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2011/10/07

2011 10/7 Lifetouch Note

今回の突然の入院はほんとに大変でした。
取引先さんにもちゃんと話していなかったことがあってお仕事は待ってくれません。
なにせ、手術の翌日にまだ色んな所からびよーんっとチューブが伸びている常態で、
お仕事の電話がかかってくるし、お仕事用のメールはすべて携帯へ転送していたのでもうなり続け。
…もぅひっちゃかめっちゃかでした(笑)
全身麻酔で気道確保のためにチューブを通していたようですがどうも
声がガラガラ声で電話に出て先方さんは、どうも私が風邪を引いているとおもわれたようで。。。
いやいや・・それどころちゃうねん。
 
下半身から3本、背中や手首や・・いそんなところからチューブが出てる状態やねんってww
で、いったん帰宅したものの、自宅ではカテーテルを通したまま、中腰でメールをチェックしたり…これが良くなかった。
やっぱ人間は腰がいのちですねぇ。。
 
ってことでちょっとした新兵器の導入です。
これがあればお布団の中ででもお仕事ができる(爆)
 
今回、はじめてのアンドロイドOSを購入!NECのLifeTouch Noteの登場です。
イメージとしてはおっきなスマホにフルキーボードが付いている感じかなぁ。

それでもノートパソコンよりずいぶん小さくて閉じた状態だと23.5cm×14cm程度で厚みは2.5cm。


7型ワイドなちっちゃいくせにKeyboardがついていて文書入力はバッチリ。
wifiでネットもつながり、なによりありがたいのがバッテリーは9時間近くもつらしい。
本体700グラムなので、非力な私でもかばんに入れて持ち運べます。
 
 
さっそく自宅、職場とそれからよく行くマクドでwifiを設定しました。
 
なかなか快適ですが、キーボードの配列に癖があるのとWINDOWSに慣れ親しんでいたからか
戸惑うこともしょっちゅう。慣れたら愛用のノートPCがいらなくなるかも。

2011/10/05

2011 10/5 近況

なかなか体調が戻らずに文章が書けずにいます。

ホントにごめんなさい。

この3連休には記事を掲載するつもりです。

あとすこしだけ・・おまちください。orz

2011/09/30

2011 10/3 染模様恩愛御書 細川の血達磨

2011 10/3  「染模様恩愛御書」

にっぽんの芸能 芸能百花繚乱「染五郎 気迫のスタジオ歌舞伎」
放送日: 2011年9月30日(金) 22:00-22:45

旭堂南左衛門さんより放送があることを教えていただいてましたのでバッチリ録画!もちろん
ナマでも鑑賞いたしました^^

市川染五郎さんの二役で、もう胸ガキュンキュン!
市川猿弥威圧感のあるお姿と大立ち回り!
もちろん、旭堂南左衛門さんの、細川越中守役はかっこよかったー!

簡単なあらすじ♪
 
ある日、大川友右衛門(染五郎さん)が美形の若衆の印南数馬(染五郎さん)に惚れてしまいます。
で、友右衛門は武士の位を捨て、細川邸に中間として奉公し、数馬に心を打ち明け友右衛門が数馬の寝室に忍びこんじゃいます。
で色々とお話をするうちに数馬から横山図書(猿弥さん)が父を殺した敵であることを聞かされ敵討ちのお手伝いをして無事にとげることになりました。
そんなある日、細川邸に火事が発生!宝蔵には家宝の家康公から賜ったご朱印が!
燃え盛る蔵へ飛び込んだ友右衛門はご朱印を見つけたが、もう回りは火の海。
ご朱印を守る為に彼が取った驚くべき行動は・・・・。
自らの命と引き換えに家宝を守った友右衛門さん。血潮のご朱印を抱き泣き咽ぶ数馬さんでした。
 

2011 9/30 ただいまー!

無事、帰ってきました^^

まだまだ本調子ではありませんが徐々に元のペースに戻したいと思います。

応援いただきました皆様!本当にありがとうございました!

2011/09/19

2011 9/19 行ってきます!

