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2010/11/23

2010 11/23 第九回 柳谷観音・泰聖寺 講談会~太閤記特集~


今まで沢山の落語会に行きました、その中で1席だけ講談を聞く機会がありいつも感心していました。で、前回のアシスト寄席の際に旭堂南左衛門さんからチラシを頂戴し、今日、はじめて講談だけの会に参加させていただきました。


第九回 柳谷観音・泰聖寺 講談会~太閤記特集~
会場は上町大地の寺町側にある泰聖寺さん。ここは眼の病に効く観音様がおられるお寺で有名です。

講談も落語も、聞き手の脳内にその映像がどれだけリアルに浮かび上がるか?が決め手の芸、そんな仮想の世界を楽しみにされている様々なお客様がお見えになっていました。


◇黄昏亭もみじ/真柄の秀

落語でも最近みかける女性の演者さん。
お話は、六尺以上の大柄な女性で力持ち、それでいて気の優しい女性のお話。
戦場では役に立たない優しい男の真柄勘内との出会いから結婚までのお話をイキイキと描く。


◇旭堂南斗/秀吉と利休

マクラでは、ご自身が講談の世界に入られたキッカケをお話されました。
噺の方はお茶の世界感を、傲慢な秀吉に理解させるための利休さんの機転が主題。


◇旭堂南舟/太閤の生い立ち

来年3月で年季明けとなりひとり立ちされる南舟さん。
独特の味のある方で実は南舟さんとは昨年5月から5回目になります。
普段のおしゃべりと講談の世界に入られてからの口調がここまで変られる方って、ホント珍しいかも・・です^^
応援してます♪


◇旭堂南左衛門/長短槍試合

歌舞伎の演目では<仮名手本忠臣蔵>。これが講談だと<赤穂義士伝>
忠臣蔵は忠義の家臣の蔵助の略であり、仮名手本の意味は
かな47文字すなわち四十七士を指す。もしくは忠義のお手本であるという
意図からだそう。なるほどーって感心。
来月から東京でのご出演には、参加させていただけませんが、この講談一門会は奇数月にこの会場で実施されているとのことで、これだけ講談にのめり込んだのだから、よほど予定がかぶらない限り参加したいとおもいます。


さて、噺の方は信長より槍が1000本不足している為に槍を作成するが長い槍がいいか?それとも短い槍がいいか・・の問いから槍術名人の上島主人と藤吉郎との対決を描く。互いに50人の足軽を借り受け三日間の訓練ののちの槍試合。藤吉郎は槍術の訓練ではなく「勝ための訓練」を行ったことが勝敗の分かれ目。圧倒的な勝利となる噺。


一気に4本の講談を聞いたのは初めて。
落語であれば時代性をぼやかしているものが多く何本でも平気だけど、講談は時代背景が明確なので脳内でややこしくならないか心配でした。
今日は太閤記を切り口にしたものなので問題なくイキイキと描くことができました。
次回は1月29日。ぜひ参加させていただきます。

2010/11/20

2010 11/20 教科書に書かれない幕末史 ~堺事件

明治政府がようやく生まれ、さてこれからというときに起った【神戸事件】でいきなりダメージを食らったおかげで、各国に明治政府が貿易の貿易の窓口であることを専制して伊藤博文さんがようやく表舞台に立ってゆく。岡山藩からこの始末をつけるために悲劇の主人公となった滝善三郎さんが慶応4年2月9日(1868年3月2日)に切腹をし事態は収拾した。ところがまた悪夢が新政府を襲うことになる。
もちろん、この時の世相は攘夷熱が残っているために、以降様々な噂が流れたそう。神戸でフランス兵が錦の御旗を奪って逃げた?やら天保山にフランス海軍がやってきただの・・今回の中止のとなる土佐藩も現在の西区にある土佐藩邸で苦々しく聞いていたに違いない。そんな6日後の2月15日の出来事。

