この初夏にお伺いさせていただきました九度山にある大石順教尼記念館様よりごあんないを頂戴いたしました。
この期間中は沢山の作品を見る事ができるそう。
ぜひ一度お伺いさせていただこうと思います。
おそらく沢山の来場者がお見えになられると思いますが九度山の大収穫祭の日になるとおもいます。
そしてまだ知識の無い方はぜひ少し調べてみてください。
心がすぅっと楽になって、頑張る心が顔を出してきます^^
***********記*****************
平成22年11月3日~21日 AM10:00~PM4:30
旧萱野家(大石順教尼記念館)
和歌山県伊都郡九度山町1327 南海高野線九度山駅下車7分
11月7日には大石順教尼の偉業と題したトーク&シンポジウムが開催されます。
http://www.town.kudoyama.wakayama.jp/dd.aspx?itemid=2632
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
2010/11/03
2010 11/3 アシスト寄席
今回のアシスト寄席は第7回とのこと。回数が重なるに連れてお客様が増えれば良いのだけれど会場のキャパもあるし、そもそもこのアシスト寄席の主旨が長らく高座に掛けていないネタや最近覚えたネタをやってみるという主旨とのことなので、あんまり多数の前でするのもどうかな?と思われ中々悩ましいです。
喫茶店の店舗を利用して開催される落語会なので決して広くありませんし、高座のすぐ後ろにはお手洗いがあるし。しょうがないですね^^
さて、いよいよ開演ということでお囃子が鳴り、颯爽と後ろのお手洗いからマスターがご登場!これは不意打ちを食らった感があり笑いが止まりません。こんな天然系な笑いは卑怯ですってww
マスター曰く「お囃子が鳴ったんで早く済ませなきゃっておもったけど、ついタイミングを失ってしまった」そう^^
旭堂南舟 般若寺の焼き討ち
南舟さんの高座も何度か楽しませていただきましたが、いつもの事ながら本題に入るとスイッチが切り替わったように声に張りがでてくるんですよね。
たぶん奈良の般若寺のことだとおもうのですが講談ではこのような事件があったと扱われていたなんて知りませんでした。
露の雅 鉄砲勇助
女流噺家さんがだいぶ増えたようで私も年に何度か聞かせていただく機会があります。
新しい世界感を築けられたらいいですねー。がんばってくださいね^^
桂枝女太 寄合酒
寄合酒?って割とポピュラーなネタなのに?なんで?ってずっと疑問でした。
あとで聞いたのですが、ホントに初披露だったそうです。
主人公のあの「味噌をするさかい・・・」の件から怒涛の如く続くボケの数々は見事でした^^
旭堂南左衛門 佐野山権平
寛政力士伝の中から品格のある横綱谷風のエピソードの講談。
情け相撲といわれているが八百長試合ではあるものの谷風が行った美談。
圧倒的な強さと品格を誇る谷風が、親が病気で金銭に不自由している佐野山の事を知り情け相撲を取るお話。
佐野山を贔屓にしているタニマチの会話や、格下の佐野山と戦うことになった理由が愛人を取った云々っていう件が笑いを誘います。一瞬、落語の花筏を感じさせるシーンがありました。
笑福亭 仁嬌 宿屋仇
大ネタの部類に入る宿屋仇。
生では桂春駒さんや桂米輔さんでお聞きした事があります。仁嬌さんは数日後に独演会がひかえれているということで、その中できっちり宿屋仇が入っていました。
「いは~ち!」と何度も呼ぶあとにお定まりのセリフがはまりますが、何度も言わせる繰り返しのところがクスリってなるんでしょうねー。
また大宴会、相撲、色事と内容が変化し、ついには小柳彦九郎が登場!そういえば万事世話九郎って名前は怪しいですよねー。
よく出来たお話をきっちりと語ってくださいました。
この後、お店からコーヒーとデザートを出していただきました。
