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2012/04/21

2012 4/21 大石順教尼の漫画制作発表会

大石順教尼の漫画制作発表会
久しぶりの京都。さて、どの経路でも名神の京都南の渋滞は避けられないので早めに大阪を出発しました。
そのお陰で11時には会場付近に到着、ゆっくりとランチを頂くことが出来ました。
今日の会場は、京都国際マンガミュージアム。
今日は順教さんが亡くなられて90年目にあたるご縁日となるとのことで、日頃から、順教さんは亡くなるんなら21日と決めておられたそうで驚きです。
さて、ここは小学校の跡地を利用したそうで、なんだか妙な暖かさを感じる建物です。
私たち一行は受付を済ませ場内に入ると、九度山の岡本町長さんをはじめ遠方より多数お越しになっておられます。
不思議なものではじめての会場で、顔見知りの方が居られるとすごく安心した気持ちになれます。

さて、定刻になり式典がはじまりました。
司会の西出様より開演の言葉に続き、漫画制作委員長さんの大石哲史さまのご挨拶でした。
大石哲史さまは、順教さんのお孫さんにあたるそうで、なんども「ばぁちゃん・・」と呼びかけられ。また.。順教尼が亡くなられた日、ボーイスカウトでの行軍の最中であったその日のことを語ってくださったのが印象的でした。続いて、九度山町岡本町長さんのご挨拶では九度山と順教尼さんとのご縁のお話と九度山町の歴史と文化についての文化の部分を大石順教尼記念館の設立ということで熱く語られました。
次に大石雅美さんのお話です。この雅美さんのその心温まるお話を数々聞かせていただき、順教さんのそのお人柄がよくわかったそんな気がいたしました。とくに心にのこったのは、順教尼が自らの人生の中に引いた3本の線のお話で、それは赤の線~あの惨劇のあった日。金の線~ご結婚された日。 空の線~得度された日。
人生を大きく変えた3つの日お話でした。
パネルディスカッションでは、大石雅美さんの同級生であり、今回の漫画制作の要となった赤坂博さま(精華大学理事長)、そして作画をされた濱田麻衣子さんのお話では、涙で声が詰まる一場面があり、その思い入れが伝わってまいりました。
映画「天から見れば」の監督の入江富美子さんのお話では、映画のネタバレにならない程度の様々なエピソードをお話くださいました。そして最後には、九度山の記念館館長さんの萱野正巳さんのお話を頂戴、中でもお人柄がわかるエピソードがありました。正巳さんがまだ幼少であったころ防火水槽に居たぼうふらを見て「ぼうふらも蚊になるまでの浮き沈み」と詠まれたそう。そしてお話の中で「ぜひ講談に!」というありがたいお言葉を頂戴いたしました。



漫画の贈呈式を終え、マリンバ演奏にあわせた大石哲史さんの歌を拝聴。この曲は順教尼の14編の詩に印象的なモチーフを使ったメロディをつけたものをすごく叙情的に歌ってくださいました。
(こんにゃく座でオペラ歌手をされているとの事)
中でも私の心をぐっと締め付けたのは下記の詩。。。
船底の朱ぬりの枕に黒髪は血しおにぬれてまつわりつきぬ
くちに筆とりて書けよと教えたる鳥こそわが師にてありけり
祖母様はだるまのお手て神様に一つ貰えと初孫はいう
そして・・
落とされし双手を高野のきりふかきその奥つきの土にうずめん

第一部の最後にお礼の言葉を述べられたのは大石智教さん。順教さんの長男のお嫁さんにあたりますので
順教さんは姑さんにあたります。その語られた言葉のひとつひとつに敬愛の念が感じられ、拍手喝さいの中、終了いたしました。

第二部はドキュメンタリー映画「天から見れば」の上映会。
この主人公の南正文(日本画家)は順教さんが亡くなる2年前にその門を叩かれた最後のお弟子さんとのこと。
ある日突然背負ったあまりにも過酷なハンデで希望を失いかけたときに出会った順教尼に生きる道を教えていただいた方とのこと。
私はお蔭様で五体満足であるからそれぞれの有り難味に気がつく事は無く、もし両手がなくなったとしたら。
自分が生きている事は常に誰かのお世話になり続けることを意味し、そのあまりの心労に耐えられなくなることでしょう。「私の弟子になりたいのなら3つの約束をせよ」と言った順教尼の言葉に従った南さん。「できない事とやらない事は違う!」と、ついあきらめてしまう私の甘い心におもいっきり喝!をいれられてしまいました。
映画が終わり、その感動も醒めないままに入江監督さんや大石雅美さんにご挨拶をさせていただき京都を後にいたしました。