大阪から陸路で堺の町に入ろうとしていたフランス領事一行。ちょうど堺の警備を担当していたのが土佐藩。通行の事前の連絡が無かった為に堺へ入るののを不許可とし追い返した出来事があった。
実は前年12月には開町を行っているので外国人は堺町に入ることは問題ないのだが相次ぐ噂で憤懣していたのか・それとも本当に知らなかったのかは定かではない。さてその夕方、堺湾の測量を行う為に入港したデュプレックス号(フランス軍艦)。2艘の小船で数十人が分乗しそのうちの1艘が上陸をした。
あわてて通報を受けた土佐藩士らは箕浦猪之吉(25歳)を筆頭にした6番隊と西村左平次(24歳)を筆頭にした8番隊が急行した。その16時頃・・通訳もいないフランス兵らと口論になって半ば喧嘩状態に。フランス兵が土佐藩旗を手に取り走り去ろうとしたために、ついに発砲命令が下り4人が死亡、7人が海に落ちて行方不明となりました。

この事件を知った外国事務局の東久世通禮、五代友厚らはきっと「えぇぇ??まぢで?」って言ったのかもしれない。なにせやっと神戸事件のほとぼりが冷めかけた頃にまた、フランスと揉めてしまったのだから。
すぐさま、土佐藩の任務を解き、人足を集めて海中に落ちてしまった兵隊の遺体に30両の懸賞をかけて探させたおかげですぐさま見つかった。きれいな服を着せて大坂に運びロッシェの元に報告に行く。

翌日2/16には土佐藩から届出がされ事後始末に走ることになる。
さてフランスからの要望は以下の通り。

・発砲した20人を日本の責任者の前で打ち首にせよ。
・15万ドルラルの賠償金を払え。
・皇族の中からウエヌス船まで侘びにこい。
・土佐藩主はフランス船に侘びにこい。
・土佐人は外人の為に開いた港や居留地には入るなとのこと。


2/22には沙汰書を発行。
2/23にはロッシェに対し土佐を処分することを報告。

その内容は切腹命令だがその理由は「皇国の為に腹をきることを外人に見せ付けてやれ!」とのこと。まさにヾ(・・;)ォィォィな内容。

さてこの知らせをきいた西区の藩邸にいた土佐藩では、それぞれの隊長、副隊長は責任を取ることとなったが残り16人をどうするか・・で揉めた。「私が責任を取る!」という発言が絶えずついに、くじ引きが行われた。外れた者は残念ながら腹を切らなくても良いというまさに逆なくじびき。なんという忠誠心。恐るべし。
3/23には各藩400人に護衛され、土佐藩邸から、切腹の会場となった堺の妙国寺へ向かうことに。

さて、時はすでに夕方。一番初めに箕浦猪之吉さんが切腹をしたがその様が凄まじかったそう。この辺りは森鴎外の小説の描写を引用する。

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呼出の役人が「箕浦猪之吉」と読み上げた。寺の内外は水を打ったように鎮った。箕浦は黒羅紗の羽織に小袴を着して、切腹の座に着いた。介錯人馬場は三尺隔てて背後に立った。総裁宮以下の諸官に一礼した箕浦は、世話役の出す白木の四方を引き寄せて、短刀を右手に取った。忽ち雷のような声が響き渡った。

「フランス人共聴け。己は汝等のためには死なぬ。皇国のために死ぬる。日本男子の切腹を好く見て置け」と云ったのである。

 箕浦は衣服をくつろげ、短刀を逆手に取って、左の脇腹へ深く突き立て、三寸切り下げ、右へ引き廻して、又三寸切り上げた。刃が深く入ったので、創口は広く開いた。箕浦は短刀を棄てて、右手を創にさし込んで、大網を掴んで引き出しつつ、フランス人を睨み付けた。