かぼちゃのプリンだったのですが、まぢ!絶品♪甘すぎない上品な味。
ごちそーさまでした。
さて次回は会場が大きくなって、来年1月16日に新大阪イーグルボウルで行われます。
また柳谷観音・泰聖寺講談会は11月23日。今のところ両方参加の予定です。
喫茶店の店舗を利用して開催される落語会なので決して広くありませんし、高座のすぐ後ろにはお手洗いがあるし。しょうがないですね^^
さて、いよいよ開演ということでお囃子が鳴り、颯爽と後ろのお手洗いからマスターがご登場!これは不意打ちを食らった感があり笑いが止まりません。こんな天然系な笑いは卑怯ですってww
マスター曰く「お囃子が鳴ったんで早く済ませなきゃっておもったけど、ついタイミングを失ってしまった」そう^^
旭堂南舟 般若寺の焼き討ち
南舟さんの高座も何度か楽しませていただきましたが、いつもの事ながら本題に入るとスイッチが切り替わったように声に張りがでてくるんですよね。
たぶん奈良の般若寺のことだとおもうのですが講談ではこのような事件があったと扱われていたなんて知りませんでした。
露の雅 鉄砲勇助
女流噺家さんがだいぶ増えたようで私も年に何度か聞かせていただく機会があります。
新しい世界感を築けられたらいいですねー。がんばってくださいね^^
桂枝女太 寄合酒
寄合酒?って割とポピュラーなネタなのに?なんで?ってずっと疑問でした。
あとで聞いたのですが、ホントに初披露だったそうです。
主人公のあの「味噌をするさかい・・・」の件から怒涛の如く続くボケの数々は見事でした^^
旭堂南左衛門 佐野山権平
寛政力士伝の中から品格のある横綱谷風のエピソードの講談。
情け相撲といわれているが八百長試合ではあるものの谷風が行った美談。
圧倒的な強さと品格を誇る谷風が、親が病気で金銭に不自由している佐野山の事を知り情け相撲を取るお話。
佐野山を贔屓にしているタニマチの会話や、格下の佐野山と戦うことになった理由が愛人を取った云々っていう件が笑いを誘います。一瞬、落語の花筏を感じさせるシーンがありました。
笑福亭 仁嬌 宿屋仇
大ネタの部類に入る宿屋仇。
生では桂春駒さんや桂米輔さんでお聞きした事があります。仁嬌さんは数日後に独演会がひかえれているということで、その中できっちり宿屋仇が入っていました。
「いは~ち!」と何度も呼ぶあとにお定まりのセリフがはまりますが、何度も言わせる繰り返しのところがクスリってなるんでしょうねー。
また大宴会、相撲、色事と内容が変化し、ついには小柳彦九郎が登場!そういえば万事世話九郎って名前は怪しいですよねー。
よく出来たお話をきっちりと語ってくださいました。
この後、お店からコーヒーとデザートを出していただきました。
かぼちゃのプリンだったのですが、まぢ!絶品♪甘すぎない上品な味。
ごちそーさまでした。
さて次回は会場が大きくなって、来年1月16日に新大阪イーグルボウルで行われます。
また柳谷観音・泰聖寺講談会は11月23日。今のところ両方参加の予定です。
2010/11/01
2010 10/30 萩旅行
萩市内にて高杉晋作立志像の除幕式があるとの事。大阪より参加させていただきました。
前日に台風接近の中山陽道をひた走り。時折激しく降る雨や強い風が行く手を阻むようでなかなか大変な道中でしたが、萩は私のような幕末フェチにとっては聖地。風雨くらいには負けません^^
午後からの講演会は先着100名とのことで、早々に切り上げて最前列の私たちは人並みをかいくぐり脱出。背後に居られる奇兵隊さんの元へ行こうと移動したそのとき、山県有朋さんが肩を叩かれました。え??山県有朋さん・・・実は、昨日、往環道にある松蔭記念館でお世話になった方がなんと有朋さん役ってことでホントびっくりでした。