急に降って湧いた様に今日の日が決まりました。
ちょっちだけBLOG更新が出来なくなりました。

申し訳ないのですが、 九度山講談会レポートと教科書に書かれなかった幕末史の
2項目の掲載は今週末の予定で掲載しますのでしばしおまちくださいませ。

お急ぎの方は下記へメールを戴きましたら当方携帯で拝見できます。
もうしわけありません。

  sweet-mikan☆mail.goo.ne.jp    ←☆マークを@マーク(半角)に変更して送信くださいませ。

2011/09/17

2011 9/17 教科書に書かれなかった幕末史 鉄道を造る

眠りについたのは明け方頃となり、ついに昨夜の九度山講談会の余波を引きずったままの朝日カルチャー「教科書に書かれない幕末史」となりました。
●鉄道を造る
鉄道は近代化の象徴~鉄道(イギリス)~原料や製品の輸送目的
1825(文政8 9/28)ストックトン-ダーリントン-ウィットパークの3つの炭鉱を結ぶ40Km
1830 マンチェスター-リバプールを開業~人間を運ぶ鉄道
1836 イギリスでの鉄道大成功 各国に続々と鉄道が引かれ始める。
日本では・・
長崎、プチャーチンが機関車の模型を持参してきた。
1854年 2回目のペリーも持参。このときにすでに鉄道の事に詳しい日本人がいたらしく所謂「鉄ちゃん第一号」である。
日本に鉄道を引く事にたいし反対意見も多くみられ、特に西郷さんは大反対。鉄道よりも軍隊を強化すべきとの意見。黒田清隆も事業中止を建白、大隈重信と険悪に。しかし洋行すると賛成派になった。
秘密留学生 (長州ふぁいぶ)の中の伊藤・井上勝が中心、中でも伊藤は明治2年2月に、大阪~神戸に鉄道をひくと早々に宣言。同12/5に三条実美、パークス、岩倉らが敷設を決定した。
大隈、伊藤が考えていたプランでは300万ポンドの大金が必要のためにホレシオ ネルソーレイと資金借用の契約を結んだが年12%と9%の差額を流用する事実が判明した為に首となった。
鉄道事業は工部省の担当(M10_10誕生)で、この省は近代工業推進の担当で鉱山、灯台、造船、土木等をおこなって民間に払い下げる方針。
慶応3年12月~小笠原長行(ながみち:幕府)、ポルトメン(米書記官:ペリーのオランダ語通訳官)の両名が担当となり、江戸~横浜間の敷設を許可していた。この契約内容は<5年以内に着手すること><3年以内に完成すること><機械類の輸入は無税>であるというもの。しかもこの鉄道を日本が買い取る場合は原価+50%を上乗せするという内容。
すなわち、幕府が考えた鉄道敷設は、アメリカまかせの契約であり、明治政府が考えた鉄道事業は外国人を雇い入れ敷設するという方針で双方の考え方に開きがあった。
明治2年1/11 横浜 東久世 通禧(みちとみ)が新政府に対し談判
明治2年2/10 旧幕府時代の話は無効であると通達する。
前島密(越後豪農の息子;郵政の父)
明治2年12月に民部省入り、鉄道事業に必要なお金を試算、鉄道憶測論により2,000万円と試算。
明治3年3月 新橋~横浜間 9/12に正式営業。 明治天皇参礼され開業式をおこなった。
明治5年5/7 品川~横浜間 外国技師により仮営業 1日2往復(50銭~1円50銭)
井上勝と外国技師とはたびたびに衝突。
がんこおやじ的な井上はナショナリズム的発送が強く、日本人だけの手で鉄道を造りたかった。
西日本では明治3年10/24に石屋川トンネルに着手する。石屋川は天井川のために川の下にトンネルを作ることにした。そして明治4年7月にトンネルが完成。このトンネルは昭和51年まで残っていた。
明治4年3月5日 イギリスより蒸気汽車が到着も、西日本の工事は非常に遅れており、これは強力な指導者がおらず東京からの連絡が早く回ってこないことに由来。それなら・・ということで鉄道寮を大阪に移転させる案がでたが山尾(長州ふぁいぶ)は中央集権が崩れるということで大反対。結果、上司の井上勝が辞職することとなる。
この事態に歯止めをかけることができる人物である伊藤博文は現在、岩倉使節団で不在。2ヵ月後に帰国、説得し鉄道守に据え一段落。
明治7年1月10日 鉄道寮は大阪に移る。
明治7年2月 井上が大阪に乗り込む。
明治7年5月11日 大阪-神戸間が竣工する。
AM6:55 神戸発梅田行きが一番列車。神戸の駅長は間島氏、梅田ステーション側の駅長はムトウマサアキ。高杉晋作の妹の夫で明治12年6月まで担当していた。
イギリスの鉄道は物資輸送で、民間主導で発達。日本は人を運ぶことを目的として国の
事業として発達。
日本の鉄道に寄与した井上勝は明治43年8月 ロンドンでたおれ享年68歳。鉄道事業に一生を尽くした。
東京駅丸の内には像が作られている。