 馬場が刀を抜いて項を一刀切ったが、浅かった。

「馬場君。どうした。静かに遣れ」と、箕浦が叫んだ。

 馬場の二の太刀は頸椎を断って、かっと音がした。

 箕浦は又大声を放って、

「まだ死なんぞ、もっと切れ」と叫んだ。この声は今までより大きく、三丁位響いたのである。

 初から箕浦の挙動を見ていたフランス公使は、次第に驚駭と畏怖とに襲われた。そして座席に安んぜなくなっていたのに、この意外に大きい声を、意外な時に聞いた公使は、とうとう立ち上がって、手足の措所に迷った。

 馬場は三度目にようよう箕浦の首を墜した。

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二人目・・三人目・・・そのたびに毛氈が引き直されるが血を吸った土に染み込んだ血はすぐに染み出してくる。ついに12人目の「橋詰愛平」が、今まさに切腹をはじめるときにフランス側から中心の申し入れがあった。この辺りの描写も森鴎外さんの小説を引用する。

*************************引用***********************
次は十二人目の橋詰である。橋詰が出て座に着く頃は、もう四辺が昏くなって、本堂には燈明が附いた。
 フランス公使はこれまで不安に堪えぬ様子で、起ったり居たりしていた。この不安は次第に銃を執って立っている兵卒に波及した。姿勢は悉く崩れ、手を振り動かして何事かささやき合うようになった。丁度橋詰が切腹の座に着いた時、公使が何か一言云うと、兵卒一同は公使を中に囲んで臨検の席を離れ、我皇族並に諸役人に会釈もせず、あたふたと幕の外に出た。さて庭を横切って、寺の門を出るや否や、公使を包擁した兵卒は駆歩に移って港口へ走った。

 切腹の座では橋詰が衣服をくつろげて、短刀を腹に立てようとした。そこへ役人が駆け付けて、「暫く」と叫んだ。驚いて手を停めた橋詰に、役人はフランス公使退席の事を話して、ともかくも一時切腹を差し控えられたいと云った。橋詰は跡に残った八人の所に帰って、仔細を話した。

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ちなみに、血を吸った服のままで控え室に戻った橋詰を見た8人は切腹をしくじったと罵倒したそうだがすぐに真実は明らかになった。

2/24には外国事務方が天保山沖に停泊中の船にロッシェを訪ねて侘びに行き正式に9人は切腹を免れることとなった。ちなみに賠償金15万ドルラルは3回の分割という約束になったがその後、藩は無くなったので完済したかどうかは不明。

さて11人の死体はカメに入れられて妙国寺の向かいにある宝珠院に埋葬されるが、なぜ妙国寺でなかったのかという理由は色々と考えられる。

やはり世相はまだまだ攘夷。皇国の為に切腹した11人はいわば英雄。無くなった11人のカメは「残念様」と呼ばれ、また使われなかった9個のカメは「生き運様」とよばれたらしい。当時は宝珠院の前には屋台が出て、関連グッズの簪が発売されるくらいの人気スポットとなる。この辺りは日本人のエゴイズムが出ちゃってます。
そこで妙国寺では、7月3日~の三日間に大供養が営まれ9月9日には「英氏割腹跡」の碑が建立されている。
さて、この様子を知った井上さんはその怒りを伊藤と木戸さんに書簡で述べています。
「西洋の言いなりになっている!外国の脅しに乗ってはダメだ。そんなことをすると国家を滅ぼすことになる」というまさに現代にも通じる内容でした。

※この内容は一坂先生の講演を元に私が脚色していますのでご注意ください。

2010/11/17

2010 11/17 アザイズム ~ 戦国鍋テレビ ~

はまりまくってる戦国鍋テレビ!
<シズガタケの七本槍><天正遣欧少年使節>に続きこんどはアザイズム!浅井三姉妹♪

いまならサンテレビのケータイサイトからダウンロードができるみたい。
アザイズム(浅井三姉妹 チームA)/アザイズム(浅井三姉妹 チームZ)/
アザイズム(浅井三姉妹 チームI)/ベー・アンビシャス(兵衛’Z)の4曲!

