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2010/05/24

◇2010 5/24 涙は流さないでください~大石順教尼の生涯~

先日入手した「無手の法悦」を読んだあと、すぐに母へ手渡した。
書籍を読んで涙がこぼれたのはホントに久しぶり。




大石順教さんがモデルとなったドラマがあったらしい。

涙は流さないでください~大石順教尼の生涯~
(ABC 1981年11月13日 ~  金曜日21:02-22:48)

京マチ子さん主演で、三国連太郎さん/金田龍之介さん/片平なぎささん/花紀京さんらが
ご出演されているそう。
どうしてもこの番組を見てみたいものです。
そういえば、私はこのドラマ以外にもどうしてもまた見たい映像があります。

・炎の如く 吉田松陰  
1991/04/17~1991/04/17 山口放送開局35周年記念ドラマ

・明るいほうへ 明るいほうへ 金子みすゞ物語
2001/8/27日(月)よる7:00~11:24放送 TBS創立50周年記念番組

たぶん・・いつか・・きっと・・・また出会えるかな^^

2010/05/17

◇2010 5/17 日テレ「DON!」

日本テレビ 「DON!」のコーナー企画<今日は何の日>で一坂太郎先生が出演されました。


はい!ばっちり録画させていただきました^^





歴女の増加が社会現象として取り上げられる昨今、やはり人気No1は
坂本竜馬さん。そして時期を同じくして次に人気のあるのがそう、高杉晋作さん。

そして今日、5月17日は143年前に高杉晋作さんが亡くなられた日です。


■日テレ公式サイト

http://www.ntv.co.jp/don/contents03/2010/05/1867517.html



せんせ~♪東京まで収録に行かれたそうで大変だったみたいです。

そのかいあって、かっこよく映ってましたよー(^-^)ニコ♪

2010/05/16

◇2010 5/16 第4回関西ラグビーフェスティバル

2010 5月16日には、花園で第4回関西ラグビーまつりが開催されました。
私は残念ながら不参加でその頃は落語を楽しんでいました。
それでもギリまでどっちに行こうか私ん中ですごーぃ葛藤があって決断がつかずに大変でした。
快晴に恵まれおもいっきり最高のラグビー日和だったみたいですごく盛り上がったんでしょうねー。

さていつの間にかトップリーグの試合予定が決まっていたようで、すでにワクワクしています。

昨シーズンは私がラグビーファンになった年で、あんましよくわかんなかったけど
いつのまにかトヨタベルブリッツのライガー君にハグされたご縁もあり、緑の旗をパタパタと
ふっていたり、サントリーサンゴリアスの応援団にまざって黄色い旗をパタパタとふってみたりで
節操のない私でした。
ちなみにケータイには神戸製鋼コベルコスティーラーズのストラップがついてますww

今年はわたしのお気に入りチームと出会いたいとおもいます。



あ・・いちおー、トヨタのイェーツさんやアイイさんの隠れファンなのですがww



◇2010 5/16 533回 田辺寄席 5月16日(日)昼席

◎533回 田辺寄席 5月16日(日)昼席 午後1時10分開演

【新・じっくりたっぷりの会-桂春雨の段】

開口0番「風呂敷」

風呂敷ってサイズがあるとは思っていましたが三幅・四幅・五幅・一反風呂敷と決まっているとは知りませんでした。確かに落語の中の枝雀さんは、あのオーバーアクションともおもえるような「ぶわぁぁ!」っと広げるのは、正確な描写だったのですね。


一.兵庫船     露の 紫   (都門下)

ご入門されて1年半。女流落語家がかかえる辛さを感じてしまいました。
これからもどうぞがんばってください。


二.にゅう     桂 春雨   (春団治門下)

今日の田辺寄席は珍しいお話が聞けるとのことで本当に楽しみにしていました。
焼き物の世界で<貫入>という言葉がありますがこの<にゅう>のことだったんですね。
弥吉って落語の世界でよく出てくるような手代さん・・・でもそのスキルは丁稚さん状態ww
ほんとにありがとうございました。