さて、講座がおわり普段見ることができない映画の時間。
申し訳なかったのですが後ろの方に移動し2時間近く爆睡!
さすがに寝不足だったので、邪魔にならないよーにしてました。

その後、恒例の一坂先生を囲んでの飲み会は総勢10人。
幕末史ファンがこれだけ集まると話しが途切れることはありません。
なんとしゃべり続けて飲み続けて20時に散会となりました。

明日一日は、翌日からの入院生活の為に食事制限が始まります。
なので今夜のお料理はホントにおいしかったです。

2011 9/16 九度山講談会 裏話

午後14時、南左衛門さんの自宅前でご一門の方々と集合し九度山に向かって出発。
前回、九度山へ行った際には戦国鍋TVの録画で盛り上がりましたので、今回は、懐かしいDVD『真田太平記』の26話あたりからを再生。
ちょうど関ヶ原の戦いに破れ、九度山蟄居が始まるあたりになります。

大阪をひた走り2時間10分で九度山到着。
駐車場で、住民クラブ代表の阪井様がお出迎え下さっており一同感激!



あいにくの雨模様のなか真田いこい茶屋へ向かい、ご用意いただきました美味しいお蕎麦を頂戴して会場にむかいます。






開演2時間前
慌ただしく準備がおこなわれる様々な中で、このイベントにかける情熱を垣間見る事ができました。




会館入口に貼られている案内書きを初め、ステージの設営や名びら立て、音響にチラシ、受付の方々に到るまで一丸となってそのチームワークは素晴らしいものです。
沢山の九度山の皆様が、講談会の成功を祈って精一杯お世話をいただいています。


感謝の気持ちでいっぱいです!






開演1時間前
エレベーターが到着する度に沢山の方々が降りてこられます。
その顔は今日の講談への期待にあふれ、誰もが素朴で素敵な笑顔をされていました。
岸和田祭用に作成された鳥居商店様より提供いただいた団扇200本が早々に無くなり、会場がどんどん埋まって行きます。

開演10分前
司会の方の前説が開始。
講談を生で聴かれたことがある方はほんのわずかだとのこと。やはりこの真田幸村公の聖地の九度山で『難波戦記』を企画いただいてホントによかった。

終わったのは21時20分。大熱演のために大幅に時間を超過!

後片付けをしで22時過ぎに九度山を後にしました。
天候は小雨。

予定では和歌山IC経由の大回りを予定していましたが風吹き峠をぬけ、泉南に抜けるルートで帰阪。
南左衛門さん宅へは12時過ぎ。南斗さん宅へは12時30分過ぎ。
無事にお送りできて一安心で帰宅しました。

