「アフィリエイト広告を利用しています」

yahoo2

2016/12/03

2016 12/3 王将  1948年公開映画

StarWars見たさに加入したWOWWOW。

録画した「王将」を鑑賞。主演は坂東妻三郎さん。


舞台は初代通天閣の見える天王寺が舞台。
極貧長屋が連なる通りからは初代通天閣の「ライオン歯磨」や長屋の入り口にある看板の「仁丹」の広告が見える。

昔の大阪天王寺の風景が映画から見て取れます。

街中を縦横無尽に走る市電。ちんどん屋とともに看板を背負って練り歩く少女たち。
手作りの櫓で盆踊りの準備・・。そして土手を走る市電。

そんな中で、坂田三吉さんは、将棋大会に出場するために仏壇や娘の大切な着物を質入れするくらいの将棋狂。

プロVSアマの戦いではじめて関根棋士と対戦するもはじめて知る「千日手」で負けたことをきっかけにプロへの転向を決意。

家業のわらじ作りや女房や娘の自殺未遂事件、そして失明の危機からも乗り越えて手にした関根棋士との対決。

明らかに負けかけていた三吉の妙手「二五銀」で大逆転で勝利を手にするもその祝勝会で娘に言われたキツイ一言。

「勝負には勝てても将棋にはかてへん」「そんな将棋は雲助将棋や」
怒り狂う三吉が自分の顔を鏡でみてしまう。そこには鬼のような形相を見る。


宿敵関根棋士との度重なる戦いでついに勝利を手にするも東京将棋界が名人の称号を
関根に与えることになるが、三吉は「はぁ、将棋盤と相談してみます」とのなんとも言えない返事。

名人は一人でいい。

坂田は東京で開催された関根棋士の名人襲名の祝賀会を訪ねそして祝いの言葉を述べたその時に1本の電話がかかってくる・・・・・・。


ここからは涙なくしては見れませんでした。


この映画は1948年公開。坂田三吉氏が亡くなったのは1946年だから亡くなられてわずか3年後に公開されたことになります。
そして西條八十作詞の王将を村田英雄が歌ったのは昭和36年。
昭和37年(1962年)に三国連太郎さんでリメイク。



吹けば飛ぶよな 将棋の駒に賭けた命を 笑わば笑え・・・


そんな感動の映画でした。