三.533号笑呆亭/「口入屋」から
          桂 文太   (五代目文枝門下)

おなかの底から笑いましたww落語って演者さんでこれだけ変るんだってすごいことですね。
そりゃ独自で笑どころを入れて工夫されていますがそれだけではなくって、確実に話の世界に連れて行ってくださるのですからすごいことです。


四.大阪城の残念石 桂 春蝶   (春団治門下)

マクラでお話されたコトがホントなら大変なことですねーwwあの冷静沈着な方が頭から湯気をだして怒っておられた様子が本当に目に浮かびます。
今日のこの珍しいお話を聞くことが出来てラッキーです。太郎石と次郎石の会話を中心に繰り広げる童話をきいているようなそんなほんのりした気持ちにさせでくださいました。

五.胴乱の幸助   桂 春雨   (春団治門下)


手堅いお手本のような、きっちりとツボをおさえた幸助さんで、笑わせていただきました。
春雨さんと握手させていただきましたが、ほんとに低血圧なんですねー。
すっごく冷え切ってました^^

2010/05/15

◇2010 5/15 教科書に書かれない幕末史  ~突然の天皇崩御~

第二次長州征伐という言葉は正しくないらしい。私的にはまったく違和感はありませんがこれは
冤罪を掛けられている長州からするととんでもないらしく今の教科書では<第二次幕長戦争>もしくは<四境戦争>となっているそう。

幕府は不穏な動気のある長州を叩くために勅許を求め、そのまま1年・・。この間、着々と武備恭順姿勢を貫き内部拡充をおこなう長州。そしてついに勃発してしまう。

宍戸備後之助は長防臣民合議書を36万部発行し、当時の20万人の住民に対しこの戦争の意義を徹底して告知する。そこに書かれていた内容は・・・。
幕府に従うことは常に多々しいとは限らない。従順でいることもまた正しいとは言えない。この例として四十七士の討ち入りを例題としている。この討ち入りは当時からして150年前の出来事。
この討ち入りは公平にみたら四十七人の藩士の暴動であり、裁きに従わないならず者集団であるが、その行動は人々を感服され美談とされている。楠公の七生滅賊の言葉があるように我々は恨みを晴らさねばならないのである。とのこと。
この長防臣民合議書は坂本龍馬も2部手に入れたらしい。

そんな戦争を明治政府は正当化するために苦心。
この時、天皇に逆らっているが、史実を書くわけには行かず、結局<幕府には逆らったが天皇には逆らっていない>と拡大解釈してしまう。

さて四境戦争の総督にはだれなりたがらずに結局紀州 徳川茂承(もちつぐ)がおこなう。
1866年6/5に広島入り。そして6/7に大島口で火蓋を切りました。もともと戦略的に大島は捨てるとしていた長州軍。幕府軍が上陸、占領したにみえたが、高杉晋作らの丙寅丸での奇襲により大島を奪還。

芸州口の戦いでは肝心の広島(浅野)藩が出兵拒否。藩内の戦いは黙認するという態度。彦根藩、高田藩の先鋒+紀州藩vs遊撃軍+御盾隊。
6/25に国境の小瀬川を越えて長州にはいろうとした幕府軍は陣羽織に陣太鼓、ほら貝を吹きならず時代錯誤モード。また維新団の働きで幕府軍を制圧。

広島にいた副総督の松平宗秀。総督の茂承の許可なく捕虜に停戦を依頼し開放してしまう。怒った茂承は「総督は辞める!」と言い出し将軍になだめられる一幕も。

石州口の戦いでは隣国津和野藩。長州と密約がありおもいっきり協力的。食料や宿の手配も万事OK.幕府からの戦目付け 長谷川久三郎の目をごまかしながらも友情を取った。
自ら同行した大村益次郎の完璧な作戦で浜田藩は自らの城に火をつけて退却してしまう。