松下村塾、松蔭神社、伊藤博文旧宅、別宅、松陰先生誕生地、松蔭先生のお墓、玉木文之進旧宅、東光寺、高杉晋作さんのお墓、菊屋横丁、江戸屋横丁、伊勢谷横丁、高杉晋作さん誕生地、木戸孝允さん旧宅、野山獄跡、岩倉獄跡、往環道道の駅、涙松、松蔭記念館、萩博物館・・。
前日に台風接近の中山陽道をひた走り。時折激しく降る雨や強い風が行く手を阻むようでなかなか大変な道中でしたが、萩は私のような幕末フェチにとっては聖地。風雨くらいには負けません^^
さて、翌日の除幕式では龍馬伝で高杉晋作さんを演じた伊勢谷友介氏の参加があるため、早くから多くのファンが詰め掛けていました。
私も会場入りしたのは式典2時間前。で・・すでに50人は来ていましたww
式典の時間が迫る中、奇兵隊が錦の御旗と共に会場に参集。式典のムードを盛り上げます。
と、そのスキに会場の反対側の入り口から伊勢谷友介氏が到着!もう会場はフラッシュの嵐、歓声が飛び交っています。
伊勢谷友介氏の一挙一動に「きゃー~!」って声が響く中、一坂先生が会場入り。私たちだけが「一坂せんせー!」って手をパタパタさせると気がついた先生も手を振り返してくださいました。おそらく、すっごい勇気がいったことでしょう。なにせだいぶ照れて居られたご様子でしたので。
「会場での動画や写真撮影はお断りします」と何度も流れるもののまったく効果なしでもう写真撮影大会。
それでも式典が始まるとピタッとみなさん式典モードでした。市長さんのお話の途中からポツリ・・・にわかにかき曇り、大粒の雨がバラバラ!大急ぎで式典を進めあっというまに序幕式は終わりました。

そのまま会場へ移動。美味しい昼食を頂いた後講演会場へ到着。関係者席の真後ろをGET♪じっくりと江里先生、一坂先生のお話を堪能いたしました。
その後、限られた時間の中の萩旅行。
各地をお急ぎで回りなんとか下記に行く事ができました。

そしていよいよ萩からのお別れ・・・。もちろん涙松を通り楽しかった萩旅行に終わりを告げました。
2010/10/31
2010 10/31 高杉新作立志像建立記念講演会 ~晋作と龍馬
はじめの15分くらいはちょっと書けない内容ですが、この時は会場から大爆笑や、「え~?」っと言うような驚愕の声で包まれていました。
私もおもわず「え~?そ、それはないやろ・・」と驚きましたwwファン心理ちうのは非常に恐ろしいものです。
さて場内はすでに先生のペース。私の大好きな落語でいうところのマクラはOK。漫才だとつかみはOK状態。
某日、一坂先生の所に某週刊誌から連絡があり、インターネットでのアンケート結果で、大好きな歴史上は?の問いに対してなんと高杉晋作さんが1位になったそう。バブル期には10位にも入らなかった晋作さん。やはり現代人=組織人であり、殿様のために・・と最後まで紛争した姿が近代人の苦悩に重なったのか・・・ちょうど伊勢谷さんの出演された龍馬伝があったからのか。
長州人はいわゆる議論好きといわれている、なかでも松下村塾では色々なお話があったようだが王陽明の影響を受けた松蔭先生は意外と冗談が大好きで色々と文献に載っているらしい。いずれも松蔭先生の面影を感じさせる冗談であり近代の親父ギャグとは程遠いよう。
さてよく一坂先生のところに質問をいただく内容として、《晋作さんと龍馬さんは何度あっているのか?》が寄せられるらしい。
まず初回は会っているかもしれないというレベル。
文久2年 上海より帰国した晋作さんは江戸で龍馬とあっている可能性が高い。ちょうど久坂さんらが、攘夷で異人を切る案件が持ち上がり、土佐藩邸にいる武市に賛同を促す手紙を送る。この中に龍馬の名前があっている。この計画はその後、武市より毛利の若殿様へリークされ寸前のところで中止となってしまう。
2回目は長州にて、高杉さんは扇面に漢詩を書き、ピストルを添えて龍馬にあげている。
文献ではこのピストルは上海土産とされているがその真偽は不明。大村の日記にはピストル購入者の一覧に谷梅之助の名前があがっている。
