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2010/06/05

◇ 2010 6/5 観修寺 佛光院

いつも京都へ行くのは億劫な気持ち。基本、車で移動しますので、あの道中の渋滞でいつも閉口します。
しかし今回は第二京阪開通と言うことでちょっとだけ気合いを入れて珍しく京都方面へいってきました。

目指すは観修寺と御寺泉涌寺。

門真から第二京阪分岐して、まったく減速することなく、小椋池へ。阪神高速京都線を経てあっというまに城南宮北に到着です。ここまではすごく順調でしたが市内に入った途端にピタリと動かなくなりましたが、
それでも名神よりもうんと早く到着できたんじゃないかなとおもいます。

さて、目的の観修寺町(かんしゅうじちょう)にある観修寺(かじゅうじ)に到着。
このお寺は優美、かつ幽玄なお庭で有名で沢山のカメラマンさんが来られていました。
写真のとおり、大きな池に無数の蓮や水仙、鴨や鷺が羽根を休めています。

お庭を出てすぐ横の『佛光院』が今回の目的の場所。
大石順教尼さんが復興され、多数の方々の心のよりどころとなっている場所で、
昭和11年にこの地に身体障害者福祉相談所を開設されています。

大きなガラスケースに数多くの順教尼さんの遺品を見る事ができます。
【何事も為せばなる てふ言の葉を 胸に刻みて 生きに来し我】

また先週九度山の萱野家で拝見したDVDの中に登場したあのお庭も、目の当たりに見る事ができました。

2010/06/03

2010 6/3 昼食

昼食に梅田駅ビルとホテル阪神地下にある
有名で美味しいと定評のあるうどん屋さんに行きました。



12時にわずか早い時間でしたので待ち時間なく席につき
ぶっかけうどん+おにぎり2個で850円を注文。





5分程度で出てきました。

おねーさん:
「ねぎ、だいこんおろしをのせてからゆずを絞り、このだしをうどんの幅の1.5倍に・・云々・・・・・



わたし:
「え?1.5倍・・そんなんが決まってるんですね。。」
内心・・かけすぎる方がいてるんだろーな・・。と思い

「 んじゃ・・おねーさん、出汁かけてください」と依頼。


おねーさん:
「では先にネギと大根おろしを載せてゆずをしぼってからもう一度お呼びください・・云々」

どうも苦手なんですよねー。
言葉に感情がなく機械的にしゃべられると、意固地で意地悪なわたしの悪い性格が顔を出す。

妙に堅いうどん・・。硬質ゴム風でシコシコ感は無いようだし。
コレってうどんのコシなの?それとも堅いだけなの?

たぶん私が味おんちなのでしょうけれどやっぱ苦手。。
それでも大好きなおうどん屋さんもあるんですけどねー。

2010/06/01

◇2010 6/1 我が家の歴史と大阪大空襲の法要

 昭和20年の1月の空襲に加え、その後、昭和20年3月13日、B29大型爆撃機が100機以上飛来した空襲だけでも6月1日・6月7日・6月15日・6月26日・7月10日・7月24日・8月14日とあったそうです。大阪港区でベビー関連の縫製工場を営んでいた祖父と祖母の言いつけで、私の母は3月13日の空襲後すぐに滋賀県の祖父の本家(近江八幡 市辺村)へ疎開。続いて祖父、祖母も避難してきたそうです。
 当時の家計を支えていた商売道具ともいえるミシンとそして古いアルバムを数冊・・そのおかげで今の私がいて次の世代に伝える事ができました。
 1回目の空襲では当時の家の向かい側までが全て全焼。そして6月1日の空襲では私の家も全て焼けて何も残りませんでした。
 戦争が終わって母は、祖父と祖母に連れられて港区の当時の家を見に行ったそうで、焼け野原と瓦礫が積まれている焼け野原に自分の家の冷蔵庫だけがポツリと立っていたのを寂しそうに話してくれました。

  当時港区は大阪から南方に出兵する兵隊さん達のターミナルでもあり、水や食糧を補給する寄港地の役割を果たしておりその労役に従事を強いていた人足として捕虜収容所が存在していました。
  また物資を蓄える倉庫も豊富にあったので攻撃の対象になっていたのでしょう。
 その爆撃でくさんの方々が亡くなられその中には当時の私達家族と親交の深かった方々やお世話になった方々が多くおられたことでしょう。

  2008年3月頃から実家の写真を整理していたら数多くの港区での生活を偲ばせる写真が出てきたのをきっかけに当時の住んでいた場所を探すことになりました。残念ながら当時の家は木津川の中でしたがいろんなご縁で毎年6月1日にこの港区で戦難にあわれた方々の供養塔があり毎年ご法要をされていることを知りました。
 
 戦後50回忌までは慰霊塔の前でしたが以降は西栄寺でおこなわれており、この2008年6月に初めて参加させていただきましたので今年で3回目となります。

2010/05/30

◇2010 5/30 千早赤阪村 下赤坂の棚田

緑溢れる自然のにおいは、土と流れる水とそして田んぼ。
真っ青な空と初夏の陽射し。

今日のこのタイミングは絶対に見逃せないということで
思いつきにように、千早赤阪村の下赤坂の棚田へ行ってまいりました。






棚田近くのコンビにでお弁当でも買って、棚田の見える木陰でランチをしようかなーと
計画して出かけましたが甘かった。。コンビニが無い。

でもそれが普通なんですよね。

何も無い場所だけど、街には無い自然がありました。

◇2010 5/30 楠木正成公生誕の地


月一回のペースで通わせていただいている幕末史の中でも
時々この「楠木正成公」のお名前が登場します。
 
正成公の活躍された時代は1300年頃幕末は1853年(黒船来航)として500年以上も離れています。
 
さて、幕末に登場する正成公のキーワーどとしてまずはずせないのは「君臣湊川」。これは長州藩が打ち出した攘夷実行に対する心意気。
全員討ち死にを覚悟で攘夷に当るという「湊川の戦い」を含めた言葉。
ちなみにこの「君臣湊川」が大二次世界大戦あたりになると「君臣奉國」となりお国のために・・という言葉となったそう。
当時から500年も前の話はちゃんと受け継がれていたのです。
 
