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2012/07/22

2012 7/22 第19回 柳谷観音・泰聖寺 講談会

開演時間が近づいてくるにしたがって場内は満員に!
さては・・・講談にブームの兆しか!

定刻少し前にご住職さんよりご挨拶。
京都の山奥にある「月輪寺」(がつりんじ)へ修復のお手伝いにいかれるとのこと。
このお寺は法然さんも親鸞さんも修行をされたご由緒のお寺とのことだが
先日の大雨で大変な被害にあわれたらしい。

また、今日の南舟さんの演目「日蓮上人」!浄土宗やねんけど・・・大丈夫かなーって。
たしかに日蓮さんは浄土宗に色々と言われた方だけにww展開が楽しみです。

●前講:黄昏亭もみじ/三方ケ原戦記
講談教室でいつも練習されている講談とのこと。
修羅場読みが聞かせどころ!

●旭堂南斗/ 黒田節の由来
●旭堂南舟/日蓮上人
まな板岩の御難という話らしい。
たしかに宗教迫害さえた方って大変な苦難を乗り越えてこられてるんですねー。

●旭堂南青/怪談・江戸屋騒動
講談で怪談を聞くのは初めて。。。
マクラでされた生駒山に夜明け前に4人でカブトムシを取りにいかれた話がむっちゃ怖かった、、、。・
もちろん本題も。。。南青さんの口調がすっごい味がありますた。

●旭堂南左衛門/紀伊国屋文左衛門
今回のお話のキーワードになる、魏のけいばん焼って絵付けが鮮やかなお皿かな?
後藤 祐乗の小鍔で金で七賢人の彫り物があるのはどんなだろう?ちょうつごうの千匹馬という屏風絵はぜひ見てみたい!って頭のなかでしっかりと描いていました。

2012/07/21

2012 7/21  歴史と人間 第一回目「阿部正弘」

3か月ぶりの朝日カルチャーセンターです。今回より新しい講座が始まります。もちろん講師は一坂太郎先生^^

第一回目は阿部正弘。

1710年に福山藩藩主で10万石。若くして老中首座。
幕末の動乱に幕府の難しいかじ取りを行い、その心労が祟り若くして亡くなられた方。
この時期のさまざまな政策は幕府の首を自ら絞めることとなる内容であったが当時はだれもが
それぞれの政策を正しいと信じた結果なのでしょう。

幕府を運営していたのは譜代大名らであり、いわゆる親戚筋の御三家ではない。
老中は政府であり、首座は内閣総理大臣。臨時職として据えられた大老というのもある。

さて正弘は文政2年(1819年)10/16生まれ。
正精(まさきよ:当時の現役の藩主)6男4女の6番目の男として誕生。
1826年に3男の正寧(まさやす)が藩主を継ぐも病弱で子供ができなかったことから正弘が養子となって迎えられ藩主となる。

ちょうどこのころはロシアや英国が出没~海防を重視した政策がとられた時期。またシーボルトがオランダ人としてやってきた時期でもある。

正精氏は中々の風流人で、自らオランダ語を学び、西洋画をたしなんだ。
江戸に福山藩のための学問所を建てた。

1837年には藩主として福山藩へ帰国するも2か月後にはすぐに江戸へ戻ることになった正弘。
1840年に奏者番(そうじゃばん)を命ぜられる。

正弘の特筆すべきは、福山藩の文武振興につくし、「弘道館」を創立。
いままでの3回/月の勉強だけではなくここでは西洋式の兵学を教える場所となっただけではなく
8歳で入学。10歳~15歳までは文武研修。15歳になると存知込(得意分野を伸ばす教育)、17歳になると試験がりその成績は初段、中段、上段としてその出仕に影響した。

1840年には寺社奉行となりこのときに事件が起こる。
法華経寺の獄を裁決!~これは僧侶の日啓が側室の「みよの方」を大奥へ差出し裏で糸を引き、
若宮八幡かんのう寺、を建てさせたり、また日啓が女犯(めはん)を行ったことを取り上げ遠島とした。大奥が絡むので強行な対応は控えられた。。

1843年には老中となるが当時は人材不足。
1845年には老中首座へ。

このころ福山藩では、鹿狩りという名目で野外演習が行われ練兵訓練が行われている。
というのは、オランダのウイリアム2世が幕府に親書を送りアヘン事件のことを教えているが
正弘は「通称はオランダ・中国と、通信は琉球・朝鮮とおこなっており、これが祖法!」と返事をしている。言い換えれば、余計なおせわ!ってこと。