思えば半年以上前から色々とお声を掛けていただきようやく一つの事がおわりました。
きっとこれは終わりではなく、始りなのでしょうね♪

本当に皆様、ありがとうございました。

2011/09/16

2011 9/16  九度山講談会~日の本一の兵・真田幸村~ 第6回真田寄席 上方講談

九度山講談会~日の本一の兵・真田幸村~
第6回真田寄席 上方講談

平成23年9月16日(金) 19:00開演
九度山町ふるさとセンター 5階
まちおこし基金一口¥1,000で入場券1枚をお渡し。(当日券有り)
企画:九度山町住民クラブ
1)「真田大助駿府の使者(難波戦記)」旭堂南斗
2)「大助の初陣(難波戦記)」旭堂南舟
3)「徂徠豆腐(赤穂義士伝)」旭堂南左衛門
中入
4)「九度山の真田幸村(難波戦記)」旭堂南左衛門

《お問合せ》真田いこい茶屋 TEL 090-5906-7689
(営業:10:00~16:00 ※木曜日はお休み)










人とはいろんなご縁で繋がっているもの。まさに人生は因縁生起の連続なんだと思います。
幸村公と九度山があり、大阪の陣を大河ドラマにする会の発会式があり、そして東日本大震災による真田祭の中止を経て九度山住民クラブの方との出会いがあり今日の講談会に繋がりました。
単なる歴オタの私が抱いた素朴な疑問、「真田幸村公の思い出の場所の九度山の皆様は、難波戦記を聞いた事があるのかな?」からはじまったこの企画がこんな盛大に開催されたなんて夢のようです。
ご出演いただきました旭堂南左衛門さんをはじめご一門の南舟さん、南斗さん、そしてもみじさんも本当にありがとうございました。
また、運営面すべてをしてくださいました阪井様をはじめ役員の皆様、本当にありがとうございました。


旭堂南斗

なんだかとっても緊張されている様子。それでもたいしたもので、すぐにいつもの飄々とした調子に戻りました。九度山の到るところまで真田十勇姿が書かれており、夕方にいただいたコーヒーについていたミルク(スジャータ)にまで書かれていたくだりで会場が和み始め本題へ。

旭堂南舟
出囃しが流れ南舟さんの登場。その線の細さに会場には一瞬の沈黙が流れるものの、一声発するとその容姿とのギャップの無い、ほのぼのとした雰囲気が伝わったのかいつものようにマクラが滑り出しました。
この春に正式な前座となられ少しずつ口調や視線が変わって来ているように思えます。

旭堂南左衛門
出囃しが流れ万来の拍手の中でいよいよ登場です。
松本幸四郎先生のお話や史実・実録のお話で巧にお客の心を掴んで行かれネタに突入です。
出だしの『豆~腐~♪』ですでに拍手が起こり、皆さんはすでに話しの世界に引き込まれていると実感。ほろりとさせる世界観が伝わり、大きな拍手とともに中入りに入り、この時すでに20時40分。

開演少し前にお見えになられていた岡本町長さんを楽屋へご案内させていただき、わずかな時間となりましたが南左衛門さんとご歓談。

さて最後の演目「九度山の真田幸村」が始まります。
関ヶ原の戦いに負けて長い蟄居生活に入り不幸が襲う。父と妻の死によりすっかり様子が一変した幸村公でした…。
このあたりになると、熱心に聴かれているみんなに不安の色が感じられます。

これはきっと九度山に住まわれている方々からするとすごく身近な方のように感じておられるからなのでしょう。
そして様々なエピソードが続き話しはクライマックスへ。だれもが熱心に聴き入り、終わったと同時に万雷の拍手!講談の面白さを感じていただけた瞬間となりました。

このあと抽選会がおこなわれ、終わったのは21時20分。大熱演となりました。
舞台撤収をはじめ後片付けも手際よく九度山の皆さんのチームワークの良さにびっくり。
小雨の振る深夜…安全第一で帰阪するために、岩出から風吹峠を越え、泉南より高速に入り、無事に南左衛門をお送りした後、南斗さんもご自宅近くまでお送りし、興奮覚めやらぬ母と別れたのは0時をだいぶ越えた頃となりました。

色んなご縁が紡ぎ出した今回の九度山講談会。沢山の皆様のご尽力の賜物。
本当にありがとうございました。