そして3回目は慶応2年6月。小倉口の戦い。いわゆる四境戦争。薩摩名義の長州の船を返却に来た龍馬に奇襲をさせている。この功により、龍馬は慶親公よりラシャの背広と刀を拝領し、長崎に帰っている。
ということで最低2回、ひょっとしたら3回かもしれないとの事。もちろん龍馬さんは1835年、晋作さんは1839年生まれと年が近く、実は影響を与えた人物が共に吉田松陰先生であることから話しが盛り上がったかもしれません。
龍馬さんは15ヶ月の間に江戸への剣術修行へ出かけていますが、これはあくまでも条件付。
土佐藩に何かあれば組織に加わりなさいということ。実際、黒船の出現で品川の警備につかされている。
この時点では品川には松蔭先生もいたはず。
あくまでも外国の手の内を知ってから攘夷をおこなうという松蔭先生の方針に対し、過激派の龍馬さん。ともに佐久間象山塾に入門する共通点がある。
だれもが戦争になる・・とおもいきや・・なんと幕府は3月3日に和親条約を締結。
そして3月5日には密航事件が勃発。これが原因で佐久間塾はつぶれてしまい竜馬は四国へ帰っている。
《かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂》の松陰先生の句に対し
龍馬は《かくすれば かくなるものと われも知る なお止むべきか 大和魂》と読んでいる。
さて晋作さんは16才の2月に若殿様のお付として江戸に行っている。
そして松蔭先生の密航事件を知るわけだから、おそらく藩邸はその一件でごった返しているはず。
実は晋作さんはこの時点で松蔭先生と密接な関係がある。
松蔭先生が師事していた、晋作さんのおじさんにあたる「田上宇平太」(洋学者)が帰国することになり、佐久間象山先生を紹介いただき入門しているから。
晋作さんはあくまでも内戦により幕府崩壊をつぶすことを考えており、これは中岡氏の「時勢論」に影響を受けている、すなわち晋作さんと龍馬さんは方針が違いすぎるわけで双方のコミュニケーションは無かったのではないかと考えられる。
そんな晋作さんも亡くなる4ヶ月前の父に宛てた手紙では「親不幸ばかりすてきましたが唯一の孝は、孫を残せたこと」と書いている。
また直前には「萩に帰りたいが、かごに乗って帰る体力はもう残っていません。蒸気船が見つかったら帰りますのでひょっとしたら突然帰国するかもしれません」と送っている。
自分の命の灯火が尽きることをしっていたのでしょう。
※文章は一坂先生の言われたことを元に私が脚色している箇所がありますのでご注意ください。
やはり一坂先生のご講演は非常にわかりやすいことで大人気の様子。終了後30分以上たってもファンに取り囲まれていたちょっぴりはにかんだ一坂先生のお顔が印象的でした。
もちろん、江里先生とおなじおく、晋作さんの像の前で記念撮影をしていただきました^^
2010 10/31 高杉晋作立志像建立記念講演会 ~立志像ができるまで
午前中に開催された除幕式に続き、会場を変え萩博物館の講演会室にて銅像を製作いただいた江里敏明先生と一坂太郎先生の記念講演会が開催されました。
江里先生は通常公開を行わない銅像の製作工程を全て写真に映されており、今回の講演会ではその写真を元に解説をいただきました。
江里先生と、この萩の関わりは、6年前に開府400年記念で毛利像を作成したことに始まります。
さて、今回の高杉晋作像は、ポートレート等で有名な散切り頭ではなく、月代、ちょんまげ頭に紋付、袴に刀を携えた像で、これは20代前後をイメージされており、昼間は明倫館へ、そして夜には松下村塾へ通う若かりし高杉新作さんです。
2009年6月に依頼があり、打ち合わせの後、イメージ膨らませてスタンド付の針金の芯が完成したのが2010年1月~2月。
そして2月末より粘土で肉付けをしていかれますが、このときの高杉さんはなんと裸像。
