第504回 田辺寄席 09年8月15日(土)昼席
《新・じっくりたっぷりの会-笑福亭小つるの段》 にいってまいりました。
1.寿限無 笑福亭松五(松枝門下)
2.裏向き丁稚 笑福亭小つる(六代目松鶴門下)
3.504回笑呆亭/「八度狸金玉仇討」 桂 文太(五代目文枝門下)
4.宮戸川 笑福亭恭瓶(鶴瓶門下)
5.千両みかん 笑福亭小つる(六代目松鶴門下)
さて、1ヶ月ぶりの田辺寄席。
この春からずっと第3土曜はお勉強会に行くことになっていましたが、
今月だけはお盆ということでずれこんだおかげで、小つるさんの落語を楽しませていただくことができました♪
さて、笑福亭松五さんの高座をはじめてお聞きさせていただきました。ご本人もいわれていましたが入門されて6年とのこと。これからもがんばってくださいね。
「寿限無」はこれだけメジャーなネタなのにあんまり聴く機会のないネタなんで楽しませていただきました。
さて、お目当ての小つるさんの裏向き丁稚。丁稚さんと旦那さんとの掛け合いが絶妙です。
だんだん頭に乗る丁稚の態度が絶妙でした。
さて文太さん、「八度狸金玉仇討」 は文太さんの作とのことで、上方落語のネタ「七度狐」よりも
たちの悪い狸さんにおなじみの喜六、清八のコンビの西の旅へ行く道中に
狸の大事なところにやいとをすえたために、
その仕返しでなんども狸に化かされてしまうというはちゃめちゃ大爆笑のお話でした。
さて、笑福亭恭瓶さんの宮戸川」。マクラで・・あれ??関東の方??って感じで時々大阪弁。
どうもネタもそんな内容でしたが、「東京からかえってきたお花ちゃん」と「行灯に火をつけろ」という
セリフからして・・明治初期??意表をついた出だしなので設定がわかんなくってドキドキしちゃいました。
さていよいよトリの笑福亭小つるさん「千両みかん」。最近会社への行き返りに携帯音楽プレーヤーを使用して落語を聴いている私で、一番はじめにはいっているのがこの「千両みかん」(米朝さん)なんですよね。
なんども聞いているこのお話なんだけど、ほんとに落語って演者さんが違ったらまた違う面白さがあるようで、若旦那と番頭の会話や、番頭が赤物市場へ行き着く道中、そしてみかん問屋の番頭との会話などなど・・聞いたことのないフレーズがいっぱい。すごく丁寧な千両みかんでした(*^.^*)エヘッ。
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
2009/08/15
◇2009 8/15 戊辰戦争の足跡
ドタバタの京都から函館五稜郭までを場所を移したこの戊辰戦争の足跡が大阪一心寺さんにあります。
施餓鬼法要の慌しい境内の一角にそっと立っています。
この一心寺さんは、大阪でも数少ないご宗旨を選ばないお寺で、骨仏さんでも有名なお寺です。
お参りされた際には山門を入られて一番突き当たりにありますのでそっと手を合わせてください。
2009/08/09
◇2009/8/9 法要雑感
ちょうどこの時期、各家々ではご先祖様を自宅にお迎えし、そしてまたあちらの世界に返って往かれる御霊へのお盆の法要が行われることとおもいます。
我が家は世間よりすこしだけ早く行うことになっていて、も通例では例年は8月の第一日曜ですが
今年のみ変則的でこの第二日曜になりました。
毎年のように、私が幼少の頃より我が家に起こし戴いている尼さんのおられる庵へ直接お迎えにいき、
そして無事に今年も終えました。
実は私の本家は浄土宗ですが我が家は事情があり、
代々曹洞宗でもちろん聞きなれたお経ももちろん曹洞宗のお経なのです。
