桂 優々 田楽食い
桂雀々さんのお弟子さんで6年目。
テレビ番組の上方演芸ホールで雀々さんの「田楽食い」を思い出される所作口調で
師匠さんと練習をずいぶん積んで来られたのだなと感じました。
将来が楽しみな噺家さんです。
旭堂 南左衛門 般若時の焼き討ち
久しぶりの師匠さん。
<淀君の威勢>からネタを変更されました。
徳川家康や真田幸村がイキイキと動き出しました。
笑福亭 仁嬌 道具屋
軽めの「道具屋」。ポンポンと噺が進み、これくらいの軽妙さがあるとかえって素直に笑えるました。
桂 枝女太 百年目
なんといっても今日の目玉は「百年目」。
元噺は並木正三氏の「手代の当惑」(宝暦12年(軽口東方朔))を元に焼き直しした明和7年上方板「軽口片頬笑(かるくちかたほえみ)」第一巻所収〔うろたえても気転〕を改作したものと思われる。
上方落語の歴史 昭和33年 前田勇著
桂米朝さんの百年目はもう何度も聞いてきました。といっても音源は同じ。
なのでどうしても比較してしまいますが、それでも今日の桂枝女太さんの「百年目」はよく演じられたと思います。
もちろん、今の世には「百年目」という言葉はもはや通じないことから上手くマクラに組み込まれおまくサゲへと繋げられた工夫や、越後獅子のハメモノを再現するために、アシスト亭はじめての生三味線に拘られたこと等大変だったと思います。
旦那さんの赤栴檀と難莚草の件と、そのあとに続く「遠慮は外でするもんや」「ちょうど孫の太鼓があるよってに、ちょっとここで踊ってみてや」の微妙な旦那の心遣いの描写がお見事でした。すこし旦那さんがお若い感じであったようですが、それでも番頭の恐縮したその心理がうまく出ていました。桂文枝さんの百年目は聞いたことの無いのが悔やまれます。本当にお疲れ様でした。
ちなみに帰り際に桂枝女太さんは、「いやぁ・・まだまだです」と言われていたのが印象的でした。
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
2014/06/01
2014 6/1 大阪市港区戦災死者慰霊法要
昭和20年の1月の空襲に加え、その後、昭和20年3月13日、B29大型爆撃機が100機以上飛来し空襲だけでも6月1日・6月7日・6月15日・6月26日・7月10日・7月24日・8月14日とあったそうです。 港区でベビー関連の縫製工場を営んでいた祖父と祖母の言いつけで、私の母は3月13日の空襲後すぐに滋賀県の祖父の本家(近江八幡
市辺村)へ疎開。続いて祖父、祖母も避難してきたそうです。当時の家計を支えていた商売道具ともいえるミシンとそして古いアルバムを数冊・・そのおかげで今の私がいて次の世代に伝える事ができました。
戦争が終わって母は、祖父と祖母に連れられて港区の当時の家を見に行ったそうで、焼け野原と瓦礫が積まれている焼け野原に自分の家の冷蔵庫だけがポツリと立っていたのを寂しそうに話してくれました。
当時港区は大阪から南方に出兵する兵隊さん達のターミナルでもあり、水や食糧を補給する寄港地の役割を果たしておりその労役に従事を強いていた人足として捕虜収容所が存在していました。
また物資を蓄える倉庫も豊富にあったので攻撃の対象になっていたのでしょう。
その爆撃でくさんの方々が亡くなられその中には当時の私達家族と親交の深かった方々やお世話になった方々が多くおられたことでしょう。
2008年3月頃から実家の写真を整理していたら数多くの港区での生活を偲ばせる写真が出てきたのをきっかけに当時の住んでいた場所を探すことになりました。残念ながら当時の家は木津川の中でしたがいろんなご縁で毎年6月1日にこの港区で戦難にあわれた方々の供養塔があり毎年ご法要をされていることを知りました。
来年は70年目。。どうぞ法要の灯が絶えることがありませんよう。
来年は70年目。。どうぞ法要の灯が絶えることがありませんよう。
〔 我が家に残る戦争の爪痕〕
http://sweet-mikan.blogspot.jp/p/blog-page_7391.html
2014/05/25
2014 5/25 第32回柳谷観音・泰聖寺講談会 ~真田幸村・大坂入城400年記念~
開場の30分ほど前に到着。
その後続々とお客様がお越しになり38名!
会場は30名限定なので超大入り満員の講談会となりました。
「関東軍総敗軍」旭堂南斗
「般若寺の焼討ち」旭堂南舟
「大助駿府の使者」旭堂南青
「槍摺りの鎧」旭堂南左衛門
終演後はいつもの茶話会ではなく「徳川家康をののしる会」を開催!
