笑好寄席は今回で4回目の参加となります。
前回の事があってか、いつもよりも2か月ほどずれこんだ笑好寄席。
冒頭に席主の桂 文三さんのご挨拶があり、その意気込みと想いが
はっきりと伝わってきました!
桂 文三さん!本当にありがとうございました。
笑福亭 生寿 狸の鯉
生寿さんの【狸の鯉】は今回で3回目となります。
最近、すこしふっくらとされてきた生寿さん、すごく所作、仕草がきっちりとされており
あきらかに上達されたなーってあらためて感心しました。
竹林さんとなかなか会えない生寿さんのお言葉!
しらべてみますと2009年に坊枝さんが
天王寺参りをされた回のようですねー。
林家 染弥 天災
無難にきっちりとこなされた染弥さん!
最後にハプニングが!!
あぁぁぁ・・・・金屏風がwww
それにしてもお怪我をされなくて本当に良かったです。
桂 南天 壺算
藤井寺でなし、八尾でなし・・柏原市。。
たしかに南天さんの地元の枚方でなし・・寝屋川でなし・・四条畷と
街の雰囲気が似ていますねー。
また大阪人の言葉を切り口に笑いを巻き起こしてそのままネタに突入です。
坪算では、壺が割れた経緯はバッサリ省略!
その代わりに番頭さんとの掛け合いが絶妙で
ゆにや黒兵衛さん、船場の料亭の比喩がおもしろかったです。
そのほか色んな所に南天さん独自のくすぐりが満載!
納得の面白さでした!
桂 雀喜 初天神
私にとって初天神は超思い出のネタ。
そ
れだけに聞けるのはありがたい。
でもおもいっきり1月の話なのでちょっとだけ
えっ?てなりました。
こしゃまくれた寅ちゃんとおやじの掛け合いが面白く楽しめました。
桂 文三 はてなの茶碗
意表をつくマクラでなにか得した気分に!
【子の千三百六十五番!】の話で開場は
大爆笑!
茶道具屋金兵衛さんの貫録や威厳も申し分なく、また京の言葉と大阪言葉の対比も
見事で、はてなの茶碗の世界にスッと入ることが出来ました。
本当に無事に復活して良かったですね!
こんな素敵な寄席!来年からもずっっっ~と続きますように。
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
2012/12/15
2012 12/15 歴史と人間 ~井伊直弼
昨日の金曜の夜に勤務先の忘年会があり、深夜に帰宅。
そのまま倒れこんで眠ったようで朝起きたら、大変な状態でしたww
食欲のなく、胃のむかつきと戦いながらも朝風呂。。それでも頭が痛くって。これはもう何年も経験していない二日酔いって症状。。朝食も昼食も食べることができないままにお勉強に向かいました。
今日はこのお勉強の後は年末恒例の一坂太郎先生教室の忘年会(・_・;)どうなることやらって不安いっぱいでしたww。
さて、井伊直弼は第11代藩主・井伊直中(なおたか)とお富の方との間に十四男として1815年(文化12年)に生まれる。不思議な縁で、安政の大獄で処刑した梅田雲浜氏とまったく同じ誕生日。
幼名は鉄之助。
直亮(なおあき)がすでに藩主を継いでいた。(3男)次いで直元(11男)がいる。。
当時は藩主を継ぐことができなかった次男坊以下は大変で、養子として入ることができなかった場合は一生を不遇で終わってしまう。この彦根藩では300俵で部屋住みとのこと。
これはなんとかかつかつで暮らしてゆけるギリギリな水準。
1834年には弟と養子の面接に行ったがNG・・・しかも弟が養子に入ったとか。。
埋木舎(うもれぎのや)で長野主膳に国学を学び、また居合や槍術、禅や和歌を学ぶ。特に茶道では有名で石州流。いくつもの書籍が存在している。