その肉体美は現代の男性の筋肉美に大差ありません。
この時点で粘土の重さは400キロ!そして次の工程ではこの裸像に草鞋や袴を付けていかれると同時に随所に芯柱を入れられます。
そして4月半ばにはようやく刀を持たせ、羽織を着せてゆかれます。
さてこの段階で当初の完成形のイメージが具現化されるわけですが、先生曰くなにかが足らない・・との事。
なにか力強さが足らないということで、江里先生のされたことは、なんと上半身をつぶして一から再作成。
このお話の瞬間、会場から一斉に「え~~?」という大きな驚きの声が聞こえました。
その後、首の位置を後ろにずらせ、胸を張った姿にされ、これでようやく今回の形となったわけですが時はすでに8月22日。
次に石膏のそれぞれの端に打ち込んだ鋲から順にパーツごとに切りわけて、パカッと取り出して中の粘土をはずします。
そのはずした石膏の中面にはポリエステル樹脂を塗り、FRPを貼ってゆきます。そして元通り組み立てて石膏を割ることで原型がようやく完成となります。
鋳造所へ運び、その原型の上に覆いかぶさるような型を作成し、銅を流し込む4箇所の穴から一斉に銅を流し込みます。
実は純粋な銅ではなく、銅が90%、錫5%、亜鉛・・などの内緒の配合比とのこと。
冷えて固まったら原型を叩き出す作業でこれが細部にいたるまでの非常に緻密な作業でした。
さて、ようやく完成したら最後は硝酸を吹くことで緑錆を発生させることでようやくホントの完成となります。
この480キロの銅像は台座に2本のボルトで留められています。
最後に、先生より銅像の大半は触ってはダメと言われているが、本当はみんなが触ったほうがキレイに、そして好い風合いが出るといわれてお話は終了いたしました。
本当にありがとうございました。
2010/10/28
2010 10/28 像建立記念講演会
松下村塾に通っていた頃の高杉晋作さんの立像(高さ1.8m 台座を含めて3m)が萩の晋作公園にできるそう。除幕式は10/31日。龍馬伝で晋作さんを演じられていた伊勢谷 友介さんもお見えになるらしいです。
■銅像建立記念講演会
10月31日(日)午後1時~3時30分
萩博物館講座室 先着100名
「立志像ができるまで」 江里敏明(京都:日展評議員)
「晋作と龍馬」一坂太郎 (萩博物館特別学芸員)
もちろん♪台風なんでなんのその♪いってきまーすww
除幕式ってそう滅多に見られるもんじゃなし。
どうぞ台風さん。。。
消えてくださいww
■銅像建立記念講演会
10月31日(日)午後1時~3時30分
萩博物館講座室 先着100名
「立志像ができるまで」 江里敏明(京都:日展評議員)
「晋作と龍馬」一坂太郎 (萩博物館特別学芸員)
もちろん♪台風なんでなんのその♪いってきまーすww
除幕式ってそう滅多に見られるもんじゃなし。
どうぞ台風さん。。。
消えてくださいww
2010/10/24
2010 10/24 めふ乃寄席
毎年、この秋期開催のめふ乃寄席は会場であるピピア売布の開業イベントと重なりますのでスペシャルゲストが来られます。(昨年は桂春団治さん桂雀松さん)今年は桂小春団治さん、春野恵子さんということで特に初めてナマで聞く浪曲にはチケットを入手した前回の時点からすでに興味津々でした。
林家竹丸 桃太郎
すぅっと流した感のある桃太郎。それでも笑い所をちゃんと押さえて居られるため
笑いが頻繁に起こります。なんとなく堅かった場内の空気が和らぎました。
桂阿か枝 百人一首
上方落語家では誰もしないという珍しいお話。
広げてあった百人一首の歌を見つけた。持ち主に順に解説してもらうがその内容を
すかたんに捉えてしまういう話し。
天智天皇、持統天皇と進み西行法師がもともと佐藤義清(のりきよ)であった頃に身分の高い女官との逢瀬から「次は?」の問いに対し「あこぎじゃ」と言われた為に出家したエピソードを持ち出し落語で有名な<鼓ケ滝>の話しを交えながら進んで行きます。そこで百人一首の編纂画ある事をしった西行は・・。