3代目南陵さんの発案で脈々と受け継がれている会との事。
家康のここがキライ!というお題でまぁ色々と出てくる!
上方ならではのイベントです(笑)
2016年の大河ドラマ「真田丸」では上方の講談師を絶対に出演させるべきでしょう。
これほどまでに大坂の陣に精通している方々はありえない。。
もしNHKの方がこのBLOGをご覧いただいているのならぜひご検討ください。
それにしても講談会にたくさんのお客様が来てくださるようになり
本当にうれしい限りです。
2014/05/24
2014 5/24 第71回国立文楽劇場寄席 上方演芸特選会
久しぶりの国立文楽劇場。
地下鉄日本橋から近くという便利な立地だけれど愛車で移動のために、いつも駐車場で苦労します。
今回はラッキーな事に、真裏にある¥400/1hの駐車場が空いていてラッキー!
開場1時間半前には余裕で到着。
「落語」笑福亭 喬介 金明竹
「曲芸」揚野 バンリ 曲芸
「浪曲」春野 恵子 両国夫婦花火
「講談」旭堂 南左衛門 徂徠豆腐
「落語」桂 楽珍 蒟蒻問答
「浪曲」松浦 四郎若 応挙ゆうれい図
「漫才」三吾・美ユル 漫才
上方の名人芸が勢ぞろいというなんとも贅沢な会。
前座の笑福亭 喬介さんはほんとに久しぶり。
その明るい陽気なキャラで会場は笑い声に包まれて行きました
ネタは私の大好きな金明竹!
http://sweet-mikan.blogspot.jp/2011/12/2011-1211.html
揚野 バンリさんのジャグリングはおもいっきり新鮮!失礼な話で恐縮ですが先日某場所で見た路上で行われている大道芸とは大違い。その緊張感と軽妙なトークの掛け合わせが心地よい。
半年ほど前に入手した初代幸枝若さんの数枚のCDから浪曲の面白さに目覚めた館のある私。春野 恵子さんも松浦 四郎若さんもとても興味深くそれぞれの世界にすっと入って行けました。
さていよいよ旭堂 南左衛門さんの登場!ベストなタイミングで「まってました!」の声がかかりました。この徂徠豆腐はもう何度も聞かせていただいたはずなのに、会場の空気感が普段の講談会では無いために不思議な緊張感が漂っていました。さすが大喝采のうちに終了。
桂 楽珍さんは田辺寄席等で何度か楽しませていただきましたが、まぁさすがに面白い方!徳之島ネタで盛り上がったせいか、ネタはうまく短縮して大爆笑で終了。
三吾・美ユルさんの漫才はナマでは初めてです。コントや早口な漫才が多い中で脈々と続いている上方のしゃべくり漫才の三吾・美ユルさんの漫才はテレビの演芸番組で見た記憶があります。
かしまし娘さんやフラワーショー、宮川左近ショー等のネタはおもわず懐かしくまた、親子であることをうまく漫才に取り入れられて大喝采で演芸会は無事終了となりました。
上方ならではの演芸の数々!また機会がありましたらぜひ参加させていただきます。
地下鉄日本橋から近くという便利な立地だけれど愛車で移動のために、いつも駐車場で苦労します。
今回はラッキーな事に、真裏にある¥400/1hの駐車場が空いていてラッキー!
開場1時間半前には余裕で到着。
「落語」笑福亭 喬介 金明竹
「曲芸」揚野 バンリ 曲芸
「浪曲」春野 恵子 両国夫婦花火
「講談」旭堂 南左衛門 徂徠豆腐
「落語」桂 楽珍 蒟蒻問答
「浪曲」松浦 四郎若 応挙ゆうれい図
「漫才」三吾・美ユル 漫才
上方の名人芸が勢ぞろいというなんとも贅沢な会。
前座の笑福亭 喬介さんはほんとに久しぶり。
その明るい陽気なキャラで会場は笑い声に包まれて行きました
ネタは私の大好きな金明竹!