学んだ山鹿流兵法は日本を絶賛、しかも幕府は絶対的な権力であることを肯定する学問。武士としての道徳を説く。
また、国学の研究では長野主膳義言(よしとき)との出会ったことが大きなターニングポイント。
儒学は外道であり所詮中国の教え。山鹿は国学であり神道。幕府への忠義は天皇への忠義に通じるというおもいっきり保守的な学問の山鹿流。
ちなみに赤穂浪士の仇討は山鹿流ではNG!幕府の許可があればOKだが忠臣蔵事件はだめ。
1846年 世子 直元 死去⇒直弼(32才)⇒江戸へ向いはじめて将軍にお目見え。
1850年 直亮 死去⇒そしてついに直弼が藩主になった。
すぐに主膳を召し抱え、井伊家の勤王ぶりを調査させた。
直弼は天皇大好き!好みの刀をプレゼント。また御所の火事のあとは焼けた本を探し出して進呈。すっかり天皇は直弼を信頼しきっていた。
地理的なことがあり、彦根は京都の膝元。なにかあれば駆けつける藩。
さて、いよいよ時代が動き出す。
黒船がやってきたらすぐに江戸からお呼び出し!2000人で羽田・大森の警備を仰せつかる。
で・・意見書のくだり。。1853年/8/10の意見書では、キリスト教を国内に入れてはいけない。祖法があるので国を閉ざすことを説く。ところが8/29の意見書では交易を行い海軍の力をつけつことをといている。これって龍馬さんらが言ったようなことをすでに言っている。この不思議な意見書には訳がる。たまり場つめの新人の直弼さんはうるさ方を刺激しないように遠慮したのか。直弼の本音はもちろん8/29の方。ちなみにこの意見書は中川禄朗が書き、直弼が加筆して仕上げている。
徳川斉昭は、ペリーを打ち払え!直弼は迎え入れて穏便に!で対立してゆく。
品川の台場なんて無駄!兵隊が犬死するだけ!それよりも軍艦建造だ!の意見が本音。
そして3/3に日米和親条約を締結。
次にハリスが来日。
親交外交を自由貿易で進める旨の勅諚を求めるために堀田正睦を京都へ走らせるがもらえない。。1858年(安政5 44歳)4/22 大老に就任。
運悪く第二次アヘン戦争の情報が入り、アメリカの脅しに乗ってしまい6/19修好通商条約を締結。
保守派松平忠岡(上田の殿様)と直弼は勅諚をもらうかもらわないか・・もめてしまう。
そして直弼は5/12に家定の跡継ぎ問題についての話の際に、忠岡を罷免する工作をしてしまう。
これは公用型秘録(M18明治政府へ提出した資料に欠落していた情報)が発見されてはじめてわかった事実。
そしてついに、後継者は血筋のものから選ぶという勅許をGET!これはすなわち南紀派の家持を世子とすることを指す。 この勅許はなんと一ツ橋派に寝返った堀田正睦が隠ぺいしてしまう。
安政の大獄・・・そして桜田門外・・・。
井伊直弼さんは誰よりも尊王攘夷思想。。でもなかなか世に出ることがなく大変苦労され、時代の渦に翻弄された方だったのですね。
講座がおわると上映会です。
今日の映画は本当に珍しいお話。これは一坂先生のホームページに詳しく書かれていますので
そちらをご覧くださいませ。
研究室 ~ 『青年』の思い出 ~
原作:林房雄
配役:
井上聞多:西郷輝彦
伊藤俊輔:あおい輝彦
高杉晋作:竹脇無我
プウラン:森繁久弥
毛利敬親:藤岡琢也
「きみの父親の名前は何という?」
頭の中が真っ白になるような”抜き打ち試験”だった。
観客を前にして物語の名前を止めるわけにはいかない。
あわてた西郷はとっさに自分の父親の名前を口にしてしまった。
そのまま倒れこんで眠ったようで朝起きたら、大変な状態でしたww
