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2009/03/12

◇2009/3/12 大相撲三月場所いよいよ開催

大相撲三月場所が3/15~3/29まで行われます。

難波の府立体育館の周りで着物姿に雪駄履き、風呂敷包みを抱えた
お相撲さんを見かける事が多くなります。

寒くないんだろーか。。。(-。-) ぼそっ

2009/03/07

◇2009/3/7 ~旭堂南海講談の会~

今まで何度も寄席に行き、たまに講談を聞く機会があるし、またNHKの番組「日本の話芸」でも講談を拝聴する機会がありますが今日は珍しく講談がメインなのは初めてです。最後に聴いた講談は昨年9月の旭堂南左衛門さんの人情話「幸助餅」が最後で、しかもほぼ史実に基づいた歴史関連は初めてです。

参加したのは【第88回公民館寄席~旭堂南海講談の会~】で、しかもわたしの大好きな歴史ネタです。
旭堂南青さん「本能寺の変」・対談:田辺眞人(園田学園女子大学教授)VS南海「秀吉が天下を獲りに通った街道を語る」・林家染左さん「やかん」・旭堂南海さん「太閤記・尼崎の一騎がけ」。でした。


旭堂南青さん「本能寺の変」はおそらく師匠譲りのお手本い基づいた話や所作をキッチリとこなす中にもハプニングを回避したり独自のくすぐりをいれることから講談の世界に入る事ができました。

さて、講談もさることながら中トリ?の対談が非常に興味深く拝聴でしました。
御職業柄なのか兵庫県に関して大変博学でおられ、しかもお話が上手いことからタイトルにある~秀吉が天下を獲りに通った街道~に関し色々と枝葉がつきましたが楽しいひと時を過ごせました。最後に摂津名所図会を紹介くださりました。
実は私ももこの本で歴史に関して興味をもったことからすごく共感を覚えました。

さて後半戦では林家染左さん「やかん」。いつもの気持ちの良い話し口調につい染左ワールドに入り込んでしまいます。染左さんは、1月25日のめふ乃寄席で拝見したばかり。
実はこのときに母が手製のケーキを戴いたので、今回はお礼に楽屋でお礼をさせていただきました。

さて、トリの旭堂南海さん「太閤記・尼崎の一騎がけ」。話しの途中で何度も何度もくすっ!と笑ってしまうような場所が
ふんだんにあり最後まであっという間でした。なんといっても小気味の良い声に調子。旭堂南海さんの公演があればぜひ
また行ってみたいです^^

2009/03/02

◇2009/3/2 法楽寺と桃が池

発端は法楽寺。
田辺のお不動さんとして古くから親しまれているお寺で
大施餓鬼法要で有名。毎年お盆に参拝しているものの
普段にお参りしたことがありませんでした。


昨年2008/7/19に境内をゆっくり散策させていただいたところ
境内に《水位測定標柱》なる石柱がありなぜこの場所に??と
不思議に感じていました。



 見た感じでは、昭和57年の増水で大和川の堤防が決壊、多数浸水した以前のものの様子。。
たしか大和川の流れが現在の位置になったのは1704年。
おそらく江戸末期以降と思われます。

 






大阪の灌漑用水を飛躍的に発展させた大阪狭山池から
運ばれた水は様々なため池に蓄積され、この法楽寺の付近にある
代表的な池の様子も様変わり。先日みた某資料館の地図(上)では
桃が池と長池がほとんど一体化。



 

この時代では支流に大和川の流れが加わり地盤の低いこの地に
氾濫をもたらすことは珍しいことではなかったのかもしれません。
そしてS18の地図(中)では現在の様子を呈しているものの
現在は大半が埋め立てられています。

長池は話題のシャープの本社があるところで、桃が池は
 田辺寄席が開催される場所です。

◇2009/3/2 遊園地に行こう。

大阪にはかつて遊園地がたくさんありましたが某外国資本の参入による競争激化や
少子化等時代背景の変遷からどんどん閉園においこまれていきました。


◇玉手山遊園地
1908年(明治41年)開園1998年(平成10年)閉演。現在は
近鉄が柏原市に敷地を提供し、柏原市立玉手山公園として愛されています。

※撮影日:2008年7月4日撮影






◇さやま遊園地
1938年5月1日開園2000年4月1日(平成12年)閉園
写真中央のおおきなマンションのあたりです。
幼児向けの遊園地として大阪府民のほとんどは
思い出があるとおもいます。
※撮影日:2009年3月1日撮影






◇近鉄あやめ池遊園地
1926年6月11日開業2004年6月6日(平成16年)閉園

もう見る影もありません。夏はプール、冬はスケート。そして
OSKの本拠地でした。
※撮影日:2009年2月11日撮影

2009/02/22

◇2009/2/22 第488回田辺寄席如月席

笑福亭 喬介  〔寄合酒〕
笑福亭 たま 〔ベルセバブの蠅〕
桂 文太〔悋気の独楽〕
笑福亭 銀瓶 〔宿題〕
笑福亭 仁勇〔鼓ケ滝〕



もぅ今日のは大爆笑な寄席でした。
先月放映されたメディアの影響なんでしょうか?会場は超満員!いつもより客席の椅子がツメツメでした^^ ありがたいことです♪

笑福亭 喬介  〔寄合酒〕 

え?まくらなし?で、すごく初々しい喬介さん。ちょっちプロフを確認すると56年生まれ。。唖然。。。2005年に三喬師匠に入門ですからおもいっきり若手♪でもなんだか憎めない、ほのぼのとした独特の空気をもっています。