今年早々に公開された「禅」鑑賞した経緯から、その春に永平寺へお参りにいった際にあまりの感動の勢いで
わずかながらに寄進させていただいたご縁で「修證義」を頂戴しました。
もちろんこの教本には「摩訶般若波羅蜜多心經」や「普門品偈」が掲載されていることから、
子供の頃から聞き覚えていたお経が今回から活字で追う事ができました。
道元さんの説かれた「禅」は奥深く、私が語ることなぞ恐れ多いわけですが「修證義」は道元さまが
極意としてかかれた書かれた「正法眼蔵」の抜粋なので漢字を追うとなんとなくおぼろげですが言わんとしていることがわかります。
ありがたいことです。ほんとうに、ありがたいことです。
我が家は世間よりすこしだけ早く行うことになっていて、も通例では例年は8月の第一日曜ですが
今年のみ変則的でこの第二日曜になりました。
毎年のように、私が幼少の頃より我が家に起こし戴いている尼さんのおられる庵へ直接お迎えにいき、
そして無事に今年も終えました。
実は私の本家は浄土宗ですが我が家は事情があり、
代々曹洞宗でもちろん聞きなれたお経ももちろん曹洞宗のお経なのです。
今年早々に公開された「禅」鑑賞した経緯から、その春に永平寺へお参りにいった際にあまりの感動の勢いで
わずかながらに寄進させていただいたご縁で「修證義」を頂戴しました。
もちろんこの教本には「摩訶般若波羅蜜多心經」や「普門品偈」が掲載されていることから、
子供の頃から聞き覚えていたお経が今回から活字で追う事ができました。
道元さんの説かれた「禅」は奥深く、私が語ることなぞ恐れ多いわけですが「修證義」は道元さまが
極意としてかかれた書かれた「正法眼蔵」の抜粋なので漢字を追うとなんとなくおぼろげですが言わんとしていることがわかります。
ありがたいことです。ほんとうに、ありがたいことです。
2009/08/08
◇ 2009/8/8 教科書に書かれなかった幕末史 ~安政の大獄と井伊直弼~
驚きました。
いままで安政の大獄=井伊大老による、過激攘夷思想の言論や思想弾圧だと信じていたし、そう習いました。
だから吉田松陰さんが矢面に立たされ斬首になったんだと。。
ところがどっこい吉田松陰先生は、本来はまったく関係のないましてや斬首になるはずがなかった方なんだと知りました。
14代将軍継承問題から本来の血縁を重視する南紀派(慶福)と一橋派(慶喜)の熾烈な争いから日米修好通商条約の勅旨をもらうために京都に行っていた南紀派堀田 正睦が勅旨をもらうことが出来ず状況を鑑み、朝廷を見方につけるためには一橋派が有利と寝返る。また南紀派の工作で松平慶永京へが送り込んだ橋本左内、島津斉彬が送り込んだ西郷吉之助の動きか南紀派の井伊直弼は察知。長野主膳を九条尚忠にいろんな情報を流すことで一橋派の動きを阻止。
そんな状況の中、井伊直弼が大老に就任。一気にさまざまな問題を片付けはじめる。
将軍問題は慶福とする!また日米修好通商条約は調印完了!まさにヾ(・・;)ォィォィってかんじ。
調印した4日後に13代将軍家定が死去。。そして14代将軍は慶福改め家茂となる。
まだまだ続く大老の弾圧に一橋派のプライドの高い御三家のひとつ、徳川斉昭が猛反撃!孝明天皇に大老の暴挙を叱ってもらおうと接触に、見事に成功!これが戊午の密勅。
その内容はいままで政治には口出ししなかった天皇とはおもえず、「政治はね、幕府だけで独裁にしないで外様等すべての藩を含めて合議制にしなさい!」との内容。この勅旨が水戸藩と幕府に送られてしまいました。
さてのこ勅旨で井伊大老さんが「ははぁぁぁ~m(__)m」ってなるはずがまったくの逆効果!というか逆切れ!