食欲のなく、胃のむかつきと戦いながらも朝風呂。。それでも頭が痛くって。これはもう何年も経験していない二日酔いって症状。。朝食も昼食も食べることができないままにお勉強に向かいました。
今日はこのお勉強の後は年末恒例の一坂太郎先生教室の忘年会(・_・;)どうなることやらって不安いっぱいでしたww。
さて、井伊直弼は第11代藩主・井伊直中(なおたか)とお富の方との間に十四男として1815年(文化12年)に生まれる。不思議な縁で、安政の大獄で処刑した梅田雲浜氏とまったく同じ誕生日。
幼名は鉄之助。
直亮(なおあき)がすでに藩主を継いでいた。(3男)次いで直元(11男)がいる。。
当時は藩主を継ぐことができなかった次男坊以下は大変で、養子として入ることができなかった場合は一生を不遇で終わってしまう。この彦根藩では300俵で部屋住みとのこと。
これはなんとかかつかつで暮らしてゆけるギリギリな水準。
1834年には弟と養子の面接に行ったがNG・・・しかも弟が養子に入ったとか。。
埋木舎(うもれぎのや)で長野主膳に国学を学び、また居合や槍術、禅や和歌を学ぶ。特に茶道では有名で石州流。いくつもの書籍が存在している。
学んだ山鹿流兵法は日本を絶賛、しかも幕府は絶対的な権力であることを肯定する学問。武士としての道徳を説く。
また、国学の研究では長野主膳義言(よしとき)との出会ったことが大きなターニングポイント。
長野主膳は実は出身地等の情報は無いことから不明で同い年。
1842年(28歳)で主従の礼を結ぶ。儒学は外道であり所詮中国の教え。山鹿は国学であり神道。幕府への忠義は天皇への忠義に通じるというおもいっきり保守的な学問の山鹿流。
ちなみに赤穂浪士の仇討は山鹿流ではNG!幕府の許可があればOKだが忠臣蔵事件はだめ。
1846年 世子 直元 死去⇒直弼(32才)⇒江戸へ向いはじめて将軍にお目見え。
1850年 直亮 死去⇒そしてついに直弼が藩主になった。
すぐに主膳を召し抱え、井伊家の勤王ぶりを調査させた。
直弼は天皇大好き!好みの刀をプレゼント。また御所の火事のあとは焼けた本を探し出して進呈。すっかり天皇は直弼を信頼しきっていた。
地理的なことがあり、彦根は京都の膝元。なにかあれば駆けつける藩。
さて、いよいよ時代が動き出す。
黒船がやってきたらすぐに江戸からお呼び出し!2000人で羽田・大森の警備を仰せつかる。
で・・意見書のくだり。。1853年/8/10の意見書では、キリスト教を国内に入れてはいけない。祖法があるので国を閉ざすことを説く。ところが8/29の意見書では交易を行い海軍の力をつけつことをといている。これって龍馬さんらが言ったようなことをすでに言っている。この不思議な意見書には訳がる。たまり場つめの新人の直弼さんはうるさ方を刺激しないように遠慮したのか。直弼の本音はもちろん8/29の方。ちなみにこの意見書は中川禄朗が書き、直弼が加筆して仕上げている。
徳川斉昭は、ペリーを打ち払え!直弼は迎え入れて穏便に!で対立してゆく。
品川の台場なんて無駄!兵隊が犬死するだけ!それよりも軍艦建造だ!の意見が本音。
そして3/3に日米和親条約を締結。
次にハリスが来日。
親交外交を自由貿易で進める旨の勅諚を求めるために堀田正睦を京都へ走らせるがもらえない。。1858年(安政5 44歳)4/22 大老に就任。
運悪く第二次アヘン戦争の情報が入り、アメリカの脅しに乗ってしまい6/19修好通商条約を締結。
保守派松平忠岡(上田の殿様)と直弼は勅諚をもらうかもらわないか・・もめてしまう。
そして直弼は5/12に家定の跡継ぎ問題についての話の際に、忠岡を罷免する工作をしてしまう。