本題もさることながらマクラの「われ泣きぬれて蟹とわはむる」の啄木の歌が耳について離れません。
あ・・ホントは書きたかったんですけど、残念ながら亀の甲羅の上に・・・の時の歌や逢瀬の際の歌のやり取りを覚えられませんでした(;・∀・)
桂小春団治 冷蔵庫哀詩
抱腹絶倒の爆笑ネタ話。掃除機やテレビの話しはおもいっきりあるあるネタ。そして
本題はどこの家にもありそうな冷蔵庫の中身がなんと擬人化したという奇想天外な世界観。
その世界の中で、ハーゲンダッツのラムレーズンアイスとグリコプッチンプリンが恋愛したり、マーガリンとジャムがケンカしたりのどたばた話し。冷静沈着な「ホタルイカの沖漬けはん」がいい味を出しています。
小春団治さんの創作落語にはいつも驚かされてしまします^^
春野恵子 好色五人女樽屋おせんの段
私がまだ子供だった時に朝5時頃から、祖父や祖母が小1時間くらいラジオで聴いていたのを思い出しました。なので浪曲ってすごく懐かしい記憶があります。
麹屋の法事のシーンから始まり、長左衛門が落とした小鉢が原因でおせんの結い上げた丸髷が
崩れてしまいます。そしてあらぬ疑いをかけられて・・。あとは映画を見ているようにイキイキと脳裏に情景が浮かんで参りました。
女流の浪曲士さんの芸にはまったく抵抗が無いのですが、なぜか女流の落語家さんのお話には抵抗があるのは何故だろう?ってふと頭の中を疑問がよぎりました。
林家染左 淀五郎
実は浪曲が終わって舞台が掃けた後にずっと独特な空気が漂っており、それは幾重にも織綴られた繊細な日本映画を見たあとの印象に似ていました。この空気を果たして染左さんはどうするのか?と心配にさえ思った程。まぁものの見事に染左さんの世界へ連れて行ってくださいました。
仮名手本忠臣蔵の初の大役である塩冶判官高貞を演じることになった淀五郎。見せ場である切腹のシーンに込められた強烈なダメだしに込められた意味を皮肉な言葉に込めながらも成長することを願う市川團蔵。そして見事に・・・。
今日のめふ乃寄席は実に見どころ、聴きどころ満載でした。
林家竹丸 桃太郎
すぅっと流した感のある桃太郎。それでも笑い所をちゃんと押さえて居られるため
笑いが頻繁に起こります。なんとなく堅かった場内の空気が和らぎました。
桂阿か枝 百人一首
上方落語家では誰もしないという珍しいお話。
広げてあった百人一首の歌を見つけた。持ち主に順に解説してもらうがその内容を
すかたんに捉えてしまういう話し。
天智天皇、持統天皇と進み西行法師がもともと佐藤義清(のりきよ)であった頃に身分の高い女官との逢瀬から「次は?」の問いに対し「あこぎじゃ」と言われた為に出家したエピソードを持ち出し落語で有名な<鼓ケ滝>の話しを交えながら進んで行きます。そこで百人一首の編纂画ある事をしった西行は・・。
本題もさることながらマクラの「われ泣きぬれて蟹とわはむる」の啄木の歌が耳について離れません。
あ・・ホントは書きたかったんですけど、残念ながら亀の甲羅の上に・・・の時の歌や逢瀬の際の歌のやり取りを覚えられませんでした(;・∀・)
桂小春団治 冷蔵庫哀詩
抱腹絶倒の爆笑ネタ話。掃除機やテレビの話しはおもいっきりあるあるネタ。そして
本題はどこの家にもありそうな冷蔵庫の中身がなんと擬人化したという奇想天外な世界観。
その世界の中で、ハーゲンダッツのラムレーズンアイスとグリコプッチンプリンが恋愛したり、マーガリンとジャムがケンカしたりのどたばた話し。冷静沈着な「ホタルイカの沖漬けはん」がいい味を出しています。
小春団治さんの創作落語にはいつも驚かされてしまします^^
春野恵子 好色五人女樽屋おせんの段
私がまだ子供だった時に朝5時頃から、祖父や祖母が小1時間くらいラジオで聴いていたのを思い出しました。なので浪曲ってすごく懐かしい記憶があります。