ちなみに兵衛’Z は黒田官兵衛(ヴォーカル/マラカス)、竹中半兵衛(ギター/ヴォーカル)のユニットです。


<アザイズム>
http://www.tvk-yokohama.com/sengokunabe-tv/corner/azai/index.html

<お知らせ>
舞台「戦国鍋祭~あんまり近づきすぎると斬られちゃうよ~」大阪公演決定!
●大阪公演
【日程】2011年1月23日(日)
【開演】12:00~/17:00~(全2回公演)
【チケット料金】5800円(全席指定・税込)
【チケット発売日】12月11日(土)
http://www.tvk-yokohama.com/sengokunabe-tv/index.html

どうしよう。。。。行こうか・・・/(-_-)\ こまった~。

2010/11/14

2010 11/14 高野山参詣

13日に九度山に行ったばったりなのですが今日、14日は高野山へ行ってまいりました。

はじめて奥の院まで行く事ができたくさんの元気を頂いてまいりました。

やはり幕末大好きな私的に「織田信長さん/豊臣秀吉」さんをはじめ各藩諸大名の中でも
「長州毛利家/長州益田家/薩摩島津家/土佐高知山内家」と「浅野内匠頭」さんはきっちり参拝。

お写真も撮らせていただきましたが掲載は悪しからず控えさせていただきます。
さて中でも私がお参りしたかったのは「大石順教尼の腕塚」。
無事めぐり合う事ができました。

優しいお顔の慈手観世音菩薩さんが居られ、その前には下記の碑文がありましたので
掲載いたします。


慈手観世音菩薩
この尊像は大石順教尼の発願による慈手観世音菩薩である。同尼が両腕を失って八十一才の天寿を全うできたのは有縁の人々から慈悲の手をさしのべていただいたお陰であると合掌している姿である。
順教尼はもと大阪堀江の舞妓「妻吉」といったが明治三十八年六月二十一日、大坂堀江六人斬りの大惨事のまきぞえで十七才の若い身で両腕を切り落とされた。人間としてこの上ない不幸を負う身となり苦難の道を仏道に求め高野山において出家得度し、その事件の犠牲者の追善と自分と同じ境遇にある障害者を救済することを仏に誓い一生の念願とした。
口に筆をくわえて書画を描くことに専念し日展にも入選するほどその非凡な才能を発揮した。また日本人としてはじめて世界身体障害者芸術家協会会員として選ばれた。
同尼の全国身体障害者の慈母として慕われたがおしくも昭和四十三年四月二十一日京都山科仏光院において入寂した。ここに同尼の遺骨を奉安したものである。


ちょうど高野山は紅葉の見ごろで大渋滞。
すっかり日が暮れてからの帰宅となりました。さすがに二日も続けてのロングドライブはキツイものがあります。それでなくても先月末から頭にかけては萩へ行ってきた疲れがようやく取れた頃^^
おかげで昨夜は爆睡しました。

2010/11/13

2010 11/13 第4回 大収穫祭in九度山

第4回 大収穫祭in九度山が開催されました。


回を重ねるごとに大盛況で、広いグラウンドはすべて出展テントやフリーマーケットで埋め尽くされホントに運営側の熱意には頭が下がるおもいです。
岡本町長さんのお話にも出てまいりましたが、役員、スタッフのみなさんが手作りで運営する点に感激いたしました。
日本一の富有柿の産地、そして真田ゆかりの地の九度山へもう何度来たことでしょう。大阪市内からの道順もすっかり覚えてしまってカーナビを使う必要もありませんでしたww。
さて、昨年はじめてお目見えした<真田蕎麦>。ことしは真田庵の隣に店舗が出来たとのこと、また九度山の名物が増え、ホントに良かったですね。
残念ながら食べて帰る事が出来ませんでしたが、蕎麦が大好物な私、来年の真田祭の際にはぜひ食べてみたいものです^^