これは公用型秘録(M18明治政府へ提出した資料に欠落していた情報)が発見されてはじめてわかった事実。
そしてついに、後継者は血筋のものから選ぶという勅許をGET!これはすなわち南紀派の家持を世子とすることを指す。 この勅許はなんと一ツ橋派に寝返った堀田正睦が隠ぺいしてしまう。
安政の大獄・・・そして桜田門外・・・。
井伊直弼さんは誰よりも尊王攘夷思想。。でもなかなか世に出ることがなく大変苦労され、時代の渦に翻弄された方だったのですね。
講座がおわると上映会です。
今日の映画は本当に珍しいお話。これは一坂先生のホームページに詳しく書かれていますので
そちらをご覧くださいませ。
研究室 ~ 『青年』の思い出 ~
原作:林房雄
脚本:杉山義法
場所:東京宝塚劇場配役:
井上聞多:西郷輝彦
伊藤俊輔:あおい輝彦
高杉晋作:竹脇無我
プウラン:森繁久弥
毛利敬親:藤岡琢也
産経新聞の「わたしの失敗」という書籍の中の西郷r輝彦さんの項目に次のような文章があるようです。
昭和61年、東京宝塚劇場での舞台「青年」。その記憶は西郷輝彦の中に強烈に刻まれている。
森重久弥に指示してともに舞台を重ね、演じる者としての自覚も芽生えて来た頃のことだった。
~略
予想もしていなかったアドリブが森繁の口から飛び出した。「きみの父親の名前は何という?」
頭の中が真っ白になるような”抜き打ち試験”だった。
観客を前にして物語の名前を止めるわけにはいかない。
あわてた西郷はとっさに自分の父親の名前を口にしてしまった。
「青年」の上映会が終わり一坂先生よりゲストの旭堂南左衛兵門様をご紹介いただきました。
この席で上方講談の解説や講談における人物名の変更等についてをお話くださいました。
また井上聞多の「袖付橋(袖解橋)の御難」に関する解説をいただき、一同そのまま
忘年会会場へと移動。
いつのまにか私の二日酔いも消えて、元気に美味しくビールをいただきました(笑)
いつのまにか私の二日酔いも消えて、元気に美味しくビールをいただきました(笑)
2012/12/09
2012 12/8-9 小浜旅行
この1年間はおそらく人生の大きな転機だったのでしょう。
交通事故に転職、そして大きな手術と盛りだくさん。
そこで今回は厄落とし企画として一族で1泊旅行へ行くことになりました。
で、候補地の決め手は長女の案!「カニもフグも食べられる場所」ということで
でググってみると速攻で福井県小浜に決定!
まさかとはおもうけれど・・雪道は走ったことが無い。。
1週間前に慌ててオーとバックスへタイヤチェーンを買いに行き
とりあえず1回だけ講習を受けて¥20,000でGET!
その後さすがにぶっつけ本番は危ないってことで冷えこんだ夜半にもくもくと取り付けの練習をして1泊旅行に臨みました。
ということでサクサクっと走り12時には小浜に到着!
お昼は若狭フィッシャーマンズワーフです。
好きなお寿司をわんさと抱え込んでの新鮮な握り寿司!
あ~ん!絶品!あまりのおいしさに写メを忘れました(;´∀`)
その後は御食国若狭おばま食文化館へ移動。
ここでまぁよく遊んだこと!
伝統工芸品をつくるコーナでは、めのう薄板模様付けとめのう磨きにチャレンジ!
私は、失敗がまず無いとおもわれるめのう磨きにチャレンジ!
まぁ30分だし。。。ところがこれが意外な展開に!
どうやら磨けば磨くほどに光沢が増すことがわかり、サンプルで展示されていためのうは
3日間磨いたらしい!ちょっち根性をだしてひたすら磨く!磨く!
紐をつけてもらって可愛いオレンジのめのうのペンダントが出来上がりました^^
窓から見える日本海!
