1614年(慶長19年)12月。
いったん、徳川方と和議が成立。しかし家康は密かに豊臣を攻撃するチャンスを待つ。
そしてついに2回目の大坂での戦いが勃発。
すでに堀は埋め立てられておりこの戦いは圧倒的に不利な豊臣側。勇敢に様々な箇所で戦いが繰り広げられてゆく。
樫井川、道明寺の戦い、八尾・若江合戦、を経てついに最終決戦へと繋がる天王寺・岡山合戦が繰り広げられてゆく。
そしてついに5月7日の深夜、大坂城が炎上し大坂の陣が終結し、いまから396年前の今日、大坂城落城した。そんな日の講談会。難波戦記特集でした。
定刻になりご住職さんより、坂田三吉さんツアーの告知がありました。
坂田三吉氏は生誕140周年。この泰聖寺さんの境内にある金龍水の井戸で妻のこゆうさんがお百度を踏んだというご由来のあるお寺のご縁があります。毎週土曜日AM9:30~開催。ご興味のある方は TEL072-247-8280 NPO法人ヒューマン・ライツ・アドバンス・堺へお問い合わせください。
また、今月5/28には一斉ロードショーで手塚治虫氏の「ブッダ」が公開になります。これは多分見に言うかもしれません^^
前講 白夜亭一林 「般若寺の焼き討ち」
大阪の陣が勃発、暗がり峠を越えて大坂入りの予定の家康の今夜の宿は般若寺。夜中に厠で行った時に物置から登る火の粉を目撃。なんと薄田隼人兼相(すすきだはやとかねすけ)の登場で逃げ出す家康。般若坂でついに落馬し絶体絶命の大ピンチ。そこに現れたのが徳川家康の重臣・本多忠勝の息子の本田忠朝(ほんだただとも:一心寺のお墓があります。)薄田隼人兼相との一騎打ちが始まる。この隙に這いつくばって逃げる家康は、乞食のえいじゅんにおんぶされ脱出に成功。ようやく奈良の町の桶屋職人の三衛門のお尻の下にある木屑を入れる箱の中に身を隠し仲間が来るのをひたすら待ち続け・・そこに現れたのが真田幸村公・・さて家康はどうなるのか。。。
旭堂 南斗 「大助駿府の使者」
独特の味のある南斗さん、マクラでは学生時代に自分と同じ風貌の人と出会ったお話。たしかに・・気色悪いですよね。
大坂の陣では真田兄は徳川方、弟は豊臣方へついていたのは有名な話。
家康はなんとか幸村公を仲間にしたい。そこで兄の真田信之公に弟を仲間にするように命令する。実はこれは狙いは幸村公は仲間を裏切るかもしれないという流言の計を狙った家康の計略だった。
見抜いた幸村公は息子の大助を家康に会わせるように準備をしひそかに暗殺を企てる・・。
旭堂 南舟 「霧隠才蔵」
霧隠才蔵はイケメンだったらしい。南舟さん曰く、向井理さん風とのこと。
関ヶ原の戦いに負けた西軍。その戦いに加わっていた昌幸公・幸村公は高野山に蟄居することとなる。そのための資金調達で奉願帳をまわすことに。筆頭には福島正則3000両、2番手には黒田公が3000両と、大金をもって九度山へ。この九度山での生活は大変厳しいもので父と、妻を亡くしてしまい幸村公は落胆もはなはだしくまるで「あほ」のようになってしまう。その様子を知った家康公は、幸村公の狙いを悟ってしまう。今のうちに幸村公を始末せよと指令を出し、紀州のおかかえ忍者の山本九衛兵を差し向けることに。家康の予感は的中。昼間は「あほ」のような姿を見せておき、夜になると大助とともに大坂城の見取り図で研究をしていた・・・。
その様子を知った山本九衛兵は・・・。関ヶ原の戦いに負けた西軍。その戦いに加わっていた昌幸公・幸村公は高野山に蟄居することとなる。そのための資金調達で奉願帳をまわすことに。筆頭には福島正則3000両、2番手には黒田公が3000両と、大金をもって九度山へ。この九度山での生活は大変厳しいもので父と、妻を亡くしてしまい幸村公は落胆もはなはだしくまるで「あほ」のようになってしまう。その様子を知った家康公は、幸村公の狙いを悟ってしまう。今のうちに幸村公を始末せよと指令を出し、紀州のおかかえ忍者の山本九衛兵を差し向けることに。家康の予感は的中。昼間は「あほ」のような姿を見せておき、夜になると大助とともに大坂城の見取り図で研究をしていた・・・。
旭堂南左衛門 「槍摺りの鎧」
冬の陣が今にも始まろうとしている前日、穴山小助と二人でみさき舟に乗り南へ行く幸村公。狙いは家康の暗殺であった。
住吉に本陣を置く家康はそれぞれの陣を見て回る途中に偶然にも旗が折れたことで良くないことがおこることを知る。その身代わりで、穴山小助が放った短筒で米倉泉守が胸を打ちぬかれてしまい、九死に一生を得る。そんな事があったのだから見回りは中止すればいいのに無理に決行したばかりに、次から次へと襲いかかる豊臣勢にもはやこれまで・・・身を隠した場所に槍を突き立てる幸村。切っ先が家康の鎧を肩口を3度かすめる・・・。そんなときに現れたのは・・・。
さて、この会が終わったあとは、来場者の皆さんも交えてのお茶会。実際はビールも日本酒もありましたが、残念・・私・・車なんです(T.T)
また今日のお客様の中に信州上田からこられた方がおられまして、その方々のお話にあった下記のお写真を掲載しておきます^^
2008/10/10 上田城友好城郭。堅く握手をする平松市長さんと母袋市長さんとOSK日本歌劇団の桜花昇ぼるさん。
しかし・・まぁ・・・当分、私の歴史オタ+講談熱!治まりそうにありません^^
冬の陣が今にも始まろうとしている前日、穴山小助と二人でみさき舟に乗り南へ行く幸村公。狙いは家康の暗殺であった。
住吉に本陣を置く家康はそれぞれの陣を見て回る途中に偶然にも旗が折れたことで良くないことがおこることを知る。その身代わりで、穴山小助が放った短筒で米倉泉守が胸を打ちぬかれてしまい、九死に一生を得る。そんな事があったのだから見回りは中止すればいいのに無理に決行したばかりに、次から次へと襲いかかる豊臣勢にもはやこれまで・・・身を隠した場所に槍を突き立てる幸村。切っ先が家康の鎧を肩口を3度かすめる・・・。そんなときに現れたのは・・・。
さて、この会が終わったあとは、来場者の皆さんも交えてのお茶会。実際はビールも日本酒もありましたが、残念・・私・・車なんです(T.T)
また今日のお客様の中に信州上田からこられた方がおられまして、その方々のお話にあった下記のお写真を掲載しておきます^^
2008/10/10 上田城友好城郭。堅く握手をする平松市長さんと母袋市長さんとOSK日本歌劇団の桜花昇ぼるさん。
2009/12/20 豊国神社に幸村桜の植樹。九度山町の岡本町長さん、上田市の母袋市長さん、OSK日本歌劇団の桜花昇ぼるさんらご関係者のみなさん。
しかし・・まぁ・・・当分、私の歴史オタ+講談熱!治まりそうにありません^^