今回の出展ブースには、【大坂の陣を大河ドラマにする会】の際にお目にかかりました方々も多数参加されておられ実現に向けた署名コーナーも完備。信州上田ブースもたいへんな賑わいでした。あと、今回は私もすこしだけ関わりのある<柿の石鹸>が販売されていました♪

午後からは、すこし足をのばして【根来寺】へお参りして帰阪いたしました。

2010/11/04

2010 11/4 大石順教尼の世界 口筆による書画作品展 開催のお知らせ

この初夏にお伺いさせていただきました九度山にある大石順教尼記念館様よりごあんないを頂戴いたしました。
この期間中は沢山の作品を見る事ができるそう。
ぜひ一度お伺いさせていただこうと思います。
おそらく沢山の来場者がお見えになられると思いますが九度山の大収穫祭の日になるとおもいます。






そしてまだ知識の無い方はぜひ少し調べてみてください。

心がすぅっと楽になって、頑張る心が顔を出してきます^^

***********記*****************

平成22年11月3日~21日 AM10:00~PM4:30
旧萱野家(大石順教尼記念館)
和歌山県伊都郡九度山町1327 南海高野線九度山駅下車7分


11月7日には大石順教尼の偉業と題したトーク&シンポジウムが開催されます。

http://www.town.kudoyama.wakayama.jp/dd.aspx?itemid=2632

2010/11/03

2010 11/3 アシスト寄席

今回のアシスト寄席は第7回とのこと。回数が重なるに連れてお客様が増えれば良いのだけれど会場のキャパもあるし、そもそもこのアシスト寄席の主旨が長らく高座に掛けていないネタや最近覚えたネタをやってみるという主旨とのことなので、あんまり多数の前でするのもどうかな?と思われ中々悩ましいです。
喫茶店の店舗を利用して開催される落語会なので決して広くありませんし、高座のすぐ後ろにはお手洗いがあるし。しょうがないですね^^

さて、いよいよ開演ということでお囃子が鳴り、颯爽と後ろのお手洗いからマスターがご登場!これは不意打ちを食らった感があり笑いが止まりません。こんな天然系な笑いは卑怯ですってww
マスター曰く「お囃子が鳴ったんで早く済ませなきゃっておもったけど、ついタイミングを失ってしまった」そう^^

旭堂南舟 般若寺の焼き討ち

南舟さんの高座も何度か楽しませていただきましたが、いつもの事ながら本題に入るとスイッチが切り替わったように声に張りがでてくるんですよね。
たぶん奈良の般若寺のことだとおもうのですが講談ではこのような事件があったと扱われていたなんて知りませんでした。


露の雅 鉄砲勇助

女流噺家さんがだいぶ増えたようで私も年に何度か聞かせていただく機会があります。
新しい世界感を築けられたらいいですねー。がんばってくださいね^^

桂枝女太 寄合酒

寄合酒?って割とポピュラーなネタなのに?なんで?ってずっと疑問でした。
あとで聞いたのですが、ホントに初披露だったそうです。
主人公のあの「味噌をするさかい・・・」の件から怒涛の如く続くボケの数々は見事でした^^


旭堂南左衛門 佐野山権平

寛政力士伝の中から品格のある横綱谷風のエピソードの講談。
情け相撲といわれているが八百長試合ではあるものの谷風が行った美談。
圧倒的な強さと品格を誇る谷風が、親が病気で金銭に不自由している佐野山の事を知り情け相撲を取るお話。
佐野山を贔屓にしているタニマチの会話や、格下の佐野山と戦うことになった理由が愛人を取った云々っていう件が笑いを誘います。一瞬、落語の花筏を感じさせるシーンがありました。