その向こうには雪景色の稜線が見えます。
早めにみんなで入浴してお待ちかねの夕食!
カニ鍋+フグ鍋の饗宴ですww。
茹でカニ、カニ鍋、カニのお刺身の横にてっさと湯引き、てっちりが並びます!
たぶんこんな光景は二度とみることはないかも!
で・・写真は?はい!ごめんなさい。わすれましたww
先日の【幕末史】で習った【梅田雲浜】さんについての足跡をと調べると、さすが小浜の英雄。
雲浜地区というのがあって公民館やら学校やら。今は亡き小浜城跡あたりがその地区らしく雲浜さんの生家跡もありました。
写真は雲浜小学校の校門の中におられる梅田雲浜さんの像です。
また小浜城址では、石垣が残るのみ。
また堀もすべて埋め立てられ宅地化していました。
その後、フィッシャーマンズワーフの向かい側にある市場でいろいろとお買いもの!
干物や小鯛のささ漬をGET!これで思い残すことはないww。
無事全行程を終わり帰阪。
楽しかった小浜旅行も無事終了となりました。
福井県って意外と近くてびっくりです。暖かくなったらまた訪れてみたい県ですねー。
2012/12/07
2012 12/6 凛と咲く花
2012/12/02
2012 12/2 わつか市

今回で参加2回目となるわつか市の為に、紀伊半島の反対側より前日の夕方に大阪に到着されました。
で、恒例のおミカン農園の方と一緒に前夜祭を開催!
今回は待ち合わせ場所は動物園前!ということはこれはやっぱ串カツしかないでしょうww
で夜の新世界にむっちゃ久しぶりに行きました^^
新世界よりデンジャラスな香りが無くなったかわりに、串カツ屋さんの健全な客引きのお兄さんがいっぱいです。
で、呑兵衛な私たち3人は2時間飲み放題のお店に突撃!いっぱい飲みました^^
で・・串カツ屋さんにとっても気になるメニューが。。
ダチョウとワニ。。。。さては天王寺動物園が近いからか。。意味不明。。
で、もちろんオーダー!しなやかな歯ごたえで美味でした(笑)
翌日は9時の開店に間に合うように四天王寺さんへ。
もうすっかりお店が出来上がっておりました(;^ω^)
張り切って売りましょう!・・ところが・・急な寒波でお客様がすごく少なくて試食してくださらない。。
それでもがんばって15時の閉店まで声を出しつづけました!
まさか私が【ミカン売り】になるとはww
まぁ接客業は商売の基本だし。とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
次回1月はわつか市はお休みなので2月3日(日)となります。
2012/11/28
2012 11/27 九度山 中尾果樹園産 富有柿
和歌山県九度山町は私の心の故郷・・。
関ヶ原の戦いで西軍の武士、父の真田昌幸と息子の真田信繁(幸村)と孫の真田 幸昌が暮らした場所、そして再び心が燃え上がり大阪の陣へと立ち上がって行くその場所が真田庵。
明治38年6月に起こった堀江六人斬り事件・・唯一生き残った芸妓・妻吉さんは両手を切り落とされてしまった。
その妻吉さんはさまざまな障害を乗り越え大石順教尼となり障害を持つ方々の心の支えとなられました。その順教尼さんの縁の場所が九度山の萱野家。
高野山の麓に位置し色んな歴史が紡ぎあげた町は、清流と山々が生み出す自然の恵みと、
九度山に住む方々の情熱が、それは見事な富有柿を生み出しました。
日本一の富有柿の産地の九度山が大好きです。
2012/11/25
2012 11/25 第15回アシスト寄席
早いもので15回となりました。今年最後のアシスト寄席でした。
このアシスト寄席はネタおろしの会で、しかも毎回限定30人!会がおわった後はおいしいスイーツがついている超お得な会で、次回開催は2013年2月17日です。
笑福亭嬌太 色事根問
会を重ねるごとに噺家さんらしくなってきました。がんばってくださいね♪
笑福亭呂好 近日息子
久しぶりのネタ。テンポよくきかせてくださいました!
