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2013/05/17

2013 5/19 サービスに関する所感  鳥貴族

先日、鳥貴族の社長さんがテレビ出演されていました。

 
社長さんが話されていた鳥貴族のうぬぼれをはじめ、専務さんの事等
様々な方針に感動!ステキなお店なんだなーって
おもってぜひ行ってみたいって!


で、やっと念願がかなって5月10日の夜に柏原店を予約していってきました。
清潔な店内、元気の良い店員さん、美味しいお料理でしかもお安いので
会話もはずみ、ついつい長居してしまいました。
とにかく素晴らしいお店でもう嬉しくて嬉しくて!

 
で、こんな良いお店なんだからと、18日の夜に地元大阪市内の鳥貴族〇〇〇店へ。
19:30にということで、事前に電話で予約して行ったまでは良かったのですが、
おもいっきり後悔しました。

 注文違いが連発。
よっぽど忙しかったのかお店のなかはドタバタ!


オーダーを取りに来てくれないし、呼び出しを押しても
3回連続で見事にスルー!呼び出しランプって一定時間で消えるのかな?
また、私だけ飲み物が無いままに放置プレー!

柏原店なら、気を配ってくださって声をかけてくれたよ。

奥まった座席じゃないんだし通路側の席だから見えるのに。

速攻ででてくるスピードメニュー料理も出てこないしさ、
ステキなお店だからと連れて行った家族もがっかり。。

いっこうにオーダーしたのが来ないくせに
他の席のオーダー分が届いたり。。

で・・やっちゃダメなんだろうけれど2回目までのミスには我慢したけど
3回目のミスがあった時にキレちゃいました。。。。

あぁぁ。。。せっかくネコかぶっていたのに。。

充分なサービスができないんだったら、予約を取らなかった良いのに。
無理して予約をうけたばかりに信用や信頼を失墜させることになるんだからさ。

それにしても素晴らしい社長さんの鳥貴族だけど
支店ごとにサービスの質にばらつきがあるんですね。

2013/05/12

2013 5/12 泰聖寺講談会 ~旭堂南左衛門一門会

泰聖寺講談会が開催されました。
今日はおもいっきり好天に恵まれ、会場は満席!
本当にありがたいもので時代は講談!って感じです。



 

 
とくに今日は私の大好きな難波戦記特集。
大阪夏の陣と大阪城落城という悲しい歴史ではありますが
真田幸村公が大活躍される講談はホントにロマンがあります。


定刻少し前にご住職さんよりご挨拶をいただきました。
当麻曼荼羅のお話で、泰聖寺の宗派の西山聖人様との所以をお話しくださいました。

 
「関東軍総敗軍」旭堂 南斗
イキイキと語られる南斗さんの講談。

 
 「大助の初陣」旭堂 南舟
5月5日に九度山の真田祭に行かれたとの事。
幸村庵の宣伝も含めて、もっともっと九度山がメジャーになりますように。

 
「幸村の入城」旭堂 南青
冒頭からぐっとお客様の心をつかむ南青さん!
父や妻を亡くした為にすっかり落胆した幸村公と、実はその姿は世を忍ぶ姿であったその対比が
見事でまるでドラマを見ているようでした。

 
「般若寺の焼討」旭堂 南左衛門
徹底的に苦しめられる徳川家康。
演者さんによって講談ってこうも違うものなのですね。
納得の迫力でした! 

今日の終演後に、お客様をご紹介いただきました。
その中に萩市よりお見えいただいた方や、東京からの方もおられました。
もっともっと講談がメジャーになりますように祈っています。
 

2013/05/06

2013 5/6  落書き

みかんの落書き> でお見せしたお蜜柑へのイラストが今度は木工のニャンコの
顔になりましたww きもかわいい感じの左と愛らしい右ニャンコ。
書いてくださったのは【ねむねむや】のオーナーのmine(みね)さん
 
 
 
 
 