私をコケにしたらこわいぞー!ってこの密勅を得るために動いた関係者を静粛しはじめました。
これが有名な安政の大獄。
吉田松陰先生はなぁんも関係がないww。
この後、静粛も終わり新しい万延元年。幕府は安泰♪とおもいきや密勅が依然水戸藩にもあるのは非常に具合が悪い。それでなくても写しが各藩に送られていてこのままだと威信にかかわると考えた井伊さん。
水戸藩に使いを出しました。「あの勅旨は天皇に返せ!」それでなくても青息吐息の水戸藩。返却の方向で動いていたものの下級武士からの突き上げがおこり、長岡に集結。このままじゃ水戸藩ピンチと考えた上層部が同士討ちにはなるものの鎮圧をはじめたけれど、数人が脱藩し、江戸へ向かいました。
井伊さんを暗殺し、異人館を焼き討ちし京都で薩摩藩の兵3000人と合流し天皇より勅旨をGETし、幕府の転覆を狙おう。こんなストーリだったそうですが、島津忠義は事前に薩摩藩にはNGを警告。そうとは知らず桜田門外の変が勃発。水戸藩士17人、薩摩藩士1人で目的を果たしたということ。ちなみにクビを切られた井伊大老、彦根ではお家が断絶してしまうので家督相続させるために重症をおって生存していることにして、無くなったことが公表されたのはほぼ1ヶ月遅れ。
また幕府転覆を狙って活動した水戸藩藩士 高橋親子は大阪四天王寺まで逃亡しすさまじい切腹をしたとのこと。数年前に散策に行った際「怨霊退散」と書かれたお墓が四天王寺にありましたがそのお墓が高橋親子のお墓だったようです。
歴史は強いものが作っているわけで・・でもホントは生きてきた人の数だけ歴史があり、もちろん自然にも歴史があります。
教育の場でも作られた歴史があるようですね(^_^;)
いままで安政の大獄=井伊大老による、過激攘夷思想の言論や思想弾圧だと信じていたし、そう習いました。
だから吉田松陰さんが矢面に立たされ斬首になったんだと。。
ところがどっこい吉田松陰先生は、本来はまったく関係のないましてや斬首になるはずがなかった方なんだと知りました。
14代将軍継承問題から本来の血縁を重視する南紀派(慶福)と一橋派(慶喜)の熾烈な争いから日米修好通商条約の勅旨をもらうために京都に行っていた南紀派堀田 正睦が勅旨をもらうことが出来ず状況を鑑み、朝廷を見方につけるためには一橋派が有利と寝返る。また南紀派の工作で松平慶永京へが送り込んだ橋本左内、島津斉彬が送り込んだ西郷吉之助の動きか南紀派の井伊直弼は察知。長野主膳を九条尚忠にいろんな情報を流すことで一橋派の動きを阻止。
そんな状況の中、井伊直弼が大老に就任。一気にさまざまな問題を片付けはじめる。
将軍問題は慶福とする!また日米修好通商条約は調印完了!まさにヾ(・・;)ォィォィってかんじ。
調印した4日後に13代将軍家定が死去。。そして14代将軍は慶福改め家茂となる。
まだまだ続く大老の弾圧に一橋派のプライドの高い御三家のひとつ、徳川斉昭が猛反撃!孝明天皇に大老の暴挙を叱ってもらおうと接触に、見事に成功!これが戊午の密勅。
その内容はいままで政治には口出ししなかった天皇とはおもえず、「政治はね、幕府だけで独裁にしないで外様等すべての藩を含めて合議制にしなさい!」との内容。この勅旨が水戸藩と幕府に送られてしまいました。
さてのこ勅旨で井伊大老さんが「ははぁぁぁ~m(__)m」ってなるはずがまったくの逆効果!というか逆切れ!