さてここに次回のキーマン「徳川斉昭」が登場する。
彼の奥さんは皇族であり、強烈な攘夷思想をもっている。そんな彼にオランダ国王の新書を見せることで、天保の改革で中止となった異国船打ち払い令の復活の話が持ち上がってしまう。

時代は1845年、海防掛(かいぼうかかり)が設けられ翌年には琉球にフランスがやってきた。
正弘は琉球とフランスの通商を認めたが、国内に入れるのは薩摩がくいとめよ!という判断を行う。

斉昭は打ち払いを進言するが取り入れられないことから、孝明天皇へ列国はアジア侵略が目的であることを強烈に吹き込むことに!こうして孝明天皇の異国嫌いが強くなっていき、ついに異例でもある勅使が下りることに。「外国船をなんとかして、天皇を安心させろ!」とのこと!

1852年6月には、オランダ商館より長崎奉行を経て手紙が届く。ここにはアメリカより軍艦がやってくることが書かれてあるがこれは脅しの手紙であるという判断で、海防を強化しようとしても予算がないということで却下・・・。
正弘はだんだん孤立していくことになる。。。そこでこの情報を島津斉昭や鍋島かんそうらへ話してしまう。この事実が表面化しさらに正弘の立場は不利となってゆく。

そして1853年、ペリーの登場。
その対応に苦慮し、結局徳川斉昭へ相談すると「みんなに意見を求めよ」とのこと。そこで幕府、外様、普請などみんなに意見を求めることとなる。
良い意見はなかったものの、勝海舟さんの意見がキラリと光る。

~この間 割愛 ~

いろんな出来事がつぎつぎとおこることで安政2年首座を堀田まさむねへゆずり自分はNo2へ。
39歳の若さで亡くなってしまう。胸痛ということを頻繁にいったそうだが西洋の薬は絶対に飲まなかったらしい。


阿部正弘の素晴らしい点はさまざま。難しい時代を切り盛りした優秀な人材であったことは間違いない!

2012/07/17

2012 7/17 追突事故

この4月末に市内の交差点で信号待ちの際にタクシーに追突された傷が癒えた2か月半後、今後は某国道で信号待ち中に自家用車に追突されました。

もちろんシートベルトはしていましたが、フロントガラスで頭を打ち、頸椎、背中、腰椎、左足が痛みそのまま救急車で搬送。

私の愛車は写真の通り大破。。。
まだ2年とちょいしか走っていないのに・・。



私の車は、当時の信号待ちをしていた停車位置から10m前方に押し出されたはずみに、前に停車していたラルゴへ追突。。
まぢで走馬灯が見えました。。


加害者はXXXX!自賠責しか入っておらず任意保険はなし!

私は何度も電話をし、修理の件を話すものらりくらり。。。。お見舞いの電話すらない、とんでもない加害者です。


私の怪我・・・・車の修理・・・代車・・・・・。

さてどうしたものか。。。。。



ちなみに私は停車していたところに突っ込まれるのは今回で3回目!

今までの2回は軽傷でしたが今回はまぢでしんどい。。。

骨折とかしていないのは不幸中の幸いなのでしょうか。運が良い!と考えないとやってられない。。


それよりも他人の資産と体にキズをつけて知らない顔をしている加害者がゆるせない!
任意保険にはいる金の無い奴は車に乗るな!

2012/07/07

2012 7/7 なわて寄席

毎年楽しみにしているなわて寄席。
例年以上に早くから並び始め、開場時間が15分早くなりました。
早々に指定席化したほうが良いかもしれないですね。


桂 二乗 普請ほめ
マクラで話された内容に感心!心理学で2回繰り返す場合は逆の意味だって!→妙に納得です! 本ネタhはすっかりこなれた感じのある普請ほめ。

桂 吉弥 蛇含草
豊かな表情と巧みな話術で一番の技巧派!工夫も色んな箇所で見られる吉弥さん。 おもいっきり安定感があります^^

桂 ざこば 鉄砲勇介
7月7日の日の話しからエイプリルフールエイプリルフールの出来事へ。そして本ねたへ。 ざこばさんだから許される部分ってありますよねww。

桂 南光 鹿政談
マクラは四条畷の観光大使ねた。そのまま鹿政談の名物紹介~大仏~そして鹿せんべいの話しでもりあがりました。 南光さんのこのネタは何度か聞いたことがあります。そのたびに奉行と塚原出雲のキャラの描き方が見事で 感心しています。もちろん今日も楽しませてくださいました。

桂 南天 茶の湯
襲名公演、挨拶まわりのエピソード。会場は爆笑につつまれて終了しました。また来年を 楽しみにしています。

2012/07/01

2012 7/1 私事

中々新しい環境になれずにちょっち疲労困憊ぎみ!それでもすっごい充実感。

その影響でBLOGの更新がおもいっきり遅れていたり文章を推敲する余裕のよっちゃんが
たりません。
楽しみにしてくださっているみなさま!ごめんなさい!

