らが選んだ結果だからすべて「自分のせい」なだけに悔しいけれどしょうがない。

せめて、のこった絆だけは大切にしたいと思う。



2024/12/31

2024年の振返りと2025年に向けて

夏頃から努めている業務は私には合わないように思えてしょうがない。
士魂商才を常とし正道は奇道に勝るを常としていくことを心がけて行きたい私にとって
世界の偽物市場と呼ばれている義烏の商材をそのまま日本で売ることが今の通販市場の商流となっているように思えてしょうがない。
あまりにも通販で売られいる商品が似通っていて、そこには工夫がなく価格だけでは、チキンレースに過ぎずかならず破綻する。
中国商材が悪いのではない、良い商品もあるが必ず店舗ならではの独自性がそこにあるべき。

長い間、数字の責任を背負った仕事をしてきた私にとって、いまの環境ははとても楽。なにせ数字責任がない!毎日の売上やイベントの仕掛けも気にしなくても構わない。でもこの環境は堕落を生むに違いない。でも今までのような戦略を自らが立案し、PDCAを回すのはもう自信がないのは正直なところ。悩ましい思いです。

いっそ年金受給+加給年金というのもありかな。
体のあちこちに不安な箇所がでてきたし、長生きするとも思えない。損益分岐点と言われている82歳まではまず生きることはないとおもう。

もう一度DTMを始めたいし、作曲も極めたい。ピアノもトランペットもエレキギターも極めたい。幕末史をはじめ郷土の歴史も学びたい。もっと書籍を読みたい。

自分の選んだ道は後悔ばかりだけど、たぶん、何を選んでも後悔するんだろう。

なるようになる・・自暴自棄ではなく、前向きな捉え方で「なるようになって」みたい。

11月に二人目の孫が生まれ・・せめて記憶に残るくらいまでは頑張りたい。



2024/12/14

忠臣蔵におもう。

 なんど、この忠臣蔵をテーマにBLOGを書いたことか。

先日TVでインタビューされていた方が、「忠臣蔵って鳥貴族みたいな居酒屋チェーン?」って答えたのを見て愕然としました。

このキーワードを知っているかどうかの年代別ボーダーラインは45歳前後との事、きっかけは何でもいい・・どうぞ忠臣蔵に興味を持っていただきたいものです。





これだけ大規模なテレビドラマはもう制作できないのでしょうね。おそらく莫大なコストがかかる割には視聴率が取れない・・・商業主義であるかぎに難しいでしょう。だからこそNHKが赤穂義士本伝・銘々伝・外伝をきっちりと描いて日本の財産となるようなドラマを制作してほしいものです。
文楽、歌舞伎、演劇、ドラマ、映画、落語に講談、浪曲・・こんなにHITしたのにすっかり忘れ去られている忠臣蔵。
忠義の心と義理と人情の板挟みで揺れ動く様々な人物像は日本人ならわかるはす。こんな荒んだ世相だからこそ描いて欲しいものです。

2024/12/03

値上げしない博多ラーメン店のお話

12月3日に<創業から48年間「値上げしない博多ラーメン店」を直撃…物価上昇時代に【1杯290円】を貫く「驚きの信念」>というニュースが入ってきました。

このラーメン屋さんは博多にある「はかたや」さん。https://hakata-ramen-hakataya.com/

当然ながら、商品原価や人件費が高騰すれば販売価格に転嫁するのは資本主義の常識と考えていましたが、この常識を覆すビジネスモデルです。

「まず、原価が上がったから売価をあげるというのが間違いです。原価と売価には因果関係はないんですよ。売価は、お客さん(市場)が決めるものなので、原価が上がったからといって売価をあげるのは自分勝手だと私は思います」

さまざまな試行錯誤を繰り返し「安価ながらも美味しいはかたやの味」を見つけられたとの事。

店舗と企業が工夫を凝らして価格を維持していくその知恵には頭が下がります!

「安かろう悪かろう」という某国の品質が横行しているEC業界にわずかでも関わっている私にとって「安くても品質が良いもの」「価値と価格のバランスが取れている」「高くても上回るだけの価値があるもの」を販売していきたいものです。

博多になかなか出かける機会がありませんが、いつか必ず食べに行きたいそんなお店です。