私をコケにしたらこわいぞー!ってこの密勅を得るために動いた関係者を静粛しはじめました。
これが有名な安政の大獄。
吉田松陰先生はなぁんも関係がないww。
この後、静粛も終わり新しい万延元年。幕府は安泰♪とおもいきや密勅が依然水戸藩にもあるのは非常に具合が悪い。それでなくても写しが各藩に送られていてこのままだと威信にかかわると考えた井伊さん。
水戸藩に使いを出しました。「あの勅旨は天皇に返せ!」それでなくても青息吐息の水戸藩。返却の方向で動いていたものの下級武士からの突き上げがおこり、長岡に集結。このままじゃ水戸藩ピンチと考えた上層部が同士討ちにはなるものの鎮圧をはじめたけれど、数人が脱藩し、江戸へ向かいました。
井伊さんを暗殺し、異人館を焼き討ちし京都で薩摩藩の兵3000人と合流し天皇より勅旨をGETし、幕府の転覆を狙おう。こんなストーリだったそうですが、島津忠義は事前に薩摩藩にはNGを警告。そうとは知らず桜田門外の変が勃発。水戸藩士17人、薩摩藩士1人で目的を果たしたということ。ちなみにクビを切られた井伊大老、彦根ではお家が断絶してしまうので家督相続させるために重症をおって生存していることにして、無くなったことが公表されたのはほぼ1ヶ月遅れ。
また幕府転覆を狙って活動した水戸藩藩士 高橋親子は大阪四天王寺まで逃亡しすさまじい切腹をしたとのこと。数年前に散策に行った際「怨霊退散」と書かれたお墓が四天王寺にありましたがそのお墓が高橋親子のお墓だったようです。
歴史は強いものが作っているわけで・・でもホントは生きてきた人の数だけ歴史があり、もちろん自然にも歴史があります。
教育の場でも作られた歴史があるようですね(^_^;)
2009/08/03
2009/07/30
◇2009/7/30 プランター
この初夏頃に会社の同僚さんから小さな鉢植えの草をいただきました。
たしかなんばパークスかなんばシティのイベントで頂いたとのこと。
自宅へそっと持って帰り、大き目のプランダーに移し変えたところ
それはそれは・・見違えるくらい大きくなっちゃってww
やっぱ嬉しいものです^^
たしかなんばパークスかなんばシティのイベントで頂いたとのこと。
自宅へそっと持って帰り、大き目のプランダーに移し変えたところ
それはそれは・・見違えるくらい大きくなっちゃってww
やっぱ嬉しいものです^^
2009/07/29
◇2009/7/29 我家に残る戦争の爪跡
毎年7月末になると思い出します。
昭和20年の1月の空襲に加え、その後、昭和20年3月13日、B29大型爆撃機が100機以上飛来した空襲だけでも6月1日・6月7日・6月15日・6月26日・7月10日・7月24日・8月14日とあったそうです。港区でベビー関連の縫製工場を営んでいた祖父と祖母の言いつけで、私の母は3月13日の空襲後すぐに滋賀県の祖父の本家(近江八幡 市辺村)へ疎開。続いて祖父、祖母も避難してきたそうです。当時の家計を支えていた商売道具ともいえるミシンとそして古いアルバムを数冊・・そのおかげで今の私がいて次の世代に伝える事ができました。
1回目の空襲では当時の家の向かい側までが全て全焼。そして6月1日の空襲では私の家も全て焼けて何も残りませんでした。
戦争が終わって母は、祖父と祖母に連れられて港区の当時の家を見に行ったそうで、焼け野原と瓦礫が積まれている焼け野原に自分の家の冷蔵庫だけがポツリと立っていたのを寂しそうに話してくれました。
当時港区は大阪から南方に出兵する兵隊さん達のターミナルでもあり、水や食糧を補給する寄港地の役割を果たしておりその労役に従事を強いていた人足として捕虜収容所が存在していました。
また物資を蓄える倉庫も豊富にあったので攻撃の対象になっていたのでしょう。
その爆撃でくさんの方々が亡くなられその中には当時の私達家族と親交の深かった方々やお世話になった方々が多くおられたことでしょう。
〔我家で保管している写真です。掲載のため画質を低下させていますが、ご希望の方がおられましたら高解像度写真も用意していますのでお申し出ください。〕
※石田呉服町1丁目と思われます。九洲軒という理美容店の看板が読み取れます。この写真の向い側に私の祖父・祖母と母が暮らしていました。私の祖母が写っています。
※場所は不明です。戦争の色が日増しに強くなるにつれ服装が変化してきます。
※三重県の二見ケ浦 夫婦岩です。