さて最後の小倉口の戦い。5万人vs1000人の戦いとなり最大の激戦地。
6/17 高杉さんの奇襲攻撃を柱に7/3、7/27と段階的におこなう。
うまくいっていたが7/27では肥後藩、小倉藩に撃退されピンチに陥ってしまう。ここぞとばかりに追撃すべく総督の老中 小笠原長行へ相談にいくが、まてどくらせど出てこない。
実は富士山丸に乗って長崎経由で大阪へ帰ってしまったとのこと。
実は7/20に将軍家茂が亡くなっていたそう。戦意を失った幕府軍は小倉城に火をかけて退却してしまった。

さて、時期の将軍は・・慶喜さんしかいない。。。ところが慶喜さん、徳川は継ぐが征夷大将軍職に関してはなかなか「うん」といわない。
それでも孝明天皇とお仲良しの慶喜さん。「長州大討込」と表し、刀までいただき京都を出発してすぐに、小倉城の炎上を知り休戦を考える。
そこで登場するのが、江戸で失脚中の勝さん♪停戦交渉をさせることに。
慶喜さんは、江戸へ帰らないで京都の二条城で指揮をとる。

その年の12/5に慶喜さんは反対派の意見も集約し望まれる形で正二位権大納言を受けて征夷大将軍を任命。これで武合体の最高状態が実現してしまう。

長州ぴんち!
フランス軍隊を味方につけて・・・さては第三次長州征伐か?


ところが歴史の風向きがここでかわってしまうことになる。

なんと、12/25、夕食までは美味しく食べていた孝明天皇が急にな崩御されてしまう。
病死とのことだがあまりにもタイミングが・・・。

以降は次回のお楽しみということでww

2010/05/11

◇2010 5/11 無手の法悦

無手の法悦(むてのしあわせ)大石順教著が昨夜届きました。
この週末にじっくりと拝読させていただこうと思います。

中には大石順教尼が書かれた般若心経が入っていました。

それはそれは見事な字で心を込めて書かれたのだという事が一目でわかりました。

大石 順教ってだれ?という方はぜひごらんください。

http://www.jyunkyo.jp/



2010/05/08

2010/5/8 「大坂の陣を大河ドラマにする会」発会式

大坂の陣を大河ドラマにする会 発会式に参加させていただきました。
今日5/8は大坂夏の陣で淀君・秀頼母子が自刃し豊臣家が滅んだ日なのです。
大坂を元気にしたいという発起人の方々に加え、多数のゲストの方々をお招きいただき楽しい時間を過ごさせていただきました。

会の方は楽しい事務局の方の司会で始まり北川央氏の講演が始まりました。
私の今までの認識では、秀吉が亡くなった後、関ヶ原の合戦で勝利した家康は征夷大将軍となったと同時に豊臣家は摂河泉の大名となった。秀吉が残した莫大な資金を減らすことを目的に家康は秀頼に全国の神社仏閣の復興事業を進め・・そしてついにいちゃもんをつけて大坂の陣へと進んでゆく・・。と覚えていました。

確かに今日の講演を拝聴しあれだけの数々の実証があれば、秀頼が一大名であるとは思えないですよね。ましてや京都から大坂へ勅使・親王や公家が年賀に訪れるのは普通の大名だとするとありえないことです。淀君・秀頼の権力はすさまじいものだったのでしょう。
機会がありましたらぜひまたちゃんとした講演会に参加させていただこうとおもいました。

次は旭堂南陵さんの講談でプログラムでは「難波戦記」でしたが「くらわんかの由来」を聞かせてくださいました。
《講釈師 見てきたような 嘘を言い》という川柳がありますが史実を伝承し次の世代に伝えると同時に、またロマンを感じさせるのが講談の良い所だとおもいます。