実際にねむねむやさんでいろんなグッズを買ってくださったかたの
パソコンの上に飾られているようです。
 


2013/05/05

2013 5/5 わつか市 【宇口農園】【ねむねむや】

5月5日のわつか市では初参加の【ねむねむや】さんとお馴染みの【宇口農園】さんのお手伝いに入りました。

朝7:45に四天王寺さんに到着!すでに会場は設営で大忙しの様子。

実は朝いちばんからの設営は初めてで、【ねむねむや】さん用のこの日の為に買ったテントやテーブルがうまく建てられるか心配でしたww。

 

それでもなんとか設営完了!無事開店できました。



 
 
で、開店してしまえば私は楽なもので【ねむねむや】さんのオーナの方にお任せしてふらりふらりといろんなお店を見て回り

衝動買いばっかりしてました。

 

今回はなんといっても好天に恵まれたおかげで宇口農園さんの甘夏ジュースの美味しいこと!

爽やかな酸味でシャキ!っと気持ちが引き締まります。 

わつか市の魅力っていろんな個性豊かなオーナーさんと直接お話ができることに尽きますよね。

 

商品への愛情やこだわりがあって、また無から有を生み出すオーナーさんってみんなステキです。

私もなにかできたら良いんだけどなー。

2013/05/04

2013 5/4 九度山  第20回真田祭 




毎年必ず訪れている九度山の真田祭。
例年は5/5なのですが、今年は四天王寺さんで開催されるわつか市への参加のために
今日の参加になりました。

なんとか定刻の10時前に到着。

開会式では岡本町長さんのなんとも明るい笑顔と元気さがとても心地よく
舞台から手を振ってくださいました。
感激です^^

九度山に行くたびに、町が元気になっていると感じます!

今回は初登場!真田鉄砲隊!

初めて聞いた火縄銃、短筒、そして大筒の銃砲!
それは大迫力で、また皆様のその勇壮な兜姿に感動しました。

そんな鉄砲隊のデビューに立ち会えた事ってすごくありがたいことだって感じました。

2013/04/22

2013 4/22  みかんの落書き



この落書きの作者のお店が5月5日のわつか市に出店決定! なんともほのぼのとしたキャラクターのポストカードやトートバック等がお目見え予定です。。 私も今回はみかん屋さんではなく、この方のお店【ねむねむや。】のお手伝いに入るつもりです!

2013/04/21

2013 04/21 新鮮野菜&手作り市 ファーマーズ朝採りマーケットin豊崎神社


宇口農園初参加の【新鮮野菜&手作り市 ファーマーズ朝採りマーケットin豊崎神社】です。

当日は早朝まで雨模様でしたがなんとか開始の9時には時折晴れ間の見えるようなお天気となりましたが4月半ばとは思えないくらいの寒さには閉口しました。

今回は人手が足りないということも無いことから、私的には販売員ではなくたんなる賑やかしな存在でした。

 どうしても商品供給が乏しくなる春夏シーズンはとっても大変です!

それでもちゃんと将来的なことまで見据えて計画されている農場主さんはすごいです^^


11時からは阪大「せせくらせ」の皆様による人形劇がありました。
 久しぶりにみた人形劇!とっても新鮮でした♪

子供たちの真剣な眼差し!
条件の悪い野外での人形劇なので、色々と工夫が必要ですがきっと場数を熟してがんばればもっともっと素敵になれえると思います!

がんばってくださいね!

2013/04/20

2013 4/20 歴史と人間 幕末編 長井雅楽

今日の歴史と人間~幕末編の人物は『長井雅楽』。幕末を語るうえで欠かせない人物の一人だけれど実際はよくわかっていない。

歴史関連の書籍でも有名な『航海遠略策』を考えた人だが藩の方針が変更となって切腹させられた程度の知識でした。
 で、今日の一坂先生の講義ではホントにびっくり!長井雅楽さんの人物像がぼんやりだけど見えてきた気がしました。


文政2年5月1日(1819年6月22日)の松本村(中ノ倉)生まれで300石取りの家系。
諱は時庸(ときつね)、雅楽以外にも隼人や右近という名前があった。

長州藩の組織は【一門】【永世家老】【寄組】【大組(八組)】があり、長井や高杉、また周布政之助さんや井上馨も八組出身。長州藩はすぐれた人材で才能があればどんどんと取り立てる実力主義で、8つの組に分かれており、平生は江戸の江戸藩邸や萩の城を警護。また有事の際は藩主のそばを守る馬廻役となる。