※奈良県若草山です。私の祖父が写っています。
《呉一会(石田呉服町1丁目)の旅行》
※香川県栗林公園だと思われます。
《昭和20年石田幼稚園》
※私の母が写っています。真ん中の男性は園長先生でしょうか?軍服姿にゲートルを巻かれています。
2009/07/26
◇ 2009/7/26 第49回 めふ乃寄席
◇ 2009/7/26 第49回 めふ乃寄席 昼席
「手水廻し」 桂 そうば
「蟇の油」 林家 染左
「崇徳院」 桂 阿か枝
「算段の平兵衛」 林家 竹丸
「手水廻し」 桂 そうば
桂 そうばさんはざこば一門の末席とのこと。ひさしぶりに拝聴した「手水廻し」で会場は爆笑。
福岡県のご出身ということで、大阪に出てこられた際の変な言葉を例にして
今回の手水という単語を上手に説明されていました。
「蟇の油」 林家 染左
林家 染左さん 「蟇の油」 では、昨日の天神祭りのお話から見世物、大道芸への流れで自然に・・そして
見事にお酒に酔ったデロンデロンの浪人を演じておられました。
「崇徳院」 桂 阿か枝
桂 阿か枝さんは、7/19の田辺寄席で「金明竹」、そしてその前には「しびんの花生」「ねずみ」と
聞かせていただいています。たしかに聞くたびに上手くなられましたよねーって感激しています。
マクラのカンニングの話しですっかり心を掴まれてしまいました。
さて、、先日この「崇徳院」は桂 福若さんで聞かせていただきましたが、演じられている方のキャラが
非常に対照的で落語のおもしろいなと感じました。
福若さんが手伝いの熊さんなら、阿か枝さんは作次郎。
また、いずれもが熊さんならば、がさつで起床の激しい人or出入りの一本気な押しの弱い商人という感じで
楽しませていただけました。
「算段の平兵衛」 林家 竹丸
久しぶりの平兵衛です。米朝全集で聴いただけでナマは初めてです。
算段とは?おめかけさんとは?色々とこのお話の背景を前置きとして説明しなければならないのは、辛いところです。
世界一可愛そうな死骸のお話ですがなかなか演じられないネタだけに貴重な体験をさせていただきました。
さて今回が49回、次回はいよいよ記念の50回となり、大物ゲストがご登場です。
年4回の公演なので12年半・・・。継続は力なり。最後になりましたが本当におめでとうございます。
次回も目イッパイ楽しませていただきます^^
「手水廻し」 桂 そうば
「蟇の油」 林家 染左
「崇徳院」 桂 阿か枝
「算段の平兵衛」 林家 竹丸
「手水廻し」 桂 そうば
桂 そうばさんはざこば一門の末席とのこと。ひさしぶりに拝聴した「手水廻し」で会場は爆笑。
福岡県のご出身ということで、大阪に出てこられた際の変な言葉を例にして
今回の手水という単語を上手に説明されていました。
「蟇の油」 林家 染左
林家 染左さん 「蟇の油」 では、昨日の天神祭りのお話から見世物、大道芸への流れで自然に・・そして
見事にお酒に酔ったデロンデロンの浪人を演じておられました。
「崇徳院」 桂 阿か枝
桂 阿か枝さんは、7/19の田辺寄席で「金明竹」、そしてその前には「しびんの花生」「ねずみ」と
聞かせていただいています。たしかに聞くたびに上手くなられましたよねーって感激しています。
マクラのカンニングの話しですっかり心を掴まれてしまいました。
さて、、先日この「崇徳院」は桂 福若さんで聞かせていただきましたが、演じられている方のキャラが
非常に対照的で落語のおもしろいなと感じました。
福若さんが手伝いの熊さんなら、阿か枝さんは作次郎。
また、いずれもが熊さんならば、がさつで起床の激しい人or出入りの一本気な押しの弱い商人という感じで
楽しませていただけました。
「算段の平兵衛」 林家 竹丸
久しぶりの平兵衛です。米朝全集で聴いただけでナマは初めてです。
算段とは?おめかけさんとは?色々とこのお話の背景を前置きとして説明しなければならないのは、辛いところです。
世界一可愛そうな死骸のお話ですがなかなか演じられないネタだけに貴重な体験をさせていただきました。
さて今回が49回、次回はいよいよ記念の50回となり、大物ゲストがご登場です。
年4回の公演なので12年半・・・。継続は力なり。最後になりましたが本当におめでとうございます。
次回も目イッパイ楽しませていただきます^^
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