旭堂南左衛門 赤穂義士伝より武林唯七隆重
講談で初めて聞くお話だとどんなお話なのかどきどきです。まだまだ知らないお話がいっぱい!
浅野内匠頭の家臣の武林は忠実で信用あつい家臣だが、おっちょこちょい。
浅野本家へ行きお手植えのカキツバタの花をもらってくることを命じられるがなんと・・・。
しかも帰りしなに預かったカキツバタを。。。
笑福亭仁嬌 尻餅
年末を迎えた貧乏長屋。近所のミエでお餅つきを偽装するお話。お餅つきのシーンでは会場から拍手が!
桂 枝太女 動乱の幸助
出囃子の不調で仁嬌さんからつっこみの声がww。
稽古屋、義太夫の話しをマクラに本題に入りました。
2012/11/18
2012 11/18 秋桜講釈会
コスモスシアターホームページより引用。
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江戸時代から明治にかけて全盛を誇った講談(講釈)。
時代を反映した最もタイムリーな出来事を、威勢のいい張り扇の音と共に、
独特の調子で読み上げる、講釈師達の話芸は人々の心を鷲掴みにしていました。
しかし、時代のうつろいと共にいつのまにか講談を聞く為の場「釈場」が姿を消し、
今では定席の釈場は皆無に等しいまでに・・・。
コスモスシアターでは、この後生に伝え続けなければならない伝統の灯火を消さないよう、
「釈場」の復権を目指し、活動は今年で3年目になります。
http://www.cosmostheater.or.jp/stage/shakuba/
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前説ということで南青さん、南舟さんのお二人が登場!
出前釈場をきっかけとして来られたは残念ながらゼロ。。
ラジオ岸和田がきっかけの方はおひとりとの事。
南舟さんより巧みに言葉を引き出そうとする南青さん!
やっぱ見事です^^
旭堂 南斗 山内一豊とその妻千代
だいぶこなれた感がある南斗さんの講談。
もっともっと面白く!感動的に!スリリングになるように頑張ってくださいね。
旭堂 南青 太閤記・木村の麻風呂敷
講談のお話を書いてしまうとネタバレになるのでぼかして書いてみます。
加藤清正の家来で木村又蔵のお話。病の母を救うためにはお金が必要・・どうやってお金を
手に入れるか・・・加藤清正との出会い・・姉川の戦いに行こうとするがお金がない!
武具一式は手に入ったのか・・・・姉川の戦いに行けたのか・・。
なんとテンポのよいお話なのか!私のお気に入りのお話です。
旭堂 南舟 難波戦記・真田大助の初陣
大助が幸村につかえる猛者を使ってどう戦うか。。。
16歳の若者と父との会話から500人でどうやって5500人と戦うかが見もののお話。
旭堂 南左衛門 赤穂義士外伝・天野屋利兵衛
講談ってやっぱすごい!
目の前で天野屋利兵衛を取り調べる松井河内守の姿が浮かんで見えました。
職務上で辛く当たらねばならない大名の心と、人間味溢れる人柄を見事に描きだされていました。
また、大石内蔵助より見込まれて依頼された義侠心の強い利兵衛さんの苦しい心境も
絡まりあってゆくのが表現されていました。
責められている子供を目前にしてのあの絞り出すような言葉
「天野屋…利兵衛は…男でござる」
もう涙が止まりませんでした。
あたかも、私の目前で繰り広げられているように映像が感じられました。
やっぱ言葉(ゼリフ)の持つ力と表情、イントネーションそして間・・・。やっぱ旭堂 南左衛門 さんってすごいです!
終演後に、PA席へ行き、今日のような名演はDVDやCDなどの音源にしたら?と問いかけましたが残念ながら著作権の関係でダメとのこと。
それならばユーストリームでも。。。本当にもったいないかぎりです。
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