2012/06/24

2012 06/24 講談まつり

新しい生活に突入して、はじめての講談会です。なんとなーく疲労困憊ぎみで心配していましたが
すごーく楽しい1日となりました。

いつものごとく13時過ぎに会場へ母を送迎して、私は大国町駅前の駐車場へ車を停めに移動。
すぐさま地下鉄へ飛び乗り会場入りとなりました。

旭堂南舟 角屋舟の由来
本能寺の変が勃発した時に堺の寺で茶会を楽しんでいた家康。このままでは光秀軍がやってきて
捉えられてしまう!なんとか脱出しなければ!と紀伊半島を東へ向かい伊勢へ向うことに。。

旭堂南北 赤穂浪士義士伝 最後の大評定
実は先日赤穂浪士の6時間にわたるテレビドラマを見たばっかりで感動ひとしお!
大石内蔵助のその苦悩がひしひしと感じられました。

客席参加「天竺のお話」
南北さんが2月の一か月間、インド旅行に行かれてまして。その道中記をお話しくださいました。
ちょうど私もリアルタイムでTwitterを拝見してましたのですっごく楽しめました。

せっかくなのでTwitterへのLINKを掲載します^^
https://twitter.com/#!/kyokudou

旭堂南鱗  若き日の川村瑞賢
はじめて聞いたお話です。
商才たくましい川村瑞賢さんのこのエピソードって結構有名だったようですね。
いずれまた伝記等をチェックしてみたいとおもいます。

旭堂南左衛門 左甚五郎 竹の水仙

落語でもおなじみのお話。
テンポよく目の前でその情景がイキイキと感じられました。

2012/06/17

2012 6/3 第4回 イーグル寄席

早いものでもう第4回となりました。

今回はいつもの会場ではなく、1階にあるガラス張りの通路に面した会場になりました。

また今日はボウリングボウリング大会が開催されているとのことで 駐車場は満杯!
事前に用意下さっていて、本当に助かりました。


開演まで時間がありましたので大会を観戦!

なんと目の前で300点のパーフェクトをみました!
また生のPリーガーリーガーも! 中でもライジングショットで有名な
浪速のダイナミックボンバー 西村美紀選手に感動!
ほんとにあの投げ方から豪快なボールが投げられるんですね!


笑福亭 嬌太 色事根問

露の眞  強情灸

桂枝女太  皿屋敷

旭堂南左衛門  甚五郎の蟹

笑福亭仁嬌  次の御用日

マクラで話された『お月さん、お日さん、雷さんの3人の旅行』の小噺は初めてで、
秀逸なお噺!
さて、本題は噺のタイトルがそのまま下げとなるこの噺の聞かせどころは、
お白州での丁稚と奉行のリフレインの箇所と、下手人と奉行とのやりとり。
まさにテンポがよく、仁嬌さんもポンポンポンポンっと聞かせてくださいました。

2012 05/27 佛願寺講談会

開演時間のぎりぎりに到着!
初めての会場は勝手がわからなくてどうしてもギリギリになってしまいます。

この旭堂南左衛門/
この佛願寺さんは、一林さんがご住職さんのお寺とのこと。

◆前講 白夜亭一林/「源平盛衰記・那須余一」

はじめて一林さんの講談をお聞きしたときから数年!
視線や所作がとても自然でお話しにスッと入ることができました。

◆旭堂南舟/「左甚五郎・猫餅の由来」

飄々とした雰囲気ですがいったんお話に入ると口調がかわる南舟さん。


◆旭堂南青/「名月松坂城」

飽きさせない巧みな話運びの南青さん。
やっぱ講談っておもしろいですよね。

◆旭堂南左衛門/「赤穂義士外伝・天野屋利兵衛」

臨場感たっぷりの大熱演!
あの有名なセリフのあたりでもうウルウル状態!
お見事でした。
  
講談会になんども通うとなんどか聞いたことがあるお話に出会います。
そんなときは少しだけ心に余裕が出るようで、演者さんの所作や視線の先を
追ってみたり、前回と違う箇所などを見つけて見たりと違った楽しみ方が
できます^^
スッと目を閉じると、そのお話しの世界がイキイキと頭の中で動き出す・・それが講談の
魅力なんでしょうね^^