 さて、この長井さんはとっても優秀な方で、1837年(天保7年)毛利慶親(敬親)の小姓役で、今でいう秘書のお仕事をする。
1850年(嘉永3年)には奥番頭格(藩の副大臣)
 
 藩主の跡継ぎとして<ろくのじょう>(12歳)⇒の教育係として長井と高杉小忠太が任命。
定広 元徳となる。

さて、桜田門外の変で井伊大老がなくなった後、幕府のかじ取りをしていたのが老中の安藤信正と老中の久世広周の打ち出した公武一和。和宮降嫁の件があって
文久元年(1861 3/28)中央政府へ乗りこもうとする毛利家をうまく利用しようとする幕府にも狙いがあった。

長州藩を含め幕府の中も大変な時に藩是を決めることに。その際に長井雅楽が出した建議書の【航海遠略策】をベースとして、周布政之助さんが清書し、決議案とし、これを藩の意見として定めた。
※決議案と建議書は微妙に内容が違っているのに注意!


 藩主の毛利慶親よりこの内容でまず幕府を説得するための根回し(周旋)するために江戸に行くるように指示される。
 
ところがなぜか長井さんは、5/15には途中の京都へ立ち寄り、正親町三条実愛さん(おおぎまちさんじょうさねなる)に会い、藩是を説明した。
このこの内容は藩是の方ではなく、自分が考えた建議書の方だった。

正親町三条実愛さんは賛同し、ぜひ書面にして提出するように言われたために建議書の末尾に自分の署名(陪臣大江時庸(ときつね)謹上)を行い自分の意見であることを記した。この内容が公明天皇のもとにも届き賛同を得た結果、食器と扇7本等を拝領!(これはオフィシャルな意見ではなくあくまでも天皇個人の見解であったことに注意!)
これにより、天皇は鎖国にこだわっているのではない!と実感!

この一見でおそらく長井は有頂天だったろう!

江戸へ向かう長井雅楽。
実はこの時にこの建議書が色々と流出。。。攘夷派をおもいっきり刺激していたことを本人は知らない。。
 
 
7/2には久世広周へ面談をし説明!続いて安藤信正へも説明!
幕府側も朝廷とおなじように好感触!
さっそく8/28に萩へ戻り毛利慶親さんの江戸行きをお伝えせねばと急いだ。

 9/16には参勤交代で藩主が江戸へ向かうことに。ところが途中で病気となり保養をすることに。

10/1には長井は江戸へ向かい10/24に到着。

12/8に幕府へ建議書を提出しOKを得てさっそく12/30に藩主へ報告。

文久2年1/15には京都へ向い朝廷のOKをもらうことにする。

ところが・・・・坂下門外の変がおこり、安藤信正が襲われるという事件が起こる。
3/19には朝廷へ提出。この時には自分の署名「陪臣大江時庸(ときつね)謹上」の無いバージョンを提出。

ところがすでに流出している資料で薩摩や攘夷派はすでに激怒状態!

4/5にはあの久坂玄随さんも状況!長井を斬る!と息巻いている!

4/14には長井は江戸へ向かう。
4/27には久坂が反対の書を出す!

そして時代は動いてゆき幕府や朝廷の意見をひっくり返してしまった。
朝廷へ提出してわずか40日だった。

6/18には長井は萩へ帰国。翌年2/6には切腹(45歳)となった。

長井が自分の意見ではなく、藩の決定版の意見を出していたのなら切腹にはならなかったのでしょう。彼は3回の建議書を提出している。
その相違点は

1.天皇の意思を第一に考える事
2.条約を認めていないこと
3.違勅~幕府が締結した条約は天皇が望んでいないこと
4.有志あるものは幕府に怒っていること
5.戦う道もあること

そして長州藩は【君臣湊川 奉勅攘夷】へと方向を転換していくことになってゆく。