笑福亭 仁嬌 宿屋仇

大ネタの部類に入る宿屋仇。
生では桂春駒さんや桂米輔さんでお聞きした事があります。仁嬌さんは数日後に独演会がひかえれているということで、その中できっちり宿屋仇が入っていました。
「いは~ち!」と何度も呼ぶあとにお定まりのセリフがはまりますが、何度も言わせる繰り返しのところがクスリってなるんでしょうねー。
また大宴会、相撲、色事と内容が変化し、ついには小柳彦九郎が登場!そういえば万事世話九郎って名前は怪しいですよねー。
よく出来たお話をきっちりと語ってくださいました。

この後、お店からコーヒーとデザートを出していただきました。
かぼちゃのプリンだったのですが、まぢ!絶品♪甘すぎない上品な味。
ごちそーさまでした。

さて次回は会場が大きくなって、来年1月16日に新大阪イーグルボウルで行われます。
また柳谷観音・泰聖寺講談会は11月23日。今のところ両方参加の予定です。

2010/11/01

2010 10/30 萩旅行

萩市内にて高杉晋作立志像の除幕式があるとの事。大阪より参加させていただきました。
前日に台風接近の中山陽道をひた走り。時折激しく降る雨や強い風が行く手を阻むようでなかなか大変な道中でしたが、萩は私のような幕末フェチにとっては聖地。風雨くらいには負けません^^


萩に到着するとまずは涙松を訪れそのままチェックイン。翌日の除幕式のために体力温存のはずが、つい新鮮なお魚が美味しくって、幕末談義をしながら遅くまで話しこんでしまいました。
さて、翌日の除幕式では龍馬伝で高杉晋作さんを演じた伊勢谷友介氏の参加があるため、早くから多くのファンが詰め掛けていました。
私も会場入りしたのは式典2時間前。で・・すでに50人は来ていましたww
式典の時間が迫る中、奇兵隊が錦の御旗と共に会場に参集。式典のムードを盛り上げます。
と、そのスキに会場の反対側の入り口から伊勢谷友介氏が到着!もう会場はフラッシュの嵐、歓声が飛び交っています。
伊勢谷友介氏の一挙一動に「きゃー~!」って声が響く中、一坂先生が会場入り。私たちだけが「一坂せんせー!」って手をパタパタさせると気がついた先生も手を振り返してくださいました。おそらく、すっごい勇気がいったことでしょう。なにせだいぶ照れて居られたご様子でしたので。
「会場での動画や写真撮影はお断りします」と何度も流れるもののまったく効果なしでもう写真撮影大会。
それでも式典が始まるとピタッとみなさん式典モードでした。市長さんのお話の途中からポツリ・・・にわかにかき曇り、大粒の雨がバラバラ!大急ぎで式典を進めあっというまに序幕式は終わりました。
 午後からの講演会は先着100名とのことで、早々に切り上げて最前列の私たちは人並みをかいくぐり脱出。背後に居られる奇兵隊さんの元へ行こうと移動したそのとき、山県有朋さんが肩を叩かれました。え??山県有朋さん・・・実は、昨日、往環道にある松蔭記念館でお世話になった方がなんと有朋さん役ってことでホントびっくりでした。
そのまま会場へ移動。美味しい昼食を頂いた後講演会場へ到着。関係者席の真後ろをGET♪じっくりと江里先生、一坂先生のお話を堪能いたしました。

その後、限られた時間の中の萩旅行。
各地をお急ぎで回りなんとか下記に行く事ができました。

松下村塾、松蔭神社、伊藤博文旧宅、別宅、松陰先生誕生地、松蔭先生のお墓、玉木文之進旧宅、東光寺、高杉晋作さんのお墓、菊屋横丁、江戸屋横丁、伊勢谷横丁、高杉晋作さん誕生地、木戸孝允さん旧宅、野山獄跡、岩倉獄跡、往環道道の駅、涙松、松蔭記念館、萩博物館・・。

そしていよいよ萩からのお別れ・・・。もちろん涙松を通り楽しかった萩旅行に終わりを告げました。