笑福亭 たま 〔ベルセバブの蠅〕
いやぁぁ。。まぢ♪なんちゅうタイトルの噺やねんって。。ムカデ男はでてくるし蠅男もでてくるし(笑)。この新作落語がいつの日か古典になる日がくるんかな^^  最近の噺家さんってまぢカコイー♪
銀ちゃんもたまさんも。。イケメンだぉ♪この日一番笑ったお話でした♪

桂 文太〔悋気の独楽〕
名作悋気の独楽。奥方とお竹どん。丁稚や旦那など目の前にいるようなそんな存在感を感じることができました。

笑福亭 銀瓶 〔宿題〕
今日のお目当て♪ラジオのレギュラー番組をもつだけあってキャラ感も、話術もすごいしエンターティナー性もすごぃ持っておられます。多分弟弟子の鉄瓶ちゃんも達瓶ちゃんもかっこぃぃけど銀ちゃん!すごぃ女性ファンも多いようです♪

笑福亭 仁勇〔鼓ケ滝〕
このネタは昨年の落語大賞のさいに江戸前の噺家さんがさえrているのを初めてきいてましたので聞き覚えはありましたがまさか鼓ケ滝は川西にほんとにあったとは知りませんでした。仁勇さんはきっちりと細かいところまでわかりやすく伝えてくださったので初めて聴いた再に疑問に思っていた箇所が全部解消でしました。
~音に聞く 鼓ケ滝を打ち見れば 川辺に咲くや たんぽぽの花~西行

2009/02/21

◇2009/2/21 四天王寺と歴史

物部氏VS蘇我氏の仏教をめぐる争いからようやく終結を迎えることができた神仏への礼として聖徳太子が建立した・・・云々はわたしが語るまでもなく、社地の片隅の関係者にしか入ることが出来ない場所にある守屋祠。
そして家康の御霊を祀る事になった五智光院はいわば大阪にある東照宮の役割を果たしました。大阪の川崎東照宮が明治新政府の方針と廃仏毀釈で取り壊されましたが、極楽浄土の庭には寄進された灯篭が残っています。


もちろん、わたしの欠落した知識だけの歴史だけではなくまだまだ素晴らしい歴史が四天王寺には数多く集積しています。
折りしも、今日21日は「お太子さんの日」沢山の老若男女が参拝すると同時にユニークなお店が沢山出ていました^^


大阪の歴史を紹介する「大阪歴史博物館」では明後日まで「四天王寺」に関する展示を行っており行ってきました♪

落雷や大阪の陣で灰と化した金堂や五重塔に関する記述やさまざまな歴史を裏付ける絵地図や古文書。また道路の拡張工事で出土されたさまざまな土器から四天王寺の刻んできた歴史のほんと一片を垣間見せてくれます。

 

2009/02/19

◇2009/2/19 大和文華館

近鉄の某駅でチラシを偶然手に取りました。
え????富岡鉄斎???

先日参拝した大鳥神社の元宮司さんというより「日本最後の文人」の異名をもつ有名な書画の期間展示があるということでさっそく行って来ました。
場所は懐かしい近鉄「菖蒲池」・・。あやめ池遊園地がなくなりもう何年になるんでしょう。。。プールにスケートにOSKに。。




さてこの文華館は近鉄50周年の記念事業として建設されたそうで今回のコレクションはもとより庭園内の草木のお手入れが行き届いておりほんとに至福の時間を過ごす事ができました。






この所有は鉄斎さんと親交が厚い四国伊予の国の方へお送りした数多くの文画を一同に展示。見た印象では鉄斎美術館には及びませんが名作「寒月照梅華図」が見れます。
はぃ♪すごぃ迫力でした。残念ながら絵葉書などにはされていないのでしっかりと目に焼き付けてきました。
この絵は明治44年・76歳の時の作品で、寒い2月頃の静まり返った深夜。。大きな満月に梅の花がふわっといまでも音を立てて開花してゆくそんな瞬間を捉えているようにおもえました。昨年行った鉄斎美術館にもう一度行きたくなりました^^


実はこの後、松伯美術館にも行きましたが現代日本画であったことと、鉄斎さんの印象が強すぎてなんにも覚えていないのですww
それだけ鉄斎さんのあのイキイキとした水墨画と書の世界はおそるべしです(笑)

ちなみに富岡鉄斎さんは1837年生まれ。大好きな吉田松陰さんは1830年生まれ。。まったく同年代で、激動の幕末を過ごされた方なんですね。
また鉄斎さんの作品をみると尊王派だったのでは。。。

2009/02/17

◇2009/02/17 西宮砲台

あまりの好天♪海沿いの道を走っていて・・・
え??あれ??なに????

突如あらわれた巨大な建物。。。
江戸時代末期、国防に不安を感じた江戸幕府は大阪湾に砲台を築き本格的な摂海防備に着手しました。砲台の位置は勝海舟が計画し、西宮ではこの「西宮砲台」のほかに今津にも築かれました。


1863年(文久3年)に始まり1866年(慶応2年)後半にようやく完成。
砂地に松の木の杭を打ち込んで地盤を固めその上に瀬戸内海中部の島々から運んだ花崗岩を積み上げています。

石造三層の円堡で、内径約17m、高さ約12m、の巨大な施設です。内部には井戸や弾薬庫があり2階木造、
側面に砲眼11個と窓1個を開き筒口を四方に向ける装備でした。

空砲を試射したところ、砲煙が堡内に立ちこめ、実用に向かなかったそうです。