今日の様子は下記BLOGでも紹介されています。
環翠軒にて in九度山 大石順教尼記念館

最後になりましたが、関係者の皆様!本当に素晴らしい漫画ができましたねー。
もっともっと順教尼さんの心が浸透すれば、ステキな国になると信じています。
まずは私から。。頑張ります。
今日はホントにありがとうございました。素晴らしい一日になりました。

2012/04/18

2012 4/18 落語会でメモを取ることは、周りのお客様に迷惑になるから止めましょう!とのこと!

落語会でメモを取ることは、周りのお客様に迷惑になるから止めましょう!とのこと。

笑福亭たまさん
 メモをとる人がいると、周りの人が気が散ります。携帯鳴らす人がいると周りの人が迷惑です。周りの人もお金を払っています。また供給者と需給者はフィフティです。周りの方に迷惑と思われる方には「落語」を売らなくてええ=拒否できるのです← 法律的にも。

笑福亭たまさん
 本当に頭が悪いんでしょうね…私もキライです
桂米二さん
そうやそうや。何考えとんねん!
笑福亭銀瓶さん
 落語会の客席でメモをする方々にお聞きしたいのですが、…メモなんかせずに、記憶に残ることをブログに書けよ。アタマ悪いんか?


2012/04/15

2012 4/15 「第1回真田幸村と真田十勇士を物語る会」 ~「幸村の講談と歴史講話」& 茶話会



『第1回 真田幸村と十勇士を物語る会』~「幸村の講談と歴史講話」& 茶話会
開催日時  平成24年4月15日(日) 午後3時~5時30分頃
開催会場  真田庵

■旭堂南舟 般若寺の焼き討ち
■旭堂南左衛門 九度山の真田幸村
■北川 央 真田幸村~名将伝説の真相
■トークショー
■質疑応答

半月ぶりの九度山町です!
駐車場がほぼいっぱい!町屋の人形めぐりのイベントの成果のようでいたるところにMAPを片手にする様々な観光客をみかけました。本当にありがたいことです。
※写真:阪井さん(左)南左衛門さん(中)南舟さん(右)
今日の会場は真田親子が九度山で蟄居させられた場所にある善名称院真田庵で、一般の私がめったに本堂に入らせていただける機会など無い場所であるだけにもうわくわくしっぱなしでした。
受付で真田十勇士がプリントされているお茶とお菓子を頂戴した後、着席。見回すとざっとお客様は予定を少し超えた45人弱で満席感たっぷりの落ち着いた雰囲気のある会場。
さて、定刻となり、本日司会のかつらぎ商工会の坂上様が口火を切られいよいよ開始です。
まずは、住民クラブの代表の阪井様より今日の趣旨説明として九度山と幸村公・十勇士のつながりについてのお話と九度山にある幸村公つながりの名所の案内をいただいた後、旭堂南舟さんの講談がはじまります。
題名は般若寺の焼き討ち。何度か南舟さんで拝聴したお話で、これは家康が奈良の般若寺へ泊まったときに起こった焼き討ち事件で命からがら畿内を脱出する家康の描写が痛快なお話。時間的な成約からかマクラなくスッと入られました。
とたんにお客様の目が南舟さんに向けられどんどん話に吸い込まれてゆきます。

次はいよいよ旭堂南左衛門さんによる講談、九度山の真田幸村。今日は出囃子がなくなんとも雰囲気がでないかなーとおもいきやさすがに上手くメリハリをつけらえマクラから本題へ入られました。
この話は関が原の戦いで負けた西軍に加担した真田親子が信州上田城を出て九度山へ蟄居することに。そして年月が過ぎ去り父、妻、そして母もが亡くなった幸村、まるで魂が抜けたようになってしまう。その幸村の様子を聞いた家康は幸村の命を亡き者にせよという指令を紀州藩へ下す・・・。
途中色々とくすぐりを入れた後に話はどんどんと進み大喝采で終わりました。

さて、北川先生の講義のために出てこられましたがここで意外なことが。
通例講義は、着座してされるイメージがありましたがなんと、南左衛門さんらが講談をされた講釈台にレジメを広げられ爆笑。いっきに会場の空気が和みます。
資料を読まれる北川先生の口調がなんとなく講談風にww