http://sweet-mikan.blogspot.jp/2011/12/2011-1211.html
揚野 バンリさんのジャグリングはおもいっきり新鮮!失礼な話で恐縮ですが先日某場所で見た路上で行われている大道芸とは大違い。その緊張感と軽妙なトークの掛け合わせが心地よい。
半年ほど前に入手した初代幸枝若さんの数枚のCDから浪曲の面白さに目覚めた館のある私。春野 恵子さんも松浦 四郎若さんもとても興味深くそれぞれの世界にすっと入って行けました。
さていよいよ旭堂 南左衛門さんの登場!ベストなタイミングで「まってました!」の声がかかりました。この徂徠豆腐はもう何度も聞かせていただいたはずなのに、会場の空気感が普段の講談会では無いために不思議な緊張感が漂っていました。さすが大喝采のうちに終了。
桂 楽珍さんは田辺寄席等で何度か楽しませていただきましたが、まぁさすがに面白い方!徳之島ネタで盛り上がったせいか、ネタはうまく短縮して大爆笑で終了。
三吾・美ユルさんの漫才はナマでは初めてです。コントや早口な漫才が多い中で脈々と続いている上方のしゃべくり漫才の三吾・美ユルさんの漫才はテレビの演芸番組で見た記憶があります。
かしまし娘さんやフラワーショー、宮川左近ショー等のネタはおもわず懐かしくまた、親子であることをうまく漫才に取り入れられて大喝采で演芸会は無事終了となりました。
上方ならではの演芸の数々!また機会がありましたらぜひ参加させていただきます。
2014/05/23
2014/05/18
2014 5/18 第六回会佛願寺講談会
第六回会佛願寺講談会
そのまま一路大和高田へ!おもっきり北→南の大移動となりました。
定刻より1時間ほど早く到着したもののお客様が次々とお越しになられ50人以上の大入り満員状態。
定刻となり「太平洋改メ旭堂南鷹改名披露口上」が始まりました。
南鷹さん記念すべき口上は南青さんの司会。南左衛門さんのご挨拶では
南鷹さんのお名前の由来は、いろいろと宇紆余曲折あったが鷹揚な気持ちで構えていただきたいとの事、
私もぜひ些細な事にこだわらずゆったり、のびのびと講談界の将来を担う講談師さんになって欲しいと願っております。
「怪談・江島屋騒動」 白夜亭 一林
いつもの落ち着かれた口調以上に今日はゆったりと噛みしめるように読まれた一林さん。
情景たっぷり・・・その所作、表情もお見事!
「安倍晴明伝」旭堂 南青
マクラからググっと観客をお話に引き込む南青さん。
爆笑からそのまま本題へ・・そしてマクラで振った話に戻ります。
「難波戦記・大助駿府の使者」旭堂 南鷹
はじめて南鷹さんの講談を聞かせていただきました。
古典は久しぶりであるとの事、きっとだいぶお稽古をされたのでしょう。
その苦労を感じさせることの無い見事なお話でした。
南鷹さんの描かれる家康・幸村・大助はそれぞれの表情や口調がそれぞれが違い
明確なおかげでスッとお話の世界に入って行けました。
「西行法師・鼓ケ滝」 旭堂 南左衛門
7月にフィヨルドツアーに行かれるそうで、その繋がりから、豪華客船飛鳥でのクルージングでの
南青さんとの思いで話をされました。
本題の鼓ケ滝のお話は何度か講談、落語にテレビ等でもおなじみなネタ。
それでも毎回新鮮に楽しませていただくことができます。
2014/05/17
2014 5/17 歴史と人間 アーネスト・サトウ
今回の大河ドラマの次の2015年は「花燃ゆ」で松陰先生の妹がヒロインだそう。
で、再来年の2016年は先日発表がありましたが三谷幸喜さん脚本の「真田丸」。
真田幸村が亡くなって401年の記念すべき年に・・・・はぁ?・・・?
401年?むちゃくちゃ違和感を感じているのは私だけでは無かったようです。
噂では震災の復興をテーマに2013年の「八重の桜」はまだ良かった。
そして2014年の姫路城のリフレッシュ公開と合わせた軍師官兵衛VS大阪の陣が勃発した真田幸村となるかの対決で
大阪方は【真田幸村を大河ドラマにする会】を発足していっぱい署名を集めてきたけれど
残念ながら軍師官兵衛に決定。。
そこで不思議な・・とっても不思議なことが起きました。
どこからか、松陰先生をテーマに大河ドラマを作りなさいってお声があったようです。
数回前の講義で、吉田松陰先生が一時的に書籍として取り上げらた時期があると言われていました。
強烈なまでの尊王思想で過激的であるが故に斬首となり罪人となったが、
ある時期から神とまでに奉られている松陰先生の言葉が修身の教科書に載ったそう。
そして数年後にも掲載されるらしいですが・・そのもてはやされた時期は?・・・さぁいつでしょう。。
中国やロシア、北朝鮮のキナ臭い動きを鑑みて集団的自衛権の行使容認で憲法解釈の変更を唱えた事になにか関係があるのかも?
