月一回のペースで通わせていただいている幕末史の中でも
時々この「楠木正成公」のお名前が登場します。
正成公の活躍された時代は1300年頃幕末は1853年(黒船来航)として500年以上も離れています。
さて、幕末に登場する正成公のキーワーどとしてまずはずせないのは「君臣湊川」。これは長州藩が打ち出した攘夷実行に対する心意気。
全員討ち死にを覚悟で攘夷に当るという「湊川の戦い」を含めた言葉。
ちなみにこの「君臣湊川」が大二次世界大戦あたりになると「君臣奉國」となりお国のために・・という言葉となったそう。
当時から500年も前の話はちゃんと受け継がれていたのです。
ちなみに、歴史ブームの折、「歴史上の人物で一番空きなのは誰?」と問いかけるとまず
「坂本竜馬」でしょう。ところがこの同じ質問を戦前に行うと修身の教科書にも掲載されていた
「楠木正成公」であったそう。時代と共に変化するんですよね。
と、前置が長くなりなりましたがせっかく千早赤阪へきたのだから
この「正成公生誕の地」は行かなきゃ。
ということで碑を映してまいりました。この碑は明治11年5月。
明治11年5月というと、大好きなチャイ様が4番を初演した年。。近代国家への基礎を
必死で築きあげようと躍起になっている頃です。
やっぱゆるキャラブームの波も押し寄せていました。