麹屋の法事のシーンから始まり、長左衛門が落とした小鉢が原因でおせんの結い上げた丸髷が
崩れてしまいます。そしてあらぬ疑いをかけられて・・。あとは映画を見ているようにイキイキと脳裏に情景が浮かんで参りました。
女流の浪曲士さんの芸にはまったく抵抗が無いのですが、なぜか女流の落語家さんのお話には抵抗があるのは何故だろう?ってふと頭の中を疑問がよぎりました。
林家染左 淀五郎
実は浪曲が終わって舞台が掃けた後にずっと独特な空気が漂っており、それは幾重にも織綴られた繊細な日本映画を見たあとの印象に似ていました。この空気を果たして染左さんはどうするのか?と心配にさえ思った程。まぁものの見事に染左さんの世界へ連れて行ってくださいました。
仮名手本忠臣蔵の初の大役である塩冶判官高貞を演じることになった淀五郎。見せ場である切腹のシーンに込められた強烈なダメだしに込められた意味を皮肉な言葉に込めながらも成長することを願う市川團蔵。そして見事に・・・。
今日のめふ乃寄席は実に見どころ、聴きどころ満載でした。
2010/10/23
2010 10/23 トップリーグ第7節
昨年の4月に初めてラグビー観戦に行き、8回目の観戦です。
今日はトップリーグ第7節。
第一試合は豊田自動織機シャトルズVSリコーブラックラムズ。結果は13対46。
豊田自動織機シャトルズは今年からトップリーグの仲間入りをしたチームでご縁があってキレイな団扇に<織>と書かれた団体の中に紛れ込んで観戦していました。
私はトップリーグの場合は必ずラジオを携帯していて79.5Mhzで太田先生の解説を聞きながら観戦しています。
事前にリコーの15番の「ラーカム選手」の事を聞いていたので自然と目が行ってしまいます。
ノット・ロール・アウェイが原因でシンビンとなり2番と9番が抜けたものの近鉄ライナーズが逆転を果たしました。元々シーソーゲームな展開な上に、5m手前からトヨタの波状攻撃を防ぐシーンが何度もありとっても盛り上がったゲームとなりました。
トヨタのアイイ選手がいきなりPGで得点を挙げましたが以降、近鉄に封じ込められてしまったようで残念した・・・って書くとどっちのファンやねん?となりますよね。
トヨタのイェーツさんが出ていなかったので近鉄の応援に加わったのでした^^
ミニFMで私の投稿が読み上げられたんで感激でしたww
今日はトップリーグ第7節。
第一試合は豊田自動織機シャトルズVSリコーブラックラムズ。結果は13対46。
豊田自動織機シャトルズは今年からトップリーグの仲間入りをしたチームでご縁があってキレイな団扇に<織>と書かれた団体の中に紛れ込んで観戦していました。
私はトップリーグの場合は必ずラジオを携帯していて79.5Mhzで太田先生の解説を聞きながら観戦しています。
その解説の中でも頻繁に言われていたのがノックオンの多さでしょう。
ボールを前にこぼさない・・ってそんなに難しい事なんでしょうか。あ・・私は素人なので無理だけどどんな分野のスポーツや芸術にも似たようなチョンボってるとおもうんです。そのチョンボで流れがブツブツと切れちゃって自滅した感があるようにおもいました。
事前にリコーの15番の「ラーカム選手」の事を聞いていたので自然と目が行ってしまいます。
おもいっきりトライに絡むナイスアシストがあって、後半は怒涛のリコーの攻撃でシャトルズにとっては厳しい結果となりました。
トヨタのアイイ選手がいきなりPGで得点を挙げましたが以降、近鉄に封じ込められてしまったようで残念した・・・って書くとどっちのファンやねん?となりますよね。
トヨタのイェーツさんが出ていなかったので近鉄の応援に加わったのでした^^
ミニFMで私の投稿が読み上げられたんで感激でしたww
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