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2016/09/20

2016 9/20 仰げば尊し

TBS日曜劇場「仰げば尊し」。


http://www.tbs.co.jp/aogeba-toutoshi/


http://www.tbs.co.jp/aogeba-toutoshi/

一つの目標に向かってみんなで進んで行くもいろんな障害が行く手を阻む。それでも
友情や努力で乗り越えて行く。。そんなよくあるドラマだけれど見逃せないのです。

私のBLOGの読者さんでまさか吹奏楽関係の方はいないと思うから書いちゃうけど、
ドラマでよく使われているセリフ「心が音楽を作る」っていうのは間違いじゃないんですよね。

ホントふしぎなんだけどお互いが思いやりの心をもつと、ピッチも合うしブレスの位置があうと
細かなパッセージもピッタリあってきます。

木管楽器なら運指が揃い、金管楽器なら音終いが揃ってきます。

吹き始めが揃うのは当然、難しいのは音の終わりを合わせること。

これは友情という名の以心伝心力がないと無理。。

そして初心者にありがちな「私の音を聞いて!」じゃなくってまずは同じセクションの音を聴いて、そして全体の音を聴くように心がけると不思議なようにダイナミクスの調整が身についてきます。

一人一人がほんの少しのクレッシェンドをするとバランスの良い響きのままで抑揚がコントロールできます。

吹奏楽の楽しさって不思議。

緻密な織物のような音を紡ぎあう喜び、みんなの心が一つになってそれが観客の拍手ですべてが
報われる事が喜びになるのでしょうね。

パートごとにいがみ合っていたり、妙に気の合う方がいたり。
良くない先輩がいたり。。

懐かしい・・吹奏楽に熱中していた頃をふと思い出しました。

2016/09/18

2016 9/18 2016年NHK大河ドラマ特別展真田丸

真田丸の演出には本当に驚かされました。

戦国の世の大きな転機となる【本能寺の変】のナレーションでサラリと表現し、そして今回の【関ケ原の戦い】です。
石田治部「いよいよだな」

大谷刑部「いよいよだ」


そして9/18の回で大谷刑部の切腹と三成の処刑を回想として入れてきました。

石田三成の処刑の前の柿のエピソードと大谷刑部の切腹前に小早川秀秋に対する恨みの言葉は割愛。

それでも十分な悲哀さが伝わってきました。

また 真田信之への改名の口惜しさや九度山への流罪に対する諦めの心が痛いほど感じることができました。

原作や演出の良さ、そして演じる俳優陣の解釈、スタッフの情熱等が一丸となった大変見ごたえのある名作の大河ドラマでしょう。

昨日、大阪歴史博物館で開催されている「2016年NHK大河ドラマ特別展真田丸」へいってまりいました。

超大入り満員!このドラマの人気の高さが本当によくわかりました!


2016/09/11

20160912 ウッディパル余呉&関ケ原



毎年9月の第二週目は家族で余呉へアウトドア。今年で4年目のイベントです。

おかげ様で台風の影響も全くなく快晴の2日間となりました。


今年は【真田丸】のおかげで湖北&湖東はいろんなイベントがいっぱい。

待ち合わせ場所の米原周辺で開催されていました【MEETS三成】の
米原会場となっている【観音寺本坊】へ行ってまいりました。




この観音寺さんは秀吉と三成が出会うあの有名なエピソードの三献の茶の舞台となったお寺との事。
天台宗の始祖最澄さん座像をお祀りしておられました。
また、会場では三成の様々なエピソードや人柄を紹介するパネルがあり 小さいながらもとてもよく纏まったイベントでした。



玉虫めっけ!







買い出しをすませ恒例の【ウッディパル余呉】でとても楽しい一夜となりました。



 さて、翌日は関ケ原へ移動です! 余呉から関ケ原までは1時間程度。
まず【関ケ原ウォーランド】へ到着。





戦国武将と力比べ!




 関ケ原町歴史民俗資料館 建物の前が【徳川家康の最後の陣地跡】で広大な芝生の広場となっていました。



実は15年ほど前に関ケ原を訪れた時よりもすべてが整備、観光地化され1600年9月15日に起こった 最大の惨劇がわかりやすくなっているようです。 家族連れや歴女等々いろんな方々が熱心にパネルや展示物を見ていました。
きっかけはなんでも良い、史実を学ぶことの大切さを分かってほしい。そんな気持ちでいっぱいです。


さて、東京より参加してくださった子供たちを米原まで送った後、ぜひ行ってみたかった場所。 【大谷吉継の首塚】です。 





真田丸では片岡愛之助が演じる大谷吉継。

 関ケ原の戦いで唯一自陣した武将で、石田三成を支え続けた本当の知将。 あの戦いの戦略を立てたといわれる大谷吉継。東軍を包囲し完全に西軍の勝利であるはずが小早川秀秋の裏切りがきっかけで 作戦がほころび始めついに西軍の敗北を悟った大谷吉継が湯浅五助の介錯で自刃。甥の僧・祐玄が敵に首を渡さないために 錦の袋に入れて、敦賀の逃亡の途中埋め隠したそうです。 田んぼや畑の真ん中にポツンとある小さな半間の祠ですがとても丁寧にお祀りされていたのが印象的でした。