講義内容は真田幸村公には名将である話が沢山あるがその真偽についての解説となりました。
特に多くの方が疑問視しているのが家康の死についてで、家康は本当は早くに亡くなっていて影武者がいたのでは?そのあたりをレジメに沿って話を広げてゆかれます。
堺市にある南宗寺さんにある家康の墓についての疑問は『南宗寺・東照宮徳川家康墓再興由緒碑碑文』の解説をいただきました。この碑を再興したのは水戸徳川家初代家老の三木仁兵衛之次子孫の三木啓次郎さん。
碑文によると再興の顧問は国務大臣 塚原俊郎氏、松下幸之助氏ら。この三木啓次郎さんと松下幸之助さんの意外な関係にはホントに驚きました。
このお二人の関係は水戸黄門のスポンサー、浅草寺の雷門、四天王寺の西門、そして南宗寺のお墓があげられます。

そしてこの由来が『大阪府全志』(大正11年)・『平野郷町誌』(昭和6年)・『ひらののオモロイ話』(平成元年)・『竹淵郷社縁起』・『堺市』第3巻(昭和5年)・鬼塚五十一『夏の陣以降の家康は影武者?』(昭和63年)を引用。
歴史はいろんな要素で書き換わったり置き換わったり。とても興味深いお話の数々。
大阪の陣が終わった1614年。以降執拗な残党狩りが続く。当然豊臣の家臣であったものと、家康に刃を向けた浪人との扱いが違うのは当然のことながらいつまでも豊臣の再興や反乱を恐れたのも無理は無い。それは1637年の島原の乱なで続く。それから年月が経ち<武士道>というイデオロギーの確立、それにつれA級先般であっあ者たちが次々と時代のヒーローとなる時代となりこれが。幸村公の人気へとつながっている。よく『日ノ本一』という言い回しがされるがこれは薩藩旧記に頻繁に見られるそうで通例の比喩であるとのこと。また爆笑を生んだのは旭堂南海さんらがおこなっている『関西勝手に世界遺産』の話!( http://www.asahi.com/kansai/travel/kansaiisan/ )
大喝采を浴びて終わりました。で最後に北川先生いわく・・こんなに長いこと正座して講義したん初めてや!とのことww

さて、ここで真田庵庵主さんより美味しいお茶とお団子と差し入れがありました。
このお茶が美味しいこと!
舞台の設営がかわり北川先生と南左衛門さんの対談がはじまりました。

うまく話しをリードする南左衛門さんに絶妙なタイミングで解説される北川先生。
お二人が初対面だとは思えないくらい、息がピッタリ。質疑応答も終わり無事終演となりました。
後片付けの後、関係者みんなで幸村庵へお蕎麦食べに行きました。
そこには意外な方がww
『●●さん(私の苗字)、誰かわかってへんやろ!』って・・えぇぇ?岡本町長さんと娘さん夫婦がプライベートで
見えられていてびっくりww岡本町長さん!スーツ姿もカッコいいけどスポーティーな服装もかっこいいですp(*^^*)
 ここでまた先ほどのトークショーの続きのような話が繰り広げられもう関心したり笑ったりであっというまに時間が過ぎ去り九度山を後にしました。

今回のイベント開催のご尽力いただきました九度山町住民クラブの皆様、また会場をご提供くださいました庵主さん、そしてご出演いただきました北川先生、南左衛門さん、南舟さん、会場設営や撤去、運営全般いただきました皆様、そしてお越しくださいました皆様、本当にありがとうございました。

2012/04/13

2012 04/13 嬉しいお知らせ<笑福亭松喬試運転の会>開催情報

嬉しいお知らせが届きました。
<笑福亭松喬試運転の会>が開催されるとのこと。
 
私の毎年恒例の行事は1/1の午後から催される一心寺亭。
で、トリで登場される松喬さんのお話で目一杯わらって一年が始まります。
 
一昨年も・・・去年も・・・そして今年は体調を崩されて入院されたということで代演となり残念でした。
 
それから数ヶ月・・松喬さんのBLOGでの闘病日記を拝見していつも気を揉んでついにこの日がやってきました。
 
ぜったいに見に行きます^^
で、いっぱい笑って、松喬さんのあの悪戯坊主のような笑顔を見に行きますねー^^
 
 
笑福亭松喬試運転の会 H24/4/28(土)
大阪市立こども文化センター 14:00~ ¥2,000

2012/04/08

2012 4/8 物入りな春

先月の27日にいきなりスマホに買い換えました。

コレって便利ですねー♪

冷やかしのつもりでたまたまドコモショップの前を通りかかったら
期末ならではのびっくりサービス中で・・詳しく書けなくて残念だけど
たぶん私・・むっちゃお買い得だったかもww。