アーネスト サトウはSir Ernest Satow で1843年ロンドン生まれ。
Satowの父はドイツ東部からの移民。佐藤ではない。。
18歳の時に兄が図書館でローレンスオリファント著のエルギン卿遣日使節録を読む。この本には日本は東洋のおとぎの国のように書かれていた。
また、ペリーの書いた書物も読んでいる。
運の良いことにUCL(大学)で中国と日本へ行く学生募集の広告を見て即応募!主席で合格している。
1861年8月に任命され、まず北京に数か月滞在。
今からみると変なのですが、日本語をマスターするためには中国語をマスターする必要があるとされていたらしい。これは当時の常識との事。。
1862年9月に日本へ。通商条約後なので当時の横浜の印象は「外交官の掃き溜め」とのこと。
1861年に品川にあったイギリス公使館が襲撃を受けて横浜へ逃げている。これをきっかけに当時の外交官のオールコックは本国へ帰国。そして代理として軍人の〔ニール〕が来日。東禅寺を公使館としたが1862年にまたもや襲撃されている。これは日本人警備員が外人を殺害している。
そしてサトウはこのニュースを北京で聞いている。日本の治安に不安を抱いたサトウは鉄砲を購入、これは明治2年まで常備していた。
1962年9月には領事館付日本語学生という肩書で来日。
当時、品川御殿山に領事館を幕府により新築建設中。
ここは上野に並ぶ桜の名所でもあり東京湾を見下ろせる軍事的な要所。
もちろん孝明天皇は建設に大反対。ニールに中止を申し入れたがもちろんNG。
※実はこの交渉の際に幕府は「朝廷と戦争になったらイギリスは幕府側についてくれるか?」という交渉もされていたそう。
そして3日後には放火事件が発生!犯人は不明とされてるが実は伊藤博文ら13人は犯人。もちろんニールは幕府が裏で糸を引いて焼かしたのではないか?と疑っていた。
流暢な日本語のサトウはアメリカ宣教師のブラウン氏・ヘボン氏に習っていた。
裏話でサトウは芝居を見に行ったそう。
当時は外国人料金で法外な値段でありしかも悪い席。
その不平等さを流暢に啖呵を切ったらしい。小屋主は、サトウがその良い席に座るのなら芝居をはじめない!と言ったもののついに根負けしたらしい。それくら日本語は流暢。。
8/21に生麦事件が勃発。これはサトウにとっては日本人の考え方をしるチャンスと捉えていた。そして薩英戦争が始まる。
ここで参考になるのは「一外交官の見た明治維新」この書籍は長い間出版禁止。おもいっきり孝明天皇の崩御されたことも書かかれている。。割愛された書籍をへて岩波より完全版が発行されている。
今日の講座では、この「一外交官の見た明治維新」を読みながら日本側の記述と対比して薩英戦争のその捉え方の違いを確認していきました。
この戦争を通して薩摩は英国に急接近。留学生派遣や軍艦購入へ進んで行くと同時に長州も門戸をひそかに開いているのが面白い。
2014/05/16
2014 5/16 「お家さん」
読売テレビで放映された「お家さん」を鑑賞。数分間の出だしをみて思い出しました!
ドラマの中の「鈴木よねさんと金子直吉さん」はとっても新鮮に脳裏に描かれました。
明治7年はおもいっきり幕末の余波が吹き荒れる頃に創業された小さな砂糖問屋。
一代で築いた鈴木商店店主の金子岩次郎と婚姻したよねは、
当時の風潮であった従業員は徹底的に使い倒すという店の方針に逆らい
人こそ財産であり待遇の改善を行う。
土佐から縁があって鈴木商店に入社した金子直吉との出会いがあったものの、
岩次郎に嫌われ社を後にするがよねが土佐まで迎えに行きなんとか思いとどまらせる事に。
そんな中、数年後、店主が急死した後は店をたたむものと思われたがなんとよねが店主となり
鈴木商店を引き継ぐこととなりました。
商才のあった金子直吉を中心にすさまじい勢いで商いを拡大。
そしてついに日本を代表する総合商社に成長。そんな鈴木商店を不幸が襲います。
実話をもとに明治初期~昭和初期を駆け抜けた鈴木商店の
一部分をドラマでは知ることができました。
また城山三郎さんの「鼠」では米騒動の原因となったのは鈴木商店による米の買い占めによるとされていた風潮を三井と朝日新聞による関与があったと結びつけています。
そして 今、栄華を誇る大企業の数々は鈴木商店につながっているのです。
金子直吉氏の句 <初夢や太閤秀吉那翁 >
その壮大さと自分にはできない事が無いという無限の可能性のその力強さを感じます。
鈴木商店ミュージアム
丁稚が創った「国家予算を超える会社」
金子直吉伝
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