ちなみに、歴史ブームの折、「歴史上の人物で一番空きなのは誰?」と問いかけるとまず
「坂本竜馬」でしょう。ところがこの同じ質問を戦前に行うと修身の教科書にも掲載されていた
「楠木正成公」であったそう。時代と共に変化するんですよね。
 
と、前置が長くなりなりましたがせっかく千早赤阪へきたのだから
この「正成公生誕の地」は行かなきゃ。
 
ということで碑を映してまいりました。この碑は明治11年5月。
明治11年5月というと、大好きなチャイ様が4番を初演した年。。近代国家への基礎を
必死で築きあげようと躍起になっている頃です。
 
 
 
やっぱゆるキャラブームの波も押し寄せていました。

2010/05/29

◇2010 5/29 粉河寺


2年前の秋の日に九度山を訪れた日。
朝からの小雨模様がついに本降りとなり、午後から予定していた粉河寺を山門まで行きましたが
あまりの雨の激しさに参拝を諦めた事がありました。
それから中々寄せていただく機会が無く延び延びとなっていました。


 
 
西国第三番札所・粉河寺の御詠歌
父母の恵みも深き粉河寺 ほとけの誓い たのもしの身や

御詠歌にはなかなかご縁がありませんが、大阪梅田にある太融寺さんの山門に
「「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」と書かれている
石碑があります。なぜ太融寺さんにあるのかハテナですが。。
それでもこの石碑は私の興味をそそるのに充分でした^^

駐車場に停め山門を川添いの参道を歩きます。左手には不動堂・羅漢堂、本坊や出現池を見て
ようやく中門に到達。仁王さんではなく四天王像で、それぞれの
中門正面と背面に、持国天さん(東)・増長天さん(南)・広目天さん(西)・多聞天さん(北)が
居られました。そして 桃山時代の山水庭園の向こう側には威圧度の高いご本堂が。
 
 
複雑な2層の入母屋作りをベースに千鳥破風と唐破風を配しています。
 
日本建築っていいなーっとしみじみ感じる瞬間です。
 
丁寧に参拝させていただきました。

◇2010 5/29 旧萱野家 大石順境尼の記念館

和歌山県九度山町にある旧萱野家 大石順境尼の記念館へ行って参りました。
毎年訪れる真田庵のすこし山手にある旧家を利用した建物のようで、この萱野家は高野山の里坊であったそうです。
現ご当主さんの祖父と順教尼さんと親交があったそうで、「大石よね」さんが出家得度される際の菩提親になられたそうです。




ご親切にお出迎えいただき、山門をくぐりますと、まず土蔵の中で30分弱のDVDを拝見いたしました。そこには順教尼さんの肉声や動画、そして当時の様々な風景を見ることが出来ました。
ひとつひとつの言葉が私の胸に突きするどく刺さります。
一心不乱に見終わったあと・・「いかがでしたか?」とお声をかけていただきましたが、すぐに私たちへのお声かけだとは気付かないで2回目でようやく振り向いたところ、ロマンスグレーの男性が。
この萱野家のご当主さんのようで、自らが色々とお話くださりました。また私たちの後ろには、順教尼さんがご結婚された日本画家の山口草平さんのお孫さんが来られていてご紹介をいただき本当に驚きました。

山口様曰く、順教さんが、口で筆を咥えて書画を書かれていた姿を子供の頃に見て、何度も真似をしたが、よだれが出てしまい出来るはずもなかった・・という思い出を語っていただきました。
その後、建物の中の様々な資料を丁寧に説明。今回、私をこの旧萱野家へ導いてくださった「無手の法悦」の貴重な初版版や直筆のお手紙、現物の和歌も拝見させてくださいました。

またこの萱野家には、それは素晴らしい様々な美術品が所狭しと所蔵されており本来ならば博物館や美術館にあるようなものを目の前で実際に見ることが出来ます。
大好きな鉄斎さんの額書をはじめ、風神雷神図はわたしの想像をはるかに超えた構図で驚きました。
次は京都観修寺です。21日にのみ様々な展示を見る事ができるとの事・・。
あぁ・・いつになることか。。

2010/05/27

◇2010 5/27 チロルチョコの販売戦略・・(゜゜;)\(--;)ぉぃぉぃ

やっぱ幾つになってもお菓子はチロルチョコでしょwwってことで

私がおもいっきり幼少の頃から大好きだったチロルチョコ♪

コンビニに入るたびについ買ってしまいます。


「わ~!新製品!」ってことでカップに入った白熊のチロルを発見ww

さっそく2個買って自宅へ。



1個ずつ、文字が入っているんだけど「し・ろ・く・ま」にならないの。



1個目は・・・しましま くまくま
写真はね・・。しましま へまへまだよ。。



あかんやん・・・・。「し・ろ・く・ま」にならへん







ショボーン・・:(;゙゚'ω゚'):





それではともう一つを開封したら・・・



くろくろ くろくろ




さてはこれが3つ目を買わせるチロルの戦略なのか・・・?