スマホはお仕事のメールが送受信できたり、いろんなサイトを見たり・・
ちっちゃーいパソコンとおんなじです。
昨年、7インチでQWERTYキーのついているAndoroidを買ったのですぐに慣れたけど、たけど
携帯とおんなじように考えている方がぽっと買ったら・・まぁ・・無理でしょうww


スマホは落としたら間違いなく壊れるだろうしいっつも充電具合を気にしなきゃだめだしと、
良い点ばかりじゃ無いってことですねー(;^ω^)


で、スマホに一息ついたら今度は私の自宅のパソコンがついに立ち上がらなくなって
あわてて買いに行きました。
某日本橋の店の前に車を横付けして、「これ、くださいなー♪」って感じで
わずか10分ほどでえらんで買って帰りました。

で・・余裕のある深夜にセットアップ♪で・・気がついた。。
これってWINDOWS7の64bit版やんwwえらいこっちゃwwソフトがないww


エクセルもワードもフォトショもイラレもウイバーも・・・なぁんも無い。。

このお金の無いときにぃぃ(-_-、)グスン。

2012/03/30

2012 3/30 第7回真田寄席 旭堂南左衛門講談会

2012年 3月30(金) 第7回真田寄席 旭堂南左衛門講談会

夜7時 開演(6 時開場)
難波戦記・般若寺の焼き討ち : 旭堂南舟
関ヶ原戦記・荒大名の茶の湯    :旭堂南左衛門
難波戦記・真田幸村の槍ずりの鎧 :旭堂南左衛門
九度山町役場隣接九度山町ふるさとセンター5階

まちおこし基金 一口1,000 円 で入場券1 枚をお渡しします。(当日券あり)
企画:九度山町住民クラブ TEL 0736(54)2165

《お問合せ先》
真田いこい茶屋 TEL 090-5906-7689(営業10:00~16:00、但し木曜日は休み)
「町家の人形めぐり」 ホームページ
http://www.k-matsu.com/kudoyama/


昨年の秋に初めて九度山で公演して以来、半年で今回の公演となりました。
ありがたいことで、嬉しい限りです。
 
17時に幸村庵にて、美味しいお蕎麦を頂戴しながら、住民クラブの阪井様、金剛峰寺にお勤めの木村様、そして大石順教尼かなりや会の顧問であり保存会の会長様の萱野様とお会いさせていただき、いろんな楽しいお話しを聞かせていただきました。
さて、夕食を終え、18時前に会場入り。
この時間が一番プレッシャーで、お客様が少なかったらどうしよう・・・と・・つい考えてしまいますが
まったくの杞憂で、 今回、用意いただいた座席は約300席弱。これが大半埋まる盛況な会となりました。開演が迫るとともに客席がどんどん埋まり、講談への期待が私にも伝わってきます。

定刻になり出囃子が流れ旭堂南舟さんの登場です。
マクラは東京でのお蕎麦のお話を柱に、飄々とした雰囲気を醸し出し、これが客席のムードを和らげて行きます。演目は【般若寺の焼き討ち】。何度か聞いたことがありますが、お客様の反応がよく、私も楽しませていただけました。

そして、旭堂南左衛門さんの登場です。
万来の拍手に包まれ軽妙な口調でマクラが進み、がっちりとお客様のハートを掴んで行かれます。
さて、演目は荒大名の茶の湯 。ほとんどの方々は初めて聞く滑稽物の講談であったとおもいますが
私の周りのかたはみなさん、涙を流し肩を震わせ、手を叩きながらながら笑ってられました。

約10分の中入の後、再度、南左衛門さんの登場です。

おまちかねの難波戦記の中から、真田幸村の槍ずりの鎧。
真田幸村公が家康をあと少しのところまで追い詰める講談に、観客の心が一つになってゆきエンディング!拍手喝采でおわりました。
さて、あとはお楽しみ抽選会では、南左衛門さんにはたくさんの景品を提供いただき、すべて終了したのは21時でした。


お世話をいただきました住民クラブの方々に見送っていただき九度山を後にしました。
次回は4月15日、真田庵にて行われる〔真田十勇士を語る会〕となります。

本当に今回の開催にご尽力を頂きました皆様をはじめ、運営、設営などしてくださいました方々に心より御礼申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。