フォーラムでは北川氏の司会で桜花昇ぼる氏・高口恭行氏・旭堂南陵氏・佐々木洋三氏がさまざまなお話を聞かせてくださいました。
中でも高口長老がお話くださった家康の松の話・・歴史は地域の財産でありこれを次の世代に伝えて行く街ぐるみの取り組みが必要なんだと実感しました。
この後のゲストでは勇壮なのぼりとともに上田市市長 母袋創一さんが壇上に上がられ、平野志紀長吉神社参拝の話を始め現在の上田市での取り組みについてお話くださいました。
大河ドラマ化を目的として自らが会長に就任、66万6666人の署名を目標にさまざまな箇所で宣伝いただいているとのこと。私も心からドラマ化されることを切に願っています。

次に九度山町 岡本章町長さんが<九度山町を日本一元気な町にする!>を目標に九度山での取り組みについてお話くださいました。私もここ何年かずっと連続で九度山にお伺いしていますが行く度に確かな力を感じます。
初めて訪れた時は唖然としましたが今では・・とくに先日の真田祭りの盛大さに圧倒されました。行政の一方的な押し付けの観光化ではなく、草の根的なそして自発的な町の活性化の兆しがあり、それが根付いてきているってなんて素晴らしいことなんでしょう。心から応援させていただきます。また400年を遡り幸村公がいたから今日、会場にみなが集まることが出来たそんな「縁」を大切にしてゆきたい・・まさに同感です。

さて最後に真田徹さんからは、所蔵されている様々な真田関連のものをスライドで見せてくださいました。

私の大好きな幕末史の先生がよく、歴史は勝者の歴史で、本当は敗者の歴史も鑑みなければ真実は見えてこないといわれています。歴史を語る上で現代に残っている貴重な資料を拝見することができて感激しました。いつかはぜひ実物を見にいければと思いした。
さて最後は旭堂南陵さんいよる全員の大阪締めでお開きとなりました。

大坂の陣が大河ドラマになることを心から願う輪がどんどん広がって実現することを心から願っています。

【設立発起人】尼子騒兵衛(漫画家)、有栖川有栖(推理作家)、桜花昇ぼる(OSK日本歌劇団トップスター)、北川央(大阪城天守閣)、旭堂南陵(講談師)、佐々木洋三((財)大阪21世紀協会)、真田徹(仙台真田家当主)、高口恭行(一心寺長老)、難波利三(直木賞作家)、林幸治郎(ちんどん通信社)、
藤本義一(直木賞作家)、ぼんち・おさむ(漫才師)、六波羅雅一(建築家)

※12時には周辺に到着。合邦ケ辻の閻魔堂にお参りしたあと、安居神社さんへいって・・一心寺へいって会場入り。ちょうど桜花さんが入られるところだったのでお写真を撮影させていただきました。前回の九度山真田祭にはお見えにならなかった母袋市長さんと九度山岡本町長さんにご挨拶したかったので会えるのを楽しみにしていたんですよー♪沢山記念撮影も、お話もさせていただいたので満足ww
<真田>が結んで下さった縁なのです(^-^)ニコ♪

2010/05/06

2010 5/6 大石順教尼に思いを馳せる・・

毎年春と秋の2回、九度山を訪れる機会に恵まれています。
大阪市内からわずか2時間で真田親子の縁の地、そして自然あふれる九度山に来る事ができます。
そして今年も真田親子の法要の目的で来る事ができました。
時間がすこし早かったので真田庵の向いにある喫茶店で時間調整。九度山の観光パンフレットを見て1人のお名前を見つけました。・・・大石順教・・・どんな事をされた方なのだろう?

九度山に大石順教尼の記念館?

便利なもので携帯で調べてみるといつしかうっすらと涙が滲んできました。
さっそく著書を拝読しようと思います。

※2010年8月に桂都丸さんが4代目桂塩鯛を襲名されます。この3代目が
 桂福壽であったころの妻が松川家妻奴であったそう。
 意外なところで落語との接点がありました。

下記詳しく書かれているサイトです。

http://blog.goo.ne.jp/tiantian334/e/f395a148503fded9caf709507635b060

http://www.jyunkyo.jp/011jyunkyo.html

http://blog.goo.ne.jp/kctk1/e/fb400cf5169fff1a9f7438ac1c184006